あお色のたね、きん色のみ

あお色のたね、きん色のみ

A Blue Seed and a Golden Fruit
Subtle, Slight, Trivial Happiness of My Sweet Days
自分を受け入れる。自分を楽しむ。自分をゆるす。自分を愛するの日々。

昨日の朝、瀬戸内寂聴のクォートに

ばったり遭遇した


「縁のない人にはどれほど言葉を

尽くしても伝わらない。

合う人はあなたを癒し、

合わない人はあなたを消耗させる。

……

出会ったすべてに感謝し

去るものは静かに見送り

前を向いて歩いて行く」


この頃に起こったことを表しているが

それは私のことではなくて

私の向かい側にいた人のことだ


私に出会ったことを

感謝なんてできないと思うけど

それでも、

その「測り」の部分を示す

寂聴さんの言葉の中の真実に

気づいて欲しいと思う


私が「伝わらないんだから」と

考えている、と思われているんだろうが

私は私の言いたいことを言う


伝わっていないな、と思う時には

厳しい言葉で言うこともある


でも、その人が、自分が消耗すると、

と思うなら、それは合わないってことだ


静かかどうかは別として

去ってくれていい、と思う


多くの人は感謝せずに

私ではなく周囲に文句を述べて

去って行くし

なんならなんだかビックディールにして

私に人間性を否定する言葉を置いて

去って行く人もいる


どちらでもいい

去って行く人を引き止めることはない

多くの場合、心の中で良かった過去

思い起こしてその部分には

感謝したりする


その結果、

長年生きて来たのもあって

どんな関係性にも「絶対」なんてない

それを知っている


私は何もしない人が嫌だ

「嫌い」ではなく

純粋にその人たちが持っている

素晴らしい才能を磨いたり、

使ったり、自分のために、

そしてそれはいくらか社会のためになるから

使えばいいのにな、と思うからだ


だが、何もせずに来た人がとは

私が合わなくなっているのだと思う


ある人はそこに留まっている

機会がなくてそういう人もいる

でも、時間は流れて

周囲は動いている


そのギャップが人との縁を

無くしてしまうのかもしれない


多くの人は過去と未来にとらわれて

今を生きていないと言われている


私はその言葉を読んだ時

「これって私だ!」と思った


でも、同じ言葉を読んでも

同じように思う人ばかりではない

「そうなんだ」と通り過ぎる人もいる


多くの人が

過去に囚われすぎていて

自分がやって来たこと

自分が選択したことを

今を見つめて活かせていない、

らしい


私もその一人だ


だが、そこから抜け出そうと

頑張っているのよ


私のいう言葉は

過去に囚われている人には

うるさい早鐘のようだ

癒しではない

単にその人を消耗させる

何を言ってるのかも

きちんと通じていないかもしれない

通じているけど

過去の後悔から

抜け出るものでもないかもしれない


私は批判はしたくない

その人が理解できる時には

理解ができるだろうし


もとより、自分が正しいわけでない

人の人生に踏み込みすぎだ


だからこそ、寂聴さんのお言葉が

身に染み入るのよ


感謝なんてしようにもできない私の愚行、

黙って去ってくれて良いのだ


でないと、疲れすぎるでしょうから



今週は、日曜日の晩から

嫌になるくらい仕事が詰まっていた


先月から静かだったのが

今月に入って突然依頼が殺到

もとより国際規格関連の翻訳も

入っているので

パンパンを上回るパンパンッ!に


割とボリューム高めな依頼ばかりで

9ページの文章、

45ページの文書、

それを今週中でと依頼があった


私は翻訳もするけど

設計が自ら作った英語の文章の

プルーフリードもする


だが、プルーフリードの方が

苦手であったりする


英語読んだだけでは分からなくて

結局日本語も読み下すことになり、

修正するだけのはずが

翻訳し直すことのほうが

多かったりするからだ


今回の45ページはブルーフリード、

ハードウェア系の仕様書だったけど

割と上手に英訳していて

私も知らなかったことを習って

しんどかったけれどためにもなった


だが、日本語がいけてない

文書として成り立っていない

文書にはそれぞれにスタイルがあって

日本語でも英語でもそれに倣う必要がある


英語よりそっちに問題があった


だから、英語も定まらない


で、なんでか知らんけど

私がこここうしなければダメだよ、

ここにこの一文を入れたら?

などなど

結局30ページほど書き直しになった


辛いのは顧客との約束があるので

締切を延期できないことだ


だが、その間に9ページを訳す


それはそこまで急いでいない

頭の中で時間配分が出来上がってる

半分くらいまで訳して

そろそろ書き直しが戻ってくるかな、


と思った火曜日の夜、

10ページの翻訳依頼が…

しかも、締切は木曜日

実質、1日で仕上げるのだ


技術者にはオッケー出して

明日の朝、なるだけ早くに資料を

入稿してね、と言い置いて項垂れてると


書き直しが入ってきた


時々、こういうびっくりが起こる


項垂れながらも頭の中で

その10ページを捩じ込みながら

急いで予定を立て直す


で.その日のうちに9ページを訳して

「多分木曜日になる」と

言ってあった依頼者にファイルを返した


翌朝、7時45分に入稿された10ページ、

ああ、かわいそうに、

この子はきっと徹夜したな…

私も激務だけど

この子もなんだな、って


で、猛烈なスピードで訳して

その日のうちにファイルを返却

1日余裕をあげた


予想した通り、

追加の翻訳がいくらか来た


急いで書かれた文書は

時に書き漏れなどがあるからね


で、水木金で書き直し分の

プルーフリードをば


そして、きちんと本日16時に脱稿


やるやーん、私

って、抜け殻みたいになりながら

思ったりしたりしたんだ


笑える


このスケジュール管理能力は

大学時代に培われた


ほんと、大学のあの大変さがあってこそ!

あれより物事の重なることなんて

滅多に、てか、全く日常ではないから


だから、仕事でこんなになっても

あれに比べれば…と

思えてしまうのだ


そして、心の内側に

「私ならできる!」という

根拠なき自信が満ち溢れているのだ


あ、

スケジュールのハンドリングだけね


自分の物知り加減は全く

信頼していないけどね

ズッコケも多いしね


60歳ですけど

若い人たちと一緒に仕事ができること、

そんな仕事があること、

そして、少しずつ繋がりもできて

依頼のあることは、幸せなことだ


テスターの人たちとも

繋がりができて

今日も「年末ばっちり働く?」と

お伺いがあったわ

「ちょっと来週依頼が増えそう!」って


「働くよー」と返事したら

ハートマークで返してくれて

楽しい時代だと思った


信頼を裏切らないように

これからも若い人たちの叡智から学び

そして私の技術も向上させよう


って、今は思ってます


夏までめっちゃ忙しい


そして、来年のスケジュールも

埋まりつつある

ありがたいことでございます







Threadsの人たちは

多くの場合、女性の味方であったりする


浮気や不倫する旦那やパートナーを

抱えた人たちに対する励ましや

別れを決意する際の背中の押し方など

ものすごいパワーを感じる


だが、

ひとたび自分と違う意見に遭遇すると

ものすごい勢いで攻撃が始まる


ある日は、若いお父さんが

奥さん一筋のはずだったのが

双子のお子さんに恵まれて

「毎日の浮気を我慢できない」と

その幸福な生活ぶりを面白おかしく

載っけてられた


気を衒っての文面は

最後まで読まないと

ちょっとモヤっとしたが

最後まで読むと笑って

自分の楽しかった子育て時代を

思い出した


その幸福な「浮気」の時間は

渦中にいるとうっかり忘れるほど

あっという間に終わってしまう


だからこそ微笑ましいと思ったが、

多くの人たちは

「気持ち悪い」とボッコボコに

罵倒してしまうのだった


笑いのツボは人それぞれだが

そこまで言うことはないだろう、

どんな結末でも嫌悪感を感じるなら

そこから立ち去ればいいだろうに


私なんかは、大阪府知事の吉村さんと

維新の会を褒めたら

「大阪の何を分かってます?」と

ものすごい剣幕でコメントされた


昔からの読者の方には明るいことだが

私は黙ってスルーしたりなんかしない、

ので、その多少勉強不足な私と同年齢と

思しき女性には

都構想と副都心構想の相違について、など

きちんと教えて差しあげた


そうなの、

私っていい人では絶対にないの


そして、今朝、

映画「国宝」のことを

「血筋と才能が全てで

あとはクズ」みたいな感想を見て

それはそこ、その人の感想なので

そっとしておき、

自分のアカウントで

「そういうのを見かけた、

あれを観てそういうことだけしか

感じられないのは残念だな、

表面だけを撫でるようで残念だな」と

呟いたら


「そういう意見を表面撫でるようで

残念というあなたが残念」と来た


が、不思議に思ったのは

「私はそう思う」とは言わないのね

「いろんな人の感想を見て思う」と

付け加えてあるわけ


私の投稿には、

「まぁ、人それぞれだから、感想なんて」

と、つけているわけで

そもそも一応、曲がりなりにも

文学に関わることに関して

クリティカルに読む、観るの教育を

割と高等な場所で訓練されている自分は

単なる娯楽で映画や本を読めないことも多い


良い作品になればなるほど

どうしてこうも人を引き込むのか?

何がポイントでこうも跳ねるのか?

との観点で見ることも多いし、

国宝に至っては

血筋、才能、そしてそれへの鍛錬、

ないものへの羨望と

たとえ悪魔に心を売ってでもという執着、

そして、年月を経ることによって

柔らかくなってゆく人間性など

考えさせられることの多い作品だったと思う


だが、なんでもそうだが、

万人にうけるものはそう多くない。

「国宝」がいい、という人の中には

吉沢さんがよかった、

流星さんが素敵だったとか、

全てに渡って絢爛豪華だったとか、

一幕演じる両俳優さんがすごいだとか

そういったことに終始して

終わるかもしれない


私とて、文化的には国内的視線のみで

鑑賞し、外側から見ているか?

と言われれば、それには至らず

本当の意味で搾り取るように

鑑賞しているとは言い難い


とは言え、

「私はこのように思う」と

私の発言に責任を持つことは

可能だろう


今日の人も先の女性も

「他の人が言っている」と

自分の発言ではない、

本当にいたかどうかさえ分からない

マジョリティを味方につけたような

そんな物言いをする


「ほら、みんなこう言ってる、

だからあなたは間違っている」とでも

言いたげな議論をふっかけてくるのだが

読解力もなければ

想像力もなく、

その上、自分というものが丸見えなのに

群衆の中に紛れているような、

そんな歯切れの悪いものの書き方、


あまりにも稚拙で

もしいい年の大人であれば

知性、教養が足りていない、と、

日本教育の悪さを呪いたくなった


最後に

「だからあなたが合わなかったでしょう?

それはそれでいいんじゃないですか?

もとより万人に私の感想を

押し付ける気もないんですよ」と書いたら

すっかり形を潜めてしまった。


この「無責任」さよ。

「私」の思っていることを

「私はこう思う」と言えない稚拙さよ

そして、自分の意見さえ

他人の言動に見せかけて

安全だと思っている


まぁ、ずるい人だよな、

根本的に

と、ばっさり思ってしもうた


つまんない


自分が、私が言うところの

「表面を撫でるような感想」しか

持っていなくて

私の投稿をたまたま見て

自分が非難されたように感じたのだろうて


群衆に身を隠して生きているのに

すぐに自分のことのように捉えて

リアクションしてしまう

群衆という蓑を被ってからに、やでぇ


そういう人が多いな、とつくづく思う


とりあえず、Threadsを流し読みすると

人の数だけ正義があって

自分と同じように猫を慈しむ人も

たくさんいるのだと

世の中の混沌さを感じる


とりあえず、私にものいう人には

私ったらちっとも

いい人なんかじゃないんだから、

しらないからね、って思ってる


そんなに頭、悪くないから

割としっかりしてる方だから


ほんと、うんざりよ

てめぇのことなんだろ?

てめぇを主語にしな、

と思ってる、今日この頃 真顔