本に埋もれて | あるキリスト者のつぶやき…

本に埋もれて

本好き、本は一度買ったら捨てることができない私である。それこそ、本に埋もれて人生を終えることができれば、理想の最期かもしれない。が、それはもちろん物の喩えである。

さて昨日早朝の地震でたったひとりだけ亡くなられた方がいた。四十代のひとり暮らしの女性であったとニュースでは伝えていた。なんと彼女は、文字通りに本に埋もれて亡くなられたそうだ。何でも家の中には、数千冊の本だの雑誌だのが天井に届くまで平積にされていたという。それだけあるなら、本棚に整理しておけば良いのに…と思ってしまうが、数千冊といったら、小学校の図書室くらいはあるかもしれない。さすがにそれだけの本をマンションの部屋の中で本棚に整理するというのは、まぁ物理的にも無理な気がする。

かと言って、本を捨てるなり売るなりすればよいのに、などとは私の性格からして言うこともできない。さすがに雑誌に関しては、私も捨ててるから、雑誌くらいは処分してもよいのではないかくらいは言える。雑誌というのは、だいたいが時事の話題を取り上げたものが多く、時間が経つと旬を過ぎた食べ物のように味気なくなるものだ。そういった意味では、新聞と似ているかもしれない。過去に何がおこったか、当時人々の興味を集めていたのは何か…過去を振り返るなら雑誌は便利である。しかし、いつ振り返るともしれないのに、雑誌を取って置くのは無駄に思えるので、さすがの私も捨てることにためらいはない。

しかし本というのは、決まったことについて書かれているので、どれほと時間が経とうとも、いつでも旬であるのだ。例え扱っているものが時事の話題だとしても、それを深く扱っていることに書物には価値を見出すことができる。

言うなれば、雑誌は広く浅く、書物は狭く深く、人々に物事を伝えることができるのではないだろうか。

などと考えると、本を書きたいと思うのであれば、狭く深く、題材を扱うべきなのかもしれない。ふーむ。