あるキリスト者のつぶやき… -100ページ目

記憶の断片

今日は文化の日。毎年恒例、教会のバザーに行ってきた。今までは毎年タコスの製造、販売を担当していたのだが、今年はマンションの理事会だの何だので、色々と忙しく、今日は何か特別に用事があったわけではないけれども、ちょっと気持ちの余裕がないので、今年は役割を持たずに「お客さん」の側にまわった。来年はもう少し落ち着くはずなので、タコス屋にでもなろうかと思う。しかし、いざ休んでみると、やっぱり落ち着かないものである。やり慣れたことをするのがいいのかもしれないね。

閑話休題。

毎日過ごしていると、あれこれ頭に浮かんで、これを本日のブログのネタにでもしようかどうしようかと、思ったりするわけだが、いざこうやってパソコンの前に座るなり、携帯を取り出したりすると、さて何を書こうかと悩んでしまうのである。あれこれ書きたいことが多すぎて悩んでしまうわけでもない。書くことがなさ過ぎて悩んでしまうのとも違う。どうやって書こうかと迷ってしまうわけでもない。

何かって言うと…何を書こうと思っていたのか、思い出すことができないということなのである。色々思うところがあっても、何を考えていたのか、何を書こうとしていたのか、何を書きたかったのか、あれこれあったはずなのに、どうも完全に思い出すことができないのである。曖昧なイメージというか、記憶の断片とでもいおうか、何やらもやもやしたものだけしかないのだ。

思いついたことをその時その場で記録しておけばいいのかもしれないが、どうもそこまでするのも、ちょっと面倒というわけではないにしろ、今一歩というところで止めてしまうのである。

憂鬱じゃない月曜日

いつもの月曜日であれば、まだ一週間が始まったばかりなのか、と憂鬱に思ったりするのだが、今日は違う。なんせ明日は休みだからだ。仕事に行かなくて済むのはうれしい。いつも思うことだが、連休もいいのだが、それよりも週の真ん中が休みである方が、私は好きである。水曜日が休みって、なかなかうれしいものだが、火曜が休みでも、そんなに悪くはない。もちろん木曜でもOKだ。いぜれにせよ、月曜や金曜が休みよりもありがたみが倍である。

なぜって、仕事を4日続けるよりも2日続けるほうが、精神的にも肉体的にも楽なのである。それに休みが3日以上も続いてしまうと、それはそれで結構きつかったリする。それを考えると火曜から木曜のどこかで休みがあるのが一番ありがたみを感じるのである。

そうやって考えてみると、大型連休は、それはそれでどっかに旅行に行くとか考えた場合には良いのかもしれないが、でも冷静になって考えてみると連休の時は誰もが出かけたくなってしまうものであろう。だとすると、結局どこに行ってみ人人人で、人ごみが嫌いな私にとっては、どこに行ってもむしろ疲れてしまう。ましてや横浜なんて、観光地に住んでいるものだから、近場でどこかに行こうと思っても、どこも人でごった返しだから、なおさら出かけるとげんなりしてしまう。地元民は引きこもるに限る。余談までに連休とかになると、近所のCOSTCOが激混みになることがある。なんでCOSTCO行くのに駐車場入るのに並ばなきゃいけないんだよって思ってしまうのだ。もっとも最近は滅多に行かないけど、相変わらずなのだろうか。

そんなこんなで、週の真ん中に休みのある週が続いてくれる方がうれしいのである。というわけで、教会のバザー以外にこれといって出かける用事はないのだけれど、やっぱり精神的に楽である。

ぽかぽか陽気

今日から11月。光陰矢のごとし、である。時間が経つのは早いものだ。ちなみに光陰矢のごとしは、英語で言うと、"Time flies like an arrow"である。そのまんまである。おそらくコトバの由来は同じところなのであろう。ところで、アメリカンジョークのひとつに、この後ろに"Fruit flies like a banana"ということもある。意味はその通りである。日本語に訳すまでもないが、強いて訳すなら「コバエはバナナを好む」になるだろう。日本語にすると、だからどうした?ってなるけど、英語にすると、Time fliesとFruit fliesの響きが似ていて、不自然さが感じられない。これも言語の面白いところである。

それはそうと、今年も残すところあと2ヶ月である。11月というと、すっかり秋も深まって、はや冬の寒さを感じてもおかしくないくらいだろうけど、今年はなかなか冷えない。今日も日差しが暖かで、日中はジーンズにTシャツがちょうど良いくらいだった。なんともヘンな陽気である。私にとっては気持ちのよい天気でしたね。

これも地球温暖化の影響なのだろうか…。やっぱ二酸化炭素を出しているのがまずいのかな?そういや、二酸化炭素排出量25%削減とか、壊れたポッポ時計みたいに誰かさんが言ってるけど、考えてみりゃ、地球の歴史を見て分かるのは、一番二酸化炭素を排出してるのは哺乳類だろ。酸素吸って二酸化炭素出してんだから。人口を25%減らせば、これってもしかして簡単に解決しちゃうんじゃないだろうか!?だったら、言いだしっぺとそれを支援する連中から実践すればいいんじゃないだろうかと思ってしまうのは、私だけだろうか。どうでもいいけど、エコカーなんてのには乗りたくないね。

どっかで聞いたことあるけど、温暖化は地球規模でみたら、たいして騒ぐほどのものじゃないとか。地球の活動の一部で、地球にしてみたら大して痛くも痒くもなくて、必要であれば自身で「体温調整」をするらしい。要するに、みんなが神経質になって騒ぎ過ぎてんだろう。

というわけで、今日も満タンにしておきました。ぽかぽか陽気はドライブ日和。でーも、時間がないぜ。

食べ物で遊んでは

子供の頃、食べ物で遊んではいけないと、注意されたことがある。行儀が悪いし、食べ物は食べるものであって、遊ぶものではないから、当然のことなのである。私も同じように、子供が食べ物で遊んでいると、注意するようにしている。とは言っても、たまには遊んでしまいたくなるものだ。食べ物をないがしろにしているわけでは、もちろんない。食べることが好きな私が、そんな気持ちを持つわけはないだろう。ちょっとした遊び心である。

あるキリスト者のつぶやき…-チーズ顔

ってことで、こんなものを作ってしまった。材料は朝食のチーズ、道具はティースプーンである。どうやったかは、大方見当がつくだろう。自分で言うのもあれだが、なかなか上手にできたと思う。それはそうと、背景の皿のデザインと重なると、なんだかマヤ文明の遺跡にでてきそうな面構えである。

ちなみにこのチーズ顔、このまま食べるのも勿体ないというか、味も単調なので、食パンにミートソースを載せたうえにのっけてトースターで焼いてみた。

あるキリスト者のつぶやき…-チーズ顔溶けた

…面影がない。

食べ物で食べるのはよくないのは分かってるけど、これくらいは許されるだろう。食事は楽しくしなくっちゃね。

聖書へ帰る

ここ数年、聖書をあまり読まなくなっている自分に改めて気付いた。さすがに「これではいかん!」と感じるようになったので、最近聖書を少しずつ読むようにしている。

若い頃はたくさん、それこそ貪るように読んだものだが、年を経るごとに、おもしろいものを他に様々に見つけてしまうものだから、言い訳にしかならないだろうが、どうにも聖書から離れてしまってもしかたないだろう。

それにだ、クリスチャンの私が言うのもあれだが…聖書ははっきり言って、あまりおもしろいものではない。つまらないとまでは言い切れないにしても、世の中には聖書よりおもしろい本がたくさんある。人からおもしろい本を紹介してくれと言われたら、藤沢周平とか司馬遼太郎とかを推薦するだろう。まず聖書を薦めることはない。

もちろん、聖書が人に薦めるに値しない本だと言っているわけではない。むしろ誰でも一度は読んでみる価値があるだろう。読んでみて、納得がいかないなら、止めてもいいだろうし、何か惹かれるものを感じるのなら、もっと読めばよい。それは読む人の好き勝手である。ただ、読まず嫌いになるには、惜しい本だと思う。

私も、面白そうだからという理由で、再び聖書を読むようになったのではない。面白さを求めるなら、他の本を読むだろうし、現に聖書以外の本を通勤時には読んでいる。面白さ以外の何かを、聖書に見出したからだ。それが何であるかは、今はうまく言えないが…。