英国のコミュニティで
ものすごく好みの
ライブラリー風カフェを見かけた。
なんとも言えないステキさ。
壁の四方には背の高い本棚が
配置され、奥はフランス窓が
開け放たれて、緑のガーデンと
テラス席がチラリと見える。
店内にはバラン、バランと
テーブルと椅子が不揃いに
置かれていて、フロア側には
椅子が、本棚側にはソファ風の
椅子が配置され、どこをどう
切り取っても癒され要素しかない。
ここで勉強したら
さぞかし捗るだろうてよ。
ここでお茶したら
心の開放感、癒され感
半端ないだろう!
一体、英国はどこのカフェ?
と、思っていたら
見た人は皆
同じことを考えていたようで
「どこにあるの?」
「これは行ってみないと」と
コメントしている人が多数いた。
だが、しかし発信者は
「できないわ」
「不可能よ」としか反応しない。
そして、最後には
「だってAIだから!」と
高らかに宣言して終わっていた。
なるほどねー
オックスフォードには当時、
2件のワインカフェがあって
サマータウンにあったところが
比較的、そのAIカフェに似ていた。
つまり、あるっちゃあるもんだから
みんな本当だと思っちゃう。
それほどまでにAI画像には
隙がない。
そして、私は途方に暮れる。
東京都知事の小池さんが
一度AIを公務に使って
話題になったことがある。
AI小池都知事は違和感なく
小池さんだったのを見て、
なぜか私は嫌悪感を抱いた。
便利になったけれど
不便な方がいいな、と思った。
多少、それを開発した
Open AIを恨まんでもないな、
と、同じ開発者を息子に持っているので
大きく批判はしたくはないが
それでもそんな風に思ってしまう。
業務の効率化ねぇー
正確さ、速さ
どれをとってもお見事ですな。
だけど、それって要するに
アメリカ主導のキャピタリズムの
思う壺ってことなんだろうなぁ、
って、つまんねぇなぁ!
と、思ってます。
お陰で1日が短くなった。
だって常に急かされるんだもんな。
日本の文化には侘び寂びがある。
それはどちらも自然の中て、
あるいは生活の中で
結果的に歪みやディフェクトに
至ったことの美しさをいうものだが
AIに至ってはその本質を
再現できでも理解には
到底至らんのやろなぁ、と思う。
そもそも感情的な部分に
根差したことで
見た目そのまんまでも
ちゃうねんなぁ、
とごろつきたくなるねん。
とにかく、
今朝みたカフェがAIで
当然ですから、みたいな風情で
現存しないと知った時の
悲哀ったらなかったわ。
がっかり感…とでもいうのかな。
まぁ、これからも世界は
この世の春をここ数十年以上
謳歌しているテック系開発者の
ワンダーランドへと邁進するのよね。
かくいう私も携帯を
一日中探して歩いている 笑
なくてはならないもの。
ここ十数年で
テックワンダーランドで共に
ステップ踏んどるわい
それでも、
AIのカフェ情報はいらんで。
ほんまもんのだけ教えて欲しい。
てか、上手くできたんで
嬉しかったんやろねぇ。
でも、本当みたいな
作りものはいらない。
段々と人の心も
そんな風になっていきそうよ。
脳みそは多大なる影響を受ける。
哀しかったわ、
ライブラリカフェ。
くだんのワインカフェ
探したが、これ一枚のみ残っていた
ここで勉強することが多かったが
既に病んでいたので
もっぱら寝ていたような気がする
何時間いても、何も言われない
まだあるのなら、ここでぼんやりしたい