赦せないという怒り

あなたは、赦せない恨み、怒り、悔しさを何年も抱え、あなたを不当に傷つけた相手に対して、脳内復讐をしているのかもしれません。恨むことに疲れて、マイナスな感情を手放したいと思っているかもしれません。または、どうあがいても苦しくて、赦せないという気持ちが自分に向き、絶望や無気力に囚われて、引きこもっているのかもしれません。この13章は、赦せないことへの最終章となるので、もし、私のブログの以前のページをご覧になっていないならば、まとめの13章を読んだ後でいいので、少なくとも一つは別の記事を読んでみてください。1章は概略、2章から12章までが具体的な内容になっていて、記事のタイトルを見て興味があるところが、あなたに必要な言葉になります。

魂レベルで向き合う

なぜ赦せないのか答えからいきましょう。赦せないことをされて赦せないと思うのは当然です。しかし、何年にもわたる赦せないと思う怒り3章は、魂レベルで自分に向き合っていないからです。感情レベルで、あいつのせいだ、自分は惨めだ、もう逃げたい、と思っているからです。しかし、トラウマ10章)を経験しても、実際の復讐をしなかったあなたは、魂レベルが高いのです。では、魂レベルで考えるために、まずは、あなたがターゲットにされた理由を、以下、三つ挙げますが、もし、魂などという言葉にまだ抵抗があるなら、現世的なアプローチ(4章)から入ってください。

ターゲットにされた理由

一つ目は、悪霊(8章)と同通している、霊性の低い人々が、霊性の高いあなたの使命を邪魔しようとしたと思われます。霊性の高いあなたに恨みを抱かせることであなたが霊性の低い層へ落ちるのを、彼らは愉快に思っているのです。あなたは自分の使命(11章を思い出す必要があります。霊性の低い者たちに、自分の高い使命を落としてはなりません。

 

二つ目は、あなたには霊界で被害者を救う役目があるのであえて今世あなたが被害者の立場に立つことで、被害者の痛みを実感するためです。被害者の痛みを経験して、それを昇華することで、他の被害者を高みに導くことができます。そして、被害者を救う役目というのは(2章)に勝手に与えられたのではなくあなたが今世生まれる前に選んだ、あなたに必要な学びなのです。

 

三つめは、あなたが前世加害者 (9章)であったことを深く恥じ、人の痛みを知るために今世のカリキュラムを組んできたのかもしれません。あるいは、今世、あなたが加害意識なく行った行為(7章)により誰かを深く傷つけたことの報いとして、人の痛みを知るようなできごとが今、巡ってきたのかもしれません。たとえ、傍観者5章)であった自分に罪はないと思っていても、自分が関与した罪について考えさせられるできごとが、必ず訪れます

怒りから使命を知る

この三つに共通して言えるのは、赦せないという怒りは、生きる力であり、怒りは他人や自分を攻撃するためではなく、なぜ赦せないかと深掘りすることによって、自分の魂の使命にきづくためのものなのです不当に傷つけられて、表面上どんなに自尊心を失っていても、魂レベルでは幸せに生きたいし、使命を果たしたいのです。どんなに理不尽に思えることでも、すべては走馬灯6章)を見たときに納得できます。だから、赦せない事柄/人を無理に許そうとするのではなく、自分が赦せないと思うことにあなたの使命が隠れていることを知るべきです。たとえば、あなたが受けたいじめ/嫌がらせを絶対に赦せないのなら、あなたは、誰もが幸せに生きる権利があると知っていて、あなたはいじめを根絶し、被害者を助けたいと魂が感じているのです。あなたが友人/家族/パートナーに騙されてどうしても赦せないのなら、あなたは愛することの大切さを知っていて、信じあえる社会を作りたいと魂が欲しているのです。

 

被害者、加害者でもある自分

なぜ赦せないことが起きるのかに関しては、今あげた三つ全てが複雑に絡み合っていると考えています。私自身、自分の使命と照らし合わせたとき、自分の生き方にたくさんの間違いがあったことに気付いています。どう生きたいのか、自分の使命が何なのかについて魂レベルで考えれば、誰かに対して、自分が加害者/傍観者だったこともあれば、自分が誰かに不当に傷つけられたこともあったのです。ある場面では自分が被害者であり、ある場面では加害者であることを知らなければ、自分の使命に気付くことや自分の霊性を高めることはできません。前世から引き継がれた今世の人生のなかで、常に正しい人、常に被害者である人というのは、ありえないと思います

 

償うまで消えない

どのカルマがいつ訪れるのかはわかりませんが、理不尽なことが起きたからといって、自分の悪事の解消になるわけではなく、それは単に人の痛みに気付かせるためのものです。自分が傷つけた本人に謝罪し、償い、心からの赦しをもらうまでは罪は消えません。今世で謝罪や償いができないのなら、霊界で償いの機会があり、それが終わってから今度は自分が被害者の立場を選んで転生し、来世で学ぶことになります。

 

たとえば、あなたが以前Aさんを深く傷つけたとします。そして、それと無関係のBさんから別の場面で傷つけられたとします。それは、Aさんに対するあなたの罪がBさんからの加害でチャラになったのではなく、人に傷つけられる痛みをわからせるためにあなたに起きたことであり、Aさんに対する償いはまだ終わっていません。たとえば、あなたが交通事故に遭って痛い目にあったから、昔行ったネット中傷の罪がチャラになることはありえない、と考えればわかるように、嫌な目にあったことで悪いカルマの解消につながらないことが理解できるでしょう。

 

Bさんが、あなたへの謝罪や償いをせずに、誰か別の人に善行を行ったとしても、あなたへの罪の償いは終わりません。それは、浮気をしている人がどこかに寄付をしても、浮気の罪はチャラにならない、というようなものだし、医者が人の役に立つからといって、万引きをしていいということにはならないのと同じです。

 

または、Cさんが、あなたについての嘘の噂を陰で広めた黒幕であったのに、友人の仮面をかぶって、あなたを励まし、仕事を助けてくれたとしても、Cさんの罪が消えるわけではありません。暗闇であなたを刺した人が、知らん顔であなたを病院に連れて行っても、その人の罪が消えることはないのと同じです。

 

自分に焦点を

 

因果応報は、神が仕組んだ物理法則で、眠っているときも呼吸したり、食物を消化したり、細胞を再生したりする自然法則と同様に、絶対普遍であると思います。だから、裁きは法則(神)に任せ他人ではなく、自分に焦点を当てましょう。具体的には、復讐にとらわれず、恨みや怒りを、あなたの人生の底辺を蹴る力に変えましょう。赦せない出来事に対する執着を、あなたが果たすべき使命へのエネルギーにしましょう。

 

誰かに傷つけられた恨みを、あなたが生き直すエネルギーにするというのは、あなたが傷ついたのと似たようなことで苦しんでいる人を救うことです。あなたが嫌がらせに苦しんだのなら、嫌がらせを受けている人を助けてください。だまされて赦せなかったのなら、あなたが周りの人に対して真摯に向き合い、周りから信じられる人になってください。あなたが金銭的なトラウマを持っているのなら、まっとうな仕事で働いて、社会に寄付することで困っている人を救うことができます。

 

忘れてはならないのは、どんな人にも加害者としての側面があることです。あなたが過去、別の場面で傷つけてしまった人に、心からの謝罪と償いをしましょう。今世、自分の心の中だけで悪かったと思えばその罪が消えるわけではありませんし、被害者に口先だけの謝罪や贈り物を送ることでその悪事がなかったことになるわけでもありません二度と加害者/傍観者にならないと誓い、困っている人たちを見過ごさないこと、社会に善行を施すことが、よいカルマを新しく作ることになります。そして、霊界に帰ったとき、あなたが傷つけた被害者に謝罪と償いをし、来世で自分が被害者の立場になる、という繰り返しになります。誰かを傷つければ、結局は自分を傷つける、というのはこのことです。

 

それでも怒りが消えませんか?

ここまで読んで、もしあなたがまだ、赦せない憤怒に囚われているなら、あなたは恨みの層に通じています。誰にでも、意思と行動においてすべての自由と責任があり、恨むことも、恨みをエネルギーに変えることも、どんなことも選択でき、その結果を受け取ります。だから、あなたが怒りを手放せないという決断は、あなたの責任において自由です。ただ、私の使命は、恨みを捨てられない人に気づきを与え、自力で立ち上がってもらうことだと思うので、最後のアドバイスをします。

 

あなたを傷つけた人が罪悪感さえ持たず、証拠隠滅してのうのうと生きているのは、悪霊に通じているからです。あなたも加害者を傷つけたいのなら、低い層に同通しなければなりません。加害者になって低い層に行きたいですか?

 

あなたを傷つけた加害者の、最期の日を想像してください。加害者が今まで陥れ、馬鹿にし、だまし、痛めつけた全ての人の顔が走馬灯に現れます。被害者が苦しみ、それを知った何十人もの関係者(被害者家族や友人やそれを知った人)が心を痛めたことを、加害者は被害者の視点で実際の痛みを経験します。身体を傷つけられた痛みも、心を踏みにじられた悲しみも恨みも、物を壊されたり盗まれたりした怒りも、社会的に陥れられた絶望も、加害者は被害者視点で自分が経験するのです。加害者は自分がやったことを誇りに思えるでしょうか。また、被害者やその関係者たちにつながる守護霊、指導霊、先祖霊、類魂という霊体が何百、何千、何万も、加害者の死後に待ち構えています(12章)。加害者の守護霊、指導霊、先祖霊、類魂は、加害者を無罪放免にする存在ではなく、誰もが正しく幸せに生きることを望み、正しい心眼を通して加害者に法則を見せるでしょう。この世の私たちには肉体があり、意思と行動を選択する自由が与えられていて、霊たちは加害者の意思の自由を奪うことができないため、この世では悪事がまかり通ることもあります。しかし、霊魂だけになったとたん、正しい法則の前に引き出され、誰も悪徳裁判官にはなれないし、自分が作ったカルマを償わなければ、転生の機会を与えられないのです。

 

そして、最も恐ろしいことは、加害者は一瞬の痛みを走馬灯で感じるだけではなく、自分と同レベルの低い層に引き寄せられます。他人を傷つけることを何とも思わない霊が、互いに傷つけあう世界です。そこから抜け出るには何世紀もかかると思われます。そこは、眠る必要のない魂だけの世界なので、休みなく攻撃が繰り返されるからです。落ち着いて反省する時間も場所もない世界、心から信頼できる霊がいない世界、そしてそんな低い階層にいる自分に絶望している世界、そこが地獄と呼ばれるような低い層だと思います。

生きるということ

 

生まれてくるというのは、自分の間違いを正し、霊性を高めるチャンスなのです(1章)。その限られた100年ごときの時間を、誰かを傷つけるために使って霊性を低めるのがなんと愚かしいか、そして、傷つけられてもその苦しみから立ち上がることがいかに大切か、ということをどうか知ってください。もしもあなたが、今までの人生をどんなに怒りで浪費していようと、今、反省して立ち上がることで、怒りがエネルギーに変わります

  • どんな理不尽なことからも霊性を高める学びがあること。
  • 誰かを傷つければ必ず霊界で償い、そのために来世は被害者になって学ぶこと。
  • 他人の処罰は法則にゆだねること
  • 自分の心と体と時間を大事にし、自分や他人を傷つける人から離れること。
  • 自分の使命を果たし、人を助けること。
  • 自分を守ろうとする見えない力を信じること。
  • 自分も他人も動植物も地球も、大きな宇宙につながっていることに気付くこと。
  • どんなに傷ついても自分の霊性を落とさないこと。

 

この13章で、赦せないというテーマは終わりです。14章からは、無気力についてのテーマを書き、テーマごとに魂の癒しを伝えていきます。全ての人の人生が人間として正しく、幸せで、他を助けるものでありますように。

死後の世界

 

神や守護霊や霊界という言葉を使うと、うさんくさいと思う人もいるでしょう。しかし、臨終の瞬間に虫の知らせを感じた人、憑依された人、除霊する人、気の力で病を治す人、予知をする人などがいるので、見えない力があることは否定できないと思います。

 

あなたの心だって、目に見えませんが、悲しくもなり嬉しくもなります海外では心霊捜査を行うところもあれば、日本では昔から結界を張って国を守っていました。エクソシストと戦う霊媒師や、不治の病を治す心霊治療家も世界中にいます。200桁の13乗根を1分ほどで暗算する人もいれば、マラソンを2時間ほどで走れる人もいます。それは能力あるいは使命の違いだと思います。何かの能力がある人とない人の区別について、なぜなのか説明できないからと言って、能力が存在しないわけではないし、その能力が一生続くわけではないのです。

 

亡くなった方は仏様と呼ばれますが、全ての人が成仏しているとは限りません。それは、悪事を反省できない霊と、被害を受けて恨みを捨てきれない霊がいるからです。そして、この世、あの世で一番強い力は、権力やお金や腕力ではなく、人の思念です。つまり、人に恨まれたり、人を恨んだりすると、相手だけでなく、自分を苦しめることになるのです。悪意を持って人を痛めつける人、反省できない人が地獄のような下層に引き寄せられるのは仕方がないことです。彼らを救うには、相当魂レベルが高くて霊力も強い人が必要で、そのような人は、世界中にあまりたくさんいないと思います。

 

しかし、被害を受けて恨みを捨てきれない人は、もともとの魂レベルが普通より高い人が多いので、善い言霊を響かせることによって、自力で助かってくれることが多いのです。

だから、私の使命は、そのような恨みの層に通じてどっぷりつかってしまう可能性がある人々に気づきを与えその人たちが自力で恨みを捨てられるようにお手伝いをすることだと思っています。

 

人はお互い影響を与えます。いじめ加害者とつるんでいると自然といじめに加担するようになり、ベジタリアンとつきあっていると、自分も野菜を食べる割合が多くなってきます。誰と一緒に時間を過ごすかが、自分の考えや行動に大きく関係するため、他人や自分に悪影響を及ぼす人から、すぐに離れなければなりませんそうしなければ、自分が加害者側となり、罪もない人を被害者にしてしまい、関係する人たちを深く悲しませてしまいます。

 

 

子孫に正しく生きてほしい

 

この世とあの世は、思念でつながっています悪意を持てば悪霊とつながり、恨みを持てば恨みの霊とつながります。愛と調和の思念を持てば、守護霊や神とつながります。引き寄せの法則と同じ、類は友を呼ぶ、です。

 

例を挙げましょう。

中学のとき、数人の生徒が、一人の生徒に重傷を負わせる事件が起き、被害者は数か月入院したそうです。加害者たちは初犯で14歳くらいだったので、しばらくして学校に戻ってきました。学校では、加害者にいつか因果応報がくるだろうとささやかれていましたが、彼らはすでに悪霊と同通していたのか、注目を浴びたことに得意になっているようにも見えました。

 

被害者と加害者にはそれぞれ、守護霊とたくさんの先祖霊たちがいます一人の人間の両親は二人、さらにその両親(祖父母のこと)が二人ずつ、と計算していくと、直系の先祖だけで、7代さかのぼれば254人います。計算しやすいように、1代が平均して20歳で子供を産んだと仮定すると、7代前は140年前となり、江戸時代です。このころの倫理観として、人様に迷惑をかけるとは何事か、という時代です。自分の子孫が人様に重傷を負わせてしまったとすると、自分たちの名前が汚されたと思うでしょうし、自分の子孫が理由もなく殺されかけたとすると、無念でしょう。加害者・被害者双方の先祖508人のうち、成仏している先祖霊たちは、お互いがこの事件をとても悲しく思い、加害者の命の火を早く終わらせたいと思ったはずです。猫を殺せば7代たたる、ということわざにもある通り、1人を痛めつければ500人以上の先祖霊たちの心情に影響するのです。

 

事件から6年ほど経って、私がたまたま病院に行ったとき、死相が見える人から声をかけられました。最初は誰かわからなかったのですが、名前を聞くと、中学時代の番長格の人でした。あまりの老衰ぶり、目が落ちくぼみ、頬はこけ、生気のない表情に驚きました。その人は、「自分は昔悪いことばっかりやった罰でね、もう死期が近くて。クリスチャンになったんだ」と言いました。死がいつ訪れるかわからない恐怖と諦めが漂っていました。宗教に入信すれば自動的に天国に行けるわけではありません。人を傷つけなかったか、幸せに生きたか、自分の使命を果たしたか、人を助けたか、それが天国に行くかの分かれ道なのです。

 

加害者は霊界で、守護霊や先祖霊たちの正しい心眼と同調したときに初めて、自分がした恐ろしい事件の責任を取らねばならないと悟るでしょう。非常に苦しい試練があると思われます。

 

縁の絆

 

私は我が子が赤ちゃんの頃、ベッドから落ちそうになる直前に、そばで昼寝していても瞬間的に目を覚まして子供を抱きかかえることがあったり、我が子が幼児になった頃は、子どもと同じ内容の夢(前世も親子だったような夢)を同じ時に見たりすることもありました。血肉を分けた我が子に関しては、特に感覚が研ぎ澄まされ、我が子を守りたい、幸せにしたいという気持ちが前世も今世も働くからだと思います。同様に、我が子がなぜ私を選んだのか、おなかのなかがどうだったのか、生まれるときはどうやって出てきたのか、私との絆の記憶を語ってくれたこともありました。もしあなたが親や子供との絆を覚えていなくても問題ありません。走馬灯を見たとき思い出します。

 

孫やひ孫が将来生まれるときがあれば、我が子同様に守りたいと思います。つまり我が子だろうが7代後の子孫だろうが、人として正しく幸せに生きてほしいと思います。もし自分がいつか霊界に召されたら、自分の葬式も墓もいらないけれど、子孫に望むことは、他人を傷つけるような人間にはなってほしくないし、どんなに苦しい目に遭っても、人を恨んで不幸になってほしくないということです。それが最高の供養だと思います。

 

あなたの7代前までの先祖254人のなかには、高い霊格者や強い霊能力の人々が一定数いたと思います。目に見えなくてもそばにいて、あなたがちゃんと正しい選択をするように見守っているのです。あなたが、おいしい、といってごはんを食べているときは、あなたが健康で豊かでよかったなあ、と目を細め、自分たちが貧しい時代を我慢して生きてきた甲斐があったと思っているはずです。あなたが苦しんでいるときは、困ったようにあなたの顔を覗き込んで、自分たちも生きてるときはつらかったことがあったなあと思っています。あなたが誰かを助けるときには、あなたを誇らしく思い、そうだよ、みんなこうしてつながっているんだよ、とほほ笑んでいます。あなたが嘘や悪口を言うときには、低い霊に囲まれたあなたを、少し離れたところから悲しそうに見ています体を持たない霊たちは、ものや体を使うのではなく、思念を使いますが、ただ私たちが彼らを見たり聞いたり触れたりできないだけで、あちらからは丸見えだと思われます。

 

自由と責任

 

愛するのも、憎むのも、傷つけるのも、恨むのも、赦すのも、無関心でいるのも、人間にはすべての自由があると同時に、その結果/責任が伴います。

理不尽なことをされて、悔しくて赦せない、そう思うのは当たり前です。でも、あなたが不幸にならないように、加害者から距離を置き、裁きは神に任せてください。あなたを傷つけない人と接点を持ち、自分を忙しくしてください。そして、中立な目で眺めてください。自分と相手の間に勘違いがないのか、なにかの因果応報という可能性はないのか、と。

 

幸せは争奪戦ではありません。みんながなれるものです。

自分について考えよう

 

昨日の記事では、私がどうやって自分の使命を知り、守護霊に守られているか、神の分霊であると信じているのかについて書きました。私は、たくさんの人に、人生の意義を見つけてほしいと心から願っています。守護霊に翼はありません。神とは特定の人種や姿ではなく、万物を動かすエネルギーです。神や守護霊は、誰かを無罪放免にする存在でもなければ、自由を奪うものでもありません真実に即し、中立で、魂を向上させるための存在であり、人々から見えなくても確実に存在します。

 

もしあなたが自分の使命を思い出したい、守護霊のシグナルをキャッチしたいと思うのならば、まずは、加害者のことや被害者としての自分を考えるのではなく、自分自身の内面を深く掘り下げて考えてください。そして、中立的な立場で自分の言動や考え方を反省してみてください。それにより、自分がどんな感性を持っているのか、どんな選択をしてきて、どんな間違いを犯してきたのか、そしてどんな使命を持っているかが、少しずつ浮き上がってくるのではないかと思います。

 

1.あなたがリラックスできるのは?

  • 場所?(家、学校、職場、店、自然環境、人が多い場所、など)
  • 誰といるとき?(家族、友達、恋人、ペット、一人きりのとき、など)
  • 状況?(飲食、スポーツ、風呂に入っているとき、何もしないとき、読書、スマホ、編み物をしているとき、など)
  • それはどうして?(嫌な人と会わないから、その作業が好きだから、出来上がりの結果が好きだから、など)
  • リラックスしているときは、自分のことが好き?それとも自己否定してしまう?自分を過大評価している?

2.やってて苦にならないこと、自発的にやりたいこと、好きなことはなに? 趣味がなければ食べることでもいい)

  • する必要がなくてもやりたいことって何? (読書、スマホいじり、手芸、旅行、掃除、買い物、スポーツ、料理、子どもと遊ぶ、人と会う、食べて寝る、など)
  • それをしてるとき、夢中でやっている?(何も考えずに没頭。楽しくて仕方ない。集中してるつもりでも、嫌なことが頭をぐるぐるしている、など)
  • それはなにがきっかけで好きになった?(小さいころからずっと好きだった。人に勧められた/流行していたから。自分が上手にできなかったので繰り返し挑戦したら、いつの間にか好きになっていた。つい最近始めてはまっている、など)
  • それをあなたの仕事に活かしていますか?(趣味と仕事が同じ。趣味とは全く関係ない仕事をしている。趣味を仕事にできたらいいと思っている、など)
  • その趣味を通して、あなたは何かの形で、社会に提供できませんか?(ボランティアとして地域の子供に料理を教える。ブログでコツを教える。趣味はないが、お金を福祉施設に寄付できる。今は余裕はないが、考えてみる、など)

3.あなたのしたいことは? やりたいことがなければ、たとえば、旅行でもいい)

  • 今、お金が30万円あったら、何をしたい?(旅行、買い物、ジムに通う、貯金、寄付、起業、親孝行、勉強、など)
  • 旅行するなら、どこに行ってみたい?(海外、温泉、富士山、イルカショー、など)
  • 具体的にどんな行動をしたい?(夜景を見る、食べたことがないものを食べる、買い物、有名な所に行く、羊をさわる、写真を撮る、など)
  • 誰と行きたい?(家族、恋人、友達、ペット、一人で、など)
  • それをしていると想像している今、どんな感情を持った(自由、創造する力、挑戦、昔を懐かしむような感覚、愛情、お得感、自信、わくわく感、など)
  • それが誰か/何かを害することでなければ自分が楽しいことを選択して、幸せに生きようと思う?(日ごろ節約して、年に一度は自分のやりたいことをやってみようと思う。月に一度は自分の生き方を反省して、幸福度をチェックしようと思う。週に一度は自分に使う時間を増やす。毎日少しずつ、なりたい自分になる努力をする、など)

4.ふっと思い出して嬉しかった/楽しかった一瞬は?

  • 人との思い出では?(バスで席をゆずってもらったこと、誰かにその服が似合うってほめられたこと、子どもの頃に家族と外食したこと、など)
  • 自分だけのいい思い出は?(昨日弁当が半額だったこと、学生のとき好きな人を遠くから見ていたこと、道に迷ったけどなんとか到着できたこと、など)
  • ものとの思い出は?(初めての彼女にもらったチョコ。一年書き溜めた日記。死んだ父が描いた絵、など)
  • その思い出は、あなたにどんなエネルギーをくれる?(いいこともちゃんと起きているという理解、満足感、安心感、愛し愛されたこと、人とのつながり、など)
  • 自分がしてもらって嬉しかったことを誰かにやってあげたい?(すでにそうしている。やってみようと思う。今はまだ興味ない、など)

5.あなたが得意なことは?何も得意じゃなければ科目でもいい)

  • 得意な○○はなんですか。(テニス、クイズ、数学、など)
  • 得意な分野では暗記が得意ですか(年代や公式を覚える、など)、考えることが得意ですか(なぜそうなるのか、など)、それとも体/指を動かすことですか(手作業で組み立てる、など)。
  • それは大きな努力をして得意になりましたか、それともうまれつき/特に努力した記憶がないのにできるのですか。
  • その特技を自分の生活に応用していますか(買い物での暗算、誰かの誕生日を暗記できる、今後の予想を立てる、問題が起きたときの背景を考える、家の修理、など)
  • その特技を人や社会に役立てるとしたら、どんなことができますか。(便利なものを発明できる。町おこしの企画を立てる。美化活動のボランティア、など)

 

6.夢を見ていますか

  • どんな夢でしたか(怖い夢、楽しい夢、意味が分からない夢、夢は覚えていない、など)
  • 夢は色付きですか?(カラー、白黒、たまに色付き、わからない、など)
  • はっきり覚えている夢はありますか。(子供の頃、数年前、昨日、全く覚えていない、など)
  • どんな人/動物/ものが登場しますか。(数字、文字、幾何学模様、一面の色、家族、友達、お化け、怖い人、優しい人、知らない人、など)
  • どの時代のどんな場所が出てきますか。(現代風、昔風、未来風、知らない場所、知っている場所、宇宙、家、病院、学校、森、地獄や天国、など)
  • 夢を見た後、どう感じましたか?(誰かに謝らなければならない、人を恨んではいけない、現実から逃げてはいけない、あの人に会いたい、悔しかった、愛されていた、守りたい、守られたい、懐かしい、怖かった、など)
  • その夢のあと、何か考え方や行動を変えましたか。(考えてから行動するようになった。特に気にしていない、など)

7.良心は痛みませんか

  • あなたが悪いことと知って罪悪感を多少持ちながら、実際に悪いことを誰かに/何かにやってしまったことがありますか。(嘘や悪口や嫌がらせ・観衆としていじめに加担・見て見ぬふりをする・助けを求められて助けない。環境汚染や動物虐待。盗み、詐欺、軽犯罪や重犯罪に加担する)。
  • 自分や自分の大事な人が悪いことをされたら嫌だけど、自分に関係ない人や自分が嫌いな人には平気でなにか悪いことをしたことがありますか。(だます、傷つける、馬鹿にする、嘲笑する、など)
  • 不注意で、大事故を引き起こすかもしれないことをしたことがありますか。(ガソリンスタンドで喫煙。運転中にメッセージを送る。エスカレーターの最上部に到着したのに、前に歩き出さずにぼーっと立ち止まってしまい、後ろの人が衝突してきたことがある、など)
  • 勝手に被害妄想をして、相手を加害者だと決めつけていませんか(向かい合わせの乗客がスマホを見てくすっと笑ったとき、自分が笑われたと思って、因縁をつけた、など)実際は、自分が加害者だったという可能性はありませんか。

  • 嫉妬や妄想を膨らませて、嘘の噂を広めたことはありませんか。(結婚している同僚が誰かと浮気していると思い込んで噂を流した、など。)

  • 誰かを一方的に叩いている週刊誌/噂を信じて、正義感から非難/中傷をしたことはありませんか。週刊誌/誰かが言っている論拠が、本当に正しいという証拠はありますか。

  • あの人がこんな悪口言ってたよ、など嘘をついたり、話を大きくしたりして、他人の交友関係にひびを入らせたことはありますか。

  • 自分が善悪の判断ができない6歳以下のときに、取り返しがつかないことをやってしまったことがありますか。(ふざけて動物を水死させた、腹が立ったので家に火をつけた、など)

 

  • 過去や現在の過ちにおいて、自主的に自分の責任を認めました。少なくとも、相手から追及されたときに、自分がやったことを認めましたか。
  • 自分がしたことによって相手が受けた損害を認識して、後悔しましたか。被害者に対して、直接、真摯に謝りました
  • その人が被害を受けた時間、お金、気持ち、社会的信頼度、遂行できなかった業務、そしてその人の周囲が受けた影響に対して、何を償いましたか
  • 自分が加害をしたことで、霊界で神と同じ視点に立った自分の良心が、自分を過不足なく、正当に裁きます。罪の償いのための転生があり、今度は自分が被害者の立場になることを知っていますか。心の中だけで反省しようと、別の人に親切にしようと、自分が行った悪事に対しての責任は消えません。
  • もう二度と加害をしないと誓い、今世での生き方を変えましたか自分の周りや街中、ネット上で、誰か困っている人がいたら、助けていますか。

8.被害者意識にとらわれていませんか

  • 一方的に加害をされた場合だったとしても、恨みを捨てようと思っていますか。加害者には必ず罪を償うことになり、被害者が傷ついた分は埋め合わせがあります。それでもなお、相手を恨み続けると、自分のなすべきことができなくなるとわかっていますか。

  • 自分が誰かに傷つけられたからといって、うっぷんばらしに、無関係の誰かに悪意を向けていませんか。

 

理不尽なことは、因果応報かもしれない

 

この世は理不尽なことが起きます。しかし、もしかすると、不運だと思えることが、実は、利子を付けて返ってきた、あるいは分相応の自分の悪行の結果かもしれないのです。

 

私は、現在住んでいる国で、ある虫に足首を刺されて、激しい痒みと共に、極端に大きく腫れあがり、目を引く赤紫色になり、スカートやサンダルがはけなくなったな、と思いました。そのとき、はっと思い当たる節がありました。それは、中学生の時、ある難病にかかっていた同級生の皮膚の色と同じであることに気付いたからです。

 

一人の男子生徒がその人にひどい言葉(キモイ、化け物、など)を浴びせかけたとき、クラスでは誰もいじめに加担しなかったけれど、注意もしなかったのです。その男子生徒は、みんな黙殺していたのをいいことに、自分が力を持っているかのようにふるまい、1年間のなかで4回くらい、その人に冷たい言葉を浴びせているのを見ました。その人は、何も反論せず、ただ悲しそうにうつむいていました。

 

私はその人を気の毒に思っていたので、その人に話しかけることで、その人が孤立しないようにしました。その人に話しかけていたのはごく少数だったので、心の中で、自分は人を傷つけていない、同情している自分はえらい、と勘違いしていました。その自分の愚かさを強く思い出したのです。おそらくクラスは、自分がいじめに加担しなかったことから、自分はいい人だと思い、傍観者でいることに誰も罪悪感を持たなかったと思うし、記憶にさえ上らないと思います。

 

自分が、あるいは自分の子が、その人の立場だったらどう思うでしょう。誰も助けてくれないという絶望感、人間不信に襲われたのではないでしょうか。見た目が人と違うからといって、その人は幼児期から差別されていたのかもしれないし、自信を失い、自分に課せられた役目を果たせずに消極的な人生を送ったかもしれません。もし、誰か一人でも悪事を注意できていたら、クラスはその人を助ける方向で団結し、それによって加害者は悪事をやめたかもしれませんそして、クラスも、傍観に罪はないなどという間違った思い込みを持たずに済んだのではないでしょうか。その人は、誰か勇気あるバックアップがあれば、自信のある人生を送れたのではないでしょうか。その子の親は、もしクラスが守ってくれていたら、嬉しくなって、もっと善行を社会に還元したいと思ったのではないでしょうか。

 

私は、腫れ上がった赤紫の足首を見るまでは、自分が傍観者であった過去のできごとを忘れていました。加害者を注意することもできず、同じようなクラスの傍観者たちに善い手本を示すこともできず、被害者を救うこともできず、ただ、自分は善人だと思いこんでいたのです。

 

それが忘れてしまった頃に、現世での因果応報としてこの赤紫の腫れが現れたのだとしたら、利子が大きくついて返ってきたともいえます。しかし、その人の心の痛みに比べれば、跡が残るかもしれない赤紫の腫れが、大きな利子と言えるでしょうか。これまた、その人の心の痛みを過小評価し、自分の苦しみを過大評価した自分の過ちに気づきました。

 

連絡先も知らないし、過去に戻って謝ることもできないのに、自分が傍観者でありながら罪悪感さえ持っていなかったことを、深く神に懺悔しました。自分が霊界で、その人に対してこの罪の償いをしようと思うこと。来世ではそんな失敗は繰り返さないと誓ったこと。それから、今世で誰かが苦しんでいたなら助けになる言葉を届けようと決めたこと。もちろんこれらの現世での行動が、中学時代のその人に直接届くわけではありません。しかし、霊界では、思念は直接伝わります。

 

私の足は、かなり時間をかけて痒みと腫れがなくなり、やっとその色が元の肌色に戻りました。これが因果応報だったという証拠はありません。しかし、私の魂レベルで、自分が臆病者で偽善者であったことを学びました。

 

恨みを捨てられますか

 

加害者や、知らないふりをした傍観者に対して、あなたが赦せないという思いを抱えていたとすれば、今回の記事を読んでどう思いましたか。加害者側が、長い年月を経て因果応報を受けて気づき、自分の愚かな行動を謝りたい、償いたいと後悔している可能性もあることがわかってもらえたでしょうか。

 

また、自分は一度も加害者側ではないと思っていた人が、実は、知らないところで誰かを傷つけていた可能性、そして不運と思えることが因果応報の可能性もあることについても知っていただけたでしょうか。そして、全ての罪は償いによってしか昇華できず、更生のための転生が繰り返され、一方的に痛めつけられた被害者は霊界で埋め合わせがあります

 

人は、思い違いをしたり、愚かさや間違いに気付かないことがあります。相手が心から反省しない限り、今、赦す必要はありません。しかし、相手を恨み続けるのは、自分を痛めつけるだけで、相手に反省を促すことはできません

 

明日もう一つ記事を書いて、それから旅行に出かけます。赦せないという思いを抱えた人の心が、一人でも多く安らぎますように祈りを込めて。必ず、心は癒されるときがきます自分の使命を思い出し、支え合って生きていける社会をみんなでつくりましょう

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トラウマとPTSD

 

どうしても赦せない人がいますか。怒り、恨み、悔しさ、恐怖、不安を抱えていますか。トラウマ的出来事が起きた時期の記憶がすっぽり抜け落ちていたり、侵入思考(ある記憶が何度も繰り返し勝手に入ってくる)に苦しんだり、叫びたくなったり、人を避けたり、仕事や家事や勉強が手につかなくなったり、睡眠や食事ができなくなったりと、心を制御できない状態ではありませんか。こんなPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状がある人は、病院でカウンセリングや投薬を受けることによって、より早く、より楽に回復することがあります。

 

もし、あなたがこのストレス障害で苦しんでいるのなら、それは心が回復に向かうための必要な段階だと理解してください。PTSDからの回復は、直線的ではなく、変化がないようなときもあれば、後戻りするときさえあります。しかし、長い目で見ると、一年前よりはいい、二年前よりは比べ物にならないくらい良くなった、と思えます。

 

人生のなかで、トラウマ的でぎごとを経験するのは、決して珍しくありません。なぜなら、トラウマとは、警察が関与する事故、戦争、犯罪、災害などにより命の危機を感じたときばかりではなく、日ごろ犯罪意識なく行われる、いじめ、嫌がらせ、裏切り、罵声、体罰、ストーカーなどが原因になることもあります。登校拒否やニートの状態にある人たちのなかには、PTSDの症状を呈している人もいますし、登校/出社/社会生活をしている人たちの中にも、心の中は嵐の人もいるのです。

 

恐怖、無力感、屈辱、ショック、絶望状態から心があなたを守ろうとした結果がPTSDなのです。あなたの心にも体にも、自然治癒力、回復力が備わっています。どんなに苦しく、時間がかかろうと、いつか乗り越えられる時がきます。あなたは神の分霊で、守護霊に守られているのだから。同じようなトラウマを経験しても、PTSDを発症する人としない人がいますが、それはその人の心の弱さではなく、その人の周りにどんな人がいるのか、どんなことを学んできたのか、どんな親に育てられたのか、どんな考えを持っているのか、どんな過去生を生きてきたのか、など様々な違いがあるからです。

この世での使命とは

 

トラウマなんて経験したくないし、苦しむことは嫌だ、と思う人がほとんどでしょう。でも、この世は全て苦であるとお釈迦さまが言ったように、苦しみは避けて通れません。ほとんどの人がこの世に生まれた目的は、過去生でできなかったことを今世クリアするためだからです。前世で他人を傷つけたことへの改悛から、今世は傷つけられる側に立って、相手の心の傷を体感することが目的だったり、人生を諦めてしまった過去生を悔いて、今世では試練の多い人生を選び、何があってもへこたれないことを目標にしている人もいます。転生経験が少ない人は、比較的穏やかな今世を経て、器が少し大きくなった次の転生で、理不尽なことを経験して学ぶ人もいます。数は少ないけれど、他の人/霊魂を導き救うためにあえて高い階層からこの低い人間界へと天下ってきている霊魂もいます。

 

今世だけ見ると、あの人/トラウマ的できごと/PTSDを発症したことのせいで、自分が大きな損をしたと思えても、トラウマを経験した後に、自分の使命を思い出すことがあります。そらに、よく思い出すと、トラウマを経験する直前に、あれが守護霊からの警告だったのではないかと思えるような出来事があったはずです。もし今世で思い出せなくても、走馬灯を見たときに全てを思い出せます。

 

さらに、トラウマ的できごと/恨みを乗り越えたときには、あなたは以前よりもっと強く、賢く、優しく、深みのある人になります。前世、今世、霊界、そして来世をトータルで見ると、愛と調和と向上と原因結果の法則に沿ってどの魂も公平に扱われ、必ず世界に貢献しています。どんなに悪魔的であった魂も、何世紀、何十世紀もの間に神に近づく方向に進むか、そうできなければ消滅するしかないのです。

 

使命と守護霊と悪霊

 

歴史上の偉人を見ても、皆、苦境を脱して最後に目的を達成しています。使命が大きければ大きいほど、悪霊の邪魔を受けやすく、不運に見舞われるからではないかと思います。悪霊は、悪意を持った人と同通して、使命を果たそうとする人の邪魔をすることが多々あるし、集合的悪意があれば、犯罪だけでなく、事故や天災を起こすことも可能だと思います。だから、理不尽な目に遭って苦しんでいる人は皆、大きな使命を持っているから邪魔されているだけであり、それを乗り越えて自分の役目を果たす力があると思います。

 

一方、事故、戦争、犯罪、災害などで命を落としてしまわれた方は、守護霊に守られなかったのではなく、平和で安全な世界を作るために、犠牲をもって、命の尊さを教える崇高な役目を果たされたのだと思います。

 

人々を教え導く役目、創造/発明する役目、何か/誰かを守る役目、喜び/安心/愛を与える役目、人々を陰で支える役目、苦しみ/痛みを癒す役目、迷える人/霊を救う役目など、いくつかの役割が混じって、一人一人独自の使命になっているのだと思います。

 

守護霊は、人間の自由意思に任せて、理不尽な出来事のなかで人間が向上するのを見守っています。人間を無傷に守るために存在するわけではありません。ただ、生死に関わるようなときにはシグナル/物理的な力を出して助けようとしています。そのシグナル/力を受けやすいかどうかは、一人一人の考え方、今生や過去生での環境、受け継いだ感覚の鋭さなどによって違うのだと思います。

 

守護霊に守られている

 

私は第六感のようなものが非常に鋭かったので、九死に一生を得たことが、数えきれないくらいありました。それらの経験により、神の分霊であること、守護霊に守られていること生きて使命を果たさなければならないことを知っています。神とは、宗教上の神ではなく、宇宙を作った大きなエネルギーだと考えてください。私の例をあげましょう。

 

私は、裸足でマニュアル車を運転するのが好きでした。靴を平らな靴置きに入れて、運転席の下に置いていました。夜、渋滞しない国道を運転中、その靴置きが、あろうことか、ブレーキの真下のわずかな空間にすっぽりはまってしまったのです。手は届かないし、足でのけようとしても靴置きは動きません。はるか前方にいた車は信号停車したみたいで、どんどんテールランプが近づいてきます。サイドブレーキを引いても、止まりませんでした。

 

ぶつかると思って、左にハンドルを切ると、そこはコンビニの駐車場でした。そこでも、コンビニの横壁がすぐ目の前に迫ってきます。ぶつかる、死ぬ、神様助けて。心のなかで叫びました。壁に激突する瞬間に、なぜか急ブレーキがかかりました。まるで自動車教習所の車で、教官が横でブレーキを踏んでくれたみたいに。私は大きく目を見開いたまま、涙が流れ、心臓がバクバクして、体から汗が噴き出して、そのまましばらくの間、ぼーっと赤茶色のレンガを見つめていました。足元を見ると、右足がブレーキに載っていて、靴置きはブレーキの真下からは外れています。

 

ドアを開けて外に出てみると、車と壁の間は、わずか5センチくらいでした。それを見るとへなへなと倒れこみそうでした。どうやって足置きがブレーキの下から外れてくれたのか、物理的には全く分かりませんでしたが、守護霊はそばにいるのだと思いました。

いつか時間があるときに、守護霊から守られたと思われる、生死に関わったかもしれないいくつかのエピソードを書きましょう。

 

自分の使命を知ったとき

 

私が自分の使命を確信したのは、九死に一生を得たり、トラウマ的できごとを経て学んだり、様々な不思議な体験をした後でした。過去生の一部のような記憶が夢に出たり、過去生からの因縁があると思える人と出会ったり、守護霊かもしれないような人が夢で警告したり、という経験があります。これは、事実かもしれないし、思い込みかもしれません。でも、誰もがそうであるように、私は神や守護霊とつながっていると知っています。

 

例を挙げましょう。私は、昔から、言葉を使って人を導くのが自分の使命の一つであると知っているような感覚がありましたが、自分の忙しい生活を言い訳に発信はしていなかったのですが、最近ブログを始めました。しかし、これに費やす時間を自分の仕事に回した方がいいのか、これで一人でも知らない誰かを救うことができるのだろうかと半信半疑でした。そんなとき、高速バスで移動中の窓から、明瞭な白い雲が三つ見えました。二つが大きく長く、一つが中くらいでした。その、中くらいではっきりした雲に向かって祈り、それを見つめました。もし神がいるのなら、証拠としてあの雲にわかりやすい変化を起こしてください、と。すると、たちまちその雲が輪郭からぼやけてきて、真っ白だったのが薄くなり、どんどん形が縮んできました。あれよあれよと見ているうちに、薄く、小さくなり、消えてしまいました。時速100キロなら1分で1.7キロほど進みます。計っていませんが、1分くらいだったと思います。

 

次は前方から横に見えてきた薄い雲に向かって祈りました。どうか、もう一度、神がいる証拠として、あの雲に変化を見せてください、と。すると、たちまち今度は、獅子のような形になり、たてがみ、牙、脚、など立体的になり、微妙に動き出したのです。私以外に祈っていた人がいたのかわかりません。でも、一瞬にして変形しました。

 

雲と意思疎通したような経験は、これが初めてではありません。ストレス障害で苦しんでいたとき、森のなかで青い空を見上げました。目をつぶって、神様、私は立ち直りたいのです、と祈り、自分の思いを語りました。その後見上げた空には、龍のような頭とうろこに覆われた長い体がしっぽまで、見渡す限りの空に現れていました。それは神々しいばかりに美しく、圧倒されるような力を感じました。そのとき私は、苦しみから学ぶものがあること、私は守られていること、そして自分の使命を果たさなければならないことを感じました。

 

全ての人がいきなり雲に話しかけてそれが形を示してくれるわけではないと思います。それ以前に、自分に対する深い洞察と、中立的な考え、他人を害さないこと、周りに対する愛、困難を乗り越えようとする努力、恨みを捨てることを実践していたからだと思います。そして、神を試すような行動が続けば、神は応答しなくなるかもしれません。なので、証拠を見ることができないからと言って、神や守護霊がいないと思わないでください。

 

明日、この続きである、どうやって使命を知るのか、守護霊とつながるにはどうしたらいいのだろうか、について自分の考察を書きます。ぜひ、自分で自分をカウンセリングしてみてください。

7月は4週目まで旅行で各地を転々としているので、あまり更新ができないかもしれませんが、wifiと時間が使えるときに更新したいと思います。助けが必要な人によい言霊が届きますように。

加害者の内面を知る

 

他人を傷つける人の内面を見てみましょう。なぜその人は、人を悪く言い、嘘をつき、他人の情報をばらまき、誰かを不当に低く評価し、人から盗み、物を壊し、誰かに暴力をふるい、誰かの心身や経済状態、社会的信頼を損なうために、自分の貴重な人生の時間と労力を使うのでしょうか

 

それは、加害をすることによって、一瞬の勝利に酔いしれているからです。では、なぜ加害をしないと被害を受けた人に勝てないのでしょうか。それは、被害者の霊性が、加害者よりずっと高いからです。これは、社会的立場や外見は関係ありません。被害者の霊性の高さに嫉妬しているからです。

 

では、霊性というのはどういうものでしょうか。それは、他を傷つけないで、人を助けたい、自分の才能を伸ばして社会に貢献したいという、神の分霊としての良心です。他を攻撃する人の良心は、悪意によって見えなくなっており、悪霊と同通している状態です。良心がほとんど見えなくなっていても、良心それ自体がなくなることはありません。

怒りとは

 

それならば、加害を決断させるエネルギーはなんでしょうか。それは、怒りです。怒りは、二次感情です。怒りの前に、悲しみ、悔しさ、憎しみ、驚き、恥、欲求不満など、自分が否定したい感情があり、その感情を感じたくないために怒りという方法でふたをするのです。怒りは、見たくない感情を隠すには好都合ですが、強いエネルギーであるため、相手を攻撃する前に、心の内側を破壊し始めます。怒りが一瞬にて沸騰すると理性が吹き飛んで、言葉や身体の暴力へと突っ走ってしまう人もいます。その瞬間は爽快でしょう。自分の強さと相手の弱さを体感し、相手を打ちのめすことができたのは、自分が正義だからだと勝手に解釈するからです。

 

しかし、理性が戻ってくると、怒りによって引き起こされた言動は、相手だけではなく自分自身をも苦しめます。どんな人間にも、神の分霊としての良心があります。良心は、誰かを傷つけることが悪いことだと知っているからです。そして周りの人々にも、自分の人間性の低さが知れわたります

 

人間には怒りを抑える器がありますが、怒りを抑えられない人は、器があまりにも小さいのです。それは、転生してきた回数や、今世での生育環境と人生経験の差かもしれません。全ての思い、言動は魂に刻まれ、集合意識にも刻印されます。そして、怒り攻撃を繰り返すうちに、怒鳴ること、殴ること、相手を貶める行為がその人の本質となってきて、死後は怒りの層に還ります。そこを脱出するには、被害者への謝罪と償い、そして赦されることが必要となります。つまり、他人を傷つけることは、自分をそれ以上に傷つけているのです。

 

加害者のプロファイリング

 

絶対に赦せない、精神的あるいは経済的なダメージが、何度自分の人生に起きたか、数えてみてください。そして、それがどういう種類の人からのダメージだったのか検証しましょう。もしかして、加害者がなぜ怒りを持ったのか、わかるかもしれません

 

1.恋愛に関する場合

(1)相手が自分に恋愛感情を持っていたが、自分は相手に興味がなかった

(2)自分が相手に恋愛感情を持っていたが、相手は自分に興味がなかった

(3)相手と自分がお互いに興味があったか、二人は恋愛関係にあった

 

2.恋愛に関係ない場合

(4)ママ友、同級生、友人、隣人、同僚、兄弟など、多少内部のヒエラルキーがあっても、一応似た立場

(5)自分が生徒で相手が教師、自分が社員で相手が上司、自分が子供で相手が親など、相手が指導する立場

(6)自分教師で相手が生徒、自分が上司で相手が社員、自分が親で相手が子供など、自分が指導する立場

 

どんな状況でも、加害を行う方が悪いです。しかし、自分や相手を一方的に責めるのではなく、お互いの幸福のために、自分を理解してもらい、相手を理解する努力が、加害と被害をなくすために必要です。

 

お互いの勘違い

死後、走馬灯で全てが明らかになります。なぜ相手が自分を攻撃したのか、なぜ自分がそんな目に遭わなければならなかったのか。でも、生きている間は、相手の気持ちを想像することしかできません。想像することで、お互いが相手に与えた勘違いに気付くことができるかもしれません。

(1)相手の恋愛感情に応えられなかった場合

相手からの嫉妬と勘違いが理由である場合が多いと思います。相手が加害者なら、あなたを手に入れられないから壊したくなったとか、両思いだと舞い上がっていたら勘違いだと知ったから、などと、プライドを理由に嫌がらせをしてきたのかもしれません。あなたの友情や単なる親切心を相手が勝手に錯覚した理由は、もしかして、相手(またはあなた)には今まであまり親しい友人がいなくて、人との距離感が遠かったのに対して、あなた(または相手)は社交的で、誰にでも笑顔を向け、悩みを打ち明け、頻繁にメールをする、など、タイプが違っていたからかもしれません。どんな理由にせよ、嫌がらせをする方に罪があります

 

ただし、自分に落ち度がなかったかと考え直すことは、次なる悲劇を生まないためにも重要です。たとえば、以下のようなことはありませんでしたか。

  • 「〇〇(時間のかかる業務)を助けてくれたら、今度一緒に映画/食事/デートに行ってあげる」などと、自分はお礼のつもりで相手に報いようとした。相手はすごく頭がいいから、短時間にできると思っていた。
  • 「送り迎えを頼めるのは、あなたしかいない」などと、他に頼る人がいなくて、一番信頼尊敬し、本当に大好きな友達で、一番の親友だったので、相手をあてにしていた最高の友達でいつも一緒にいたかった
  • 「お金がないから、バイトを増やさないといけない」と相手に伝えたとき、内心、相手が金品を出してくれたらいいと期待していた。なぜなら、相手はいつもプレゼントをくれて、食事はいつもおごってくれたので、相手は裕福だと思っていた。
もしそうなら、逆の立場のケース2を読んでください。加害者と被害者のギャップがわかるかもしれません。

 

(2)好きな相手に尽くしていた場合

あなたが何かしてあげたら、きっといつか相手が自分を好きになってくれると信じて、一生懸命尽くしたのではないでしょうか。相手は、あなたから取れる利益を取ってしまったら、別の相手のところに行ってしまったのかもしれません。あなたが追ってこないように、あなたの悪い噂を流したり、あなたに嫌われるようなことをして、さっさと追い払おうとしたのかもしれません。

 

でも、そう決めつける前に、次にあてはまることはありますか。

  • 相手から宿題や業務の助けをせがまれたから、相手からは友達かそれ以上の好意があると思ったし、もしかするといつか付き合えるのかもと思った。でも、気づくといつも仕事を押し付けられて、だんだん利用されている気分になった。好きだったので、断れなかったけど、異性としてみてほしかった。
  • プレゼントをあげると相手は嬉しそうに受け取っていたし、食事はいつも自分がおごっていた。相談にも乗ったし、毎日夜遅くまで電話やチャットをしていた。だから友達以上恋人未満だと思っていた。いつも守ってやりたかった。
  • 普通友達には頼まないような、早朝深夜の送迎やお金の融通などを相手が頼んでくるし、家族の話もちょくちょく出ていたので、自分たちはつきあっていると思っていた。自分にだけ心の内を見せてくれるので、生涯の伴侶にしたかった。相手のために自分は時間もお金も気持ちも全てつぎ込んだ。幸せだった。

もう一度、ケース1を読み直してください。自分の気持ちが伝わっていなかった部分や、あなたが相手を誤解していた部分はありますか。それとも、相手があなたを利用したのだと思いますか。

 

(3)付き合っていた場合

  • 遠距離の恋人とは、毎日メールや電話をしてうまくいっていると思っていた。なのに、夜に突然別れたいというメールがきて、寝耳に水だった。あわてて電話しても恋人は出なかった。それで翌朝、話し合おうとして、相手の職場に電話したら、いきなり電話を切られてしまった。何かあったのかと、午後、無理して仕事を早退して飛行機で恋人の家に行ってみると、恋人は新しい相手と一緒に帰ってきていた。ずっと浮気していたのかと思うと、悲しくて悔しくて、なんでだよ、と聞くと、警察を呼ばれてしまった。恋人だったのに、なんで自分を貶めるんだろう。信じられない。

 

  • 恋人は遠距離だったので、週末など寂しい思いをしていた。職場の同僚たちと残業したり、週末一緒にいろんなところに行くうち、職場の、ある友人が気になってきた両天秤にかけて付き合うことはできないから、「いったん距離を置きたい」とだけメールで恋人に伝えたら、恋人から電話がひっきりなしにかかってきた。でも、翌日には大事な会議があるので、電話には出ず、しっかり寝た。翌朝、職場あてに電話がかかってきた。とても迷惑だし、恋人は逆上していたので慌てて切った夜に電話しようと思っていたが、すっかり仕事が遅くなってしまった。その友人とは降りる駅が同じで、安全のために、家の前まで送ってもらったが、友人は、私が好意をもっていることさえ知らないと思う。すると、家の前に恋人が待って、いきなり怒鳴ったので、ストーカーになってしまったと思って、警察を呼んだ。怖かった。恋人だったのに、なんで自分を苦しめるんだろう。信じられない。
この両方を読んでみて、自分がうまく相手に気持ちを伝えられていない部分、相手を誤解していた部分はありませんでしたか。恋愛がらみは解決が非常に難しいものですが、お互いの気持ちのずれに気付くことが大事です。
 

(4)立場が同じ場合

自分の状況に近いものはありますか。また、相手の立場を読んだときに、ああそう思っていたのかと思える部分はありますか。
 

同級生/同僚

  • あの人は、ヒエラルキーの上の方で、異性にもてるし、友達は多いし、先生/上司みたいな権力者がいる前ではすごくいい人ぽくしてる。でも、上の人がいないと、大きな声で人の悪口を言っているし、仕事をさぼってばかり。私は地味だし、口下手だけど、一生懸命頑張ってこのクラス/職場を楽しい場所にしたいから、あの人から目をつけられないように、ちょっと離れていた方がいいかな。なんかこわい。
  • まじめすぎた人が一人でもいると、クラス/職場が白けてしまう。あの人は服装もださいし、しゃべりも面白くないし、ほんとつまんない。でもなんでそんな人が、この部署/学年で一番もてるあの人に気に入られてるんだろう。先生/社長も、あの人のことほめてた。そのくせ、私には話しかけてこない。あの人、私を馬鹿にしてるんだ。ずるい、腹が立つ

家族

  • なんで親は妹/弟に甘いんだろう。私が一人で手伝いしてるとき、あの子はスマホいじってるだけ。親は仕事を掛け持ちで働いてるのに。妹/弟はお小遣いをせびったり、私の持ち物を勝手に使って返さなかったり、もういい加減にしてほしい。もっとかわいげのある妹/弟だったらよかったのに。でも、役立たずだけど、妹/弟が不幸にはなってほしくない。私みたいに友達いない人生にはなってほしくない。
  • 兄/姉は、親にほめられてていいなあ。私なんて家に居場所がない。友達はみんなカラオケとか外食行ってるけど、うちは貧乏だからいけなくて、その分、チャットとかでみんなと仲良くしておかなくちゃ。でも、友達に誕生日プレゼントあげないとハブられちゃうから、今月は苦しいなあ。お互いのものを貸し借りすればお金かからないから、姉/兄に服をちょっと借りただけなのに、しわがついたとか、汚れたとか、ほんとみみっちい。でも私は姉/兄のことほんとは内心自慢なんだ。すごく頭良くて優しくて。私みたいなできそこないにはもったいない。

ママ友/友人

  • 本人やパートナーの外見/社会的地位、子どもの成績、家や車や服、SNSで見る生活の様子(海外旅行、家族仲、お金の使い方)などにおいて、その人より自分が成功しているので、それを嫉妬した相手が私の悪口言ってみるみたい。いつも高級お土産あげているのに、あっちからはお土産もらったことないし。社会的ステータスある人が集まるホームパーティにあの人を呼んであげて、人脈を作ってあげたのに、感謝してくれてるのかしら。
  • 付き合ううえで相手にマナーがなく、迷惑をこうむっている(家でお茶をするとき相手はいつも手ぶらで来るし、長居する。しかも、相手は個人的なことをしつこく聞くし、悪口も多く、口も軽い。しょっちゅう頼みごとをしてくるし、夜中に電話をかけてくる。貸したものを返さないし、ドタキャンが多い。)うちは旅行しないからお土産をあげない代わりに、お茶に招いてるのに、愚痴の聞き役ばかりでもう疲れた

隣人

  • 付き合いはないけれど、近くに住む相手の生活態度が迷惑。階段を夜遅くかけあがる靴音、ドアを開ける音が真夜中だからこそ響いて目が覚めてしまう。あの人が出したごみは、袋が破れていたり、そこから匂いがしたり。以前は汁がこぼれていた。やめてくれるように言ったが、全く聞いてもらえない。一体どんな神経をしているのか。
  • 普通に生活しているのに、隣人から一方的なクレームが来て困っている。夜9時過ぎたら食洗器/洗濯機/掃除機を使わないでくれとか。こっちは残業なのに、夜遅くに帰って来るなとか。ゴミは決まった時間帯にちゃんと縛って出しているのに、ゴミ袋をもっときっちり閉じろとか。そんな文句あるなら一軒家に引っ越せばいいのに。一体なんなの。

(5)(6)教師/生徒、上司/部下、親/子の場合

  • あの生徒/部下/子には何を言っても無駄。一回教えたら普通わかるはずなのに、何度も同じことを聞いてくる。基本さえできるようになったら、自分のやりたいようにやっていいのに。自信持って、ぱっぱと動ける人を持ちたかった。こんなに時間をとってやったのに、私はなんて不運なんだろう。
  • あの先生/上司/親は、少しでも自分の思い通りにならないとすぐ怒鳴る。好きなようにしていいって言われたから、自分なりに頑張ったら全然ダメだ、言うとおりにしろと言われた。言うことがころころ変わる。先生/上司/親の気に入らないことが一つでもあると、すぐに不可をつけられる/見放されるから、これでいいのか確認しながら、びくびくしないといけない。これってアカハラ/パワハラ/毒親だと思う。ほかの人は、普通の先生/上司/親をもっていいな。

 

相手の立場に立つ余裕

 

自分が思っていることが、絶対に正しいと思わないこと。もしかして、別の見方があるのではないか、という心の余裕を持つこと。それが相手との誤解を解く鍵になるかもしれません。もし、それでも相手が横暴だと思うのならば、それでいいと思います。ただ、誰も百点ではありえない、それを心に留めておけばいいと思います。

原因結果の法則

 

あなたが誰かを赦せないと思っていたのは、悪いことをしたその人が何の罰も受けていないと、あなたが早とちりしたからでしょう。

 

しかし、思念や言動には必ずその結果が訪れ、霊界では全てが裁かれ、悪事に対しては相応の償いが必要となります。「軽い気持ちで」、「周りの人に力を誇示したくて」、「自分に得だから」、「人を馬鹿にすることが面白くて」、などの安易な気持ちで始まったダメージを、与えた質と期間と人数において、全て自分が回収するのです。あの世では体がないため、思念しかありません。自分が痛めつけた人の苦しみ、恨み、悔しさが矢のように霊魂に突き刺さり、多くの人の恨みに自分が溶けていくのです。

 

脳の仕組み

 

それに対して、この世はたかだか百年で、脳の構造上、一つのことに集中したり、記憶を全て保存することは不可能で、一心にやっているつもりでも絶えず様々な思念が心に浮かび、出来事も思いも忘れていきます。これらの思いや言動は脳に記憶されるのではなく、魂と集合意識に蓄積されるので、死んだときに本当の裁きがあるのです

 

怒りや恨みにとらわれている人が見落としているのは、実は、一日のなかで気を紛らせている時間があるということです。苦しいときだって、水を飲んだり、ごはんを食べたり、トイレに行ったり、布団に入ったり、何かしら体を動かし、それに伴って思念が沸き上がります。直立不動であったにせよ、ベッドに横たわっているだけにせよ、意識がある限り、体の感覚と思念は感じられるのです。嫌なことを考えているときだって、ふと、食べ物を買いに行かなくちゃ、とか、外がうるさいな、とか、全く違うことを次々に考えているのです。

 

だから、この苦しみは一生消えないと思っていても、本当は、たくさんの別のことを考えている時間の方が一日のなかでは長いのです。ただ、他のことは一度頭によぎったら別のことにどんどん移るけれども、特定の苦しみを思い返す回数が今は多い、ということです。

 

体には自然治癒力、成長作用があるので、血が出ても止まり、傷はふさがってきます。魂にも癒しの力があります。だから、生きているときに虐げられた苦しみが一生続くというのは間違いで、霊体になってからこそ、人を傷つけた苦しみからは、償わない限り逃れられないのです。償わなければ、悪霊になるだけだと思います。

​​​​​​悪霊

 

私は、幼いころから非常に勘が鋭い子でした。相手の言葉や態度が優しくても、その心の奥に違うものを感じたり、相手の態度は雑であってもその真心を感じたり、ということがよくありました。

 

4歳のとき、ある町に引っ越してきました。あるとき高熱が出て、夜中に母がそばで看病してくれていました。私は足元の障子の方に、なにやら恐ろしさを感じ、何があるか確かめなければならないと感じました。障子を直接開けるのは危険だと思ったので、隣室のふすまを開けて隣室から廊下に出て、障子の外側を見ました。

 

そこには、二人の悪霊がいました。背の高い、やせた、白い和服を着た女性の霊体は、細く長く伸びた指に長い爪があり、面長の顔には化粧っ気はなく、深いしわが刻まれていました。長い髪はぼさぼさで、夜叉のようでした。一方、小太りで中背で、ところどころ破れた服を着た男性の霊体は、前頭葉が少しはげていて、天然パーマのような縮れた黒髪で、鬼のようにギラギラした目と大きな口がありました。どちらも、誰かを馬鹿にしたときの優越感のような、恍惚の表情を浮かべて、私が寝ている部屋の障子に小さな穴を開けて、そこから、黒い虫のような、邪気のようなものをふーっと吹き入れては大笑いしていました。

 

その姿は、強くたくましい悪魔というより、場末の悪霊で、子どもながらに少しの恐怖はありましたが、同時にかわいそうだと感じました。身なりを奇麗にする気もなく、誰かを苦しめることだけが生きがいの、哀れな悪霊だったからです。人を傷つけることで自分に優位性を感じていても、自分が幸せでないことに全く気付いていないようでした。母が、隣室を通って私を追ってきました。かわいそうな鬼がいる、と悪霊の方を指さして母に言うと、母には何も見えないようで、ただ、熱を測るから布団に戻って、とだけ言いました。

 

かわいそうな鬼だ、という思いが悪霊に伝わったのか、一瞬悪霊はこちらを見て、驚いたような表情を浮かべて、すーっと消えていきました。二人分の霊力を使っても、子ども一人に障害を与えることができないうえに、殺そうと思っていた子供から憐みの目で見つめられて、自分たちがこの数世紀にわたって行ってきた悪事の数々に初めて気づいたのかもしれません。

 

布団に戻って熱を測ると、ついさっきまで40度あったのに、37度弱に下がっていました。

高熱の時に、夢を見ただけかもしれません。しかし、私は、これが悪霊だったと思っています。なぜなら、小学校、中学校、と成長するにしたがって、悪口を言う人、嫌がらせをする人を見る機会がありましたが、彼らの表情が、あのときの悪霊にそっくりだからです。この世の悪想念はあの世の悪想念とリンクして、憑依されるんだな、とそのたびに思いました。

 

誰かを痛めつける霊性の低い人たちは、悪霊と意思疎通するからこそ、悪いことを罪悪感なく行えるし、罰を受けるわけではなく、この世でやりたい放題です。それに対して、あなただけが損をした、あの人たちはずるいと思うかもしれません。しかし、他人を蹴落とすときに悪霊と同通した人たちは、結局、悪霊と同じ道をたどります。

 

それでも恨みますか

 

この世は理不尽で、不公平なことがたくさんあります。でも、理不尽なことをする人たちは、決して罪から逃れられることはなく、同類の層に行くのです。警察に捕まったかどうかでなく、悪口、嫌がらせ、いじめ、パワハラ、アカハラ、セクハラ、暴力、あらゆるハラスメントが加害です。あなたを傷つけた加害者も、加害者の味方をした観衆も、知らないふりをした傍観者も、みんな相応の償いが必要になるのです。それは、口先の謝罪でなく、他の誰かに親切にすれば帳消しになるのでもなく、本当の被害者に心から謝罪し償うことでしか昇華できません。そのために転生し、自分が逆に被害者の立場になることもあれば、罪はないけれども被害者の気持ちを体感して人間性を深めるために、被害者の役を担う人もいます。

 

それでもあなたが被害を受けたことに対して納得できずに、悲しみ、怒り、憎しみ、恨み、呪いなどを繰り返し繰り返し感じていると、あなたは、いつの間にか、恨みの層の霊魂とつながってしまいます。この世で被害を受けただけでなく、死後、恨みの層に行くとなれば、あなたは後悔するでしょう。

 

恨みを手放せたときに、あなたの霊格は上がります。世の中でよく言われる、「許す」というのは、悪事をなかったことにすることでもなければ、加害者と仲良くすることでもありません。自分が苦しまないように、加害者たちのことを考えないということです。彼らと接点を持たないということです。だから、彼らを赦さなければならないと執着するのではなく、加害をしないような人たちと接点を増やしてください。

 

一人でも多くの人が恨みを手放せるように、そして、加害や傍観をやめて、よりよい社会になるように祈りながら書いています。

魂の振り分け

 

磁石のNは北を、Sは南をさし、磁石は金属を引き寄せます。また、電流が流れるときは、陽極(+)の周りに陰イオン(-)が集まり、陰極(-)の周りには陽イオン(+)が集まります。これは、自動的に引き寄せられるので、逆はありえません

川の流れで運ばれる石は、大きな石は重いのであまり流れず、ごつごつと上流に溜まりますが、小さな石は軽いので遠くまで運ばれ、流されるうちに丸くなり、下流に集まります。それは全て法則で、意思にかかわらず、必ずそうなります

 

同じように、命が切れると、人を傷つけた魂は地獄(霊界の下層)に引き寄せられ、親切で愛に満ちた魂は天国(霊界の上層)に引き寄せられます。どんなに天国に行きたいと思っても、同類の層に親和して振り分けられるのです。それはまるで、魚は森でなく水中に住み、人間は水中でなく陸上に住む、というような法則なのです。

 

加害者とは

 

証拠隠滅して警察につかまらなかったとしても、何をしたら地獄行きとなるのでしょうか。下のリストのなかで、自分がされたら嫌なことはどれですか。赦せないものからいくつか並べてみてください

  1. 業務上必要な情報を教えてもらえず準備していたのに不可となる。(発表や面接の時間が変更されたのに、教えてもらえない、など)
  2. 嘘をつかれ、約束を破られ、貸したものは戻ってこず、自分だけ悶々と腹が立つ
  3. かげで悪口を言われたり、事実無根の噂を流されたり、言っていない悪口を言ったことにされたりして、周りから距離を置かれる
  4. クラスメートや同僚に送った個人的なメールや写真を、別の誰かに勝手に流されたり、相談内容を他人にばらされたりして複数の人から馬鹿にされる
  5. 自分だけ疎外され、嘲笑され、見下され誰も助けてくれない
  6. 覗きや盗撮、録音録画などにより、自分の知らないところで見世物にされている
  7. 執拗なネット中傷をされ、自分だけでなく家族にまで被害が及ぶ
  8. 成績に不当に低い評価をつけられて進学や転職の可能性をつぶされる
  9. 安全ではないものを安全なもののように勧められ、実害を受ける。(理科室で先生が呼んでるよ、と言われて行ってみると、いじめグループが待っていた。お茶のなかに、汚いものを入れられていた、など)
  10. 加害者が嫌がらせをしたことを認めないどころか、あなたに責任を押し付けたせいで、あなただけ退職や退学を余儀なくされた
このどれもが、人に不安、恐怖、怒り、悲しみ、憎しみを与えます。警察に捕まらない限り、他人を蹴落とした方が得だと思っている人もいるのでしょうが、霊界ではすべての人が自分のしたこと、相手に与えた影響に見合う責任を負うことになります。
 

自分は、どうか

 

次に、それを自分が誰かにしたことがないか、考えてみてください。

  1. 授業に遅れてきた人に、「大事な連絡はなかった?」と聞かれたとき、遅れる方が悪いと考え、教えてやらなかった。
  2. デートの予定が入ったので友達との約束をドタキャン、あるいはすっぽかした。結婚式に借りた服を、忙しかったのでずっと返していない。
  3. 気に入らない人の悪口を言ったり、話を盛ったりして、みんなで結束を固めた
  4. 人の悩みを出しに笑いをとったり、人のメールを他の人に転送したりして、陰で誰かを馬鹿にした。
  5. いじめを止めたら自分がターゲットになるからと、見て見ぬふりをしたり、強い方にすり寄った方が得なので、一緒になって嫌がらせに加担した。
  6. 旅行のとき面白半分に同室者の寝顔を写真にとったり、人と会話しているときにこっそり録音録画して、後でみんなで爆笑した。
  7. 週刊誌やネット記事を信用して、匿名で有名人を徹底的に中傷し、それが正しいことだと思っていた。
  8. 気の利かない生徒や部下の成績を低く評定し、日ごろのイライラを解消した
  9. 日ごろ幸せそうにしている人に嫉妬していたので、床に落ちた食べ物を、その人に勧めた。
  10. うまく反論できないほうが悪いので、周りをだきこんで、弱い者いじめをした。

ここで気をつけてほしいのが、被害者が別の場所では加害者になりうるということです。最初の10のリストと、2番目の10のリストでは同じことを書いているのに、自分がしたときには、言い訳を書いている2番目のリストがぴったりな感じがしますか。もし、自分は軽い気持ちだった、弱い相手が悪い、みんなと仲良くなるためには誰かを笑いものにした方が手っ取り早い、などと自分を正当化しているならば、あなたには加害者としての側面も持っているということです。自分が傷つけた人に許してもらわなければ因果は完了しないので、自分に甘くならないことが大切です。これは私が常に自戒していることです。

 

天国と地獄

 

ここから上が天国、ここから下が地獄、などという場所が最初からあるのではなく、ただ、同じような魂が類をなして、層を作っていると思います。

暴力的な層、サイコパス的な層、自己反省を全くしない層、罪悪感が多少あっても謝罪しない層、償いをしたいと願う層など、地獄のような階層にはいくつも違う層があるでしょう。これらは、生きているときの心の波長に最も合う層に引き寄せられ、自分が他人をいたぶったように、自分が同層の霊たちからいたぶられる、それが自業自得の本当の意味だと思います。

 

天国にしてもそうで、何を思い、何をしてきたかによって、いくつもの層があると思います。すべての思いも行動も記憶されて、消えることはありません。

だから、この世は不公平に見えても、あの世にいけば、全ては公平だったんだと納得するのだと思います。

 

だから、今、誰かに苦しめられている人がいたら、心から言いたいのです。その苦しみが数か月、数年、あるいは最大で数十年続いたとしても霊界で加害者がそれ以上に苦しむ数百年より、はるかにましです。霊界では飲食や睡眠は不要なので、苦しみは途切れることはありません。しかし、この世では、食べたり眠ったりしている間や、ぼーっとしている瞬間は、苦しみが少ないはずです。24時間連続の苦しみではないことに気付いてください。なので、どうか人生を投げ出さないでください。将来に希望が持てなかったとしても、魂は必ず成長します。

神について

 

私は、特定の宗教を信じておりませんが、自然、宇宙、法則を作り出した偉大な存在があると思っています。どの宗教も、神の呼び名が違いますが、頂上はどれも同じです。どの宗教にも共通した真理があり、魂を高みに導こうとしています。まとめれば、愛と調和と赦しと奉仕が大事であるが、他を傷つけるものは必ずその責任を取らされることです。

 

ただし、どの宗教も、伝道されるなかで、多少、為政者に都合のいいように改ざんされたり、信者を感心させるために少し大げさに表現されたり、金もうけに走っている部分があるようにも感じます。しかし、宗教は、人としての倫理を教え、犯罪を防止する役目もあり、資金も必要であるだろうから、ある程度は仕方がないのだろうと思います。

 

熱心な信仰をしている人もいるでしょうし、無神論の人もいるでしょう。複数の宗教を信じている人もいるでしょう。神とか霊とか、うさんくさいと思う人もいるでしょう。結局、死後は皆、その答えがわかるので、今は各自が自己責任で、自分が信じたいように信じていいと思います。大事なことは、宗教観がどうであろうと、自分と他人と社会を大切に生きているか、そこにあるからです。

 

神が命を助けてくれた

 

小学校低学年のころ、私は泳ぎが得意で、家族とよく海水浴に行きました。父は子供たちと一緒に、浅いところで泳いだり、遊んだりしていました。母は木陰にいました。あるとき、なぜか私だけ沖に向かって泳ぎ始めたのですが、誰も気づきませんでした。私は30メートルくらい泳いで、周りに人の気配がしなくなったような気がして、泳ぐのをやめてみたとき、急に海が深くなっていて、足が届かなかったのです。

 

足がつかないという恐怖は初めてでした。水を飲み、溺れ、もがきながら、助けてと声をあげようとしたら、さらに海水が口に入ってきました。周りには誰もいないし、つかまるものもありませんでした。はるか遠くに緑の山があり、白い砂浜が見えただけでした。ただ、苦しくて、死にそうで、手足を動かしましたが、もう泳ぐことはできませんでした。パニックになりながら、水がどんどん鼻からも口からも入ってきて、息ができませんでした。頭を水上に出すことさえできなくなりました。

 

私は、幼いころから、神の名前はわからないけど、神様がこの世界にいると思っていました。思うというより、知っている、という感覚に近かったのです。

心の中で神に祈りました。

「最後に、お母さんにありがとうと手を振りたいです。」

右手を上げましたが、もう海の上には届きませんでした。体は底に沈み始めて、何も見えなくなっていたとき、はるか上方に、信じられないような強い光を見ました。それは、私めがけて投げられたサーチライトのようなもので、私をふわりと包みました。振り返ると、私の体は下へ下へと落ちて行っているのに、私の意識は上へ上へと引き上げられ、神の胸に抱かれているような、幸せで、平和で、愛溢れる、安心した時間でした。眠りにつく前の幸福なあたたかさ、そのような感覚でした。

 

神に包まれているとき、不思議なことに、自分の生まれてからのビデオが見えました。私の親は、子どもたちの写真は撮っていますが、ビデオは全く撮っていません。なのに、私は、生まれてからよちよち歩いている自分、しょうじに上ろうとしている自分、知らない人が私に手を振ったり、話しかけたりしている場面を、動画として見ていたのです。動画というより、本物のようでした。それがおそらく走馬灯だったと思いますが、全ての記録をいっぺんに、一瞬に見ました。

 

どうやって助かったのか、まったくわかりません。

後で聞くと、母が急に、うちの子がいないと叫んだそうです。それを聞いた男の人が、なぜかあっちの方向に子供が溺れているんだと感じて、その方向に泳いでいったら、ぐったりした子供を発見したそうです。

神が、母を通して救けを求めさせ、正しい方角と距離にその男性を導いてくれたのだと思います。

病院に搬送されている途中で意識を取り戻した私は、水をたくさん飲んで苦しいながらも、神は私のそばにいてくれるんだと実感しました。

 

その後、いろんな不思議な体験をしましたが、いつか時間があるときに少しずつ書きます。

 

神は見捨てない

 

世の中には、戦争、犯罪、事故、災害、嫌がらせ、病気、貧困など、理不尽なできごとがあります。しかし、それでも神は見ているし、そばにいるんだと思います。そのような理不尽なことで、命を落としてしまわれた方もおられますが、おそらく、それまでの人生で、その人たちは、やるべき課題をクリアしておられたのかもしれません。または、その犠牲を通して、残された我々に、生きることの意味を考えさせるという大役を果たされたのかもしれません。この世で不運だったと思われる方は、霊界ではちゃんと報われるはずです。

 

私は、神(自然や宇宙のもと)は私たちを愛しているんだと強く感じました。

神が私を助けてくれたのは、私の死が予定されていなかったし、私はまだ何も貢献していなかったからだと思います。つまり、この世に生まれてくるのは、なすべき課題を終わるためだと思うのです。

 

この世は、苦しいことが多々あります。私も、常に闘っていますし、みんなそうだと思います。それでも、私たちは、何かの使命を帯びて生まれてきています。人を貶めたり、傷つけるためではなく、自分ができる善いことをして、誰かの力となり、よりよい社会をつくるためです。だから、この世で何があったとしても、神と約束した課題について、考えてください。

 

 

 

 

全ては一つ

 

石ころや氷を小さく砕いても、そのかけらはもとの性質をもっているし、動植物のDNAは子孫に受け継がれます。それと同じように、神は、自分の存在を千々に切って、宇宙、鉱物、動植物、人間を作ったので、全ての存在は神の分霊なのです。だから、寝ていても呼吸や消化が行われ、知らない間に回復や成長が起き、赤ちゃんはおっぱいを飲み、眠り、泣いて不快を知らせます。皮膚や髪の色などの外見を除いて、基本的な体の構造は人類共通しており、全ては組織だった系統を持ち、神につながっているのです。

 

生物も無生物も、食物連鎖や住環境において、みんななつながり、影響しあっています。だから、人にすることは自分にすることと同じで、自分にすることは神(すべての存在)にすることと同じなのです。不法投棄で海が汚染されれば、そこに住んでいるプランクトンが病み、それを食べた魚が病み、魚を食べた人間が病み、というように、他の存在を傷つけた結果は、私たちに返ってくるのです。また、言葉を使わなくても、私たちはお互いの気持ちを察知し、愛と感謝の思いは周りを幸せにします。霊的に敏感な人は、過去や未来を見通すことができる人もいます。これは、私たちが皆、集合意識につながっているからです。

 

加害者と傍観者の罪

 

さらに人類は同じ起源をもつ兄弟であるから、人種差別、性差別、個人への嫌がらせが、いかに愚かなことかわかるでしょう。しかし、嫌がらせは、されてみないとその痛みがわかりません。加害者は、ほんの冗談だった、大したことではない、みんなしていた、ごめんと言えばいい、などと思っているのかもしれません。なかには、間違った情報をうのみにして、正義の鉄拳だと思っている人もいます。しかし、人を傷つけることがどんなに悪いことなのか、わかりやすく説明しましょう。

被害者が、無名の一般人だった場合

あなたが、普通の生徒だったとします。クラスの誰かがあなたの悪口をもっともらしく流し、執拗に嫌がらせを始めたとします。周りの生徒は、面白がって、または自分が巻き込まれないように同調したとします。いじめをやめてほしい、何が原因なのかと訴えても、クラスも先生も一切助けてくれず、絶望したあなたは拒食症、不眠症、鬱を発症し、登校拒否になるでしょう。高校受験は失敗し、就職もうまくいかず、家庭内で暴れたとします。両親は家庭の不和から離婚し、ガンにかかってしまったとします。いじめをきっかけにすべてが崩壊してしまえば、どうやって立ち直ればいいのかわからないでしょう。
 
誰かが、加害者に注意したり、被害者のそばにいてやったり、先生がいじめを問題視したりすれば、事態は早く収束したはずです。被害者のこんな状況を喜んで受け入れる人はいないでしょう。自分が被害者の立場に立ちたくないのなら、加害者や傍観者になってはいけないのです。加害者と傍観者は、この世の罪に問われなかったとしても、死後、走馬灯に記録されている全ての罪を償うときが来ます。他人にしたこと、周りに与えた影響が全て返ってくるのです。

被害者が、有名な一般人だった場合

次に、もっと大きな影響を及ぼすケースを考えてみましょう。あなたが、SNSで有名なインフルエンサーだったとします。

誰か一人が匿名で、あなたについて事実無根の悪評を広め、あなたを中傷したとします。それを一方的に信じた大衆から一斉攻撃されれば、あなたは苦しみ、学業、仕事、家事、プライベートにおいて何もできなくなり、引きこもるでしょう。結婚予定だった恋人とも別れ、やけ酒を飲み、昼夜逆転し、自傷行為を行い、パニック発作を起こし、身体的な病気さえ引き起こす可能性もあります。

 

あなた個人が破壊されるだけでなく、SNSにあふれた悪口は、攻撃をよしとする風潮に変わり、さらに世の中に悪意を伝染させるかもしれません。このように、一人の悪意は、何十、何百、何千、何万という人々に悪影響を及ぼすことだってあります。そして、人々の無意識は見えない世界でつながっているので、悪意が氾濫すれば、大きな負のエネルギーとなります。それは国内において、疾病、事故、犯罪、天変地異などを急激に増加させる可能性があります。

被害者が、世界的に有名な公人だった場合

もっと、大きなシナリオを見てみましょう。

貶められたのが、世界的に有名な、日本を代表する公人だったとしましょう。こうなると、影響は日本国内では終わりません。膨大なネット中傷が公人に向けられているとわかれば、国内の週刊誌やネットニュースがそれをさらに取り上げ、情報は世界に伝わります。ネットは世界どこからでも閲覧、書き込みできるし、翻訳機能もあるわけで、間違った情報をもとに、世界中が日本を好奇の目で見るようになります。

 

日本を代表する公人への中傷合戦は、次第に日本や日本人を貶めるコメントに変わるでしょう。すると、日本円の価値は下がり、日本企業の競争力は落ち、日本人差別が広がり、日本人が海外で犯罪に遭う確率が上がり、日本旅行に来ている外国人も、日本の観光地で平気で狼藉を働く可能性もあります。日本の土地は外国籍の人に安く買いたたかれ、そうなると、日本人は日本で暮らしていけなくなり、ホームレスが増えるかもしれません。または、国が弱体化したときに、他国に侵略されて、日本が占領、分割されてしまうことだってあるのです。

 

もともと、その公人を中傷し始めたのが、一般の日本人とは限りません。憲法を変えたいと思う国内の団体が、意図的に始めたことかもしれません。あるいは、日本の国力を落としたいと考えている他国が、組織的なスパイを使って数年がかりで始めたのかもしれませんし、すでに週刊誌が他国のスパイによって乗っ取られていたのかもしれません。中傷コメントを一件書けばいくら払う、などのアルバイトを大量に雇った可能性もあります。

 

たとえ、中傷を始めた最初の加害者が、悪意のある組織だったとしても、それを見た人が通報するなり、中傷された公人を擁護するなり、事実を調べてからコメントすれば、被害は拡大しなかったはずです。

中立だったはずの人々が、ただ傍観するだけ、さらには加害者側に回るというのが、どんなに罪であるか、理解できると思います。霊界で想像を絶する償いが待っていることを考えれば、今世で正しく生きることが、どんなに大切であるかがわかります。

 

傍観者や加害者にならないために

 

加害を止めるために、理解すべきことをまとめます。

  • みんな、つながっていること。
  • 他人にしたことは、必ず自分に還ってくること。
  • 自分を粗末に扱うことは、全体を粗末に扱うこと。
  • 他人が不当な扱いをされているときは、自分も不当な扱いをされる番が巡ってくること。
  • 自分が理不尽な扱いを受けているときは、信頼できる周りの人や、警察、弁護士、病院などに相談して、自分を守ること。
一人の意識が高まれば、周りに善い影響を与えます。一人一人ができることをやっていけば、必ずこの世界は良くなります。

 

 

 

独り言

 

独り言をつぶやいてしまうときはありますか。それは、どんな状況のときですか。このなかで、いくつか近い状況があれば、その番号を、頻度が高い順番にメモしてください

 

独り言の種類

  1. 困ったとき)スマホどこに置いたっけ/ どうしよう/ 道は右だったっけ。
  2. 決めるとき)8時までに終わろう/ トマトは2つでいいか/ 傘持っていこう。
  3. 自分が体やものを動かすとき)よいしょ/ そーれ/ 頑張れ。
  4. 人の状況や物を見て)赤ちゃん、泣きやめ/ あのおじいちゃん、大丈夫かな/ この店、高い。
  5. 悪いことが起きた直後)最悪/ マジ/ 終了/ 信じられん。
  6. いいことがあった直後)よかった/ 助かった/ よし。
  7. 習慣的に考えている否定的な独り言)嫌なことばっかり/ なんでよ/ くそ。
  8. 習慣的に考えている肯定的な独り言)幸せ/ 最高/ 大丈夫。
  9. 現在の状況と合致している独り言)おなかすいた/ 痛い/ 疲れた。
  10. 現在の思考と合致していない独り言)あの人に会いたい/ 死にたい/ 助けて。

 

深層心理

 

人間は、複数の性格が混ざり合っているので、常に一つのタイプではありません。しかし、頻繁に出る独り言の種類によって、より強い傾向を知ることができます。

 

自分の傾向

1番は、人間関係を重視する性格で、人に話すことでストレスを解消するタイプです。ただし、困ったことがあるとすぐ人に依存する傾向があります。自分で考えることを習慣にすると、自分軸が強くなります。
 
2番は、堅実な性格で、他人に相談せず、自分で物事を決めるのが好きなタイプです。論理的に考え、それを自分で確認しています。うまくいかないなら、信頼できる人に助言を求めてみることが、打開策になることもあります。
 
3番は、向上心が強く、自分を鼓舞したり、他人を助けたりしたいタイプです。逆に、人から応援してもらうのも好きでしょう。不調な時に頑張りすぎないことが肝心です。
 
4番は、一般的に善人で、他人に関心が強く、自分の意見を表に出したいタイプです。その反対に、他人から意見を言われることは好まないかもしれません。様々な価値観があるんだと学ぶことで、さらに深みが増すでしょう。
 
5番は、几帳面な性格で、いいか悪いかの二つしかない、白黒思考に陥りやすいタイプかもしれません。また、あきらめやすいタイプとも言えます。一度こうだと思い込んだら、その考え方を変えるのが難しいときもあるでしょう。その中間の考え方を採り入れるとうまくいきます。
 
6番は、感情を素直に出すタイプです。感情の揺れ幅が大きく、いいことが起きたら大きく感動し、悪いことが起きたときは、大きく落ち込むことがあるでしょう。もし動揺を減らしたいのなら、人間万事塞翁が馬のように、喜びすぎない、悲しみ過ぎない、というのを意識することも、一つの手かもしれません。
 
7番は、お人好しな性格で、理不尽なことをたくさん経験し、それを浄化していない人かもしれません。この世で出遭った不運な体験は、過去生や今世での因果かもしれないし、霊性の低い人の悪意に巻き込まれただけかもしれません。過去にとらわれて、現在を生きていないと言えます。この世では、霊性が異なる人たちと交流しなければならないので、誰にでも理不尽なできごとが起きるということを理解することが、現在に目を向ける鍵となるでしょう。
 
8番は、平和な性格で、意識高い系のタイプかもしれません。もし幸福感が、無意識と意識において同調しているのなら、最高の人生と言えます。一方、アファメーションとして、意識的に幸福だと信じようとしているのなら、すばらしい努力をしていると言えます。ただし、耐えられないことが起きたときに、肯定的なアファメーションは、感情に合致せずに、安っぽく感じることがあるかもしれません。心の奥に負の感情があることを認めて、百点の自分じゃないことを許可することが重要です。
 
9番は、努力家で、無理をしている人かもしれません。自分を犠牲に生きてきたからこそ、他人に認めてほしい、同情してほしい、愛されたい、わかってほしい、そういう気持ちが無意識に出てくるのでしょう。子供時代、自分さえ我慢すれば家族がうまくいくという土台があったのかもしれません。自分の体が悲鳴を上げていても気づかないときもあるでしょう。他人に認められるより、自分を大事にすることが先決です。たとえば、毎日5分柔軟体操をする時間を持つ。気が進まないときは、頼まれごとを断る。安いからという理由ではなく、自分が食べてみたいランチを選ぶ、など。小さなことに選択肢があることに気付き、自分が選ぶことを始めていきましょう。
 
10番は、過去のトラウマが無意識領域に刷り込まれて、心が叫んでいる人かもしれません。当時、PTSDを発症していたかもしれないときに、適切な処置を取れなかったのかもしれません。たとえば、突然パートナーを失った。過度のいじめを経験した。犯罪に遭った。生命にかかわる状況に陥った、など。心の傷は治らないと思わないでください。大きなショックの後に癒しが起これば、心的外傷後成長といって、心の成長が認められることが世界的に実証されています。つまり、自分の価値観を揺さぶられるようなことを経験した後、心の動きを自分が観察し、認め、癒すことで、霊的に大きな成長ができるのです。過去は消えません。しかし、過去に対する思いを変えることができるし、現在をどう生きるかが、将来を決めます。では、実際、どうやって過去のことに向き合うか、考えてみましょう。
 

過去をどうとらえるか

口頭での無料相談

まずできることは、自分をわかってくれる人に相談することです。一番いいのは、親しい家族や友人、パートナーでしょう。ここで重要なのが、なにを、どのレベルまで話すのかは、あなたが決めることです。聞かれたからと言って全てを答える必要はありません。相手のアドバイスをうのみにする必要もありません。しかし、正しい内容のアドバイスをもらえても、間柄が近いために、叱責口調だったり、押しつけがましかったりして、気持ちを分かってもらえないこともあります。また、相談した相手は専門家ではないので、間違ったアドバイスをする人や、口が軽い人がいることも考慮しておかなければなりません。

 

次に、関係する部署に相談することが望ましいです。その悩みが学校や職場に関係するのなら、そのなかで信頼できる先生や上司が最適です。特に、嫌がらせなどは、権力がある先生や上司が仲裁してくれると効果があります。しかし、先生や上司は、自分の仕事に忙しかったり、事なかれ主義だったりして、問題解決のために動いてくれない人もいます。

 

悩みが犯罪に関係することなら、警察に相談、あるいは法テラスで弁護士無料相談をすることが重要です。ハードルが高く感じるでしょうが、泣き寝入りせず、闘った方がふんぎりがつくでしょう。弁護士相談は一人一回までだと思うので、何を話すか短時間にまとめる必要があります。

 

もし匿名で誰かに相談したいなら、無料電話相談を検索するとよいでしょう。相談員は登録しているボランティアで、一般個人の場合もあれば、看護士や公的カウンセラーなど、有資格者の場合もあります。しかし、無料相談窓口は、なかなかつながらないこともあります。

 

無料アドバイスの見聞

周りに適切な相手がいない場合は、ネットでの情報収集ができます。

幸せになるには、ポジティブシンキングが必要だとか、引き寄せの法則を使って幸運を信じないといけないとか、過去を忘れないといけないとか、どんなことにも感謝しないといけないとか、運動と食事と早寝早起きとか、いろんなインフルエンサーが言っています。

このなかで、自分が感動したものを選び、やってみることです。特に、症状が深刻でない人は、自分に合う方法を探して回復することがあります。一番の利点は、無料で、自分の都合に合わせて、様々な方法を試せることです。

 

でも、インフルエンサーやカウンセラーと名乗っている人たちが、公的な資格を持っているとは限りません。ただ、善意でおすすめしている方法に過ぎないことが多いと思います。一般公開されるコメント欄に、自分の詳しい症状を書くことも憚られるでしょうし、ブロガーやユーチューバーから親身な返事がくるとも限りません。ネットで手に入る無料情報は個別対応ではないため、自分が常に考え、自分を律し、状況に合わせて変えていかなければなりません

 

有料の専門家による個別対応

次に、一対一の対応ならば、医療に頼ることです。

心理学者や脳科学者たちは、トラウマに対して、目を動かすEMDRという療法が効果があるとか、耐性をつけるために過去のできごとを再体験する暴露療法がいいとか、似たような体験者たちが自分のことばで語るグループセラピーがいいとか、傾聴してくれるカウンセリングが有効だとか、薬と併用して実践できる方法をきちんと提案してくれます。これらは実証された方法なので、最も有効性が高いでしょう。

 

しかし、それらを試すためには、自分に合う医者やカウンセラーを近隣の病院から探し、治療費や参加費を払わなければなりません。また、外出することさえ困難な人もいれば、仕事の休みが取れない人もいるでしょう。

 

決めるのはあなた

山の頂上にたどり着くには、いろんなルートがありますよね。ある道は険しいけれど、短い距離です。また、ある道は緩やかだけれど、長い距離です。行き止まりがあれば、道を戻って、別の道を選ばなければならないか、道なき道を踏みしめて、自分が道を作りながら進まなければなりません。がけ崩れで、突然危ない目に遭うかもしれません。道に迷って方向を見失うかもしれません。たとえ途中でしゃがみこんでしまっても、いつか頂上にたどり着くんだと思って進む以外にありません。そして、いつか、たどり着くのです。
 
もし、他人のアドバイスが不要、あるいは合うものがないのなら、自分で考えるだけでいいのです。
誰だって苦しみたくないし、幸せに生きたいし、その権利があるのです。
あなたが他人を陥れていない限り、必ず自分のなかに幸せを見つける日が来ます。