はい、半年振りの山登りらしき山登りから帰ってまいりました。
やっぱり山はよいですね。山ですね。

その前に、このところの様子などを。
春の到来した後、生きものたちの営みは日々活発になっていきます。
田んぼの手直しをした翌日は、早朝から消防団の春の演習でありました。
街の小学校のサクラは満開で、午後からやや風が出て、桜吹雪の舞うなか行われました。
小学校のサクラ
写真は昼休みの時間なので人の気配がありませんが、実際にはずらっと並んでいろいろやります。暑くなりくらくら、ばったり倒れてしまいそうでした。

いろいろな木々が葉を広げはじめました。
これはトチノキですね。
トチノキ

オオバクロモジは葉を立て、その下にちょこんと柔らかな黄色の花。
オオバクロモジ

生きものも暖かさにつられてひょこひょことあれこれ出てまいります。
これはひょこひょこではなく、にょろんと出ました。
にょろん

雑木林の奥にちらりと見える赤いもの、あれは。
ユキツバキのようです。ひっそりと咲いております。
ユキツバキ咲く

4月29日は、大日堂のおまつりでした。
早朝にとうちゃんたちが境内の掃除や旗の取り付け等、おまつりの準備(それもおまつりの内容なわけですが)をしておりました。
大日様

各家庭から赤飯をあげもします。
おごふ

近所のおかあちゃんたちも赤飯をあげもしにやってきました。
サクラを眺めつつ歩いておりますね。
近くの方も来た

とうちゃんたちはその後、みちぶしん(道路の清掃等)に出かけました。
今年は、今は集落を離れた方も幾人もやってきてくれて人手があるので、ぼくはお見送りをして、田んぼの作業のほうへ行かせてもらいました。
みちぶしん

この日の田んぼの作業は、こやすふり(肥料散布)です。
この背負子に袋と筒を取り付けた道具でもって散布していきます。肥料は一袋20kg、それを半日ほど背負って棚田を登って下って。足腰を慣らすのにちょうどよいのです。この数日後には、半年振りの山、ですからね。
こやすふりの道具

肥料は、田んぼでは化成肥料も使っておりました。作業性がよく、稲の生育にあわせて加減をしやすいのです。有機肥料に出来たらそれに越したことはないと思うのですが、こだわりすぎて作業が追いつかず田んぼを作られなくなったら元も子もないですからね。

タヌキらしき足跡があちこちに残っております。
たぬき

以前から不思議であったクルミの殻です。
殻をかじったりした痕跡が無く綺麗に割れています。そもそも近くにはクルミの木がありません。
父の仮説(思い込みとも言いますね)によると、カラスがここに持ってきて、田んぼの水にクルミを浸し、それを畦に置き、夏の陽射しで暖まるとクルミが割れる、というようなことを覚えたのでないかと。
どうなんでしょうね。でも、ハシボソガラスならやりかねないかもしれません。
くるみのから

まだ雪の残る場所もあり、ふきのとうが出たばかりでした。
でも、もうふきのとうを食べる季節はやや過ぎたかなというのが自らの体の反応です。
もうコゴミやコシアブラやそういった山菜の時期になりました。
ふきのとう

午後からはクリの林の片付け作業。じいさまも一緒に作業です。
ぼくはチェンソで運びやすいサイズに刻み、大きな枝を運び、じいさまはなんでもこまめですからちょこちょこと林床を綺麗にしていきます。
クリ林の片付け
この日は、このほかにもたいへんにぎやかな日で、午前中は作業の途中で消防のサイレンが聞こえたたため作業を中断し、出動しようとして確認を取ったら、鎮火との報。
午後からは、作業をしていると救急車のサイレンが聞こえ、集落の方へ行ったので、追いかけていくと、大日堂のお祭りでちょっとお酒をお召しになりすぎたお客さんが石段で転んだとのこと。搬送後、怪我の処置と、あれこれ検査をされたそうですが、翌日には集落へなんともありません(顔は包帯とマスクでしたが)と挨拶にきました。
春はついついあれこれとやりたくなってしまいますが、火の取り扱いと疲れすぎに注意が必要ですね。
春は深まりゆきます。
あれこれせわしなく過ごしていたりしまして、記事のほうも書かれない日などもありました。
明日から山へ入る予定ですので、帰ってきてから時間を巻き戻して書き記しておこうかと思っております。

ここ数日の自宅付近の山の様子です。
4月28日。ふと気が付けば今年も新緑の季節を迎えました。
4月28日おたてやま

4月30日。
4月30日おたてやま

5月1日。
5月1日おたてやま

5月3日。
5月3日おたてやま
撮影した瞬間の日の当たり具合など違いがあり単純に比較はできませんが、日々、山は彩りを増していきます。

5月5日(5日に追加)。サクラが咲きましたね。
5月5日おたてやま

もうちょっと違った場所でも。
5月1日。
5月1日ぬくみ

5月2日。
5月2日ぬくみ

5月3日。
5月3日ぬくみ
春の新緑のころの一日というのは季節の進み具合が実に大きなものですね。
山笑う、の季節になりつつあります。

5月5日(5日に追加)。こちらもサクラが咲きましたね。
5月5日ぬくみ

明日の朝から、この山へ行ってまいります。
戻りは何事もなければ5日の夕方の予定です。
夕暮れの大朝日

今年もこの季節になりました。
未だ白く輝くいつものお山、今年はどんなふうに出迎えてくれることでしょう。





しばです。
しば

昨年の7月18日のことです。
ぼくの住む町にはその日、たくさんの雨が降り、あちらこちらの山が崩れ、川が溢れ、道路は寸断され、田畑も崩れ、あるいは埋まりました。
その雨は、その日付から、ななてんいちはちの豪雨、と呼ばれるようになりました。

山あいの地域以外ではそれほど被害があったわけでなく、特に田畑を持たない方たちには今はもうすっかり記憶の彼方、というくらいに忘れ去られつつある出来事となりました。

うちの田んぼもあちこち崩れておりました。
当日の午前中、水など流れるはずの無いところに流れ込む雨水です。
一番上

流れ来る水は止めようも無く、どどんと落ちてしまった土手。
一番上に流れ込む水

その場所の現在。最初に載せた木の枝は、しば、まとめて使うと粗朶、というものです。
知り合いがケヤキの剪定をしたものをくれるというので、先週の土曜にもらいに行き、さっそく田んぼの土手を直す作業をしたのです。
復旧1

クリの木で作った杭を、復旧したい土手の形になるように慎重に位置決めをし、打ち込みました。
復旧2

その杭に、いただいたケヤキの枝を編みこむように押し込んでいきます。登山道の手入れで教えてもらった粗朶工法の応用のつもりです。
これだけでかなりの効き目のある感じでしっかりと固定されました。たいへん具合のよい枝をいただいたものです。ありがたや、ありがたや。
復旧3

昼食と花の観察(昨日紹介した春の花の様子ですね)をはさみつつ、午後からも作業を継続しました。作業と言っても、杭を打った後は、スコップで積んではぺたぺた、高低差が出てくると、下のところでバケツに土を入れ、わっしょい持ち上げては積む、の繰り返しです。
復旧4

田んぼはいろんな生きものの住処にもなっておりまして、ひとつ積んではカエルのため、もひとつ積んではトンボのため。毎年、目を楽しませてくれている彼らにはこれからもずっと住まい続けていただきたい。そのためには田んぼが無いと困るわけです。ぼくもごはんを食べられません。
復旧5

太陽が西の山へ隠れたころ。ようやくここまで積みました。
あとは、田植えをするなりした後、積んだ土の治まり具合を見つつ、また作業をしましょう。
復旧6

実は、じいさまは若かりしころにユンボ(ショベルカーですね)の運転手をしておりました。
ほかの場所は、ちいさなユンボ(中古のもらいものがうちに一台、おとなりの家に二台あります)で届く範囲で直す作業をしておりました。
しかし、ちいさな機械ですから、今回直したところや、ほかの場所でも綺麗に直すことができず、じいさまのユンボとぼくの細腕の作業でもって復旧を行っているのでありました。ユンボは力持ちですが、意外とそう簡単には直らないものだなあと実感しました。逆に、手作業でやってやれないことはない、ということも実感いたしました。(実はぼくもユンボの操作をちょこっとくらいは出来ますが、ユンボはぼくには作ることも直すこともできないものなので、あまり頼る気持ちになりません)

ここは、
上の段南

こうなりました。
上の段南
ここにも、今年か来年に杭を打ち、枝を編んで、元のとおりの傾斜に戻したいと思います。

ここは、
下から二枚目

昨年のうちに、このくらいまで直していました。これは完全に手作業でした。
下から二枚目昨年の復旧

それが、こうなりました。まだ、段差が残っておりますね。ここもおっくり(徐々に)手直ししましょう。
下の段下から二枚目

いろんな細かいところが崩れておりました。
ちまちまと直す作業をしていくと、意外に治るものです。
ユンボもすごいですが、手作業もなかなかすごいもんですよ。
山登りで目の前の一歩一歩を歩いていくと、いつのまにか山頂に着くように、目の前のスコップひとすくいひとすくいを続けていくと、いつのまにかね、結構積んでいたりするものです。
中ほどの水口

こんなふうに段差はそんなでもないのに、がばっとずれてしまったところもあります。
一番下

ここはまだ完全には直せなかった(一番奥のところが流水でもって深く掘られてしまいました)ので、下のちいさな田んぼは今年お休みして、夏の間にまたちまちまと積む作業をするのです。
一番下

そんなわけで、今年の田んぼも田おこしし、水を張ればなんとか作付けできるまでの目途がたちました。

ここの田んぼはいつの時代からあるのか?じいさまも知らないくらいに昔からあるようなことです。東北の地に稲作が伝来されたのはいつのことでしょう?
稲作は、今は大きな堰があり水を引いて広い平野部でなされておりますが、伝来当初は、山あいの沢沿いに、沢の水を利用して棚田をこしらえてなされたのではないかと考えられます。大規模に堰を引いて平野部を開墾するまでにかなりの年数を要したことでしょうから。そういうわけで、地形から察するに、うちの田んぼのあたりはかなり昔から田んぼになっていたのではないかと思っております。数キロの範囲内でも縄文のころの遺跡もあるので、数千年前から人も住まいして、稲作の伝来とともに田をこしらえたことでしょう。

今はお米を作ってもあまりお金にならない時代で、人件費を考えれば、田んぼを作るよりも雇われ仕事をしていたほうがずっと効率がよい(金銭的な)のです。今は農家が売るときには60kgのお米が10,000円~15,000円。一年に食べるお米は今は一人当たり多くて3俵(60kg×3)だそうです。数万円で一年間のお米を買えてしまうわけです。大きな企業のサラリーマンなら、一日で米一俵どころでなく稼いでしまいますね。
そんな時代だか、エコノミックだかの背景があるとしても、田んぼが崩れれば直さずにおくわけにはいかない、数百年、崩れては直し、冷夏にあえぎながらも食いつないできた実績と、ここ数十年のころころ変わる経済情勢と、比較考量すればどちらが信用に足るか簡単にわかることです。