on the way to light place -22ページ目

地震 38 帰国勧告

3月29日(火) 帰国勧告

少しだけ寒さが緩んだように感じられる。
そんな日に限って、なぜか会社の暖房が入りっぱなし…。
入社式だったようで、会社には新入社員の姿が。
春だな、と思う。

郵便局に切手を買いに行ったら「140円切手は品切れなんです」とのこと。
何度請求しても届かないらしい。
ちなみに90円も、残り僅かだと。

食料や燃料は改善され始めているのだけれど、それ以外の品不足が少し目に付くようになった。

とても気になることがあって友達にメールし、夜に会う約束をした。

その友達はイギリスから来ている。
多くの国が、東北及び関東に住む人々に帰国勧告を出しているのは知っている。
でも「帰るの?」って、ずっと聞けずにいた。

彼は3月に契約を更新して、来年もここに残る予定だ。そのことに、つい先日、大喜びしたばかり。
だから聞けなかった。帰る、と言われたら悲しくなるから。

でも、もし帰るとしても、それは仕方のないことだ。

「いろんな国で、帰るように言ってるよね。イギリスもだよね」
と聞いた。彼は、こう答えた。
「そう。イギリスも、それからたくさんの他の国も。飛行機が用意されてて、チケットもフリー。人を集めて、国に連れ帰ってる」
と。

でも(100%確定ではないだろうけど)彼は帰らない、とのこと。嬉しかった。
彼が自分で「残る」って選択をしてくれたのが。
帰れるけど帰らない、ってことが。

家族や友達は心配していて、毎日たくさんの電話やメールが来ているとも聞いた。
泣きながら電話掛けてきたりするらしい。

私が気に入っているインドカレーのお店は「地震の影響で、しばらく休みます」の張り紙があった。もしかしたら今は日本にいないかもしれない。

ここじゃない場所に家族があるひとは、帰りたくなっても仕方ない。
他の友達は、どうなんだろう。
「帰る」って言ったなら、寂しいだろうな。

仙台に住んでいたアメリカからのALTが津波で亡くなった、と聞いた。
最初は生存しているとの情報があったそうだけれど、結果的に遺体で見つかったとのこと。
彼らは当然その話を知っているはずだから、きっと誰もが悩んでいるだろう。

「帰る」と言っても、引き止めることは出来ない。どんなに寂しくても。

地震 37 operation Tomodachi

3月28日(月) operation Tomodachi

朝から変な音が聞こえる…と思ったら緊急地震速報。
結構揺れた。
余震自体は少なくなっているようにも感じられる。けれど未だに少し大きいものがあり、怖い。

週末の滅茶苦茶な勤務のせいか、酷く疲れていた。
本当は休もうかとも思っていたけれど結局は出勤。

年度末だから。

日曜日の夜は友達が家に来てくれた。
彼は米軍で働いている。
地震以降は会っていなかったので、とても嬉しい。
三沢基地からココまでは1時間近い。フライドチキンやクッキーなど、たくさんオミヤゲを持ってきてくれた。晩御飯は、前から約束していた「日本のカレーライス」にした。

operation Tomodachiの話になった。

普段行っている訓練などを完全にSTOPして災害復旧や物資の運搬などを行っているとのこと。
彼は普段の業務ではないことをしているとのこと。
沖縄や、ドイツや、いろんなところから大勢が来ているそうだ。
ちなみに三沢の基地は八戸より電力の戻りは遅かった。
私はてっきり基地内は別電源かと思っていたのだが、そうじゃなくて基地も停電だったとのこと。
(ただし施設によっては、ちゃんと電気あったりもする)
自分たちも停電なのに、ずっと日本のために働いていてくれたのだということに、涙が出た。
「operation Tomodachiってさー、泣けたんだけど、その名前が。感動した」
と言ったら、彼も感動した、嬉しかったよ、と言ってた。
彼は非常に日本や、八戸を愛してくれている。
すごいことだと思う。

うちの母親に会えないことを残念がっていたので、実家とskypeを繋いだところ、
「津波大丈夫でしたか?」
という母親の問いに、
「基地は遠いから大丈夫です。私の家も遠いから大丈夫です」
と綺麗な日本語で答えていてビックリした。
本当に恐ろしいスピードで日本語上達している。すごい。負けていられない、と思った。

また機会を改めて書くけど、こういう災害や緊急事態に関する英語は普段使わないので難しい。
しかし、そんなことより普通に日本の発音で「ツイッター」って言ったら通じなかった…当然だ。


こんなときに、こうやって、会いに来てくれる友達がいる。
そのことは凄く私に力をくれる。

地震 36 被災地に住む「非」被災者

3月27日(日) 被災地に住む「非」被災者

震災以降、変わったことが幾つかある。

電気や燃料を、使わなくなった。
夜に出掛けなくなった。
早く起きるようになった。
買い物の回数が減った。
食べ物を大事にするようになった。
ニュースを見る頻度が増えた。
家族や親戚と連絡を取る回数が増えた。

今も、寝るときは、靴下を履いて、すぐに外に出られる格好で寝ている。(さすがにジャンパーは着なくなったけど)

まだ津波の被害を受けた地域には、行けていない。
本当は今日、行くつもりだった。でも行けなかった。
車で15分も走れば着く。
でも、まわりのひとも「なんだか行けない」と言っていた。軽い気持ちで見に行けるものではない。
同じ地域の写真ですら、ネットを介してしか、見ていない。

ここも、被災地だ。
でも自分は「被災者」なのかと言われると、それは違うと思う。

そのせいか、なんだか違和感が常に消えない。違和感と、そして恐怖感が。


話は変わるが、いとこからの話。

被災地において、いま不足しているものについての覚書。
(場所によって異なると思われる)

・下着
・食料
・毛布
・燃料
・服

4月からは学校も始まるが、文房具もない状況。
また長靴が必須のようだがもちろん何も持ち出せなかったので、遠くに行く人に頼んで買ってもらったとのこと。

時間がたつにつれて必要なものは変わっていくだろう。
今日は夜から、またクローゼットの中を見てみようと思っている。
まだ寒い時期が続いている。少しでも暖かいものを見つけられればと思う。


地震 35 動物と暮らすということ

3月27日(日)深夜から昼過ぎ 動物と暮らすということ

夜間作業は思ったより順調で、深夜3時頃に終了。
作業中に何度か余震。

3時半過ぎに帰宅し、昼くらいまで寝た。

午後から何度か余震。
既に小さい余震だとYahooには表示されないし、震度を確認しようとも思わなくなった。
これが慣れなのだろうかと思う。


ここ最近すごく気になっているのは、ペットと一緒であれば被災地にいても避難所に入れない、ということ。うちも漣がいる。まだ3歳のビーグル。うるさいこと、この上なし。
今も、ドッグランに行きたがって(14時くらいから)吠えている。

こんなのどこにも連れて行けない。

でも、置いてはいけない。

避難所に犬を連れて行くということは難しいと思う。ひとですら食べるものがない状況なのだから。
生きている、という部分では…命という部分では同じだと思う。でも、そう思わないひとや、動物が嫌いなひとにとっては、理解しがたいだろう。

津波で逃げているひとの映像をニュースで見たとき。
建物の屋上に、何組か、犬を連れている家族があった。ああ犬も連れて逃げることが出来て良かった、と思った。でも、大変なのは、きっとそこからなんだ……。

仮設住宅が出来上がったとき、そこに犬は入れるだろうか。

そもそも、いま、犬たちは食べるものがあるんだろうか。
(阪神大震災のあと、残された犬たちが野犬の集団になったと聞いた。本当だろうか)
幾つか動画やブログを見たけど、泣けて仕方なくて今日は見ていない。

犬と暮らし始めるとき、それなりにいろんな覚悟をした。
生活にいろんな制限がかかることを考えた。それでも一緒に暮らしたかった。
(今でも思うけど)もし、事情があって、どうしても飼えなくなって、引き取り手がなかったら、そのときは…みたいなことは考えた。しかし地震は想定外だった。

改めて動物と暮らすことの難しさを考えた。


いとこが、仮設住宅の申し込みをしたと聞いた。

どのくらい仮設住宅が建てば足りるんだろう。
いずれにせよ、継続した支援が必要だ。

今日も、アフリカの子供たちの歌を聴いて泣いた。
祈りの声は、なんと美しいことだろう。

地震 34 祈り

3月26日(土) 祈り

残業だか夜間作業だか分からないエンドレスな20時間勤務を終えて朝の6時前に帰宅。
余震があったかも分からないほど爆睡していたところ電話が鳴り10時に起きるが、また布団へ。
何度も電話で起こされて、またベッドに戻る…の繰り返し。

夜から再び出社なので、結局15時まで寝た。

19時頃に外出。

妹の彼氏が誕生日を迎えるので、震災後初めての外食をした。
不謹慎…と思う人もいるかもしれない。
でも、私の家では昔からお誕生日は特別なもので、お店は震災前から予約をしていて、本当に有難いことに私たちは無事にこの日を迎えることが出来たので、悩んだけど、予定通り食事した。
外食を不謹慎と言う人もいると聞くけれど、全てをセーブした結果として産業が衰退するのは復興にも繋がらないと私は考える。それにしても、本当に特別な食事だった。食べられることに心から感謝した。

お店は営業しているけれど、やはり震災の影響は否めない。

もやしを入手するのが難しいとのこと。
スーパーに入荷しても「1家族さま1パック限り」なので、お店では使えないそうだ。

みんなもとの姿に戻るために頑張っている。
でも、あちこちに、震災の影響は出ていて、それに気がつくたび、いかに大きな地震だったかを思い知らされる。

でも世界中が祈っている。
失われた命のために。
復興のために。