倉庫会社に入社して



米、麦、大豆、苞米(モロコシ)



マッぺ(モヤシの種)など穀物の輸入品、



内地米などを扱う営業所に配置になり、



温度管理、湿度管理、害虫予防、薫醸(消毒)、



貨車扱い、艀扱い、等



基本を一年間しっかり学んだ、



全て実践だから体で覚える。



米保管の農林省の検査のときは



震えが止まらないほど緊張したものだ。



税関の数量検査の立ち会いも毎回緊張した。



先輩たちは後ろで見ているだけで全て任された。



来年は自分たちが後ろに



立つようにならねばならない。



緊張と集中の一年間で有ったが急成長した



社会人生活であり、



今の自分の大きな基盤であった。

昭和36年晴れの


一部上場の倉庫会社の入社式。


服装は学生服である、


ギリギリで卒業して背広


などはとても買ってもらえない、


殆んどの者が同じだから恥ずかしくはない、


そうした時代だからしばらくそれで通勤した。


三ヶ月後くらいにようやく最低のスーツを作った。


当時は既製服などは無くて注文である、


会社に洋服屋が来て寸法を取り


月賦での購入だ。


靴も既製品が売っておらず注文であった、


雨の日は長靴での通勤がごく普通であった。


想えば質素で合理的でもある、


良い時代であった。


自分は横浜支店勤務だったので混んだ電車の


思いは無い、


大森から桜木町は大勢と逆だから。


ぼろは着てても心は錦、


で晴れ晴れと現場作業


の職場に毎日7時半には出勤していた。


懐かしいと同時に誇らしく思っている。

昭和32年から36年までの


4年間の貧困生活。


ようやく敗戦からの復興が


一段落という時期だ、


我が家の商売(鉄工所)も


細々と再建して家族中で


休日もなく働いた、


自分も一緒に手伝った。


毎日おにぎりを持って通学した、


無いときは学食で25円のらーめんをすすった。


学生運動がさかんな時


で有ったがそれどころではなかった。


4年の就職時は大変であったが


今年よりは良かったと思う。


泥臭い商売が似合っているのと


安定感がある倉庫会社に就職して


物流マンの一歩が始まった、


それから40年一筋に邁進して


小さな自分の会社が持てた、


それから10年理想を追って前進中である。


夢は一応実現出来た。