小中学校での9年は



疎開で田舎の学校であった。



その時の約250名の同級生の顔と名前は全部



頭に入っている。



しかし18歳で東京に戻ったので



あまり交流が無い、



高校時代の友人は300人中



100人は顔と名前がわからないが交流人数は



一番多いし親密度も高く、



今でも俺、お前で付き合っている。



大学時代の友は5人で仲良く旅行したりしていたが、



卒業と同時に離れてしまい接触が無くなったしまった。



2人は50歳代で亡くなってしまい、



あと二人は横浜と名古屋だが



現代の交通で会えないことはないのだが



ものぐさなのである。



以後出かけて会うように心がける。



知り合った年代により交流の仕方が違うのはどうしてか?



でも会えばその時代の感覚になりきって話せるのも



友人である、大事に付き合いたい。



積極的に。



6歳から18歳まで



群馬県安中市で育った自分は



寒さにはかなり強い、という自信があった。



毎朝バケツの水は5センチの氷となっていて



投げても割れないくらいであった。



霜は真っ白で靴が埋まるほどであった。



家の暖房は炬燵のみで



オーバーコートなどはなく



身をすくめて学校に通ったものだ。



上州の空っ風が吹き荒れる日は



土埃で50メートル先はみえない、



校舎に入るときには肩や頭に付着した



土を払ってからでないと入れない。



こういった環境でも



皆平然として生活していたのである。



丈夫であった。



東京に帰ってきたときは暖かさに驚いたものだが



慣れてしまうと体も順応してしまったが寒さには



強いほうで今でも変わらない。



今年は例年より寒気が強く朝はかなり寒いが、



特別な感じはない。



毎朝子供のころを思い出して、



あのころを思えばなんでもない、



暖房も着るものもあるのだから、



辛い経験は今になって役立っている。



今環境のために暖房を抑える努力が言われているが



少しの厚着で簡単に実行できるのは幼少時のお陰だ。



我々零細企業でも経済の



動向には常に関心を持つ。



日本経済の行方で自社の



経営に即刻影響するからだ。



経団連のような大きな団体は



雲の上の存在だが注視



を怠ってはならない、



現御手洗会長は私と大学同期なので



何かにつけて応援したい気持ちが特にあった。



個人的な交流は全くないが



同志的な感覚である。



経済界の総理といわれる



重職を粛々とこなされた



下向きな行動力は



見習わなければいけない。



年齢からしても体調管理、研鑽習得、等の



苦労が人知れず多かったことでしょう、



お疲れ様でした。



五月の最後まで体に注意されて全うされたい。



真剣な経済運営を手本にして小企業の自分も



頑張る気持ちでいっぱいである。