※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、名称とは一切関係ありません。
****
僕はお祭りが嫌いだ。
豊穣の祈りを神様に捧げたいのなら、個人で静かにやればいいのに…なんて思う。
けど、友人にそんな事を言っても通用しない。男子は神輿を担ぎたいだけだし、女子はハッピ姿を写真に撮りたいだけ。
僕が「祭祀儀礼とはそもそも…。」
と、語ったところで誰も聞きやしない。
でもまぁ、密集を避けるために中止になってくれて正直安心したかな?
僕は根性論者が嫌いだ。
汗だくになって働いたり、徹夜で勉強すればいいと思ってる友達の親や年配教師達のことだ。
彼等に効率の重要性や無駄な箇所の列挙なんて逆ギレの元だからやめたほうがいい。
でもまぁ、熱があっても赴こうとする奴らにストップがかかって良かったよ。自己陶酔的な頑張りの押し付けが、他人への迷惑だと自覚する日は来るのだろうか?
僕はチャラい男が嫌いだ。
真剣に議論出来る奴しか友達になれないと思ってる。
「酒飲んで忘れろ」なんて軽く言ってくる奴なんかとは絶対に仲良くなれない。
そんな男がいいという女子とも打ち解けたくない。
君たちは君たちで盛り上がっていればいい。
僕を密閉された空間に連れていかないでくれ。
「歌」ばかりが「うた」じゃないんだよ。「詞」や「詩」や「唄」も「うた」だってことを考えようよ。
でもまぁ、今はどこも営業してないけどね。
おかげさまで僕は好きな読書に集中出来て、至高の時間を過ごせてますよ。
だが、友人未満の知人達よ。安易に僕にオススメの本を聞くのはやめてくれ。
「室内で読書してる自分」を写真に撮りたいだけならば、表紙とタイトルだけで好きに選べばいいじゃないか!
****
…七つの玉が集まったわけでもないのに…僕の願いは叶ってしまったのか?
僕の嫌いな物ばかりが都合良く排除されていく。
これは僕が望んだユートピアか?
これは僕が望んだ永遠か?
これは僕が望んだ完全なる世界か?
違う!僕は思いはしたが願ってはいない!
神よ!弁明が許されるなら聞いてくれ!
強制的な集団行動や、観念的な体育会系のパワハラや、浅くて軽いカルチャーが改善されればいいと思ってただけで、こんな風に皆が居なくなればいいなんて一度も思っていない!
そして…こんな僕自身が一番嫌いだと思ったことはあるけど…それでもまだ消えたくはないんだよ…お願いだ…。
(完)
こんにちは。
『誘惑者の日記』はプロットがまとまり切らなくて更新が遅れてしまい申し訳ありません。
今日は単純に映画の話を。
まずは、
「20世紀最高の作品」
「不朽の名作」
と言われる
「風と共に去りぬ」
です。
アメリカの南北戦争を舞台にしたこの映画で、クラーク・ゲーブル演じるレッド・バトラーは言います。
「我ら南軍にあるのは、旧式の大砲と綿花と奴隷、あとは『自惚れ』だ。」
と評します。
これに憤慨した青年貴族達は
「大砲は無くても勇気がある!」
と喜び勇んで従軍しますが、あっという間に野戦病院送りになります。
奴隷解放を訴えるリンカーン率いる北軍を「敵」としている視点がとても面白いです。
西洋のファンタジーを見ていて思うのが
「勇者」
の概念です。
ロールプレイングゲームの
「ドラゴンクエスト」
で一般化し、誰でも知っている言葉となりましたが、私がいつも疑問に思うのが、
「勇気の概念」は武士道にあったか?
ということです。
思うに「勇者」という、一人の英雄が世界を救う「救世主伝説」がユダヤを発祥とした西洋の文化に根付いた者なのかな?と思います。
民衆から愛され、王候貴族から支援を受け、魔王と怪物を退治する…。
何だか「正義の味方」以上に、「参戦する意思を表明さえすればいい。」ような気がしますね(笑)。
私はドラクエの5が好きです。「天空の花嫁」の主人公はあくまで「父の敵」として「個」で戦い、またシリーズ初の「モンスターを仲間に出来る」というシステムが好きです。
「大衆から支持されたら怪物を一方的に排除してよい」
ではないですからね(笑)。
確か、主人公の職業が「勇者」とならないはずでした。

それと、ダニー・デビート主演の
「勇気ある者」
も大好きな映画です。

軍隊で未成年の兵隊達に教養訓練として、教師の彼が派遣され、「ハムレット」を教えることで少年少女に豊かな心を植え付けます。
そして驚きが
「テストを受けなくても落第しない、しかし、受験して不合格なら落第」
という一方的に不利な条件で、生徒達は受験することを選ぶのです。
私にはまだこの気持ちになれません
『誘惑者の日記』はプロットがまとまり切らなくて更新が遅れてしまい申し訳ありません。
今日は単純に映画の話を。
まずは、
「20世紀最高の作品」
「不朽の名作」
と言われる
「風と共に去りぬ」

です。
アメリカの南北戦争を舞台にしたこの映画で、クラーク・ゲーブル演じるレッド・バトラーは言います。
「我ら南軍にあるのは、旧式の大砲と綿花と奴隷、あとは『自惚れ』だ。」
と評します。
これに憤慨した青年貴族達は
「大砲は無くても勇気がある!」
と喜び勇んで従軍しますが、あっという間に野戦病院送りになります。
奴隷解放を訴えるリンカーン率いる北軍を「敵」としている視点がとても面白いです。
西洋のファンタジーを見ていて思うのが
「勇者」
の概念です。
ロールプレイングゲームの
「ドラゴンクエスト」
で一般化し、誰でも知っている言葉となりましたが、私がいつも疑問に思うのが、
「勇気の概念」は武士道にあったか?
ということです。
思うに「勇者」という、一人の英雄が世界を救う「救世主伝説」がユダヤを発祥とした西洋の文化に根付いた者なのかな?と思います。
民衆から愛され、王候貴族から支援を受け、魔王と怪物を退治する…。
何だか「正義の味方」以上に、「参戦する意思を表明さえすればいい。」ような気がしますね(笑)。
私はドラクエの5が好きです。「天空の花嫁」の主人公はあくまで「父の敵」として「個」で戦い、またシリーズ初の「モンスターを仲間に出来る」というシステムが好きです。
「大衆から支持されたら怪物を一方的に排除してよい」
ではないですからね(笑)。
確か、主人公の職業が「勇者」とならないはずでした。

それと、ダニー・デビート主演の
「勇気ある者」
も大好きな映画です。

軍隊で未成年の兵隊達に教養訓練として、教師の彼が派遣され、「ハムレット」を教えることで少年少女に豊かな心を植え付けます。
そして驚きが
「テストを受けなくても落第しない、しかし、受験して不合格なら落第」
という一方的に不利な条件で、生徒達は受験することを選ぶのです。
私にはまだこの気持ちになれません
43の誕生日にこんなことを書くのもおかしいですが…「社会の本質」「人間の本質」が浮き彫りになって良かったな、とポジティブに捉える方がいいかなと私は考えます。
そう、問題は以前からそこにあったんですよ。待機児童、救急車のたらい回し、センター試験、甲子園の熱中症対策、風営法。そして利権絡みの官と民。
ずっと前から言われてたことですよ。 ****
日本神話より、
「稲穂を娘、大地を母親とするならば、大地の夫にて、稲穂の父親となる『男』を象徴するものとは何か?」
との問題を自ブログで書いたことがあります。
答えは「水」でも「太陽」でも「肥料」でも耕す人間でもありません。
答えは
「風」です。または「台風」であり「災厄そのもの」が男の象徴なのです。
災厄により進化し、遺伝子は選別されるということです。
父性とはとかく理不尽に先導または煽動しますが、同時に選ばれなければ滅びるということです。
新撰組は滅びることで新時代に貢献し、生き延びた者は語り部として(自分自身の一人分の)真実を伝えることで明治政府に好き勝手させないように貢献したのです。
思うに強烈なリーダーシップを求めながらリーダー個人を否定するのは、父性への否定かと思います。母親だけで子育てしてきた地球規模のツケが回ってきたのかな…と。
今回の騒動で盲目的な平等主義が、短絡的な共産主義の躍進にならないことを望むばかりです。
なお、「ファシズム」とは「協力する」という「ファショ」というイタリア語から生まれた言葉です。「○粛警○」さんに共通するんじゃ…ねえの?(笑)。
****
「お前は悪人か?
自分の目的・欲望・理想の為に
他人の犠牲を厭わぬ者
それが悪人だ。
だが、誇りある悪ならば
いつの日か自らも同じ悪に滅ぼされることを覚悟するものだ。
お前にその覚悟があるか?
それが無いなら
お前はただの馬鹿か
三流で腰抜けの小悪党だ
誇り無き悪は
地べたに這いつくばって
死にやがれ」
出典 「魔法先生ネギま!」茶々ゼロのセリフ
****
私の自我の源泉は強烈な自己否定だったと思います。それが想像力の育成や他者へのいたわりに転化出来ましたが、源泉は恨みや妬みや恐怖心だったと思います。それを成長の慶びに転化出来たのは結婚して病気を克服してからのここ数年のことですよ。「自分が自分を動かしている、反射で生きていない」と慶びを実感出来ています。
そう、問題は以前からそこにあったんですよ。待機児童、救急車のたらい回し、センター試験、甲子園の熱中症対策、風営法。そして利権絡みの官と民。
ずっと前から言われてたことですよ。 ****
日本神話より、
「稲穂を娘、大地を母親とするならば、大地の夫にて、稲穂の父親となる『男』を象徴するものとは何か?」
との問題を自ブログで書いたことがあります。
答えは「水」でも「太陽」でも「肥料」でも耕す人間でもありません。
答えは
「風」です。または「台風」であり「災厄そのもの」が男の象徴なのです。
災厄により進化し、遺伝子は選別されるということです。
父性とはとかく理不尽に先導または煽動しますが、同時に選ばれなければ滅びるということです。
新撰組は滅びることで新時代に貢献し、生き延びた者は語り部として(自分自身の一人分の)真実を伝えることで明治政府に好き勝手させないように貢献したのです。
思うに強烈なリーダーシップを求めながらリーダー個人を否定するのは、父性への否定かと思います。母親だけで子育てしてきた地球規模のツケが回ってきたのかな…と。
今回の騒動で盲目的な平等主義が、短絡的な共産主義の躍進にならないことを望むばかりです。
なお、「ファシズム」とは「協力する」という「ファショ」というイタリア語から生まれた言葉です。「○粛警○」さんに共通するんじゃ…ねえの?(笑)。
****
「お前は悪人か?
自分の目的・欲望・理想の為に
他人の犠牲を厭わぬ者
それが悪人だ。
だが、誇りある悪ならば
いつの日か自らも同じ悪に滅ぼされることを覚悟するものだ。
お前にその覚悟があるか?
それが無いなら
お前はただの馬鹿か
三流で腰抜けの小悪党だ
誇り無き悪は
地べたに這いつくばって
死にやがれ」
出典 「魔法先生ネギま!」茶々ゼロのセリフ
****
私の自我の源泉は強烈な自己否定だったと思います。それが想像力の育成や他者へのいたわりに転化出来ましたが、源泉は恨みや妬みや恐怖心だったと思います。それを成長の慶びに転化出来たのは結婚して病気を克服してからのここ数年のことですよ。「自分が自分を動かしている、反射で生きていない」と慶びを実感出来ています。