あるキリスト者のつぶやき… -50ページ目

ひらめき

今日は参議院選挙。ちゃんと投票してきました。が、ここでそのことを書くことはしません。政治についてとやかく言うほど知識があるわけじゃないし、そこは私の分野じゃない。分野外のことを書いて、イライラするのも余計なエネルギーを使うようで馬鹿らしい。

で、投票のついでに投票所の向かいにあるドラッグストアにクルマを停めて、タマゴとインスタントコーヒーの買い物をしたのです。まぁ、何を買ったのかなんて、はっきり言ってどうでもいい。

問題は、その駐車場でハンディキャップの駐車スペースにクルマを停めた人たちがいたわけだ。黒い軽で、メッキのモールなんかつけて、ナンバープレートをちょっと曲げて……どう見ても、一般人が乗っている様子でもなさそうなクルマだ。で、障害者を意味するステッカーとか張ってあるわけでなければ、駐車禁止除外指定車の書類がダッシュボードの見えるところにおいてあるわけでもない。で、中から健康そうな男女3人がでてきたわけだ。こいつら本当に障害者なのか?どこも問題なさそうであるが。一人なんかクルマから降りてタバコなんか吸ってるし。どこからみても健康そうなんだけどね。

で、少し考えてみた。

やっぱ、どう考えても、ハンディキャップスペースに停めることができるのは、障害者の方々でしかないという事実に気付いたのである。まさしく、今日のひらめきだ。

まず第一のグループとして、本当に体が不自由な方々、ちゃんとステッカーを貼ってあったり、書類を見えるところにおいてあるクルマにのっている人たち。この人たちは正当な理由があって、車椅子印の駐車スペースに停めることができる。そして、第二のグループ。どちらかというと、こっちのグループの人たちの方が多いようであるが。見た目はどこからどうみても元気な人たち。クルマにもそれを思わせる様子はない。でもね、考えてみたら、その人たちは見た目は健康だけど、やっぱり障害者なんだよね。だって、肉体的にはなんら問題がないのに、自分たちは体が不自由だと思っているんだから。あれは、いわゆる知的障害者ってやつなんだろうね。でもさ、なんで、人並み未満の知性しか持ち合わせていないのに、クルマに乗ってるんだろうね。たまに、私の給与じゃとてもじゃないけど、乗れないような外車に乗っている知的障害者を見かけるけどさ。世の中謎ばかりだ。

結論、あの駐車スペースには、結果として障害者だけが停めている。

何をしたいのか

ふと振り返って見ると、毎日毎日追われる様にして過ごしているような気がしてならない。そして幸いにも何からも追われていないと感じる時があるとすれば、ただぼんやりと腑抜けのように過しているような気がしてならない。

何か時間を無駄にしているようで、果してこのままで良いのかとも思わないわけでもないが、だからどうするとかいうのでもない。

このまま世の流れに身を任せて、惰性で過ごすのも、まぁ選択肢のひとつかもしれないが、それだとずいぶんと損をしていることになるのだろう。

歴史に名を残す偉業とまでは言わないが、何かしらやりたいものである。死ぬ時になって、あれをやっておけばよかった…と思うのは、最悪であろう。

さてさて、私は何をすれば良いのだろうか。うかうかしていたら、そんなこと考え続けながら、この後10年、20年…そして50年も経ってしまいそうだ。死ぬ時になって、その時まで考え続けて、結局何も果たさなかった…というのでは、死んでも死にきれない。

念のため我が名の名誉のために言っておくが、そこに一獲千金という下心がないわけでもない。そこまで、純真な私ではないし、むしろ「あわよくば」などと思うのである。

どうにか

今日は夏期賞与の支給日である。

ここ最近の不景気のあおりで、2年前から減る一方であるが、どうにかこうにか子ども部屋にベッドを買って、クルマを車検に出すだけの金額はあるから、まぁなんとか必要なことには払えそうである。しかし、これだけ使ってしてしまうと、さすがにわずかにおつりが残る程度である。夏になったら、色々と外出する機会も増えてしまうだろうし、そのためにも少し残しておかなければ。

まぁ、何だかんだ言っても、もらえるだけヨシとするか。

ひとめぼれ

後姿が美人であることは重要だ。後姿が優美であると、見る者に期待をさせるからだ。

今日の午後のことだけれども、職場に買い置きしてあるチョコレートが全部消費されてしまったので、コレは補充しないといかんなと思い、コンビニまで行ってきたワケだ。

すると駐車場で見たことのない後姿をしたクルマが停まっているではないか。その様子からヨーロッパ車?と思って、よくよくエンブレムを見ると、NISSANのロゴがついている。後姿は、何とも魅力的。真後から見ると台形に近く、かと言って角ばっているわけでもなく、むしろ滑らかな曲線で構成されている。どっしりしていて、実に頼もしい雰囲気がする一方で、どこか優雅な感じもする。さてはスカイラインのクロスオーバーかと思ったのだが、車名を見ると、Jukeとあるではないか!これがJukeなのか!本物を見たのは初めてだ!値段と排気量を考えると、もっとチープなモノを想像していたんだけれども、良い意味で期待を思いっきり裏切られた。

横から見ると、車体のわりにタイヤがでかい。うーん、美しい…。

そして前から見ると、あの独特の顔である。まるいライトに尖った眉のようなポジションランプにウィンカー。写真見た時には、何じゃこりゃ?!って思ったものの、実際は全体とのバランスがあって違和感がない。これをデザインしたチームは素晴らしい仕事をしたと、正直関心。実用性重視で面白味のないクルマばかりの昨今、Jukeの登場は見るものをワクワクさせるのではないか。もしかしたら、そう思っているのは、私だけかもしれないが。

秋にはターボを積んだモデルも発売されるとか。これは欲しい!

チミチャンガ

なぜだかは分からないが、朝から「チミチャンガ」と言う単語が頭から離れない。チミチャンガと言う単語には当然ながら意味がある。聞いたこともなければ、意味もない単語を、ふとした弾みで思い浮かべるほどの創造力というか想像力は、残念ながら持ち合わせてはいない。

チミチャンガとは、実はメキシコ料理のひとつである。だからどうしたのか?って言われてしまうと、返す言葉が見当たらない。何となく思い浮かんだのだから、私にはどうすることもできない。無理に思い出したワケでもないし。

そんなコトを考えていたら、メキシコ料理を食べたくなってきてしまってどうしようもない。アメリカでよく行った店に、また行きたくなってしまった。懐かしい。

それはそうと、今朝は大雨の影響で多摩川が氾濫する夢を見てしまった。

そうそう、川と言えば、今日は七夕、天の川である。残念ながら天気が悪く、天の川を仰ぐことはできない。だとしても、今宵は織姫と彦星が年に一度の逢瀬の時だ。何とも、ロマンチック…と思えるのは純情な人なのか。私からしてみれば、残りの364日の間、この2人はどうやって過ごしているのだろうかって考えてしまうのだ。年に一度しか会えない相手に忠実でいるのか、それとも手近なところ別の相手と仲良くやっているのか…。

ここから勝手な想像に任せて物語できる程の想像力があれば良いのだけれどね。思いつくのは、何の脈絡もない妄想の断片のみ。