小学校に勤めてた時の
あの時に出会ったお母さんの気持ちを
振り返る時がある。
困ったことが発生して
学校にお世話になる親子
今なら分かる。
そもそも
そもそも
その日本語がおかしかった。
困ったことってなに?
困ってる人はだあれ?
枠にはまらない子どもに
困ってんのは学校だった。
(学校の枠を変えればいいだけだった)
学校にお世話になるってなに?
誰もお世話なんてして欲しいなんて言ってない
学校はお世話するところ、
って思ってたのかい?
学校は学ぶ場なはず
先生も
子どもも
保護者も
学ぶから
間違うし
間違わないと
向かいたい方向性が
分からないし
それでいいのに。
へんなの。
へんなの。
枠に縛られてるの
苦しいんだよ
窮屈なんだよ
だからね、
ルールありきの枠をとっぱらって
「その人(天才性)を見る」
自由に
尊敬を持って
関わりたいのよ、
人と。
でなきゃ、面白くないんだもん、
人生が。
それが、ジーニアススクールなのよ。