「インプロ」は「先を考えない、準備しない」という
自由なものなのに、
見えない未来に飛び込む不安ゆえ、
いつの間にか
「・・・してはいけない」
「・・・ねばならない」という呪縛にはまりやすいです。


インプロヴァイザーの皆様、
いつの間にか、この呪縛にかかっていませんか?



・考えちゃいけない
・受け入れなくちゃいけない
・否定してはいけない
・コントロールしちゃいけない
・信頼しなくちゃいけない
・ポジティブでなくてはいけない
・アイコンタクトをしなければいけない
・リラックスしなければいけない
・プレッシャーを感じてはいけない
・ルールを覚えなくてはいけない
・シーンに入らなくてはいけない
・アイディアがなくてはいけない
・オファーを受け取らなくてはいけない
・相手のアイディアを正確に受け取らなくてはいけない
・自分のアイディアを正確に伝えなくてはいけない
・クレバーなことを言わなくてはならない
・間をつくってはいけない
・笑いをとらなくてはいけない
・シーンに出きなきゃいけない
・批判をしちゃいけない
・注目をあびなくてはいけない
・覚えなきゃいけない
・アドバンスを起こさなくてはいけない
・稽古をしなければいけない
・エンディングを探さなければいけない
・自分が入ることで壊してはいけない
・楽しまなければいけない
・テンションをあげなくてはいけない


「~ねばならない」という、ネガティブな不文律。
これでは、まったく自由が利かなくなります。
なぜかというと、それができなかった時
自分自身を責めてしまいがちです。


それよりは「~してみよう」という気持ちの方が
即興にとっては、いい作用が多く発生します。
「小さな事からこつこつと」
それで十分いいんです。
いきなり自分ひとりですべての責任を背負ったりする必要はないんです。


だから、そんな自分自身をがんじがらめにする必要はないんです。
インプロは実に簡単なのです。
Improv is Easy !!

難しいと考えてしまうから、難しくなってします。
単純なことの組み合わせにしかすぎないのです。


ただ見えない未来に向かう勇気を持ち続けることが難しい。
でも、だからこそ立ち向かう姿が美しい。

「見えない未来に向かう勇気」
それがインプロの美しさだと思います。

Improv is Easy !!


いろんな呪縛に囚われず
インプロが簡単である事を信じれば、
おのずといろいろな事が舞台の上のあなたを助けてくれます。

その「助けてくれるいろんな事」については、
別のコラムで書いていこうと思います。

「芝居のクオリティ」つまり「芝居の質」とはなんだろう?
さらに「インプロ(即興演劇)の質」とはなんだろう?
勝手に持論をぶちまけてみる。

私は20年近くソフトウェア業界にいるので
品質と聞くと、<品質の6特性>を連想する。

<品質6特性>とは
ソフトの品質を評価するための規格であるISO/IEC 9126 にて定義されている、
機能性、信頼性、使用性、効率性、保守性、移植性を指す。

機能性:設計通りの動作をするか?
信頼性:問題が起きても、回復できるか?
使用性:使い勝手がよいか?
効率性:処理が遅かったり、資源の無駄遣いはないか?
保守性:機能追加、変更が用意か?
移植性:環境が異なっても適応できるか?

これを芝居に例えるとするならば
こういうことだろうか?

機能性:脚本や演出意図通りの芝居か?
信頼性:安定した演技ができるか?
使用性:お客様にとって理解や許容できるものか?
効率性:お客様に負担や苦痛を与えていないか?
保守性:役者・スタッフの変更に対応できるか?
移植性:劇場や時期が異なっても適応できるか?


機能性、信頼性は演出・脚本・役者の仕事
使用性、効率性はお客様にとってのサービス
保守性、移植性は公演などの制作面に関わっている話。

確かに作品(表現)の善し悪しだけでなく、
制作面やお客様に対する姿勢も
「芝居の質」として問われることが多い。


さて、ここでさらに、「インプロ(即興演劇)」はどうなるだろう?
機能性については、インプロは台本がないので、どう評価すればいいのだろうか?
ここがまさに台本芝居と即興芝居を演じる時の大きな違いである。
インプロバイザー、つまり即興芝居の役者は
役者であるとともに、作家でもあり、演出家でもある。
それも出演者が多数であっても、絶対的な作家や演出家はおらず
そのシーンによって臨機応変異なっていく。
というか、今、この瞬間に創りあげているものである。
なので、ここであえて評価をくだすなら
それはインプロバイザーが生み出している「今、ここで起きていること」が
インプロバイザー同士で共有できているか?ということになる。

信頼性はまさにインプロバイザーの身体能力、メンタリティであり、
インプロバイザー同士の信頼関係でもある。

使用性も、機能性に通じるが、
「今、ここで起きていること」が
お客様との間でも共有できているか?ということになる。

効率性は台本芝居とは変わらないであろう。
だが、インプロ公演でときたま見かけるが、
「失敗しないため」にいろんな策を事前に講じていて
それがお客様に見え見えなのは問題なのかもしれない。

保守性、移植性はまさにインプロも面目躍如。
どのような形からでも作品を生み出せる。
これは興業という観点からも、台本芝居よりかなり融通のきく部分である。


さて、これが「品質」だが、これを高めるにはどうすればいいか?
ソフトウェア業界で重視されているのが、
できあがりの
「プロダクト(製品)」だけでなく
その過程の「プロセス(工程)」の品質である。

ソフトウェア業界でも
プロセスの品質なくして、プロダクトの品質はないとも言われている。
昨今の食品・菓子メーカーの不祥事のニュースなど
まさにプロダクトが受ける事を優先してしまった事の悲劇でもある。

たしかに文化祭みたいに
お祭り騒ぎでたった1回しか公演しないのであれば、
後は野となれ山となれでどうでもいい話なのだろうが、
ずっと続けていくならば、このあたりはしっかり押さえておきたい。

さて、インプロが日本に来て10数年。
これからインプロの質はどのように変わり、どのように問われ、
そしてどのように創り上げていくのだろうか?

自分の趣味だったインプロが
今では「ライフワーク」を飛び越え
「ライフプロジェクト」へと変わりつつある。
いやはや、大変なものに関わってしまったが、
これがあるから人生面白く生きていられるのだろう。

「インプロ」というのは、定まった形をもっていないので、
それについて語るというのは、かなり難しい事です。
なので、まずはいろいろ「イメージ」で語ってみることにします。


私の中で「インプロ」を行っている時には
2種類のイメージがあります。

それが
「建築的インプロ」と「医療的インプロ」 です。


「建築的インプロ」ってのは
スタートとなるイメージ、言葉をもとに
さまざまな部品をまず生成していき、
そしてそれをくみ上げていき、最後に完成させるというもの。

シーンを進めていく中で、最終的なゴールのイメージを
プレイヤー間で共有して創り上げていく。
もちろんプレイヤー間のゴールイメージは必ずしも一致しないから
どこかでひずみが生じたり、リカバリが機能したり、
もしくは無理矢理な欠陥工事も発生する。


また、あるインプロヴァイザーがいい例えをくれたが、
この建設中の建物が崩壊していく様も、観客は笑いとしてとらえるので、
時々意図的もしくは崩壊の快感を求めて破壊活動にいくプレイヤーもいる。

私がインプロを始めた頃も、この「建築的インプロ」のイメージでした。


これは、台本芝居の演劇経験もあって、
演劇的な作品をつくりあげる場合、往々に建設的にしてくみ上げていくので
その方法を無意識のうちに選択したり、安心を得たりしていたせいもあるでしょう。


でも、最近この「建築的インプロ」がつまらなくなってきました。
(あ、あくまで私が演じている中でですよ。
 他の方の演じているインプロを指してはいません )


なぜかというと、
「この建物をつくるために、この部品を(用意)する。
 この組み立て方をしたら、次はこの組み立てをする」と
インプロをやっていながら、どこかで予測をして、
その予測を実現することをインプロの表現と勘違いしていないかということです。
ある程度経験をつんでいくと、この作業はリスクが減っていきます。
または、5秒先とか3分先の展開のために演じているので、
その間はインプロではなく、予定調和になっていないか ということです。


これは
インプロの美しさは、「見えない未来に挑む姿」だと思うようになってから
特に実感するようになりました。
お客様を驚かそうとか、特別なことを与えようとか、
自分はこんなことができますよという自慢やエゴじゃなくてね。


さて、今回提案する「医療的インプロ」


スタートとなるイメージ、言葉を「患者さん」と考える。

まずはこの患者さんについていろいろ観察、診察する。
「どこが悪いの? 症状は? いつから?」
患者さんに対して、直線的、曲線的、具体的、婉曲的、抽象的 など
さまざまな接近方法でその状態を把握する。

そして、そこで得たことから治療をはじめる。


これだって様々な方法がある。
ここで、「建築的インプロ」とあきらかに違う点は
ここからのプロセスはゴールの具体的なイメージはない。
目的としては「患者さんが健康になる」ことではあるが
それが必ずしも患部の治療だけとは限らない。
頭痛がするから頭痛薬という対処療法ではなく、もっと根幹的な治療かもしれない。
もしくは肉体的な問題ではなく、精神的なものや生活面からかもしれない。

「建築的インプロ」でありがちなケースは
どんな患者さんが来ても、サイボーグボディを用意して、
「これであなたは健康です」としてしまうケース。
確かに問題解決に見えるかもしれないが、
だったら最初のイメージや言葉はなんだったんだろう? になってしまう。
いかにプレイヤーと観客の間で「健全なやりとり」ができるか?
ゴールイメージのためにプレイヤーが無理をして
患者さん(観客)の身体にダメージを与えたり、不安にさせては
あまり健全な状態とはいえない。


ひとり即興でいろんなイベントを回っていると
お客様から「お題」をもらうという行為が
「お客様の人生の一部を紹介してもらう」という行為に思えてきた。
だから、やはりその人生をないがしろにしてはいけないので
真摯に向かい合いたいし、お客様と健全な時間を過ごしたい。


で、この「医療的インプロ」ってことを目標にした瞬間、
私にはますます多くの課題がでてきた。


「人間を知る」ということ


「医療的インプロ」の診察・治療のプロセスは
つまりは人間の営みを身体的、精神的、社会的により多く理解した上で、
その場、その瞬間で最適な方法を選択しなければならない。
しかも、その方法の結果は必ず約束されているものでもない。
まさに「人生の生き方」そのものになってくる。


なんか大変なイメージを持ってしまったもんだ。

最初に言ったとおり、これはあくまで私のイメージであって、
もしかしたらものすごくとんちんかんな事を言っているのかもしれない。

でも、いまのところ、これが一番 自分の中でしっくりきている。
しばらくはこういう感じで、インプロ道を進むと思います。


目指せ! インプロ界のブラック・ジャック!!


ん? そんな高いギャラ払えるほどの腕じゃないわね。

あ、「インプロ界の赤ひげ」でいいです。
もしくは「インプロ界のドクトル・ノンベ」(まんなやな。。。)