ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回は、放浪編と題し1970年代に海外を旅していた頃のことをテーマにします。今日は、インドとネパールの話です。
もう半世紀近く前のことですので記憶は断片的になっています。
パキスタンから陸路でインドに入り、バスと鉄道の乗り継ぎで首都デリーへ。
こんな汚い姿で旅していました。
チャイ(ミルクティー)を買っているところです。
デリーからは鉄道でアグラへ。
タジマハールで有名な町です。
デリーの南150㎞にありますが、当時は4時間以上掛かりました。
アグラから再び鉄道でベナレス(現バラナシ)へ。
ベナレスは、ガンジス川の畔にあるヒンドゥー教徒の聖地です。
イスラム教徒が一生に一度はメッカに巡礼するように、ヒンドゥー教徒もベナレスを目指します。
当時のインドはまだ貧しく、多くの人々が徒歩で何日も掛けてベナレスに行き、聖なる川ガンジスで沐浴をしていました。
私も沐浴をしたいと思い、出発前に銀座にあるインド政府の観光局に行き、どのガート(沐浴場)が良いか尋ねました。
答えは、『止めておきなさい。病気になりますよ』でした。
ベナレスからは鉄道で丸二日掛けネパールとの国境の町ビルガンジーへ。
そこからはトラックの荷台に乗せてもらいカトマンドゥへ。
4時間ほどの豚小屋2階での仮眠を含め30時間掛かりました。
当時のカトマンドゥの中心地ダルバール広場です。
相変わらず汚い姿、日本の恥?
なんで体が傾いているのかは記憶にありません。
ネパールはインド以上に貧しく、首都の中心部でも未舗装、そしてほとんどの人が裸足でした。
この一枚が当時のネパールを物語っています。
カトマンドゥからは往路と同じくトラック便乗でインド国境へ。
そこから陸路でパトナ、ラジギールなどを回り、インドの旅の最終地であるカルカッタ(現コルコタ)へ。
どの駅でも列車は時刻通りには来ません・・・24時間遅れという日本では考えられない遅延もありました。
駅員に『〇〇時発の列車は、何時に着くの?』と尋ねると、『来てみないと分からない』という禅問答のような会話でした。
とにかく気長に待つしかない旅でした。
デリーを出てからほぼ1か月、ローカルな街を巡って辿り着いたカルカッタは大都会。
中心地のエスプラネード広場は、人、人、人。
ある意味で当時の新宿より賑やかでした。
路面電車も超満員、車外にはみ出ている人もいます。
カルカッタでちょっとだけ贅沢し、シタールを買いました。
値切りに値切って430ルピー・・・当時のレートで43米ドル。
宿代と食事代で1日1米ドルで旅していた身にとっては1か月半分の出費でした。
補足:シタールを持っているのは、私ではありません・・・わかりますよね。
恰好をご覧頂ければお分かりの通り学生の極貧旅行でした。
インドで食べたものは、一食1ルピー(約30円)のカレー&ナンorチャパティorライスばかり。
でも、楽しかったです。
また折を見てこんな記事を書いてみます。
いつになるかはお約束できませんが。
次回は、明日12月19日に番外編。韓国テジョン(大田)市の『ターミナルフードモール』をテーマにします。