地震 29 津波
3月23日(水) 津波
余震で起床。
起きたら雪が積もっていた。相変わらず、凍えるように寒い。
今日は余震が多い。
福島では震度5の余震が3回。こちらも何度も何度も揺れた。
午前11時には暖房切れる。照明も大半が消されているので、休日のような雰囲気。
火曜日から、佐川急便で集荷と配達が可能になった。
ただし当面は県内でも翌日配達されるかどうかは分からない、とのこと。
ちなみに郵便局の集荷と配達は、地震明けの月曜日から行われていた。(ただし配達に関しては時間がかかり、また津波などの被害を受けた地域の郵便については戻ってくる可能性あり)
ビル内の自動販売機は夜から朝まで電源が切られている状態。
少しずつガソリンが入ってきているようで、先週と比べると並ぶ時間は少なくなってきている模様。
三沢は比較的八戸のガソリンスタンドより混雑していないと聞く。
今日はオール電化住宅の話になった。
とても便利なイメージがある。でも、やはり停電時は大変とのこと。
家で思い出した。
被災地を見舞ったイトコが、こんな話をしていた。
「津波の被害が大きかったのは、最近の家が機密性高いのも関係している。今の家は、津波に襲われると、そのまま水に浮いてしまい、他の建物などにぶつかって壊れる。だから被害が大きかった」
確かに、昔の古い建物ならば、津波に襲われた時点で、ある程度は砕けただろう。
それなら他の物を壊す、ということはなかったかもしれない。
また、彼の身内に関する、ある話を聞いた。
津波で行方不明となった老人の話だ。
家族が必死で「避難しよう」と家から連れ出そうとしても「絶対に大丈夫だ」と、避難しなかったとのこと。大きな防波堤があること、また長いあいだ大きな津波がなかったのも、警戒心を薄れさせた原因だったようだ。
逃げるどころか見に行こうとすらしていたらしい。
どれだけ言っても全く聞き入れてもらえず、ついに家族は老人を残して避難したとのこと。
また、別な老人は、一度は避難したものの、妻の姿が見当たらないことに気付いて家に戻り、そのまま行方不明に。妻は津波には流されたものの、たまたま体が何かに引っかかり救助されたとのこと。
たまたま私の親戚には人的被害がなかった。
しかし、同じ地域で多くのひとが亡くなっていることを思うと……。
見聞きしたことは、きちんと書き留めていこう、と改めて思った。
それが、いつか自分や、誰かの役に立つかもしれないから。
もうあんな津波はないかもしれない。でも、あるかもしれない。
少しでも役に立つのなら、きっと無意味なことではないだろうと思う。
余震で起床。
起きたら雪が積もっていた。相変わらず、凍えるように寒い。
今日は余震が多い。
福島では震度5の余震が3回。こちらも何度も何度も揺れた。
午前11時には暖房切れる。照明も大半が消されているので、休日のような雰囲気。
火曜日から、佐川急便で集荷と配達が可能になった。
ただし当面は県内でも翌日配達されるかどうかは分からない、とのこと。
ちなみに郵便局の集荷と配達は、地震明けの月曜日から行われていた。(ただし配達に関しては時間がかかり、また津波などの被害を受けた地域の郵便については戻ってくる可能性あり)
ビル内の自動販売機は夜から朝まで電源が切られている状態。
少しずつガソリンが入ってきているようで、先週と比べると並ぶ時間は少なくなってきている模様。
三沢は比較的八戸のガソリンスタンドより混雑していないと聞く。
今日はオール電化住宅の話になった。
とても便利なイメージがある。でも、やはり停電時は大変とのこと。
家で思い出した。
被災地を見舞ったイトコが、こんな話をしていた。
「津波の被害が大きかったのは、最近の家が機密性高いのも関係している。今の家は、津波に襲われると、そのまま水に浮いてしまい、他の建物などにぶつかって壊れる。だから被害が大きかった」
確かに、昔の古い建物ならば、津波に襲われた時点で、ある程度は砕けただろう。
それなら他の物を壊す、ということはなかったかもしれない。
また、彼の身内に関する、ある話を聞いた。
津波で行方不明となった老人の話だ。
家族が必死で「避難しよう」と家から連れ出そうとしても「絶対に大丈夫だ」と、避難しなかったとのこと。大きな防波堤があること、また長いあいだ大きな津波がなかったのも、警戒心を薄れさせた原因だったようだ。
逃げるどころか見に行こうとすらしていたらしい。
どれだけ言っても全く聞き入れてもらえず、ついに家族は老人を残して避難したとのこと。
また、別な老人は、一度は避難したものの、妻の姿が見当たらないことに気付いて家に戻り、そのまま行方不明に。妻は津波には流されたものの、たまたま体が何かに引っかかり救助されたとのこと。
たまたま私の親戚には人的被害がなかった。
しかし、同じ地域で多くのひとが亡くなっていることを思うと……。
見聞きしたことは、きちんと書き留めていこう、と改めて思った。
それが、いつか自分や、誰かの役に立つかもしれないから。
もうあんな津波はないかもしれない。でも、あるかもしれない。
少しでも役に立つのなら、きっと無意味なことではないだろうと思う。
地震 28 不謹慎、について
3月22日(火) 朝から夜、そして不謹慎という言葉について
四日ぶりの出社。
月曜なので会社が寒かった。昼前に暖房が切れていた。その後も三度ほど電源のオフオンあり。常に寒かった。厚着していても震えるほど。外は吹雪だった。
午後から数度の余震あり。
何度目かの余震のあと、急に息が苦しくなった。理由分からず、しばらく考えてから、パニック障害の発作なのだろうと気が付いて頓服を飲んだ。呼吸困難は初めて……というより、しばらく発作自体がなかったので、軽く凹む。薬を飲んでも、まだ落ち着かない感じ。
ここ数日、あちこちで「不謹慎」という言葉を見かけて不思議に思っている。
そこで、自分にとって、何が「不謹慎」と思うかを考えてみた。
(以下、実際に見聞きした例を元に私の考え)
・「震災をネタにした替え歌」→内容は言えないし、言いたくない。とにかく不謹慎。ありえない。
・「瓦礫を前に記念撮影」→これは不謹慎だ。絶対有り得ない。阪神大震災のとき、こういう人々がいると聞いて本当に悲しかった。残念なことに、このへんでも発生している様子。ただし、記録としての写真は必要と考える。被災の様子を記録として残すことは重要だと思うし、必要なこと。
・「外食」→これで炎上したツイッターがあるとか…。もし、仮に、そのひとが、被災したひとに向かって外食に行くことを自慢したら、それはNGかもしれない。でも日常生活で既に募金や節電などで、被災していないひとびとも、たくさん協力してくれている。更に外食までNGってのは、私は違うと思う。なるべくなら普通に日常生活を送ってほしいし、そうすることで経済の衰退を防いでほしいと思う。
・「被災地での卒業式」→不要と考えるひともいるようだけど、可能なら卒業式はあってもいいと思う。こういうときだからこそ。節目として。気持ちを切り替える儀式として。若いひとには未来に向かって進んで欲しいから、そのためにも。
・「買占め」→不謹慎とは違うけど、控えてもらえればと思う。でも買い物するのダメなの?!という考え方になってしまうかたもいるようで難しい……。
・「火事場泥棒」→問題外。
たくさんのひとがいて、それぞれの考え方がある。
私の考えは、間違っているのかもしれない。でも、もしそれが間違いだと指摘されたら、相手の意見を聞いて一緒に考えられたらいいな、と思う。
正しいかどうかで喧嘩するんじゃなくて。
そうやってお互いが、それぞれ納得できたらいいのだけれど。
仕事帰りにスーパーに寄ってみた。
相変わらず品物は少ない。豆腐やカップラーメン、もやし、かいわれなどはゼロ。
でも牛乳と食パンが買えた。米があった。肉も買えた。ウインナーが売っていた。
先週と、まるで違っていた。お客さんも「ある」という安心感からか、ゆったりと買い物をしていて、買占めをしているように見えるひとは誰もいなかった。
少し幸せな気持ちになった。
四日ぶりの出社。
月曜なので会社が寒かった。昼前に暖房が切れていた。その後も三度ほど電源のオフオンあり。常に寒かった。厚着していても震えるほど。外は吹雪だった。
午後から数度の余震あり。
何度目かの余震のあと、急に息が苦しくなった。理由分からず、しばらく考えてから、パニック障害の発作なのだろうと気が付いて頓服を飲んだ。呼吸困難は初めて……というより、しばらく発作自体がなかったので、軽く凹む。薬を飲んでも、まだ落ち着かない感じ。
ここ数日、あちこちで「不謹慎」という言葉を見かけて不思議に思っている。
そこで、自分にとって、何が「不謹慎」と思うかを考えてみた。
(以下、実際に見聞きした例を元に私の考え)
・「震災をネタにした替え歌」→内容は言えないし、言いたくない。とにかく不謹慎。ありえない。
・「瓦礫を前に記念撮影」→これは不謹慎だ。絶対有り得ない。阪神大震災のとき、こういう人々がいると聞いて本当に悲しかった。残念なことに、このへんでも発生している様子。ただし、記録としての写真は必要と考える。被災の様子を記録として残すことは重要だと思うし、必要なこと。
・「外食」→これで炎上したツイッターがあるとか…。もし、仮に、そのひとが、被災したひとに向かって外食に行くことを自慢したら、それはNGかもしれない。でも日常生活で既に募金や節電などで、被災していないひとびとも、たくさん協力してくれている。更に外食までNGってのは、私は違うと思う。なるべくなら普通に日常生活を送ってほしいし、そうすることで経済の衰退を防いでほしいと思う。
・「被災地での卒業式」→不要と考えるひともいるようだけど、可能なら卒業式はあってもいいと思う。こういうときだからこそ。節目として。気持ちを切り替える儀式として。若いひとには未来に向かって進んで欲しいから、そのためにも。
・「買占め」→不謹慎とは違うけど、控えてもらえればと思う。でも買い物するのダメなの?!という考え方になってしまうかたもいるようで難しい……。
・「火事場泥棒」→問題外。
たくさんのひとがいて、それぞれの考え方がある。
私の考えは、間違っているのかもしれない。でも、もしそれが間違いだと指摘されたら、相手の意見を聞いて一緒に考えられたらいいな、と思う。
正しいかどうかで喧嘩するんじゃなくて。
そうやってお互いが、それぞれ納得できたらいいのだけれど。
仕事帰りにスーパーに寄ってみた。
相変わらず品物は少ない。豆腐やカップラーメン、もやし、かいわれなどはゼロ。
でも牛乳と食パンが買えた。米があった。肉も買えた。ウインナーが売っていた。
先週と、まるで違っていた。お客さんも「ある」という安心感からか、ゆったりと買い物をしていて、買占めをしているように見えるひとは誰もいなかった。
少し幸せな気持ちになった。
地震 27 小さな声
3月22日(火) 小さな声
※この記事は、引用した質問をベースにしています。そのため、質問者様のご意向に添えなかったりした場合は削除や内容の変更等も発生します。
今日の昼にYahoo知恵袋で見つけた質問です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1158134746
「小さな集会所や孤立している施設や会社などで、ネットや電話も繋がらない状態でつらい思いをしているひとがいないか心配です。募金をしても本当につらい思いをしているひとの助けになっていないかと思うとむなしいし、ツイッターなども所詮有名な人の声しか遠くには届きません。小さな声が大きな声にかき消されて存在自体が見逃されているのでは」
という内容です。
(全文コピペして引用するのは好きではないので勝手ながら要約しました)
まず、募金に関しては、私はつらいひとの助けになると信じています。
(すべてのひとに公平に行き渡るかは分からないですが)
しかし避難所による格差などは存在すると思っています。
今日、妹や母が避難所にいる親戚を尋ねました。地区内に幾つか避難所があり、やはり場所による違いは大きいとのこと。全国の皆様のおかげで、物資は届き始めているようですが、まだまだ、足りないのが現状のようです。トータルで考えれば、非常に多くのひとが避難していますから……。生理用品や、マスクなどは手に入ったものの、下着や毛布には大喜びしていたそうです。下着がなくて、新品ではない下着を人から貰っているような状態だと…。
そこは比較的大きな避難所です。
(被害が大きかった地域だから)
それでも、そういう状態なのです。もっと交通の便が悪くて、もっと孤立した地域なら、環境は更に良くないに違いありません。
また様々な理由により、避難所に行くことが出来ず、更に食料がない人々もいます。
避難所に行けば食料を手に入れられる「こともある」という状態。
被災し、自宅にいることは出来ても、食料も電気もガスもなく、水も使えない。これこそまさに、「孤立した避難所」なのではないでしょうか。
電話や携帯が未だ普通の地域は、ツイッターどころかメールも出来ません。声をあげることすら叶わない人々も、います。
知恵袋の回答で「ここで言っても始まらない」的な回答を見かけました。
そうかもしれない。でも、変わるかもしれない。
このブログは決してPVが多いわけではありません。それでも、見てくださったひとにとって、少しでもこういった現状に関して考えたり話すきっかけになればと思います。
小さな声は大きな声にかき消されるかもしれません。でも、小さな声がたくさん集まったら、大きな声よりも力を持つかもしれないのだから、言う価値はあるでしょう。
少し長くなりますが、知恵袋の話題になったので、対照的なひとつの質問を紹介します。
リンクは貼りません。内容のみ紹介です。
「東北の被災者は【物資が足りない】っていうのをやめてほしい。そのおかげで、自分の地域が、いろんなものが足りなくなっています。優先的に物資が届けられているのだから、もう何も不満を言わないでください」
……非常に対照的です。最初のかたと違って、このかたは被災者に対する怒りを感じておられたようです。地震に遭い、津波にあって、何もない。下着すらない。毛布もない。食べるものも水も、自力で手に入れることが出来ない状態にあるひとびとに向かって、「自分の地域もモノがなくなるから足りないと言うな」と。
世の中には様々な考え方の人がいます。しかし、少なくとも二番目のかたはご自宅にいて、インターネットに繋ぐことが出来る環境にある。ということは電気は通っていますね。電話も使えるでしょう。固定はダメでも携帯は使えているのでしょう。そのかたが今日食べるものにも困っている可能性もゼロではないので簡単に全否定することは出来ません。しかし、最初に紹介した質問には同意できるのですが、二番目に紹介した質問には、私は同意できません。
足りないと言わなければ、その声は届かない。声を上げても、二番目に紹介した質問のように否定するひとがいるかもしれない。それでも、言わなければ伝わらないなら、言い続けるしかないでしょう。
どうか小さな声が集まりますように。
そしてその声が、きちんと届きますように。
※この記事は、引用した質問をベースにしています。そのため、質問者様のご意向に添えなかったりした場合は削除や内容の変更等も発生します。
今日の昼にYahoo知恵袋で見つけた質問です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1158134746
「小さな集会所や孤立している施設や会社などで、ネットや電話も繋がらない状態でつらい思いをしているひとがいないか心配です。募金をしても本当につらい思いをしているひとの助けになっていないかと思うとむなしいし、ツイッターなども所詮有名な人の声しか遠くには届きません。小さな声が大きな声にかき消されて存在自体が見逃されているのでは」
という内容です。
(全文コピペして引用するのは好きではないので勝手ながら要約しました)
まず、募金に関しては、私はつらいひとの助けになると信じています。
(すべてのひとに公平に行き渡るかは分からないですが)
しかし避難所による格差などは存在すると思っています。
今日、妹や母が避難所にいる親戚を尋ねました。地区内に幾つか避難所があり、やはり場所による違いは大きいとのこと。全国の皆様のおかげで、物資は届き始めているようですが、まだまだ、足りないのが現状のようです。トータルで考えれば、非常に多くのひとが避難していますから……。生理用品や、マスクなどは手に入ったものの、下着や毛布には大喜びしていたそうです。下着がなくて、新品ではない下着を人から貰っているような状態だと…。
そこは比較的大きな避難所です。
(被害が大きかった地域だから)
それでも、そういう状態なのです。もっと交通の便が悪くて、もっと孤立した地域なら、環境は更に良くないに違いありません。
また様々な理由により、避難所に行くことが出来ず、更に食料がない人々もいます。
避難所に行けば食料を手に入れられる「こともある」という状態。
被災し、自宅にいることは出来ても、食料も電気もガスもなく、水も使えない。これこそまさに、「孤立した避難所」なのではないでしょうか。
電話や携帯が未だ普通の地域は、ツイッターどころかメールも出来ません。声をあげることすら叶わない人々も、います。
知恵袋の回答で「ここで言っても始まらない」的な回答を見かけました。
そうかもしれない。でも、変わるかもしれない。
このブログは決してPVが多いわけではありません。それでも、見てくださったひとにとって、少しでもこういった現状に関して考えたり話すきっかけになればと思います。
小さな声は大きな声にかき消されるかもしれません。でも、小さな声がたくさん集まったら、大きな声よりも力を持つかもしれないのだから、言う価値はあるでしょう。
少し長くなりますが、知恵袋の話題になったので、対照的なひとつの質問を紹介します。
リンクは貼りません。内容のみ紹介です。
「東北の被災者は【物資が足りない】っていうのをやめてほしい。そのおかげで、自分の地域が、いろんなものが足りなくなっています。優先的に物資が届けられているのだから、もう何も不満を言わないでください」
……非常に対照的です。最初のかたと違って、このかたは被災者に対する怒りを感じておられたようです。地震に遭い、津波にあって、何もない。下着すらない。毛布もない。食べるものも水も、自力で手に入れることが出来ない状態にあるひとびとに向かって、「自分の地域もモノがなくなるから足りないと言うな」と。
世の中には様々な考え方の人がいます。しかし、少なくとも二番目のかたはご自宅にいて、インターネットに繋ぐことが出来る環境にある。ということは電気は通っていますね。電話も使えるでしょう。固定はダメでも携帯は使えているのでしょう。そのかたが今日食べるものにも困っている可能性もゼロではないので簡単に全否定することは出来ません。しかし、最初に紹介した質問には同意できるのですが、二番目に紹介した質問には、私は同意できません。
足りないと言わなければ、その声は届かない。声を上げても、二番目に紹介した質問のように否定するひとがいるかもしれない。それでも、言わなければ伝わらないなら、言い続けるしかないでしょう。
どうか小さな声が集まりますように。
そしてその声が、きちんと届きますように。

