ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回は放浪編、ビーフカツからもその他食べ物からも離れ、1970年代に海外を旅していた頃のことをテーマにします。今日はシリアの話です。
シリアへは、トルコから陸路で入りました。
トルコのガズィアンテップという町からバスでシリアとの国境の近くの町キリスへ。
キリスからは農民の荷馬車に乗せてもらい国境へ。
まだ隣国レバノンで内戦が始まる前で国境警備兵にも全く緊張感がありませんでした。
約2㎞の緩衝地帯には交通機関がなく、炎天下バックパックを背負って歩きました。
国境近くからはバスでアレッポへ。
アレッポは、シリア内戦により現在では瓦礫の町と化してしまいましたが、当時はご覧の通りアラブ色の濃いのどかな地方都市でした。
町の中心の丘には、アレッポ城がそびえ立っていました。
紀元前10世紀に築造された神殿を原型とする古城でしたが、私が旅した当時の姿は十字軍の侵略に際して12世紀に改築されたものです。
アレッポ古代都市の一部として1986年にユネスコの世界文化遺産に登録されていますが、今は荒廃し観光客の姿は全くないようです。。
アレッポからは鉄道で首都ダマスカスへ。
こちらは、アレッポ以上にのどかな町でした。
内戦による被害はアレッポほどではないようですが、市内各所に戦闘の傷跡が残っているとのことです。
ダマスカスからバスに3時間ほど乗りパルミラの遺跡に行きました。
パルミラは、紀元前からシルクロードの中継都市として発展していましたが、紀元1世紀にはローマ帝国の支配下に入りました。
このため円形劇場などローマ様式の建造物が多数残っていました。
1980年にユネスコの世界文化遺産に登録されましたが、2011年に勃発したシリア内戦に伴い、IS(イスラム国)がかなりの部分を破壊したとのことです。
こちらはベル神殿。
パルミラで最も目を引く建築物で、中東において紀元前1世紀の最も重要な宗教的建造物とされています・・・いました(?)。
ローマの植民都市時代の列柱もそこかしこに残っていました。
アラビアのローレンスを気取って撮ったのですが、友人に『アラビアのホーレンソー』と言う訳の分からないタイトルを付けられました。
ダマスカスからは陸路でレバノンのベイルートへ。この件は、4月に入ってからお話しします。
次回は、明日3月16日(金)に番外編。ベトナム・ホーチミン市の『ニャーハンゴン』をテーマにします。