ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回は放浪編、ビーフカツからもその他食べ物からも離れ、1970年代に海外を旅していた頃のことをテーマにします。今日は、アフガニスタンの話です。
12月18日にアップしたインド・ネパールに入る前の話です。
順を追ってアップすればいいのにとお思いでしょうが、生来のチャランポランな性格ゆえ思いついたままに書いてしまうのです。
お許しください。
さて、アフガニスタンへはイランからバスで入りました。
テヘランで知り合ったイギリス人ヒッピーたちのオンボロバスに便乗し、イランのマシュハッド、アフガニスタンのヘラート、カンダハルを経て首都カブールへ。
改めて見ると、こんなガラクタでよく砂漠を横断できたなと感心します。
町を出ると何もない砂漠地帯が延々と続きます。
たまに山が見えます。
アフガニスタン紛争以前のことで、貧しくはありましたが、まだ平和な時代でした。
途中で砂漠の商人と出会うこともありました。
商業ベースの路線バスと違い、気の向くまま。
喉が渇けばチャイハナ(茶店)でお茶を飲んだりします・・・残念ながらイスラム教国なのでアルコールはありませんでした。
運転手が疲れると所かまわず休憩になります。
物珍しさか、現地の村人たちが集まってきます。
言葉は通じませんが、双方で歌やダンスを披露したりして
楽しいひと時を過ごしました。
テヘランから約1700㎞、1週間を掛けてやって来たアフガニスタンの首都カブールは、同国最大の都市ですが、当時はのどかな田舎町。
小高い丘にへばりつくように立ち並ぶ土で造られた家が印象的でした。
スラム街ではありません。
そんなカブールでひときわ異彩を放っていたのがこの建物。
1階に『カイバルレストラン』というレストランがありました。
市内最高級のレストランで我々貧乏人には手が出ない価格でした・・・と言っても1食1米ドル(300円)程度ですが。
しかし、1食10セント(30円)で過ごしていた身には高嶺の花。
ただし、水はただで飲めました。
客でもない汚い風体の若者が水だけ飲みに行っても全くお咎めなし・・・おおらかな店でした。
アフガニスタン紛争で破壊されたと聞いています。
街中には吟遊詩人のような楽師も多く見かけました。
ピンぼけで申し訳ございません。
手をつないで歩く男性カップルもたくさんいました。
一夫多妻制のため男性が余り、同性愛者が多いとのことでした・・・諸説あります。
モスクは、どこの町や村でも立派です。
今の私には考えられないことなのですが、食べ物の写真が1枚もないのです。
写真に残したいと思うようなものを食べていなかった・・・食べられなかったのです。
カブールには1週間滞在しました。
当時のアフガンスタンでは、ハシーシやマリファナは合法でした。
麻取の皆さん、警察の皆さん、帰国後は手を出していませんことを誓います。
カブールからはカイバル峠を越えてパキスタンのペシャワールへ。
その後、前回お話ししたインド・ネパールへと旅しました。
今でも2~3週間単位で旅をしていますが、この頃のような無茶はもうできません。
美味しい物を食べた記憶はありませんが、楽しく充実した旅でした。
放浪編、今度はイランの話をします。多分来月に。
次回は、明日1月12日(金)に番外編。アイルランド・ウォーターフォード市の『The Reg』をテーマにします。