ゲコゲコ日記
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帰省 ー生き方ー

帰省した時に会った友人には、色んな生き方をしている人がいました。

高校からは受験をしていわゆる進学校へ行ったため、高校以降の友達と話をしても、普通に大学に行ってどこかの企業もしくは公務員として就職している人がほとんどです。企業してる人も若干いますが。

しかし、中学校までだともっとバラエティに富んでいて、自分が普段接している世界がいかに狭いかと思いました。

中学〉高校〉大学〉学科・研究室と専門性が高まるにつれてある意味均質なダイバシティの少ない社会になっていってたんだな、と、思い知りました。

そんななか、話しをした友人の中に、こんな人がいました。その友人は、地元の地域でいえば大したことのないランク(偏差値でいえば当時多分50以下)に進学した友人でした。

「自分は大して勉強ができなかった。できなかった、というか、そもそもやる意味がわからなかった。だからやらなかった。」

「でも高校の時見たある映画がきっかけで医療に携わりたいと思った。でも医者は難しかったから薬剤師を目指した。」

「二浪して大学院まで行って今は薬剤師として働いている」

私はその友人の話を聞いて、心底、羨ましいなぁ、と思いました。

時間がかかったとしても、自分のやりたいことを見つけられて、それを仕事にできたということはどんなにか幸せなことか、と思います。

自分は無駄にテストの成績が良かったので進学校、国立大学へと進学し、なんとなく流れで今の職についてしまいましたが(今の仕事は今の仕事で面白いのですが)、そうではなく、自分のコレ!ってのを見つけられて仕事にできた友人をほんとに羨ましく思いました。

今思うと自分は『教師』という仕事に憧れを抱いていたので、教職とって教職になればよかったな、と、たまに思います。

帰省 ー子供と親ー

少し前のことになりますが、お盆に帰省をしてきました。

今回は中学時代の同窓会をやるということもあって1人で帰省(嫁さん子供といっしょに帰ると1人では飲みに行きづらい)。

卒業以来二十数年ぶりに会った友人たちからいろいろな話を聞き、自分の普段生きている社会の狭さを感じたのですが、それはまた別の話なので後日にまわすとして。

今回、三泊四日という、まぁまぁの期間を1人で(ここでいう1人は、妻子と離れて、という意味)過ごしました。
その間、自分はその同窓会に行ったり、街をぶらぶらしたり、自由に遊んで、家事などは一切せず、気楽に過ごしました。

初日と二日目の午前くらいは、嫁さんと子供と離れてちょっとさみしいなぁ、と思っていたのですが、同窓会の頃にはそれにも慣れてきて、帰る頃には、なんて自由で好きなことだけやれて素晴らしいんだ!くらい思っていました。

要は、自分は子供時代に戻っていました。

子供の頃というのは、もちろんいろんな制約があって大人になった今ほど自由にすることはできません。1人で行けるところにも、1人で使えるお金にもかなり限りがあります。

しかし、その限りの中で言えば、基本的に自分のことだけをしていればいい、しかも、自分のことのうち、食事や洗濯といった身の回りのことはしなくてもいい、という、自由な立場でした。

中学の同窓会に参加したということも手伝ったのかもしれませんが、3日目頃にはすっかり気持ちが子供に戻っていたんですね。

帰省から戻って来ると、早速、洗濯やら子供の風呂やらで、自分の『やりたいこと』よりもまずは『やるべきこと』がたくさんありました。

それまでの自由な生活とのギャップに一瞬、すごくストレスを感じたのですが、すぐに慣れ、本来の大人というか、親としての立場に戻り、そんなストレスも感じなくなりました。

ただ、そのときに、あぁ、なるほど、親になるとはこういうことか、子供との違いはこういうことか、とすごく実感しました。

そして、自分の父親が仕事を退職したときに、
「自分は仕事を他の人より人一倍厳しくにやって来たけど、本来はぐうたらした性格なのかもしれない」と言っていたのを思い出しました。

人ってのは潜在的にせよ顕在的にせよやはりその立場によって気持ちも態度も変わるものなんだな、と思いました。

よし

約2年ぶりにブログを更新するぞー。

やっぱり、感じたこととか考えたことは履歴を残しておかないとな。

ついついおろそかになるけど。

今は妻子と離れて1人地元に帰省しているけど、
何となく物足りない感じがあるなー。

そして今夜は同窓会。20年ぶりくらいに会う人もいるのでまぁまぁ緊張するなー。

子育て第一段階終了感

娘が1ヶ月ほど前に4歳になりました。

娘が4歳の誕生日を迎えてちょっとしてからふと感じたんですが、なんというか、子育ての第一段階が終わったのかな、と思います。一番最初の、人としての核を形成する過程は終わったかな、種をまいて芽を出すところまで来たかな、と。これからは自分で光を浴びて光合成をして栄養を得て大きくなっていくんじゃないかな、と。
もちろん水やりは必要なわけですが。

これからは子供も自分の意思を持って自ら成長していくんじゃないかな、となんとなく思います。

植物の話とは変わりますが、自分のイメージでは、子供って最初は親と同じ領域に溶けている状態。親と自分の境界がなくて、ほぼ同化してるんだと思う。親を丸い領域(◯)で表すと、その中に一体化している状態。

それが次第に親の領域の中に自分と親との境界が出来始めて(自我の形成、イヤイヤ期)、次第にその境界がハッキリしてきて、まずは親の領域の中に自分の領域を作るんだと思う。

そして、その自分の領域の輪郭がある程度ハッキリしたら親の領域の中から外に出られるようになる。輪郭っていうのは細胞壁みたいに外と内とを分かつもので、境界線。

親の領域から出ると言っても、まだその親の領域にくっついてる状態。そしてたまにちょっと離れたりもするけどまたくっついて。たまには親の領域に潜り込んだりもして。

そんなことをやっている内にその領域の輪郭は段々太くハッキリしてくるわけで。そうすると親の領域から離れる時間も長くなるし、もう、たまに親の領域に潜ってみても違和感の方が強くなってきて。

そして次第に親の領域の周りにくっついているのも何だか嫌になってきて(思春期)、ある程度離れたところに自分の領域を持つようになって、ついには2つの独立した領域になる、って感じ。

で、4歳になった娘に感じたのは、このイメージで言うところの、最初の自我が形成されて、自分の輪郭がハッキリしてきて、親の領域から少し外に出ていけるようになってきたかな、というところです。

この、おそらく人としての核が形成されるまでのこの間、自分としては娘の「見て」「抱っこ」という要求に極力応えるようにしてきました。

それはこの部分さえちゃんとすれば将来もし何かしら道を踏み外しても戻ってこれるに違いないと思っていたからです。そして自己肯定感を持った大人に育つに違いないと思ったからです。もっと言うと、自殺しない子になってくれるに違いないと思っていたからです。

あとは、これからも、ですが、子供のときに承認欲求をきちんと満たしてあげると、大人になってから承認欲求に渇望しなくて済むんじゃないかな、とか。

そんなことを考えていたわけですが、自分のできることはできるだけやれたかな、と思います。

保育園に預けてて、接する時間が短い関係上、ここまでくるのに余計に時間がかかったような気はしますが。

以前に比べて「抱っこ」っていう回数はぐっと減ったし、やっぱり近い内に抱っこなんて言わなくなるんだよな。

「抱っこ」って娘が要求する間はそれに応えようと思ってきたけど、そうしておいてよかったな、と思います。

もうすぐ抱っこしたくてもさせてくれなくなるんだろうな。


セールとか

しばらく前に、最近の服は質が落ちてる気がするな~、と書いたんですが、その要因の一つってセールなんじゃないかなぁ、とふと思いました。

十数年前はセールって7月最終週くらいから始まってたと思うけど、最近は6月末くらいから始まっちゃったりしてるから、以前に比べてプロパーな価格で売れる服が減ってるんじゃないかな。
特に7月前半とかまだ梅雨が残っててそんなに暑くなくて夏物衣料の需要がそこまで高まってない時点からセールを始めちゃうのは確実にメーカーは損してると思うよなぁ。

そして正規料金で売れる量が減った結果、利益を確保するために全体的に原価を下げてるんではなかろうか。ただの推測ですが。

セールって、業界全体が一致して8月から、とかルールを作ればいいんだけど、ちょっとでも売り上げをたくさん上げたいところが抜け駆けしてセールをやっちゃうようなことがあると、じゃあウチもウチも、ってなって次第にセール時期が全体的に早まってプロパーな価格で売れる量が減って、結局業界全体を悪化させるということになるわけで、これは典型的な、悪循環パターン。

自分はアパレル業界のことは全く分からずに推測だけで言ってるので全然違ってたら申し訳ないけど…。誰かアパレルの知り合いでもいれば聞いてみたいなー。

出かけたいのに出かけない

長時間通勤をするようになって以来、すっかり土日に外に出る頻度が減ったなぁ、とわれながら思います。


自分はどっちかというと家にずっといられないタイプで、土日に何にも外に出る用事がないときは夕方から散歩に出かけてみたりする方なんですが、ここ最近は何にもでかけないこともしばしば。


今日は午後から妻・娘がいなかったので家のことを済ませてしまえばフリーでして。こんなときじゃないといけないと思っていた、六本木ヒルズにある大塚製靴のお店 を見に行こうと思っていました。


しかし、いざふたを開けてみると、腰が重くて全然出かけない。出かける格好まではしてみてるわけですが。


で、なんでかな~、とよくよく考えてみたところ、すなわち、電車に乗るのが嫌だということに思い至りました。毎日毎日あまりにも長時間電車に乗っているので、どうも電車に乗りたくないのです。


自分は電車はむしろ好きなほうで(特に鈍行)、好きな移動手段ランキングの中でも3番目くらいに位置していたわけですが、それすらいやになってしまうとは・・・。やはり日々の積み重ねと言うのはすごいものです。


そんなわけで結局家でごろごろしているので、たまにはパソコンを開いてこのブログを更新してみている、といった具合。


でも、やっぱり家の中にい続けるのもイマイチなので、徒歩圏内のコーヒーショップにでも行こうかな・・・。

卒業

昨日か一昨日か忘れたけど、駅の改札間際で騒ぐ女子高生の軍団。

うるせーやつらだな

と斜に見て通り過ぎようとしたところで、はたと気づいた。おー、これは卒業なんだな、と。

自分は最後に卒業をしてからはや10年以上が経ちましたが、卒業にあたって感慨を持ったことはあまりなかった気がする。

小学校の卒業は、みんな基本的に同じ中学に行くのでそもそも寂しい理由がなかった。

中学校の卒業は、仲良かったメンバーから1人だけ別の高校に行ったので、卒業する前は少し寂しく思っていたが、結局春休みはその友達と遊びっぱなしだったので、やっぱり寂しくなかった。

高校の卒業は、地元も離れるしもう完全にバラバラ、今度こそ寂しい、はずだったんですが、仲良し同じ部活から他に2人同じ大学に行くし、そんなに寂しくなかった。

大学の卒業は、そもそもそんなに寂しくないでしょう。

そんなわけで自分はこれまでの卒業に対して寂しいと感じたことは多分、ほとんどなかったんだけど、自分の娘がいつの日か保育園を卒園することを思うと、本当に寂しい。

娘が卒園するというか、それによって今のクラスの友達に会えなくなるのが寂しいと思ってしまいます。

この3月でクラスのお友達が3人も退園してしまうので、それが寂しいと感じる3月です。多分、娘はまだ寂しいとかあんまり感じないんだとおもいますが。

誕生日

先日誕生日でした。

最近はご丁寧なことにフェイスブックで友達登録していると「今日は◯◯さんの誕生日です」とかアナウンスしてくれるもんだから、ほんと便利な世の中になったもんです。

ちなみに自分はこのアラートが出るようになったせいで、友達に「おめでとう」というのが嫌になってしまった方です。

だって、ほんとにちゃんとその人の誕生日を覚えていたのに、「まぁフェイスブックのアラートがでるからな」と思われるとなんだかなぁ、と思うからです。まぁ、それにフェイスブックのような公の場でなんか書き込むのもはばかられるというか。だからと言ってわざわざ個別にメールやラインをするほど仲良くはないし、とか。

自分がそんななので、自分のタイムラインに「おめでとう」と書いてくれた人たちはそのちょっとした心理的障壁を乗り越えて書き込んでくれてるんだと思うので、逆にありがたいとも思うのでした。


北九州マラソン レース終了後編

マラソンのゴール後、荷物のある会場へ向かうのですがそこで荷物を持ってきてくれた高校生のボランティアスタッフ達の動きの素晴らしいこと!

こっちはそんなに急いでないんですが、すごく急いで荷物を見つけて持ってきてくれて。ジュースの一つもおごってあげたかった。

さて、レース終了後、柄にもなく完走記念の写真撮影に並んでみたりして、しばし休憩。落ち着いたところで再び友人のやっているカフェに行き、コーヒー一杯。めちゃくちゃ寒かったので、暖まるー。

そのご、一緒の大会に出ていたの、中高陸上部時代の友人に、多分15年振りに会って、お茶。明日は仕事だそうで。今から帰るとか言って、ほんとすげーな。

それから、駅で立ち食いうどんを食べて帰りました。

が、そのうどん屋で、お客のおっちゃんがお店のおばちゃんに対して、今日は北九州マラソンやってるせいで道は混むし、うるさくてかなわん、こっちは朝帰ってきてるのに、寝られん、というような事をボヤいてました。

あー、そういう負の側面も多少なりともあるよね…、と肩身の狭い思いでうどんを流し込みました。


今回の大会、注文をつけるなら、出走地点のトイレを増やすことと、開催日をずらすこと(時期的に寒過ぎるし、天気も悪いことが多いみたい)、くらいでしょうか。スタートの式典も長いけど、ああいうのは省略できないもんだよね…。

それ以外はボランティアスタッフはじめ、スタッフの皆さん素晴らしかったと思います。どうもありがとうございました。

ありがとうついでではないですが、最後に参加を後押ししてくれ、送り出してくれた嫁さんにも感謝感謝です。ありがとう。

北九州マラソン 後半〜ゴールまで編

北九州マラソンも中間地点を過ぎて後半に突入。

この時点で完走は相当微妙だ、と思っていました。

それは、体力的にもうダメ、というわけではなくて、足の疲労感がひどかったからです。いつ足がつって走れなくなるかもうわからない、という状態です。肉離れもしたことあるので、そうならないかも心配で…。

ところで、自分はこれまでに参加したマラソンでは、給水はするものの、エイドステーションにある食べ物を食べたことはありませんでした。だって、固形物なんか食べてたらぜったいおなか痛くなるし、そんなの食べながら走るほどの余裕はないし。これまでは少しだけ食べ物を手元に用意して補給していました。ウィダーとかキャラメルとか。

今回はゆるゆる走ってることもあってか、トイレにも行ったけどお腹も空いてきました。

そんな時現れたのが湖月堂の栗饅頭です。

普通に止まってパクパク。給水以外で初めてのエイド活用です。今回は給水もそうですが、全ていちいち止まりました。走りながらの給水ってうまくできないし、スポーツドリンクだとこぼしたらベタベタになるし、今日に限って言えば濡れたら寒いし。時間的にはロスですが、時間を大して気にしてないというのは、こういうところに余裕が持てて素晴らしい。

で、栗饅頭ですが、、、うまい。

この疲れた身体に甘いものは本当に美味しい。

この後も、資さんうどんのぼた餅や、小さなアンコの入ったきな粉団子、焼うどん、チョコクロワッサンなど、相当楽しみました。終盤に出てきた小倉牛は流石に断念でしたが。しかし、こんな風なエイドの楽しみが実はあったんだと、マラソン大会の新しい楽しみを発見です。

さて、話はレースに戻って湖月堂。

ここを過ぎたあたりの海岸は、これまた懐かしのスポットで、なぜか自分が小学生だった頃、親父に連れられてこの辺りに来ていました。別にこれといった面白いものは何もないんですが。

レース後、親父に「なんであそこの海岸によく行ってたの?」と聞いてみたところ、釣り人の釣果を見るのが面白いのと気分転換、という事でした。子供の遊び場は無視だな。

でも、この海岸べたで、親父が自分をお姫様抱っこのようにして抱き抱え、海に放り投げようとする真似をして遊んでいたことを思い出します。遊びなんだけど、こっちはすげー怖い。もちろん放り投げられることがないとわかっていても怖い。

しかし、今冷静にみると、危ないし(何かの拍子に手が滑ったらどうすんの)、見方によっちゃ虐待じゃないかと(自分は遊んでいたつもりだったけど、周りから見たら)。

と、そんな思い出も思い出しながら走ったわけです(本当に話が脱線するな)。

次第に戸ノ上山が見えてきて、なんというか、自分の中の原風景はこれだなぁ、と実感。

そんな懐かしく暖かな気持ちとは裏腹に足が本当にしんどい。

この頃、ペースはたぶん5:30/kmくらいだったと思うんですが、いよいよ余裕がない。

そして確か25キロ過ぎだったと思うけど、しんどくなって早速もう歩いてしまいました。

再び走り出したものの、足が痛くて走るのがしんどい。今となってはどこがどう痛かったのかよく思い出せませんが、たぶんふくらはぎの下の方だったと思います。

走れば走るほどしんどい。

止まってストレッチをしてみたり、足運びを変えてみたり試してみるけど、ここまでだともはや焼石に水である。

この辺からは精神的にも余裕が失われ始め、距離やペースを気見るのでなく、誰かについていく、とか、何か他のものを見て気を紛らわす、とか、辛さから目を逸らすようにものを考えていたというか、心の中の現実逃避を始めていました。

そして門司港レトロあたりの30km。この時点で考えていたことは、「残り10キロの地点で、そこから全部歩いたとして、急ぎ足で1時間5キロ歩ければ、制限時間には間に合うくらいにはなるようにしておこう」という事でした。

しかしこの辺、本当に風が強くて、海から波の飛沫が飛んでくるほど。このよれよれの身体にはこの風は厳しく、前に進まないだけならまだしも、危うくこけそうになってしまいました。

門司港レトロの辺りからはもう走ったり歩いたりで、32kmも過ぎた辺りからはあまりに辛くて正直なところが、あまりに記憶が残っていません。

とにかく足が痛くて、次第に、歩いて走ってを繰り返すようになり、1キロのペースをなんとか7分以内に保とうと頑張っていました。キロポストを見つけてはそこまで走り、そこでゴールかのごとく止まってしばし歩き、また走り出してはすぐに歩き、キロポストが見えたら7分に間に合うように必死で走る、みたいな具合です。

沿道で「あと5キロ、あとちょっとでーす、頑張ってくださーい!」とか応援してくれるボランティアスタッフに対し、「マラソンの最後の5キロはあとちょっとじゃないんだよコノヤロー!」と心の中で悪態ついたりしてました。

やっぱ、マラソンって20キロは1/4~1/3だし、30キロで1/2、35キロでも7割くらいだと思うなぁ。対数的だよね。

とまぁ、そんな精神状態でして、あまりに辛くて本当にあんまり記憶がありません。

でも、40キロを過ぎたところだったと思いますが、ふと見ると、あの金哲彦さんが近くを走っていました。

瞬間的にテンションが上がって(金さんとは出身校が同じ)、思わず話しかけに行ってしまいました。ほんの、2、3言ほど会話をしただけでしたが、おー、精神力というのはあるもんで、金さんの前で歩けない!としばらく頑張って走れました。

…まぁ、それも1キロ未満しか持ちませんでしたが。

残り1キロくらいのところで携帯を見ると、妻から着信アリ。ちょうど歩いていたので、掛け直して、少し話をしました。そしてまた元気が貯まったので、最後の数百メートル、走りました。

そして、ついにゴール!!

嫁さんに再度電話をすると、自分がゴールした瞬間、テレビの端っこの方に映ってたらしいです。

ゴール後、完走記念のメダルをおばちゃんからもらいました。

そう、自分はこのメダルが欲しいがためにこんなにも足が痛いのを無理して頑張って走ってきたのです。

完走メダルがこんなにも嬉しく、誇らしい物だったとは…!!

最初に出場したマラソン大会で、一緒に参加したランニングを全くやらない同期が、メダルをもらってすげー嬉しそうにしていたのを見た時は、全くその気持ちがわからなかったが、今はほんとによくわかる!こんな気持ちだったのか!

ほんとにほんとにほんとにほんとに辛かったけど、これまでに参加したマラソン大会の中で圧倒的に辛くてタイムもないようなもんだけど、こんなにも楽しい大会は初めてでした。

自分の思い出の詰まっている土地を、この長い間離れたのちに再び走れたことの喜び。

そして思いがけず知ることになった補給食の楽しみ。

気象条件は最悪に近かったと思いますが、本当に充実した、楽しいマラソンになりました。

来年も抽選に当たれば参加したいです(タイムを狙うか楽しんで走るかは悩まれるとこだけど)。


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