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芸能の世界とマネジメント

芸能界、芸能人のために論じます。

前稿ではオンリーワンについて問題提起しました。オンリーワンとは経営学的には好意的に解釈されますが、心理学的には「?」であります。ここが難しいですよね。ある有名グループがサビの箇所にオンリーワンと入った歌を大ヒットさせたことがありますが、オンリーワンとは本当に素晴らしいものなのか?ということをもう少し吟味する必要があるように思います。本ブログは思いのほか様々な分野の方々が読んでおられるようなので、A氏の行動を吟味していく前にもう少しだけ寄り道をしてみようと思います。

 

オンリーワンとは和製英語であるかと思われるのですが、日本人的な解釈として、「唯一無二」となるでしょう。英語として語法が間違っているので無理やり日本語訳すると、「たくさんあるモノの内の一つ(one of the~の意味とは違った意味となり、間違った使い方でのone of the~と思ってください)」となります。つまり、定冠詞が抜けておりますので唯一無二とはなりようがありません。しかし、ここで英語の議論をしたところでどうにもならないので、ひとまず「オンリーワン」は「唯一無二」と翻訳することにします。

 

このオンリーワンを心理学的に解釈すれば、例えば、田中誠一という学者がオンリーワンであるとしましょう。こうなりますと独りよがりな心理学者となってしまいます。なぜなら、唯一無二であるからです。田中誠一という心理学者はユング派に属している臨床心理学を専攻する人間であります。その人間が唯一無二であるはずがありません。この地球上にたくさんいる心理学者の一人にすぎないのです。オンリーワンであることは本当に強みなのでしょうか。ここが問題点であります。

 

一方、地方には地方独特の文化や慣習があるものです。私の生まれ育った関西では土産を買うときは家の近所の「名店」で購入する慣習があります。近年ではこのような慣習も薄らいでチェーン展開している店で全国の誰もが知っている銘柄の土産をもっていくのが主流となりつつありますが、関西でも土地の古い地域ではいまだこの方法で土産を購入し、その銘柄の説明まで含め「土産」とするのが一般的であります。例えば、関西の人が東京まで足を運ぶときもこの方法で土産を購入し、相手に手渡します。このような形式で土産を渡すのは私が観察してきた限りでは関西人だけであり、その意味で、現時点において、この方法は関西人独自の土産についての慣習であると思われます。つまり、オンリーワンであります。

 

さて、関西人における土産物の慣習については経営学的な考察であります。経営学的な視座からすればオンリーワンについて不快なイメージはないと思います。むしろ関西人の土産感を知ることによってプラスのイメージを持つのではないでしょうか?これが経営学の考え方の面白いと思える点であります。ここで新たなる問題が発生しまして、オンリーワンなるものはプラスのイメージとマイナスのイメージの両方を含んでいるということです。心理学ではマイナスのイメージを前に出し、経営学ではプラスのイメージを前に出します。そして私はこの両方を組み合わせることにより、第三の「オンリーワン」を吟味しようとしているわけで、こう考えてみますと、言葉の在り方というのは意識に大きな影響を与えるものだとつくづく思うのであります。

 

ではなぜこのような違いが生れるのかですが、これは既に皆様方もお気づきであるかと思いますが、深層心理学は個人を対象とした学問であり、ある集合体は研究対象外であります。他方で経営学は集合体についてを研究する学問でありまして、ある集合体において共通する事項を引き出し、そこから不要な因子を取り除くことにより概念化させますから、それが正しくなるわけです。例えば、数字の「1」は1であり2ではありません。1.5は1.5であり1ではありません。つまりオンリーワンであります。しかしながら、1は独りよがりであるでしょうか?という話であります。1が独りよがりであるならば数学者は仕事にならないでしょうね・・・・独りよがりの1を扱うということは2も独りよがりなわけで、その独りよがりな数字たちを学者が束ねることができるのか?など、とんでもない大問題へと発展するのですが、そうならないのはなぜか?と考えていきますと、やはりこのような考え方も一つ取り入れるのが策ではなかろうかと思わけであります。

 

今回はここで筆を置きます。ご高覧、ありがとうございました。

それにしてもモノを売るということは大変です。まずは認知されなければならない。これがまず難しいですよね!!近年はネットの世界ですから誰でも簡単に様々なものを無料で公開できますが、「認知」となれば話は別で、これが難しい。バンドであれば最近ではユーチューブでの再生回数でデビューが決まりがちでありますが、さて、この再生回数を稼ぐにはどうすればよいのか?ですよね。世のミュージシャンの方々。ユーチューブの仕組みは私にはよくわかりませんが、再生回数をカネで買うことも可能な場所は存在します。そして、その再生回数をみて多くの人は人気を判断するのですが、では、この再生回数を常時維持するにはやはり「カネ」が必要なわけでして、一時的に課金して再生回数を増やすだけでは意味はなく、常に上位を狙わないといけないため、常時の課金が必要となります。こうなるとアルバイトだけで賄うことはできず、やはり最終的に実力が問われるという結果になります。では実力とは何か・・・それが心理学的には集合的無意識の操作方法ということになります。

 

これもこのように書くと無意識との付き合い方は簡単であるかのような印象を受ける人が多いかもしれませんが、これが難しいゆえに全て人が報われないのであります。ここが私として辛い現実でありますが、ここをどうにか克服できるように皆様方に頑張っていただきたいです。

 

前稿では関西を例とし、オンリーワンの強みと弱みを問題提起しました。オンリーワンというと経営戦略の領域、とりわけ、日本語版のHBRなどの経営誌にはよく使われておりまして、オンリーワンだから強い!などのタイトルをよく目にします。果たしてこれが本当なのか?ということです。オンリーワンということは数の上からすると明らかに劣勢となります。そんな劣勢な存在が有利になることがあるのか?ということです。逆に、オンリーワンであるがゆえに競争相手がいないため注目がされやすく、競合他社も真似できない部分も多くあり、その点がオンリーワンであることの強みであるという考え方もあり、これは経営学でいうところのオンリーワンの意味であります。これを心理学的に考えてみますと、オンリーワンというのは個性化されている場合のオンリーワンとそうでない場合のオンリーワンと二つあるわけです。その意味でこのオンリーワンという言葉は難しいのです。日本語に翻訳してみたとしても「唯一無二」となりまして、やはりこれは個性化されている場合なのか否かについて判断が難しい言葉であります。

 

一般的に個性のある人というのは「目立っている人」のことを意味します。しかし、ユング派では全く違います。ユング派からするとただ単に目立っている人は自我肥大に陥っていると判断することが多く、その意味で病的であると判断します。ここが大きく異なる部分であります。また、一般的には目立っている人=オンリーワンとすることも多く、製品で例えると大きな注目を集め、それが唯一無二であるならばオンリーワンとなってしまっている場合が多いのではないでしょうか。これをもう少し応用範囲を拡大しますと、例えばとにかく目立つミュージシャンがいたとします。そしてそのような人はこれまで見たこともないような独特な見た目であります。演奏も上級なのでこれをもって「個性あるミュージシャン」とされがちであり、またファンもそのように思い込んでしまいがちでであります。ところが全国に出ようとすると全く歯が立たなく、プロミュージシャンへの夢をあきらめる人が多いのが現状であります。このシリーズではA氏がこのパターンであり、ホームグラウンドでは目立つ存在である老賢者が、違う地域に入ればたちまち通用しなくなる。これを本当に個性といえるのか?という問題であります。

 

では皆様方はオンリーワンをどのように評価しますか?例えば私が運営しているニューイシューというバンドは関西のオンリーワンを駆使することにより全国展開を成功へと導きました。こうなると、関西のオンリーワンは本当にオンリーワンなのでしょうか?逆にA氏は関東でのオンリーワンだったのですが、関西では全く話にならず、苦戦が続きます。ではオンリーワンとは何か?個性とは何か?ということをやはり考えていかねばなりません。目立つだけが個性ではなく、やはり、目立ちながらも万人受けするという、非常に矛盾した世界にいかにして身を置くかという方法を考えなければなりません。心理学的に個性的なる人物はこのような人物のことを意味します。

 

A氏は関東のさまざまな影響を受け関西のオンリーワンとの対決の際、やはりオンリーワンの強さを思い知ることになるのであります。続きは次回。ご高覧、ありがとうございました。

A氏による架空の全国展開の話をしておりますが、要は、そう簡単に全国展開など不可能であることを知っていただければそれで結構であります。コツをつかめば全国展開は簡単なのですが、そのコツをつかむまでに多くの人は挫折を味わいます。これを何とか和らげるために私は書き続けているのですが、皆様方のお役に立てているでしょうか?とにかく難解であることは確かです。

 

さてA氏は関西で勝負しようと思いついたのですが、関西は誰しもが知るように「お笑いの街」です。これは私の経験からして余計にそう思うのですが、音楽のライブでも笑いの一つも取ることができないようでは、例えば大阪でのライブのステージに立つことは難しく、ここが東京と大きく異なる部分であります。そしてなぜそんなに異なるのかですが、それは心理学的には不明であります。逆に、解明できたら凄いことであります。私の個人的な意見からすると関西のお笑い文化が解明されることは100%の確率でないと思っております。なぜなら、お笑いが嫌いな関西の人もいるからであります。しかし確かなことは、日常生活とお笑いとが密接になっており、日常生活よりもお笑いの比重の方が重いことです。タイプ論で例えるならば、外向的な人でも内向的な要素を持ち合わせており、外向的な部分の比重が高い場合、その人は外交的と判断されることであります。これと同じと考えるのであれば、人間だれしもお笑いの要素を持ち合わせているが、それが裏に隠れているだけで、関西の人はその傾向の逆であるという仮説が成立します。仮にこれを「関西の原理」としましょう。私はこの仮説でもってすべてを説明できるものではないと思うのですが、関西の人とそれ以外の地域の人ではこのような心理学上の差があり、ここを差別化戦略の軸にすることがより強い関西をつくると思うのですが、いかがでしょうか?

 

話はそれましたが、そういう意味で、私は大阪で生まれ育って本当によかったとしみじみと思っております。なぜなら、この大阪で培った武器は他の地域にて大活躍しており、これが全国へ出ていくことへの強みとなったわけです。しかしよく考えてみてください。数の原理からすると関西の原理は非常に劣勢であります。日本全国でも関西地域だけですから劣勢になるのは当たり前です。しかしこれが武器になるわけですから世の中わかりませんよね。関西でも武器となり、他の地域でも武器となる関西の文化。素晴らしいではありませんか。裁判でもインターネットの世界でも、自身の意見を通じるものにするには多くの同意を求める必要があります。そこには発言する主体と客体との一致が前提となっております。ところが、関西の文化は日本全国の中でも関西唯一とされていながら、これを認める動きとなっております。なぜでしょう?というのが私からの問題提起であります。数の原理からすると全く説明することが不可能であります。むしろ、劣勢ゆえの勝利という非常に矛盾に満ちた議論となり、問題はさらに難しくなります。オンリーワンが強い?果たしてどのような意味でしょうか?

 

ここまで書くとA氏が関西で成功しない理由がよくおわかりかと思います。つまり、関西文化を取得できていないからであります。ここで勘違いしてはならないのは、関西人は誰でも他の地域で受け入れられるのか?についてですか、そうではありません。むしろ数の上で劣勢の文化圏であるがゆえにマイナスに働くことも多々あります。芸能人を日本一送り出しているのは関西の各地域ではなく、福岡県であることからもお分かりのように、劣勢の武器で戦うことは実際には難しく、さらに、関西以外の地域から関西へ入っていくにはそれなりのテクニックが必要となることもご理解いただけるかと思います。ここでもう一つの仮説ですが、関西の文化はプラスにもマイナスにも働くということです。この両面の働きが心理学的であり、また中国哲学的であもり、研究者の研究意欲を高める歴史ある文化だと考えております。

 

今回はA氏の登場がほとんどありませんでしたが、次回以降に登場してもらうことにしましょう。ご高覧、ありがとうございました。

先日、ある大手の飲食チェーン店を展開する社長が書いた自社の史的展開に関する文章を読んでいたのですが、これはやはり社長自ら体験談を書いているだけに読んでいて非常に面白く、その緊張感や都度の成功に関する感動が実感できるほどリアルなもであり、久しぶりに良いものを拝読させていただきました。そこで経営学者と心理学者の両方をかけ持っている私が思ったことなのですが、この社長が書いていることはまさに「売ることを考える」ことでありまして、売るためにはどうすればよいのかについて人生をかけた人物であります。そこがまず私の共感を生んだのですが、ただ一つだけ残念だと思ったことは、失敗の理由を全てご自身のせいにしておられることであります。失敗の原因はさまざまでありますが、相手が機械であるならばプログラミングミスやバグ取りがしっかりできていなかったなど、これは操作する人のミスでありますが、生身の人間を相手にする商売において、少なくとも心理学的には行動の主体が100%悪いというのはありえません。というのも、布置なるものが出来上がっているからです。この布置の中で人間は行動するわけですから、場合によっては相手が悪い場合や双方に問題がある場合もあり、この点をしっかりと認識することによりより出店を加速できるのではないかと考えております。

 

ここで考えていただきたいのは、A氏の全国展開の問題です。前述の社長は関東から日本全国への出店を成功させ、いまだその勢いは衰えることを知りません。A氏は関東から関西へ出向き挫折を知るのですが、では、前述の社長とA氏とは何が違うのかについて考えなければなりません。

 

A氏は意を決して関東から関西へ進出することになりました。これについては良いことだと思うのですが、ここでA氏は大きな事実を知ることになります。つまり、関西人とは合わないことです。実際の関西人がどのような生態であるかについて書いてもよいのですが、誤解されることも多いので、関西人の名誉のためにもここはあえて割愛します。しかし、A氏は関西人とは水と油の関係であることを思い知ります。ここで大きな壁ができるのですが、全国制覇するためにはこのくらいの壁を乗り越えることができなければどうにもなりません。いわんや嫌なことが続いたとしてもそれを乗り越えていくための努力が必要であるのですが、それをどのように行ってよいのかについての方法が思いつかないどころか、放心状態となっております。つまりこれも「退行」の症状の一つであります。老賢者と言えどもこのようになります。否、老賢者であるからこそ退行が起きるのですが、逆に、老賢者がそんなことでどうする!!と私は思うのであります。こういう時こそ老賢者としての知恵を出すべきであり、退行している場合ではないのです。

 

ここで先ほどの飲食チェーン店の社長の話をよく読み進めてみると、この社長は退行の逆の「進行」を進めるためにどのような具体策を行ったかというと、「すべては自分が悪い」と思うようになったのであります。悪いのは自分自身であってお客さんに否はないと考えることによりブレイクスルーが可能となったのであります。ところがA氏は、「なぜ私がこのような嫌なことばかりに遭遇するのか」と関西人のせいにするようなり、ここに老賢者としての自分自身と現状の自分自身の弱さとが「同一視」されることにより、より関西人が悪く見え、さらに退行が促進されるという負のスパイラルが発生するに至ります。布置という理論から考えてもA氏と関西人との関係があるから退行が起きるわけで、逆にマイナスがあればプラスが必ず存在するこの世の中において、その作用を全く見落としているとしか思えない老賢者の姿がそこにあります。

 

例えば、先ほどの飲食チェーン店の社長は経営環境がマイナスとなった時、つまり、失敗したときは「自分が悪い」というマイナスの思いをもって成功へと導きました。つまり「マイナス×マイナス=プラス」を利用したのです。素晴らしいではありませんか。老賢者といえどもこのように考えることができる老賢者と退行を促進させる老賢者との二タイプあることが新たなる発見となるわけですが、少なくとも飲食チェーン店の社長は自分と相手との関係の中で物事を考えております。それに対してA氏は自分の思いを一方的に関西人に押し付け、「自分は老賢者なのだ!」という無意識、つまり元型が自我を越えて出てきているために多くの人は「古さ(自分より年上の人から強く説教されるイメージ)」のみを感じてしまい、相手にされないのであります。ちなみに、マニアの人のマニアックさを耳にした時に感じる不快感はコンプレックスではなく、もっと奥深くからくるものだと私は考えております。

 

さて、A氏は今後、老賢者としてどのようにバランスをとっていくのかが問われます。つまり、別の環境でどのようにして真の老賢者として自立するのかが問われます。これにはやはりアニマの世界からやり直さなければなりません。つまり、相手の思いを真に理解していこうとする心の弾力性、つまり、女性的な心のあり方がもう一度必要となってきます。そして、これまでの老賢者ではなく、もう一つ大きな老賢者となる方法を考えていかなければなりません。

 

心理学は難しいですけど、生きた学問でありますからそのダイナミズムを解明していくことに日々喜びを感じております。次回はより動きの大きなものになるかと思います。

 

ご高覧、ありがとうございました。

このシリーズもついに20回を超え、終わりに近づいてきました。売るという行為は非常に難しく、売ろうとしても売れないのが世の常です。売りたいけど買ってくれないと悩むセールスマンも多いかと思います。モノがない時代には作るだけで売れたかもしれません。しかし本当にそうなのかと思うことも多々あります。現代ではモノがあふれており、買い替え需要しか見込めないという話もよく耳にします。では、買い換えていただきましょう!とならないのは、やはりモノを売ることが難しいからであります。音楽の世界は少し特殊でありまして、昔の音楽をリイシューどころか、オリジナル音源として再発売させてヒットすることもあったり、カバーが売れたり、世代交代により新しいミュージシャンが受け入れられたり、需要がよくわからない半面、供給側が強く出ることも可能であるところが家電や自動車、紙媒体の出版業界などとは大きく異なる部分だと思います。しかも音楽の歴史は古く中国では孔子の時代よりももっと前からありまして、そういう意味で音楽産業は衰退しながらもまだまだ元気に生き残ろうとしている経営学的には非常に興味深い領域であります。この原理を応用すれば人の生命にも応用できるのではないかと思うのですが、医学者の皆様方、いかがでしょうか?

 

余談はこのくらいにして、A氏はついに全国展開することを決意しました。ここまではそれでよいのですが、問題はこれまでとは異なる地域において自身の音楽が通用するかの問題であります。答えは通用しないのですが、ここで起こってくる問題が「退行」であります。つまり、これまで東京という様々な地域の人が集う地域において多くのファンを取り込んだとしても、地方へ行くと古い慣習が新しいものを阻害することが常であり、このとこがきっけかで退行が起きます。つまり、退行を一言で翻訳すると、「自信をなくす」ことであります。東京ではある程度の人気を誇ったA氏は自信をなくします。自信を無くしたとき、多くの人は挫折を知ります。この時に老賢者としてのA氏がどのような行動に出るかがプロミュージシャンとしての腕の見せ所なのですが、いくら老賢者といっても通常はこの段階でミュージシャンを引退します。このように、退行なるものはこのくらい精神的に辛い状況を意味します。

 

東京という地域は日本全国から様々な人々があつまり、そこで新しいものがたくさん生まれます。地方にも日本全国から人は集まりますが、東京にはかなわないかと思います。しかし、地方には重要な役割がありまして、それは地方に残る「慣習」であります。慣習とは古くから伝わる行動様式のことですが、なぜそのような行動様式となるかは不明であることが特徴的であります。例えば関西弁はなぜあのようなイントネーションになるのかについて立証することは不可能です。しかしながら、その地域に古くから根付いている行動様式のことを慣習といいますが、この「古くから」というのがポイントでありまして、深層心理学的には無意識を思い起こすことができます。関西弁を例にすると、これはあくまでも関西でしか使われないことを考慮すると、コンプレックス、つまり、個人的無意識であると評価することができるかと思います。つまり、ある特定の地域で人気が出たからといって、別の地域のコンプレックスを悪い意味で刺激するとA氏の評価は下がってしまうことになります。では、東京での成功が関西のコンプレックスを常に悪く刺激するのか?ですが、これはそのようなことではないのがまた心理学の面白いところであります。東京で人気が出たということは、つまり、東京コンプレックスを制覇した可能性が非常に高いのであります。逆に大阪で成功したミュージシャンが東京では全く話にならない例も星の数ほどあるのですが、これも要するに大阪コンプレックスを制覇したのであって、それが同時に東京コンプレックスを制覇したことにはならないのではなかろうかと私の経験から仮説を設定しております。これゆえ、相手のコンプレックスに対し対応していく能力というものは訓練すれば身につくものでありますから、関西には関西のやり方があるということを知れば相手のコンプレックスをうまく利用することができます。

 

そして全国には全国に向けてのやり方があり、日本全国、さらには世界中の人々から理解を得ようと思うのであれば集合的無意識を意識することが必要となります。集合的無意識とは人間が始まったころからのものとユングは主張しております。それを神話や昔話などから立証していったわけですが、これが本当であるならば、全人類共通の思いを手にするには「古いこと」を行わなければならないことになります。それも古代に行われていたことであります。これをやれば全世界の人の心をいとも簡単に手にすることができます。ところが、古代人がやっていたことを現代で行ったところで、それを理解する現代人がいるか?と考えた時、集合的無意識の理論だけでは問題を解決することはできないことが理解できます。

 

A氏は東京では成功を収めたのですが、コンプレックスのより強い地域において挫折を知ることになります。なぜなら、老賢者となったA氏は自信があったからです。自信がなければ挫折はありません。自信がつくレベルというのはすなわち老賢者のレベルといってよいでしょう。しかしながら、その自信が「無意識」であるがゆえに退行の問題は非常に大きな心の問題となります。なんでしょうね、80年くらいからミュージシャンや歌手が全国を回りながら必死にレコードを売ることをしなくなり、代わりにテレビでとと特定多数の人のレコードを大量に売るという商売の方法が功を奏し、しかしながら、これが現代の音楽産業の衰退の一つの要因となっているかと思われます。現在でもインターネットという手段を使ってその特定の人の仲間入りをしようと必死にもがいている人(一般人、芸能人を含め)がたくさんおり、そのような狭い枠内で「成功」や「失敗」が語られていることが残念でなりません。「いいね」がたくさんつくと素人でも簡単に芸能人になることができるインターネットの時代?ここが日本の芸能界の弱点であり、この点を克服できるように日々研究を続けております。

 

次回からは地域コンプレックスの理解、地域コンプレックスを越えて「日本全国」、さらには「全世界」から評価を得るための方法を吟味していこうと思います。