あお色のたね、きん色のみ

あお色のたね、きん色のみ

A Blue Seed and a Golden Fruit
Subtle, Slight, Trivial Happiness of My Sweet Days
自分を受け入れる。自分を楽しむ。自分をゆるす。自分を愛するの日々。

この間の月曜日、

私史上大変なことを経験した。

 

それは、

 

通訳者デビュー!

 

そんなさぁ、

Berkeleyに行って

Oxfordも出て

当たり前じゃんー、と

経歴だけを見れば

皆さんそう思うだろう。

 

だが、

私の英語は大したことないのだ。

 

多くの海外留学者は

若いうちに身ひとつ、

自分のことのみ考えて

経験するものなのかもしれない。

 

しかしながら

私の場合はたまたま米国に住んでいた

ラッキーラッキー。

離婚したが上に教育必要!と思い

割と短絡的に学業を始めてしまった。

英語の知識は高校と

ユタに住んでいる間に行った

ESLで習ったことで完了していた。

そこから語彙を増やす努力もなく、

年齢的にも現地人の友人を、

特にカリフォルニアに行ってからは、

作るのも難しく、

それよりも家庭生活、

子供たちの日本語維持、、、とは

聞こえがいい、、、

とりあえず、自分の楽な方向性に

流れるにまかせている身からの

学業だった。

 

故に、論理的、理論的に展開されることには

強いが、感覚的、経験的なことに

左右されることには滅法弱かった。

それでも言われるまま、

勧められるままにビッグネームな

大学に進学したのは、

 

良かったのかな?

見栄?

なんだろう?

でも、楽しかったけどさ。

 

が、

 

まぁ、結果的にその後も

努力はずっと続けて行くことになった。

それゆえに恥ずかしい思いもした。

USJで働いた時には

英語ばかりで日本語がダメ、と

その大学のBIG NAMEゆえに

あれれ、

反対の評価を受けることもあった。

うっそぉ〜、と思ったわね。

 

それなのに、

根が堕落的かつ怠惰なので

つい油断して

その努力も途中途切れてしまうのだが、

それでもなんとかかんとか

のらりくらり進んできた。

 

Berkeley時代に

一番お世話になった教授が

「CHIEKOはどんなに上が硬くても

幾らかの隙間を見つけて

上がって行く人だ」と

私を評して言ったことがある。

(そんな彼は私のことが

おそらく、大嫌いだったと思う。

時々、「ダークだ」と言ったのは

そういうことだったと思う。笑)

 

実際、そういう執念深いところがある。

諦めては、また立ち返る。

その連続だったように思う。

 

そんな人生で、最大の学びは

自分を応援してくれるのは

自分自身のみ、という事実だ。

 

残念ながら

生まれも、育ちも必ず

成人してからの人生に

大きな影響を及ぼす。

だが、起死回生の一撃を

放てるのも自分だけなのだ。

 

そして、

私はグダグダながら

通訳者としての第一歩を踏み出した。

いつも見切り発車だ。

その実力もなく、

そのことを誰よりもよく知っているのに

私は揚々と船を漕ぎ出させてしまう。

 

チャンスの女神は前髪しかない。

触れておかないと

その後は触ることさえできない。

BerkeleyもOxfordも

触れておいたので

ちまちまと努力を続けてこられた。

そんな気さえする。

 

なので、

今回も通訳の依頼があった時

断る理由はたくさんあったけれど、

弱い心を振り切って

やってみることにした。

怖かったわ〜。

 

でも、東側のCal Englishとは

比較ならないほど早い英語も

聞き取ることができた。

(まぁ、TOEIC900点超えなら普通です)

また、担当者が言って欲しいことも

伝えることができた。

なんとかなった。

死ぬことはない。←いつもこれ

 

担当者はほんのりがっかりする私に

「カッコよかったよー」と

言ってくれた。

 

なもんで、6月17日は通訳者デビュー記念日。

ものごっつ立ち上がるのが早い。

 

 

これからも諦めずに精進します。

 

 

 

 

Treasureがカムバックした。


突然お知らせがあった時には

そのタイトルに愕然とした。


KING KONG


ほんま、事務所は売る気あるんかいっ!?

と、腹立たしい気持ちだった。


だが、カムパックしてみると

いやぁー、デビュー以来の詰まりが流れたわ。

そんくらいに良かったのだ。


毎日何回も聞いてます。

再生回数も10万回1日で超えたし、

本日からバンバン音楽番組出るし、

もっと伸びるだろう。


てな訳で、

ちゃんとLINEのプロフ写真を

更新しておいた。


会社の人とLINEの交換をすると

必ず皆引くが、今回のはもっと引くだろう。

それどころか、「あ!更新されてる!」と

楽しみにしてくれてるかもしれない。

なにせ、Treasureの事務社は滅多に

カムバックしないので有名だから

プロフは一年に一回更新できたらええ方だ。

今回のは

チャラい上にdangerも上乗せされた。

うちのお孫1号もさぞかし……


「いつまでやんねん!」と


思っておるだろう。


ええねん。




これの奥側のぼやけた人が

ドアップでデンジャーだぜっ!!!な

感じがプロフになってます。


しかしながら!

今回はデジタルのみ。

いやいや今こそやったんちゃうん?

と、事務所側のどこまでも

読みを外す甘さが恨めしい。


でも、ええ曲やったし。

満足じゃ。


池もと出会ったのは昭和46年の6月だった。


竹藪の丘陵地帯を拓いて新しく建った

府営住宅に当選して引っ越したのは

小学校1年生になってひと月後のことだった。


いろんな所に大きな団地のコンパウンドが

どんどん建って、ベビーブーム世代の

我々一年生がどんどん転入してきた。


池もは、自分が転入してきた翌日に

同じクラスに入ってきた。

その日から一緒に帰ったのを覚えている。

初めて小学校でできた友達で

安心と喜びが心に満ちたのを

今でもよく覚えている。


池もに横もというニックネームは

小学校3年生でまた同じクラスになって

2人で遊んでいる時に池もが

「これから横ももさんて呼ぶわ」と

言ったのが始まりだった。

「えー!そしたら私も池ももさんて呼ぶわ」。


その「もも」の部分が

いつの間にか短縮されて「も」だけになった。


池ものことは、他のみんなもそう呼んだが

私を横もと呼ぶのは池もだけだ。


5年生、6年生とクラスは別れたが

私たちはずっと友達だった。

中学生の時は3年間一緒に登校した。

道すがら、好きな男の子の話をずっとした。

私たちのBFは2人とも男バス部だった。

私が理想的な、甘くて苦い、独りよがりの

「お別れ」をそのBFとした時も

私の隣には池もがいた。


中学卒業と同時に私は隣町に

引っ越したので高校は別々の所へ通った。

でも、休みに入ると定期的に会った。

池もは件のBFと高校に入ってからも

ずっと付き合っていたので

高校一年の春休みに突然2人で

うちを訪ねて来てくれたりした。

お揃いのスタジャンを着ていて、

ものすごく眩しく思えたものだ。笑


初めて会ってから54年。

私たち2人は色んな波を乗り越えてきた。

ずっと、何年も会わなかったとしても

池もは私の心の中にいる

大切な友人だ。

そこにいてくれなくちゃいけない人、

そんな感じだ。


今週末、10年ぶりに池もに会った。

私たち学年は今年、60歳になる。

私の中でなんだかピルピルとサイレンが鳴って

すぐに会っておかないと、と

そんな気がしたのだ。


その予感は当たっていたようで

池もにはここ数年間に色々あった。

私がのほほんと文句を垂れつつ

翻訳の仕事をしている間に

様々な変化を経験していた。

それは人生の苦くて辛い部分でもある。

私はその報告を受けて

心の中で泣いたり喚いたり、

信じられない、なんでそんな酷いことを

人生は池もにするの?と思った。


池ものことを考えると

そこには11歳の時の彼女がいる。

自分で編んだグレーと白の混ぜ織毛糸の

マフラーに、チェスターカラーの

オーバーコートを着ている。

池もはいつでもきっちり髪を三つ編みにして

伏し目がちな目元は長いまつ毛に

縁取られている。


そんな日の池もから、

私たちはどれほど遠くに来たんだろ?

池もとの記憶の瞬間、瞬間が

カラカラと幾十にも重なり合って

悲しみが心に溢れるようだった。


でも、本当に会ってみると

池もはそんなの悠々と凌駕して

明るく、元気で、

何よりとても美しいのだった。

池もはいつでも前向きで

どんなことも慌てずそっくりそのまま

受け取って生きていくのだ。

強い。しなやかに強い。


池もは私が子供の頃に住んだその団地に

今は1人で住んでいる。

相変わらず、燦々と窓から陽が入っていた。

そのダイニングに、池もは私を迎えるべく

心尽くしの準備をしていてくれた。


私たちは10年ぶりとは思えないスピードで

すとんと10年前の続きを始めた。

あれこれとキャッチアップをして、

私は大河ドラマを見ないとだから

3時間後に帰るね、と言った。

池もは電車賃が20円安くなるよう

大阪寄りの駅まで車で送ってくれた。


私たちはなんでも話した。

そして、これからもそう。

お互いになんでも受け止めてきた。

それも、これからもそう。


池もが横ものことをどう思っているのか

横もである私にはそんなに分からない。

同じくらいに友達だとは思ってくれてる、

そんな風には思う。

でも、横もは池もがものすごく好きだ。

まるで家族の1人のように、

大切で、尊くて、柔らかい存在だ。


池も、池もが池もで良かった。

私の人生で池もに出会えて良かった。

宝物だ。


団地は概ね昔のまんまだ。

「これから横ももさんって呼ぶ」と

池もが言った公園や

夏休みに毎朝ラジオ体操した広場や

自転車に乗る練習をした場所、

糸トンボを息を殺してとった場所、

白詰草でいっぱいだった土手、

少しづつ姿を変えながら、

でもそのまんまだ。


そこに私は池もと横もの小さな姿を

見るような気持ちになった。

何度も、何度も

「懐かしい」と言葉がこぼれた。


池も、これからも遊びに行くね。

私のところにも来てな。

夏の果物のムースを作るよ。


池も、大好き。