*メモ*


昨日、体重をかける位置が外側すぎると気付いた。

足裏を、指先から踵へ縦に切ったとして、その外側(小指側)踵に、体重が乗っている、と感じた。

まるで、みぞおちから脚にかけて、べちゃっと二等辺三角形を形づくっているように。

これでは、いくら踵重心を心がけても、外側に体重が乗っていることには変わりない。

もっと内側に、乗りたいと思った。
ここ(踵の少し前、土ふまずの部分)に乗せたら、気持ちいいのではないか?と。
もっとすっきりと脚を使えるのではないか?と。


今朝、今までとおり起きて、体重を乗せる位置に、違和感が強かった。

ここじゃない、ここじゃない、どこだ?どこに乗せるとこ違和感はなくなる?

思い切って、土ふまずに乗せてみる。

そうすると、ひざを曲げないで歩くことができた。
また、べちゃっと外側に広がるような気持ち悪さもない。

「ここかもしれない!」

と思った。

しかし、歩いているうちに、脚の外側が張ってきたので、まだ体重を乗せるまではいってないのかもしれない。
土ふまずに体重を感じながら歩いている感じ。
土ふまずなので、地面に触る感覚はないはずだけれど、触っているように歩く。

すっきり歩くためには、踵重心を心がける以外にも、上体を上に引き上げることだったり、反り腰にしないことだったり、工夫するところはあるけれど、とりあえずよい変化がありました。





「朝顔市」と書いたけれど、この催しの名称は「市」ではなく「まつり」でした^ ^


朝顔まつりを知ったきっかけは、駅のホームでみかけたこのポスター。


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「江戸時代に始まった国内最大級の朝顔市。約120軒の業者が威勢のよい掛け声とともに朝顔を販売します。下町風情を存分に感じられるお祭りは、早朝5時からスタートです。」

・国内最大級の朝顔市
・下町風情を存分に感じられる
・早朝5時からスタート

の3点にひかれ、
「行ってみたい!」
と思ったのでした。

私にとっては、「朝顔」と「市(場)」と「最大級」が結びつくのが新鮮に感じられたのと(だって、朝顔ってそんなにほいほいと買うものではないと思うからです)、谷中などの台東区の雰囲気が好きなのと、早朝に出掛けたかったからです。

早朝に出掛けたいといいつつ実際は寝過ごして、最終日の今日、なんとか20分は滞在できる時間に、到着したのでした。

地上にでとると、一方の道には屋台が、反対側には青いビニールシートの簡易屋根が見えます。

浮足立って横断歩道を渡り朝顔市へ足を踏み入れると、屋根のおかげで涼しく陰っている道にたくさんの朝顔の鉢が並び、その間にそろいの法被を来た売り子さんいて「いいのありますよ~」と声をかけ、反対側にクロネコヤマトのお兄さんたちが待機している、という、不思議な光景がありました。


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続く。



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今朝は、入谷の朝顔市に立ち寄りました。

滞在時間は20分ほどでしたが、楽しかったです(o^^o)

詳しくは後ほど。

最近、心優しいお兄様お姉様がたが、歌を歌えない私に歌の練習会を開いて下さいました。

お披露目会⁇とリハーサルに向けて、自主練をしているのですが、段々と、「歌う用の声」がでるようになってきたと感じます。


あくまで当社比ですけれど。

「歌うの用の声」というのは、地声とは違い、曲の一部として聞こえるような声のことを指しています。

曲調に合わせた声といいましょうか。

ロックにはロックの。
バラードにはバラードの。
アニソンにはアニソンの。

最初は、音程通りに歌うことを意識していたので、そんなことは気にしていませんでしたが、歌手になりきることを考え元曲をきいている内に、「素のままの声ではこの曲にならない!」と思い、声も工夫して練習しました。

そうしたら、少し、歌う用の声に近づけました。


当社比ですけれど。


^ ^



(余談ですが、ウエイトトレーニングと歌の練習って、気をつけるところが似ている!というのが最近の面白い発見でした。)

自分が恵まれていることを思うと、本当はこんなこと言いたくないのだ
けれど、私は今、とても辛いです。

でも、辛い、と思うけれど、ここで投げ出さないで、このままもう少し(例えば勉強なりなんなりを)続けたら、絶対辛くなくなって、続けてよかったと思うようになるから、投げ出したりはしない。
(理屈ではなく、感覚でそう思う。)


◎でもこのままでは行動がままならないので、何が辛いのか少し考えてみる。

何故なら多分、
・食べ過ぎ、身体を動かしていなくて身体が重いから(本当はこんなこと(食べたり動かなかったり)していたくないのにしている、という、自分がままならないような辛さ。まるで木偶の坊になったみたい)
・試験までに実力が付けられるのかという不安から勉強するが思うより勉強に集中できていず、より焦るから
・人からの評価を常に気にしているから

例えると、幻想の敵に立ち向かって、勝てない勝てないと泣いているような辛さ。
頑張ってるのに何故、と。
また、習慣の変化に身体がついていってなくて(体力がなくて)辛い。


◎しかし、この辛さは、よく考えてみると、「自分が自分の理想通りにならない」と地団駄を踏むような辛さでもあるのかも知れない。

自分の行動を振り返ってみよう。
「理想の自分になる努力を何十時間した?」という言葉が頭をよぎる。
まだまだ全然、していない。

・食べてばかりで必要以上に動かなかったら、身体が重くなってくる(だるくなる)というのは当然のことだ。

何故なら、身体は食べた分を消化するのにエネルギーを割こうとするし、動かないでいると心拍数が上がらないので、血流が早くならず、新しい栄養や酸素を運ぶ血が身体の隅々に行き渡らなかったり。
(ん?でも本当にそうか^^;?
これはあくまでも想像)

・勉強ができるのか不安、と思っていては、自分で「勉強ができない自分」をつくることになるのではないか。


(中断)


◎時間がもったいないので強引にまとめると、つまり今の辛さは「理想の自分になれない、何でー‼︎」という、思い通りにならないことに苛立つ辛さで、でも自分の行動を振り返ると、目指すところとしている行動が噛み合っていないから、そりゃ中々求めるところにたどり着けないわね、と思ったいう話。

身体を動かしたかったら動かせばいい。
勉強に集中したかったら、集中すればいい。
問題が解けるようになるまで、出来ることをやりきっていないではないか。
・1回聞いただけでわからなければ、2回でも3回でも聞く。
・人に聞ける環境にいるのに、質問していない(それでは自ら手脚をしばっているようなものではないか^^;)

私は、私がかしこいということを知っているし。
(いい加減、「頭が悪い」と思っているのはやめよう)
また、勉強して、試験に受かるのは何のため?それが理解出来るようになった自分はどんな姿?も念頭に。


◎以上のように、ざっと考えて泣いたら、このときhttp://s.ameblo.jp/logic-tree-cafe/entry-11847763817.htmlのように(リンクの挿入が出来ない(;_;))かなり落ち着いたので、寝ます。
「辛い」とか「何でー‼︎」という感情が、なりを潜めた感じ。

思うより先にやる⁇