去年のGW、福井旅行に行ったお話。
これの最後、こちらの記事↓
これの補足的な記事になります。
「ハイヌヴェレ」というのは
インドネシアの神話に出てくる女神の名前。
殺された神の死体から
作物が生まれた、とする神話があります。
オオゲツヒメは、空腹のスサノオにご馳走するのですが
オオゲツヒメはが鼻や口、
怒ったスサノオは、
すると、オオゲツヒメの頭から蚕が生まれ、
目から稲が生まれ、
耳から粟が生まれ…
と、インドネシアのハイヌヴェレの神話とそっくりな展開。
世界各地にこのような「食物起源神話」があり
それらをハイヌヴェレ型神話、というそうです。
古事記において五穀や養蚕の起源として描かれていて
『日本書紀』では同様の話が
ツクヨミがウケモチ(保食神)を斬り殺す話として出てくる。
このほか、お稲荷さんに祭られていることが多い
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
それと豊受大神(とようけのおおかみ)も
同一視されるようになったのだとか。
まとめて食物・穀物を司る女神、ということのようです。
ハイヌヴェレはトベ伝承の特徴…ということなので
オオクラミトメを追っかけてて
ハイヌヴェレが出てくるのは
全然「まさか」でもなんでもないのかもしれませんが
私は全然考えてなかったので、びっくりしたんです。
「食物起源神話」としてのハイヌヴェレもそうだけど
特に、トベ伝承におけるハイヌヴェレというのが
どうも、しっくりこなかったというか…。
名草戸畔(ナグサトベ)は
神武天皇の戦いで戦死、
頭、胴、足(脚の意か)が切り離された。
名草の住民により、
頭は宇賀部(うかべ)神社(別名おこべさん)、
胴は杉尾神社(別名おはらさん)、
足は千種神社(別名あしがみさん)に埋葬された。
神話の世界の話と違って
史実に近い伝承で「遺体切断」ということになると
殺された側の「怨霊封じ込めのため」
といった考え方がまず出てきますが
ナグサトベの伝承は、そうではなく
「ハイヌヴェレ」だという。
切断した女神の遺体から穀物が発生するという神話も、
人間の普段の意識とは異なる次元の物語だ。
視野を広げてこの神話をとらえると、女神の身体は地
球を表し、穀物はそこから生命が芽生えるといった、ダ
イナミックな世界観を表しているようにも思える。字面
だけを追うと薄気味悪い話のように思えるが、実は、物
事の始原を表すような、元型的な物語だと解釈できるの
だ。
ハイヌヴェレ型と同型の物語を内包するナグサトベ遺
体切断伝承も、同じように元型的な意味を含んでいる。
この物語の字面だけを追って、残酷であるとか、神武軍
に殺された恨みが云々といった「人間的な次元」で捉え
るのは実に短絡的であり、正しい見方ではない。ナグサ
トベは生命の芽生えを象徴するしあわせなシンボルな
のだ。(月刊なぐさとべ9月12日号(遺体切断伝承の謎を解く)より)
意味はわかるものの
どうもしっくりこないと思っていたのですが。
今回、オオクラミトメ(闇見神社ご祭神)を追っかけていて
ハイヌヴェレに通じることに気づき、
一気に腑に落ちた…ということになりました。
ハイヌヴェレの説明で長くなっちゃいましたが、ここからが本題…。
前回の記事で出てきた、福井の闇見神社。
ご祭神が
沙本之大闇見戸売(さほのおおくらみとめ)
奈良盆地北部の佐保一帯を治めていた女性首長です。
オオクラミトメの母が
春日建国勝戸売(かすがのたけくにかつとめ)で
春日野~佐保一帯を治めていた女性首長のようです。
そして、オオクラミトメの子どもたちの中で有名なのが
古事記にも出てくる
狹穗彦(垂仁天皇紀に、狭穂彦王の叛乱を起こす)
狹穗姫(垂仁天皇の后。天皇の子を産んだ後、兄とともに焼死)
ですが、今回、そのサホヒメのことについて、です。
奈良の佐保丘にある、狭岡神社。
ここに、狹穗姫伝承が残っています。
《佐保、狭岡の地名のいわれ》
万葉集に「佐保」「佐保山」「佐保川」「佐保の内」「佐保道」「佐保風」等の語が出ており、「佐保」は法蓮から法華寺に至る一条通り一帯をさしている。
この地名の起因は「開化天皇の皇女、狭保比売(第11代垂仁天皇の皇后)のすんでいた土地なりとの伝説もある。
その狭穂比売は、古事記に佐波遅比売、沙本毘売 日本書紀では狭穂姫と表されている。
これが万葉仮名になおされた時は狭穂姫となし、現在の「佐保」の地名になったと言われている。
また一説では「狭岡」とは「佐保の丘」という語から「ホ」が欠落し「サオカ」となったとも云われている。
その、佐保姫伝承のある場所にある、狭岡神社。
藤原不比等が国家鎮護し
藤原氏繁栄のため、自宅の丘上に創祀したという。
佐保の一帯は
狭岡由緒記によれば
「霊亀2年(715)藤原淡海公(※不比等のこと)は天平神護景雲年間に、河内の国枚岡より藤原氏の祖神である、春日大明神を大和の国奈良の御蓋山へ移され、斉祀せられました。これが今の春日大社であります。
それ以来、国政の大事や、氏神春日詣りには藤原氏一門が(公家・女官たち)この佐保殿に集まり必ず狭岡天神に参籠して「日待ちの神事」奉行精進潔斎して、日の出を待って国政に掌り、春日社詣をした。」と古事に出ています。
この地に、狹穗姫が
成人するまで、母親(オオクラミトメですね)と
暮らしていた、のだとか。
後になって、藤原氏がその場所に邸宅を構えた。
そして、藤原不比等が国家鎮護と藤原氏繁栄のため
狹岡神社を創建した。
タケクニカツトメが治めていた春日野の三笠山に
春日大社を創建。
その後藤原氏一門は、春日大社を訪れる前には
必ず狹岡神社に立ち寄ってから
「日の出を待って国政に掌り、春日社詣をした」
というんですね。
ものすごい、気の配りようだと思うんです。
女性首長が治めていた、奈良盆地北部の佐保~春日野一帯。
女性首長が大和王権側に嫁ぐ形で取り込まれていきましたが
オオクラミトメの子どもである佐保彦の反乱や
垂仁天皇の后となった狹穗姫の悲劇といい
平和裏に「国譲り」が行われたわけではなさそうです。
若狭に行ったのかな~」
彼女の一族の怨霊を恐れて、
藤原氏は、春日大社参詣の前に狭岡神社に立ち寄ったんだろな~」
悲哀のようなものを感じていたのですが、
古事記や日本書紀の狹穗姫ではなく
「春の女神・佐保姫」のことを知って調べるうちに
ちょっと方向性が変わってきました…。
「佐保姫」という字でウィキペディアを調べると
「春の女神」とされていて、
垂仁天皇のお后である狭穂姫(沙本毘売)とは別人、となっています。
五行説では春は東の方角にあたり、平城京の東に佐保山(現在の奈良県法華寺町法華町)があるためにそこに宿る神霊佐保姫を春の女神と呼ぶようになった。白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい女性と考えられ。この名は春の季語であり和菓子の名前にも用いられている。 竜田山の神霊で秋の女神竜田姫と対を成す女神。
どーしても「つながりはある」と思ってしまいました。
氷室冴子さんも、古事記や日本書紀の狭穂姫を
物語の中で「佐保姫」と書いているのは、
春の女神の佐保姫と、記紀に出てくる狭穂姫のイメージを
重ね合わせて表現しようとしていたのではないか…という気もします。
そして、この垂仁天皇后の狭穂姫と
「春の女神・佐保姫」のことを知って
ハイヌヴェレかも…となったんです。
その前に、ちょっと話を戻して狹岡神社。
垂仁天皇后の狭穂姫伝承があるものの、
ご祭神は狭穂姫ではありません。
それがこちら↓
わかさ???
と驚いたわけです。
それで調べてみると
この、狹岡神社のご祭神8柱、
すべて、オオゲツヒメの子どもたちです。
オオゲツヒメ…
ここで、冒頭の「ハイヌヴェレ」とつながってきます。
そして、8柱の神々は
植物(特に稲)の成育を示すと思われる、とのこと。
さらに、狹岡神社について
「祭神が、天神八座となったのは、佐保姫神を若沙那賣神に
付会したためであり、本当の祭神は佐保姫神とする説もある」
とありました。
ややこしいですが、狭穂姫ではなく
「春の女神・佐保姫」の方です。
狹岡神社には、垂仁天皇后の狭穂姫伝承がありますが
ご祭神については、狭穂姫ではなく
春の女神の佐保姫の方を、保食神の娘・若沙那売神(わかさなめのかみ)
に見立てる説がある、と。
でも、こうなるともう、狭穂姫と佐保姫が別人とか
どっちでもいいというか、結局同じというか。。。
やっぱり、つながってるとしか思えないわけです。
ハイヌヴェレで。
ハイヌヴェレはトベ伝承の特徴…とのことでしたが
狭穂姫もトメの一族の娘で
兄の狭穂彦と焼け死んだ場所は、「稲城」でした。
多分、稲わらで作った城…砦みたいなものかな、と。
そして狭穂姫は、死ぬ前
「稲が燃える中で出産した」とされていて
コノハナサクヤヒメとの類似を指摘する説もあるのだとか。。。
コノハナサクヤヒメといえば、サクラ。春ですね。
稲とかサクラとか、
やっぱり「春の女神」である佐保姫が、
記紀の狭穂姫とつながるように思うんです。
そして、それがさらに若沙那売神(わかさなめのかみ)
保食神につながる…と。
狭穂姫
↓
佐保姫
↓
若沙那売神(わかさなめのかみ)
ときて思い出したのが
種子島の若狭姫でした。
人身御供同然で引き渡された
実際の名前は違うかもしれないんだけど
なぜ「若狭」と伝わっていたのか。。。
何となく腑に落ちると思ったんです。
というくくりだったんだけど
それだけじゃない。
実際、稲作の伝承(ウガヤフキアエズが
稲の種子をこの島にもたらし
ここから全国に広まった…とする)もあります。
そういうふうにひとまとめにはできない、と思いました。
ハイヌヴェレは、「悲劇」とか「犠牲」とかじゃない。
ナグサトベについての説明
「物事の始原を表すような、元型的な物語だと解釈できる」
「ナグサトベは生命の芽生えを象徴するしあわせなシンボル」
それが、やっと腑に落ちたというか。
焼け死んだ狭穂姫と、春の女神の佐保姫の
裏と表、破壊と再生。
そして、サホヒメと「若狭」がつながることで
「若狭」という代名詞が与えられた種子島の女性たちも。
ナグサトベの解釈と同じ思いで
向かい合うことができるんじゃないか、みたいな…。
陸耳御笠の一族の匹女(おそらく女性首長)の方は
「笠」というのがいっぱい出てきますが
笠を「ウケ」と読んだり、
阿刀田高さんの小説「リスボアを見た女」ということを
前の記事で書きました。
そして阿刀田高さんは
「佐保姫伝説」という小説も書いています。
この小説のサホヒメは、
春の女神の方の佐保姫ですが
一人の小説家が、若狭姫と佐保姫
小説を書いてるって…
なんか、すごく感慨深いです。
狭穂姫じゃなくて春の女神の佐保姫の方か~。
ちょっと期待外れ…
なんて思ってましたが
2人のサホヒメと若狭のつながりが見えて
「amazonの中古しかなくて迷ったけど
やっぱりこの本買ってよかった!」と思いました(笑)
はっ!!そうだ!!
「銀の海 金の大地」でも
“主人公は佐保姫と瓜二つ”
という設定なんだった…。
サホヒメが「二人いる」。
そういう物語。
そして、
「佐保を永遠に生かす」と予言された主人公と
「滅びの子」と予言された、佐保姫・佐保彦。
やっぱり、表と裏、破壊と再生でつながっていた…。
つくづく立ち読み、申し訳ない…
inehapoさんに、
「太白山のふもとにも“佐保”という地名がある」
と教えてもらったのですが
その太白山の見える田んぼで、
今年田植えをすることになったのも
ご縁だったのかなあ…と思ってしまいます。
最後の最後に。
昨日、闇見神社の記事を書いてる途中
普段ほとんど見ない新聞を気まぐれにめくってたら
なんと記事の冒頭にサホヒメのことが~~~~!!!
サホヒメ、と名前は出てませんが…
「…兄弟の逃げた城に火が放たれた──。
垂仁天皇の巻に記される、歴史書らしからぬ劇的な物語だ」
うん。サホビコの反乱のところだね。
まさかの、シンクロ。
福井旅行のことを書きたい書きたいと思いながら
1年経ってようやく書けたというのは
このタイミングでないとダメだったんだな…と思いつつ。
やっと終わった~~~~
とホッとしてます…。