「時には幾かえりも同じ処を眺めている者にのみ神秘を説くのであった。」
と柳田國男さんはおっしゃいました。

南へ二日間出かけている間、気持ちのどこかしらに気になっているのは田んぼのことです。
那須からの帰り道は、もう暗くなっておりましたが田んぼに立ち寄っておりました。ホタルが舞っておりました。

田んぼには、いつもは朝と夕方に一日に二度立ち寄ります。
水の状態やイネの育ち具合、それと周りの草や虫の観察をします。

一昨日に見つけたクルミのから。
山の草とか花とか虫とか-クルミ

割れた状態で落ちており、くっつけてみたのが上の写真です。
ほら、綺麗にぱっかりと割れておりますね。どなたの食べたからでしょう?
クルミを食べる動物はいくつか思い当たります。
リスはクルミのからの合わせ目を食べるのでそこに溝ができます。
ネズミなどは割らずに丸い穴を開けます。
カラスはぼくの知る限りはコンクリなどの硬いところに落としたり、クルマに踏ませたりして割ります。
山の草とか花とか虫とか-ぱかん
・・・傷もないのに、ぱっかり綺麗に割れて中身もからっぽなこのクルミを食べたのはどなたでしょう?謎ですね。ミステリーですね。カラスがぼくの知らない方法で食べたのか?タヌキが上手に割ったのか?
いずれにしても、田んぼの近くにはクルミは生えていないのでどなたかが持って来たに違いないのですが。

ぼくのいない間にも、田んぼの様子はちょっとずつ変わっておりました。
マツモムシの赤ちゃんはちょっとだけ大きくなっていました。
マツモムシは水に住むカメムシの仲間ですが、水面にさかさまにくっつくようにして過ごしています。同じく水に住むカメムシの仲間のアメンボの逆ですね。
山の草とか花とか虫とか-マツモムシの赤ちゃん

田んぼの土手にはウツボグサが咲き始めておりました。
山の草とか花とか虫とか-ウツボグサ

ウキクサのようでウキクサでないイチョウウキゴケ。
山の草とか花とか虫とか-イチョウウキゴケ

田んぼの水は、水を入れないようにして数日経っていましたが、水の残っているところもまだあります。
山の草とか花とか虫とか-田んぼの水

イチョウウキゴケは水にも浮けるし、地面にも生えることができます。
これから秋の稲刈りですっかり水の無くなった田んぼにも大きくなって生えていたりします。
水陸両用のたくましいコケですね。しかしながら、農薬に弱いためにあまり見られなくなったそうです。
山の草とか花とか虫とか-稲の根元にイチョウウキゴケ

田んぼにはちびガエルたちが、ややもするとうっかり踏んでしまうほどに増えていました。
山の草とか花とか虫とか-アマガエルの赤ちゃん

こちらはカエルに成り立てです。
干からびたおたまは見受けられなかったので、みんな上手に水の残るところに移動したのかなとちょっと安心しました。途中で雨もあったようですから助かったのが多かったのでしょう。嬉しいですね。
山の草とか花とか虫とか-かえるなり立て

安心しながら口笛吹きつつ帰る途中、刈り残したヨツバヒヨドリに花のつぼみが出来ていました。ヨツバヒヨドリの花は毎年、チョウの好物のようだと思い眺めておりました。
今年はチョウが少ないのかなという経過の時期もありましたが、このところはヒョウモンチョウなどがずいぶんたくさん田んぼに舞うようになってきました。
山の草とか花とか虫とか-ヨツバヒヨドリの刈り残し

根元がしっかりしてきたイネは、これから葉の色が薄くなり、茎のなかに穂をはらむ時期になります。あと1週か2週か、そのようなところでしょうか。
一日に二度、あるいは三度、まあよく通うもんだね、という具合ですが、こんなふうに植えた人の足音を聞きながらイネは育っていくのですね。
春先からの一気に景色の変わっていく日々に比べれば、夏近くなるこの時期の変化はちいさいようにも感じられますけれどもね、それでも毎日ちょっとずつね、違っているものなんですね。
前日の雨の名残り。
山の草とか花とか虫とか-チゴザサ

見慣れない草もあれば、見慣れた草もあります。
コウゾリナは、陽射しが弱いので開いていませんでした。
山の草とか花とか虫とか-コウゾリナ

これは・・・ハギの仲間のなにか、のようです。
出かけた先での観察は、花が咲いて、実がなって、季節の移ろうそれぞれに眺めることができなのが残念です。
山の草とか花とか虫とか-ハギの仲間のなにか

先生が集合写真を撮ろうというので川原に集う子等。
山の草とか花とか虫とか-先生の後姿

朝ごはんを済まして、次の予定のあるようなないような、ばらばらっとしていて、次になにかしなくっちゃというのが無い空気感。20代のころはそんなふうな雰囲気の時間があったように思います。今は、そうですね。時間がもったいなく過ごしているのですが、その当時のみんなで集まるとまたそんな雰囲気になるものですね。

解散の前に黒磯(今は那須塩原市となっているようです)の商店街に面白いところがあるから行ってみようということになりました。行って見ると街を歩いている方がたくさんあり、古い倉庫や店舗を改装したのかなという感じの同じテイストのお店がいくつもばらばらっと作られていました。
山の草とか花とか虫とか-黒磯1

これは骨董品というか、ちょっと古い感じのものをリメイクしたり、古い金具や、そういった雰囲気にあう陶器やあれこれとした雑貨を置いていました。
山の草とか花とか虫とか-黒磯2

ちょっと進むと、お茶などを置いていたり、てぬぐいの移動販売車があったり、その向かいにはなんだかよくわかりませんが行列があります。
山の草とか花とか虫とか-黒磯3

商店街自体は、ちょっと郊外の寂しくなりつつある雰囲気なのですが、そういったところの空いてしまったところを使ってお店をしているような感じでした。ちょっとね、センスというか雰囲気造りが上手なのでしょうね。
山の草とか花とか虫とか-黒磯4

こんなふうなのがぽつんと残してあったり。
山の草とか花とか虫とか-黒磯5

駐車場?のような感じのところに、新旧あれこれの家具などが並んでいました。
小学校の下足入れみたいなものや、メッキにちょっとさびがついたイス、使い道のよくわからないインテリア、ほんとに古いちいさなたんすなどもありました。
様子を見ていると、どうやらこれに希望の値札をつけてオークションのようにしているようです。並んだものがどこにでもありそうだけれどなんとなく欲しくなるような雰囲気になっており、お客さんもちょこっとおしゃれな感じの方が多く見受けられました。
それを眺める先生。
「う~ん、これはなんだろうな。どういったわけだろうな」と言って興味深そうでした。
山の草とか花とか虫とか-なにか眺める先生

友人は、こういったスタイルというかなんというのか、どんなふうに呼んでよいのだろうね。なんてことを悩んでおりました。
例えば、金属なら真鍮や錫など手作業の見えるようなもの、メッキやペンキがちょこっとはがれたようなもの、布ならリネンや洗いざらし、生成り、ごわごわっとしたような、食べものならば、有機野菜だとかハーブだとかそういったものでしょうか。ナチュラルでシンプルだけどすきっとしすぎていない、懐かしさを感じる普段使いの、という感じでしょうか。そういったのをこだわりがあるような、でもそうも感じさせないレイアウト、見せ方。キーワードはずるずる出てくるのですが・・・。
口の悪い友人などは「こういったのは宗教みたいなかんじだなあ」なんて言っておりましたけれど。(その本人もそんな感じの服装をしていたりします)
山の草とか花とか虫とか-黒磯6

商店街に並ぶお店は、お世辞にもたくさんのお客さんというわけでないものの、このスタイルになっているところにはたくさんのお客さんが来ておりました。
こんな感じのお店が、ぽつんぽつんと次々にあるものだからついつい歩いてみたくなりますね。
地方の商店街はもうだめだ、というようなことをあちこちで聞きますし、実際に客足も遠のいているのですが、やり方次第ではたいへんに面白いし集客力もあるのだなあと眺めてきました。
センスと見せ方なのでしょうね。(一方で、ぼくは商店街のお店は、その地元の方が訪れてこそ商店街というような気持ちもあります。遠くからの観光客で賑わうのと、普段の買い物先というのとはまたちょっとね、違うんだと思うんです。)
山の草とか花とか虫とか-駅

昼をちょっと過ぎたころ。懐かしい時間もそろそろおしまいです。
駅近くで解散し、それぞれの帰途へつきました。
コテージの前にはいくつも木が生えていました。
カシワの大きな立派な葉。
山の草とか花とか虫とか-カシワ

クリの葉も大きいです。
山の草とか花とか虫とか-クリの葉

夕食は焼肉でした。
普段はあまり肉を食べませんが、あればあったで美味しくいただきます。
それでもちょっと数枚くらいで充分なんですが、並んでいるとついつい食べ過ぎてしまいます。(肉をたくさん食べると翌日に体が重く体調がよろしくなくなるんです)
山の草とか花とか虫とか-焼肉

先生を囲んで先生のおはなしを聞いたりしてすごしておりました。
先生のおはなしを一つ。

先生は美術の大学に進まれたそうです。
進学前には元々絵の上手なこともあって授業も順調に行くんだろうとたかをくくっていたそうです。大学に入られてから最初の授業で、課題として動物園で鳥の絵を描く課題があり、先生はクジャクを火の鳥のように描いたそうです。(想像するに見事な絵であったことでしょう)
当時の美術の大学というのはたいへんに厳しいところだそうで、課題で提出された絵をずらっと並べ、担当の教授は助手を引き連れて歩き、「うむ」「これはよい」というようなことだけ絵の前で言いながら歩くようなものであったそうです。
先生の絵の前に来たときに、その担当の教授は汚らしいものを見るような目でちらりと一瞥しそのまま通り過ぎたとか。
その品評のなかでもっとも評価のあったのは、ウズラを描いたもので指で絵の具をトントンと押すように描いたものであったようなことです。
先生のおっしゃるには「おれの描いた絵は上っ面だけのもので、鳥の本質は見えていなかった」というようなことです。以来何度も挫折があり、今でもおれはにせものなんだ、というようにおっしゃっておりました。
(このはなしを聞いたのは4度か5度目くらいでしょうか。大事なことだから繰り返しおっしゃるのです)

そんなふうにして時間は過ぎていきました。
立派なコナラの木が二本並んでいました。
山の草とか花とか虫とか-コナラ

翌朝の川。
テトラポッドが転がっているのがちょっと残念ですが、住むならこういうところが良いですね。
山の草とか花とか虫とか-川

コテージの横には道が奥に続いています。
山の草とか花とか虫とか-道

先生は早起きされて、その道の奥に散歩に出られました。
先生のあれこれおはなしされるのは、たいへんに示唆に富んでおります。
汲みせど尽きぬ想像力の泉、というような具合でありましょうか。
山の草とか花とか虫とか-先生
汲みせど尽きぬ泉は、先生が持っているのではありません。
師弟、師匠と弟子、その関係性の中にあるのでしょう。
例えば、北海道に昔々いらっしゃった方に、クラーク博士という方があります。
「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」というような有名な言葉を残されて、この言葉今でもたくさんの方が勇気付けられていることでしょうけれど、その当時にこの言葉を聞いた方の残した文にはいろんな解釈があるようです。ある方は、このあとにも言葉が続いていて講義の一部のようなものであるというようなことですし、ある方は、「まあ、きみたち元気でやりなさい」くらいの挨拶だ、というようなこともあるようです。
師の教えというのはありがたいもので、同じことを言っても、弟子ごとにあれこれ解釈しそれぞれに「なるほどそうか」と思うようなものですね。
どなたかを師と仰ぐ者には、師の一挙手一投足、一言一言が「きっと深い意味のあることに違いない」というように思われ、実に学びをもたらすものであるのでしょう。

先生は散歩に行かれて、ぼくはコテージの周りの草たちをあれこれ観察していたのでしたが、先生が帰ってこられて、
「ロッキーチャックくん、この道の先の行き止まりまで行ってごらん」
というので、行ってみることにしました。
途中にあったオカトラノオ。
山の草とか花とか虫とか-オカトラノオ

サンショウ。
葉をちいさくつまんでみると山椒の香りがしました。
山の草とか花とか虫とか-サンショウ

タケニグサの茂みがあり、前の日の雨が付いていました。
山の草とか花とか虫とか-タケニグサに雨粒

クリの木には、もわっと甘い香りのする雄花が咲いていて、枝先の雄花の穂の根元にはちいさな雌花がありました。クリのイガの赤ちゃんですね。
山の草とか花とか虫とか-クリの赤ちゃん

道端には見慣れないササがたくさん生えていました。
以前に関東に来た際にもよく見かけたササです。
これはアズマネザサというものでしょうか?葉はちいさく背丈はさほどでないものの林床を埋めるように茂っているとこも多く見受けられました。
山の草とか花とか虫とか-ササ

道を行くと、流速の早い堰があり、その水辺に見慣れない草があり花が咲いておりました。
う~ん、これはなんだろう?
山の草とか花とか虫とか-水辺の見慣れない草

紫色のちいさな花が穂のようについておりました。
葉にはちょっと芳香があり、茎の様子などからもシソ科の草のなにかであるなと思いました。
(帰って調べてみると、ナツノタムラソウという草のようでした)
山の草とか花とか虫とか-ナツノタムラソウ

この先にもずんずん進んでいくとやがて川原に出て、そこには砂防堰堤がありました。
砂防堰堤はブロックを並べたような構造になっており、その隙間から川が流れていました。
河畔にはヤナギやハンノキやヤシャブシなどが茂っており、川の対岸には崖の崩れたようなところがあり地質を見られる露頭となっていました。
先生の「行ってみてごらん」というのはなにを見せたかったのでしょう?植生でしょうか?地質でしょうか?川の流れをコントロールしたいという人の営みであったでしょうか?