花丘佳奈のブログに
訪れてくださり
ありがとうございます。
このブログでは
夫から離婚を切り出され
このまま離婚するのは不安だと
お悩みのアラフィフ女性のあなたへ
離婚の不安から抜け出して
どうしたら女性が離婚しても
安心して幸せに生きていけるかを
発信していこうと思います
家族紹介
【離婚騒動中の夫】
・46歳、別居中
・仕事に夢中
【長女】百花(ももか)
・中学2年生
・学校はほぼ毎日遅刻
【長男】虎太郎(こたろう)
・小学6年生(育成クラス)
・発達障害グレーゾーン
【次男】虎次郎(こじろう)
・支援学校小学部4年生
・重度知的障害
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『ジェットコースターな
離婚騒動』連載物語
【離婚騒動-第01話】半分結婚を諦めていた私の前に救世主が現れる!!
本日の2024年2月20日から
離婚騒動連載ストーリーを
開始します。
心を込めて書きますので
応援よろしくお願い致します
目次はこちら
私は四国の徳島県という
田舎で生まれ育ったのですが
小学生の頃からずっと
と思っていました。
なぜなら小学生の頃
大阪に親戚が居て
夏休みに遊びに行ったとき
田舎と都会の違いを
見てしまったんですよね
例えば徳島にはない
ローラースケートリンクや
アイススケートリンクがあり
プラネタリウムもすごく大きい。
遊園地(※)もたくさんあり
子供ながら憧れを感じました
※その当時はポートピアランドとかエキスポランドとかいっぱいありました
だから地元ではなく
大阪のとある会社に就職しました。
そこで私はプログラマーの仕事を
やっていましたが
友達に誘われた海外旅行が
思った以上に楽しく、
と思うようになりました。
「えいっ!」と退職し
ワーキングホリデー制度を利用して
オーストラリアに1年間行くことを
決意するんです
※ワーキングホリデーとは?
年齢と行ける国が決まっていて、
ある程度の条件が必要になります。
詳しく知りたい方はこちら
アルバイトをしたり、
オーストラリアの東半周を
3ヶ月かけてバスで周ったり
ダイビングのライセンスを取って
グレートバリアリーフで潜ったり
とても貴重な経験をしましたよ
帰国後は地元で派遣社員として
プログラマーをしながら、
お金が貯まったら
海外旅行に行くという
とても自由きままな20代を
過ごしていました。
でもこのままではいけないと思い、
正社員になるべく
仕事を探しはじめました。
私が育った田舎では
やっぱり就職先はなく
また大阪で仕事をすることに
なりました
その会社での仕事は
毎日夜7時半や8時まで
残業していました。
職場には男性はたくさん居ましたが
恋愛に発展するような人は
残念ながら居ませんでした。
そうやって私の30代前半は
毎日家と会社の往復だけの
退屈な日々を過ごしていました。
でも、神様は私を
見捨てなかったようで
私は人見知りなため
友達は少なかったのですが、
数少ない友達から飲み会に
誘われて行ってみました。
会社以外での飲み会は
とても新鮮で、
すごく楽しかったんですよね
私はお酒はそんなに
強い方ではないのですが、
気心しれた友達とワイワイ
話しながら、ビールとか
チューハイを飲むのは、
楽しいものですよね。
とか酔った勢いで、その飲み会で
何度か話しちゃっていたりもして
その度に、
と、その男友達にも、
他の人たちからも根拠なく
励まされて、
とビール片手に
ちょっとだけ悪態をつきつつも、
・・・まあ、なんだかんだで
楽しい30代前半を過ごして
いました。
その飲み会に参加した時に
隣に座ったのが
今の夫だったんです。
メールアドレスを交換し、
翌日から毎朝
おはようメールを
送ってくれました。
多分、その時彼は私のことが
気に入っていた訳では
なかったと思います。
些細なことなんですが
私は毎朝メールを
送ってくれたことが
すごく嬉しかったんですよね
そして電話するようになり、
2人で会うようになりました。
2人で会うのはいいんだけど、
彼女なのかそうじゃないのか
中途半端な状態が続き、
彼からは何も
言ってくれませんでした。
しびれを切らした私は、
と聞きました。
彼は自信なさげでしたが、
付き合うことになりました。
その時私はもう30代半ばでした。
親からも親戚からも
「いつ結婚するの?」
と何回も言われていました
付き合う人ができたのは
いいんだけど、
また月日が流れていくだけに
なってしまうな…と思いました。
私が働いていたのは
大阪のビジネス街だったのですが
ある時町家風の雰囲気がいいお店を
見つけました。
一度行ってみたいな、と思い
彼をランチに誘ってみました。
快くOKしてくれて、
私の仕事の昼休みに
一緒に行くことになりました。
たくさんのビジネスマンが
ガヤガヤとお昼を食べている中
なんと私はその店で
プロポーズしてしまったのです!
会社を辞める気は
更々無かったのですが
思わず言ってしまいました。
でも彼は真剣に
結婚のことを考えてくれました。
こうやって、付き合う時も
結婚するときも
私から言ったのでした。
結婚する時に夫は
と言いました。
自分が一人っ子だったからという
理由でしたが、
この時私は3人の子育ては
ここまで大変だと
思っていなかったですよねぇ。。。
まさか自分の子が発達障害や
重度知的障害の子になるなんて
思ってもみなかったです。
"やりたいことがあっても
諦めなければならない”
ということが何度もありました…
私は夫の望みを叶えてあげたいという
思いだけで3人産もうと決めました。
順調に長女の百花を妊娠しました。
私はその時派遣社員で
システムエンジニアをやっていて、
ほぼ毎日7時半や8時まで残業し、
家に帰るのは遅かったです。
妊娠してからはそこまで残業は
しませんでしたが、
残業できないとなると
退職せざるを得ないと
派遣会社から言われました。
そう言われるのは
想定できていましたが、
と思いました。
分かっていたのに先送りにし、
ちゃんと準備できて
いなかったのです。。。
私の悪いクセです…
問題を先送りする。
なんとかなるわ~ってね。
でも私もまだ若かったし、
ただ普通に
会社に勤めている状況では
どうやって情報収集すればいいのか
分からなくて
どうすることもできなかった
というのが正直なところです…
大きい会社の社員であれば
産休、育休も整っているので
辞めることはないと思います。
でも毎朝戦いのように
子供を起こして朝の準備をし
保育園に預けに行き
朝から夕方まで会社で働き
急いで保育園に子供を迎えに行き
家に帰って家事に育児に
追われる生活。。。
1歳から
フルタイムで働いていると
そんなサイクルになりますよね?
これでは母親はヘトヘトで
疲れてしまいますし
子供だって疲れた母親と
一緒に生活するのは
いい生活とは言えないと
私は思うんですよね
そして私は妊娠9ヶ月まで働き、
退職しました。
(つづく)
長女の百花を出産しました。
産まれたての
百花を抱っこした夫は
とても嬉しそうでした。
でも当時夫はサラリーマンで
残業しても月給は
20万にも届かないという、
超ド貧乏生活を送っていました。
気になる次回の記事はこちら
目次はこちら
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
花丘 佳奈