あるキリスト者のつぶやき… -116ページ目

愛と勇気だけが友達さ♪

夏休みは海とかプールとかに行こうと考えていたのだが、天候が不順だったり、誰かが体調を崩していたりと、なかなか行けない。今日もプールに行こうと昨日から考えていたのだが、妻と次女が風邪っぽいので取りやめ。かといって、楽しみにしていた長女のことを思うと、家でじっとしているのもあれなんで、横浜みなとみらいにある「あんぱんまん子供ミュージアム」へ行ってきた。

そう、愛と勇気がだけが友達の(なんという孤独なんだろうか…)あんぱんまんのミュージアムである。正義の味方、あんぱんまん。いつもいたずらをしてみんなを困らせるバイキンマンをやっつける、なんともいい奴…というのが子供にとってのイメージなのだろう。

しかし、大人の私からしてみれば、なんとも阿漕な商売をしているのかと。だいたい入場料が大人ひとり1000円だぜ。んじゃ、子供は半額の500円かと思えば、こちらも1000円なのである。なんで同額なんだよ。しかも3歳以下無料とかいう特典もありゃしない。というわけで、我が家は4人家族なのでしっかりと4000円取られたわけだ。んで、中に何かあるかといえば、なんのことはない、あんぱんまんとその仲間たちの模型が飾ってあったりとか、そんな感じである。子供は楽しいかもしれないが、大人、とくに赤の他人の子供が苦手な私のような者には苦痛でしかない。子供たちの騒ぎ声を聞くと、精力がどんどん抜け出していく。

んで、お土産というか記念品にどきんちゃんの店なるところで、カチューシャを買ってあげたのだが、これがまた合わせて4000円近くもする。その次は「ジャムおじさんのパン工房」なるところで、キャラクターの顔をしたパンを買うわけだ。これが1個300円とかする。3個買ったので900円。さほどおいしいわけでもないのに、なんだよこの値段設定は。スーパーで薄皮あんぱん買った方が全然マシである。なんてことは子供の前では口が避けても言えねーだろw

ちなみにキャラクターパンであるが、立派な紙の箱に二つしかいれないのである。三つ買った私は、当然ながら紙の箱が二つである。なんつーか、過剰包装だろ。環境にもやさしくない。

愛と勇気が友達、正義の味方あんぱんまんは、間違いなく、財布と大人と環境には優しくないよな。あんぱんまんミュージアムって、バイキンマンよりタチが悪いというのが私の感想。

んで、駐車料金は2000円、勘弁してくれ。一日で1万使って、ひたすら疲れただけだかよ。楽しかったのは行き帰りの運転くらいw

あるキリスト者のつぶやき…-おつかれ

マックでジンジャーエール飲んで一休み。ちなみに左下にちょこっと見えるのは、ソフトクリームを食う次女w

LEGOの家

先日も書いたとおり、LEGOを購入したのである。LEGOのお店で娘が楽しそうにやっているのを見て、いや、もしかしたら一緒にやっている私の方が楽しんでいたのかもしれないけれど、そんなわけで衝動買いである。好きでやっているわけではないけれど、SEという仕事柄、LEGOというとLEGO Mindstormのようにロボットのようなものを作れるものに興味があるのかといえば、それはない。私から見れば、あれは邪道である。LEGOの醍醐味はブロックを積み上げて何かを創造することにある。それをパソコンで動かそうなんて言語道断w

というわけで、買ったのはコレ。

あるキリスト者のつぶやき…-LEGO

家を作るためのブロックがセットになった商品。4990円、5990円、8990円の三種類あったが、何を血迷ったのか、一番高いやつを買ってしもうた。

でさっそく家に帰って開けてみよう、かと思ったのだが、妻と子供と荷物を家に降ろして、ちょっと晩飯の足しを買いに行ってる間に…

あるキリスト者のつぶやき…-LEGOと長女

長女が全部開けてしまった…(後で見たら対象年齢8歳以上とか。)もうカオス。鼻くそみたいな細かいパーツもあるのに、床に散乱。

あるキリスト者のつぶやき…-LEGOと次女

次女にはおとなしく家にあった幼児用動物園シリーズで妥協してもらおう。

ひとまず箱の写真と同じ家を作るための設計図っぽいものが付属されていたので、長女に手伝わせて作ってみた。途中でシャワーを浴びたり、晩飯を食ったりしたが…ようやく完成!

あるキリスト者のつぶやき…-LEGO完成

もう夜中の12時ちょっと前。娘たちはとっくに寝てしまった後でした。いやぁ、これははまるって。面白い、LEGO最高に面白い。今日も遊んじまったし。子供はドールハウスのように、おままごとして遊んじゃうし。子供の想像力はすごいね。

ワッパーうめえ!

世間は夏休み、私は仕事。この時期は通勤する人も少なくて電車が空いていて楽である。会社の中も人が少なくて気分的にも楽である。何より会社に人が少ないと自由が利いて良い。周りに人がいないということは、邪魔もはいらず仕事に集中することができて、自然と物事がスムーズに進むのだ。

というわけで、今日は昼飯を食う時間も犠牲にしてさっさと仕事を済ませて帰ることにした。まあ、頑張ったけど、結局会社を出たのは4時を過ぎてしまったけどね。

なぜ早く会社を出たかったかと言うと、どうしてもバーガーキングに行きたかったからである。幸い自宅と仕事場の中間点にあるのだが、普段は行きたくても朝か夜かのどちらかなので、未だかつて行ったことがなかった。だから今日こそ早めに仕事を切り上げて、遅めの昼飯を食おうと決意したのだ!

そんなこんなで、5時にようやくバーガーキングで昼飯にありつけたのだ。もうこうなると、遅めの昼飯どころか、早めの晩飯という方が相応しいが、朝飯以来何も食ってない(もちろんチョコくらいはつまんだけど)私にとっては間違いなく昼飯である。

バーガーキングなんて何年振りだろうか。数年前に日本から撤退してから一度も口にする機会がなかったから、今日は本当に久し振りに本物のワッパーを食べることができた。やっぱりウマい!心なしか、前よりもおいしくなった気がするが、最近まともなバーガーを食べていないからそう感じたのだろうか…。そして、あの大きさは最高だ!マックなんて比べものにさえならない。味と量のバランスにおいては、マックのクオーターパウンダーなんてワッパーの足元にも及ばない!但し、あの値段は厳しいなぁ。アメリカにいたころはワッパーなんて99セントだったのに…。

なーんて感激して食っていたら、トマトが一枚落ちてしまった。しっかり押さえてないと落ちてしまうほど立派なスライストマトが入っているということだろうか。そして落ちたトマトは慌てずに拾って捨てることに…ちょっと損したけど、トマトはもう一枚入っていたので、我慢するべし!

本に埋もれて

本好き、本は一度買ったら捨てることができない私である。それこそ、本に埋もれて人生を終えることができれば、理想の最期かもしれない。が、それはもちろん物の喩えである。

さて昨日早朝の地震でたったひとりだけ亡くなられた方がいた。四十代のひとり暮らしの女性であったとニュースでは伝えていた。なんと彼女は、文字通りに本に埋もれて亡くなられたそうだ。何でも家の中には、数千冊の本だの雑誌だのが天井に届くまで平積にされていたという。それだけあるなら、本棚に整理しておけば良いのに…と思ってしまうが、数千冊といったら、小学校の図書室くらいはあるかもしれない。さすがにそれだけの本をマンションの部屋の中で本棚に整理するというのは、まぁ物理的にも無理な気がする。

かと言って、本を捨てるなり売るなりすればよいのに、などとは私の性格からして言うこともできない。さすがに雑誌に関しては、私も捨ててるから、雑誌くらいは処分してもよいのではないかくらいは言える。雑誌というのは、だいたいが時事の話題を取り上げたものが多く、時間が経つと旬を過ぎた食べ物のように味気なくなるものだ。そういった意味では、新聞と似ているかもしれない。過去に何がおこったか、当時人々の興味を集めていたのは何か…過去を振り返るなら雑誌は便利である。しかし、いつ振り返るともしれないのに、雑誌を取って置くのは無駄に思えるので、さすがの私も捨てることにためらいはない。

しかし本というのは、決まったことについて書かれているので、どれほと時間が経とうとも、いつでも旬であるのだ。例え扱っているものが時事の話題だとしても、それを深く扱っていることに書物には価値を見出すことができる。

言うなれば、雑誌は広く浅く、書物は狭く深く、人々に物事を伝えることができるのではないだろうか。

などと考えると、本を書きたいと思うのであれば、狭く深く、題材を扱うべきなのかもしれない。ふーむ。

地震と台風と

ちょっとやそっとの地震では、目を覚ますことのない私であるが、さすがに今朝の地震では目が覚めてしまった。実際に私の住む所で、どれくらいの震度だったのかは、調べてないので分からないが、体感では少なく見積もっても震度4くらいはあったような感じだった。

しかも小型とは言え、台風も接近していて、今朝はたくさんの人にとって踏んだり蹴ったりだったに違いない。幸い、私にとっては何の影響もなかったが。

それにしても、二大災害にに見舞われるとは…。しかし、広範囲に渡って被害を及ぼす台風の方が、今朝の地震より恐れるべきものなのだろうか。台風にしても地震にしても規模としては、まだまだなくらいだろう。地震で亡くなった方はいないようだが、台風で命を落とされた方は何名かおられた。日本が地震に強いから、あの程度で甚大な被害を被ることはなかったのかもしれない。

今回はこれで済んだから幸いだったが、果たして次はどうだろうか。地震も台風も現実のものであり、今回のよりも遥かに威力を持っていることも珍しくはない。危険がないとは言わない。むしろ私たちは常に災害の可能性の中に生きているのだ。

備えあれば憂いなしとも言うではないか。明日は我が身とも言うではないか。しかし、どうも現実のものとは思えずに油断しているのが本当のところである。なるようになるさ、とね。まあ、こんなのんきさ、大らかさ(?)も慌てないため心配し過ぎないためにはいいのかもね。

…やっぱダメかなぁ?