大和朝廷は縄文人の系統 | 日本が良くなりますように

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アメンバー記事は完全な個人的メモとして使おうと思います。メモなので面白くないと思いますが、保守思想でスピリチュアルに抵抗のない方限定で見てもらってもいいです。コメントはお返事等できない場合もあります。

 

 

  天皇家のDNA

 

 

よく皇室は渡来系だと言われているのですが、私はどうしても納得できない。

そこで、興味深いサイトがあったのでメモさせてもらいます。

 

 

第97話 出雲族の遺伝型は縄文系より

 

①出雲族は縄文系のD1b

②江戸時代の天皇の直系子孫のDNA分析の結果、現天皇家が、D1b遺伝子を持っていることがほぼ確実になった

 

斎藤成也氏(ゲノム進化学・国立遺伝学研究所集団遺伝学研究部門教授)のインタビュー記事からだそうです。

 

(引用します)

日本人のY染色体DNAのハプログループは、縄文人の流れを組む日本固有のD1b(D-M64.1)系統が40%であるのを筆頭に、以下、弥生人のO2b1a(0-47z)系統が25%と続く。

 

皇室は、第113代 東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析により、縄文人のD1b(D-M64.1)に属するD1b1a2の系統と言われ、明治天皇も東山天皇の男系子孫に属する。

 

一方でネット情報では、日本の皇室をO2b1a(0-47z)系統とする、出所不詳の説があり、これは韓国人男性に多いO2b1b(0-L682)の系統に近い種であると意図的に錯覚させようとするバイアスがかけられている疑いがあり注意を要する。

 

ハプログループD系統とハプログループE系統は、YAPと呼ばれるY染色体上にAlu挿入と呼ばれる300塩基からなる特徴的な変異の痕跡(SNP)を持っていることで知られ、両系統が、共通の父系祖先をもつことが明らかとなった。

 

 

(以下、引用します)

(父系継承のY染色体ハプログループによる)父系ルーツ探索は 大和朝廷の成立にまで及んでいる。現天皇家が、D1b遺伝子を持っていることがほぼ確実になった、との情報がある。
 
(江戸時代の天皇の直系子孫のDNA分析の結果)

天皇家は縄文系ということで、大和朝廷は縄文人の系統で、大陸から来た弥生人が立てたという説は成立しない。神武天皇の祖先は縄文人で、天皇家は縄文の昔から綿々と続いていることに間違いは無い。

 

 

 

 

  渡来系も縄文系の人

 

ただし、渡来系とされている人達もまた、縄文の血を引き継いでいるんです。

なので赤の他人ではないのです。いわゆる里帰り説ですね。

 

 

篠田謙一氏(国立科学博物館館長)

『一般的に、渡来系の人ということになれば 朝鮮半島であるとか中国であるとか そういう人たちと同じ遺伝子を持っているんだろうと考えていたので、典型的な渡来人というのが、実はかなり縄文と混血している という話になりますので、かなり意外な結果になりました』

 

 

 

 

 

縄文時代、日本を出発した人達が大陸の文化を吸収して渡来人として日本へ帰ってくる

あるいは大陸に元々住んでいた日本語系民族が蓬莱国である日本を目指した 等々

 

その過程で大陸での戦乱などの影響をうけ混血もしたが最終的に日本へ到達した人達

 

 

 

日本語が思わぬところに存在した

 

 

 

 

 

  縄文人の顔を再現

 

同サイトより

 

(引用します)

 

 

私は、縄文人女性は美人と思っている。
国立科学博物館などの研究チームは、北海道礼文島・船泊遺跡の縄文人(約3800年前)のゲノムを解析し、顔つきに関係する遺伝子に基づいて、初めて復元した顔の像を公表した。(2018.3)

船泊縄文人は、40~50歳代の女性。肌はしみができやすい性質で色が濃く、毛髪は細く縮れタイプ。鼻の高さは中程度で、瞳は茶色。アルコール分解遺伝子を持ち、酒に強い。

で、若い時分はどんな顔かな?、 と、復元顔を若返りアプリで試すと..なんと美人だ。

 

 

 

<コメント>

 

普通にかわいいですねラブラブ

近所にいそうな女性

”縄文人”とか言いますが、私達と繋がっているってわかりますね。

正確には”縄文人”じゃなくて”縄文時代の日本人”でしょ!

 

縄文時代って原始人だと誤解している人もまだまだいるかもしれません。

本当にすごく文化的だったんですよ。

 

 

 

 

ホツマツタエによると、これらは縄文時代からの風習なんです

BC2500頃からの風習

ひな祭り

 

BC900年頃からの風習

お餅、袴、ちまき 

1歳の誕生日 お赤飯

和歌 

七夕

端午の節句 

 

ホツマツタエにそう書いてあるとのこと。

ホツマ関連の本を読んでいると、皇室と縄文は繋がるんですよね。

 

ホツマツタエについてはナビ彦さんの動画が詳しいです。

 

ヲシテ文字はトンデモ!?ではない

 

神代文字が消えていった

 

この白村江の戦いの少し前、蘇我氏の頃、焚書、禁書により多くの貴重な書物が消えていきました。

 

仏教が普及するにつれて漢字もしっかり定着していきました。
公文書は聖徳太子の頃から、すべて漢文になったことですし、
漢字読み下しという新技法(翻訳法)まで発明されていたのです。

 

文章はほとんど漢文のまま(正確には和漢文)ですから、
上流階級の三割以上の渡来人との意志疎通にも、
中国との外交にも、大変役に立ちました。

その後、ヤマトコトバの音通りに、 似た漢字を一字一字当てはめ書くやり方も流行、
和歌を中心に、カタカナ・かなの独自な字も成立したことから、
日常生活にもさして不便はなくなりました。
「万葉仮名」といわれるものが、それです。

 

そして紀元800年ごろを過ぎると、

「我が国には漢字以前には文字が無かった」

という説は見事に定着したのです。

 

 

 

 

最後にホツマ関連でこちらも参考にとメモとで…

(このチャンネルについては都市伝説系なのでそこを差し引いて…)

 

 

(注)動画に日月神示がでてきます。

私は完訳本(中矢伸一著)を上下巻全部読みました(1ヶ月ほどかかった)。前知識は結構あったので殆ど理解できましたし、すごいと言われている理由はわかりました。しかし、預言系は良くない、と後日知ったので当時書いていた記事も削除し、関連本も全て処分した経由がありますので個人的にはお薦めしません。

 

(注)白村江の戦いについて

大敗したわけではない。という説もあるようです。

ただ、唐を中心としたグローバル社会だったことは間違いではないと思うので、今の日本が国連によって文化を壊され続けているように当時の日本文化もむしろ自ら進んで伝統や自国の文字を放棄していったと想像します。