ひらめき | あるキリスト者のつぶやき…

ひらめき

今日は参議院選挙。ちゃんと投票してきました。が、ここでそのことを書くことはしません。政治についてとやかく言うほど知識があるわけじゃないし、そこは私の分野じゃない。分野外のことを書いて、イライラするのも余計なエネルギーを使うようで馬鹿らしい。

で、投票のついでに投票所の向かいにあるドラッグストアにクルマを停めて、タマゴとインスタントコーヒーの買い物をしたのです。まぁ、何を買ったのかなんて、はっきり言ってどうでもいい。

問題は、その駐車場でハンディキャップの駐車スペースにクルマを停めた人たちがいたわけだ。黒い軽で、メッキのモールなんかつけて、ナンバープレートをちょっと曲げて……どう見ても、一般人が乗っている様子でもなさそうなクルマだ。で、障害者を意味するステッカーとか張ってあるわけでなければ、駐車禁止除外指定車の書類がダッシュボードの見えるところにおいてあるわけでもない。で、中から健康そうな男女3人がでてきたわけだ。こいつら本当に障害者なのか?どこも問題なさそうであるが。一人なんかクルマから降りてタバコなんか吸ってるし。どこからみても健康そうなんだけどね。

で、少し考えてみた。

やっぱ、どう考えても、ハンディキャップスペースに停めることができるのは、障害者の方々でしかないという事実に気付いたのである。まさしく、今日のひらめきだ。

まず第一のグループとして、本当に体が不自由な方々、ちゃんとステッカーを貼ってあったり、書類を見えるところにおいてあるクルマにのっている人たち。この人たちは正当な理由があって、車椅子印の駐車スペースに停めることができる。そして、第二のグループ。どちらかというと、こっちのグループの人たちの方が多いようであるが。見た目はどこからどうみても元気な人たち。クルマにもそれを思わせる様子はない。でもね、考えてみたら、その人たちは見た目は健康だけど、やっぱり障害者なんだよね。だって、肉体的にはなんら問題がないのに、自分たちは体が不自由だと思っているんだから。あれは、いわゆる知的障害者ってやつなんだろうね。でもさ、なんで、人並み未満の知性しか持ち合わせていないのに、クルマに乗ってるんだろうね。たまに、私の給与じゃとてもじゃないけど、乗れないような外車に乗っている知的障害者を見かけるけどさ。世の中謎ばかりだ。

結論、あの駐車スペースには、結果として障害者だけが停めている。