しばです。
しば

昨年の7月18日のことです。
ぼくの住む町にはその日、たくさんの雨が降り、あちらこちらの山が崩れ、川が溢れ、道路は寸断され、田畑も崩れ、あるいは埋まりました。
その雨は、その日付から、ななてんいちはちの豪雨、と呼ばれるようになりました。

山あいの地域以外ではそれほど被害があったわけでなく、特に田畑を持たない方たちには今はもうすっかり記憶の彼方、というくらいに忘れ去られつつある出来事となりました。

うちの田んぼもあちこち崩れておりました。
当日の午前中、水など流れるはずの無いところに流れ込む雨水です。
一番上

流れ来る水は止めようも無く、どどんと落ちてしまった土手。
一番上に流れ込む水

その場所の現在。最初に載せた木の枝は、しば、まとめて使うと粗朶、というものです。
知り合いがケヤキの剪定をしたものをくれるというので、先週の土曜にもらいに行き、さっそく田んぼの土手を直す作業をしたのです。
復旧1

クリの木で作った杭を、復旧したい土手の形になるように慎重に位置決めをし、打ち込みました。
復旧2

その杭に、いただいたケヤキの枝を編みこむように押し込んでいきます。登山道の手入れで教えてもらった粗朶工法の応用のつもりです。
これだけでかなりの効き目のある感じでしっかりと固定されました。たいへん具合のよい枝をいただいたものです。ありがたや、ありがたや。
復旧3

昼食と花の観察(昨日紹介した春の花の様子ですね)をはさみつつ、午後からも作業を継続しました。作業と言っても、杭を打った後は、スコップで積んではぺたぺた、高低差が出てくると、下のところでバケツに土を入れ、わっしょい持ち上げては積む、の繰り返しです。
復旧4

田んぼはいろんな生きものの住処にもなっておりまして、ひとつ積んではカエルのため、もひとつ積んではトンボのため。毎年、目を楽しませてくれている彼らにはこれからもずっと住まい続けていただきたい。そのためには田んぼが無いと困るわけです。ぼくもごはんを食べられません。
復旧5

太陽が西の山へ隠れたころ。ようやくここまで積みました。
あとは、田植えをするなりした後、積んだ土の治まり具合を見つつ、また作業をしましょう。
復旧6

実は、じいさまは若かりしころにユンボ(ショベルカーですね)の運転手をしておりました。
ほかの場所は、ちいさなユンボ(中古のもらいものがうちに一台、おとなりの家に二台あります)で届く範囲で直す作業をしておりました。
しかし、ちいさな機械ですから、今回直したところや、ほかの場所でも綺麗に直すことができず、じいさまのユンボとぼくの細腕の作業でもって復旧を行っているのでありました。ユンボは力持ちですが、意外とそう簡単には直らないものだなあと実感しました。逆に、手作業でやってやれないことはない、ということも実感いたしました。(実はぼくもユンボの操作をちょこっとくらいは出来ますが、ユンボはぼくには作ることも直すこともできないものなので、あまり頼る気持ちになりません)

ここは、
上の段南

こうなりました。
上の段南
ここにも、今年か来年に杭を打ち、枝を編んで、元のとおりの傾斜に戻したいと思います。

ここは、
下から二枚目

昨年のうちに、このくらいまで直していました。これは完全に手作業でした。
下から二枚目昨年の復旧

それが、こうなりました。まだ、段差が残っておりますね。ここもおっくり(徐々に)手直ししましょう。
下の段下から二枚目

いろんな細かいところが崩れておりました。
ちまちまと直す作業をしていくと、意外に治るものです。
ユンボもすごいですが、手作業もなかなかすごいもんですよ。
山登りで目の前の一歩一歩を歩いていくと、いつのまにか山頂に着くように、目の前のスコップひとすくいひとすくいを続けていくと、いつのまにかね、結構積んでいたりするものです。
中ほどの水口

こんなふうに段差はそんなでもないのに、がばっとずれてしまったところもあります。
一番下

ここはまだ完全には直せなかった(一番奥のところが流水でもって深く掘られてしまいました)ので、下のちいさな田んぼは今年お休みして、夏の間にまたちまちまと積む作業をするのです。
一番下

そんなわけで、今年の田んぼも田おこしし、水を張ればなんとか作付けできるまでの目途がたちました。

ここの田んぼはいつの時代からあるのか?じいさまも知らないくらいに昔からあるようなことです。東北の地に稲作が伝来されたのはいつのことでしょう?
稲作は、今は大きな堰があり水を引いて広い平野部でなされておりますが、伝来当初は、山あいの沢沿いに、沢の水を利用して棚田をこしらえてなされたのではないかと考えられます。大規模に堰を引いて平野部を開墾するまでにかなりの年数を要したことでしょうから。そういうわけで、地形から察するに、うちの田んぼのあたりはかなり昔から田んぼになっていたのではないかと思っております。数キロの範囲内でも縄文のころの遺跡もあるので、数千年前から人も住まいして、稲作の伝来とともに田をこしらえたことでしょう。

今はお米を作ってもあまりお金にならない時代で、人件費を考えれば、田んぼを作るよりも雇われ仕事をしていたほうがずっと効率がよい(金銭的な)のです。今は農家が売るときには60kgのお米が10,000円~15,000円。一年に食べるお米は今は一人当たり多くて3俵(60kg×3)だそうです。数万円で一年間のお米を買えてしまうわけです。大きな企業のサラリーマンなら、一日で米一俵どころでなく稼いでしまいますね。
そんな時代だか、エコノミックだかの背景があるとしても、田んぼが崩れれば直さずにおくわけにはいかない、数百年、崩れては直し、冷夏にあえぎながらも食いつないできた実績と、ここ数十年のころころ変わる経済情勢と、比較考量すればどちらが信用に足るか簡単にわかることです。