夏至の前々日に見た夢の話 | ***Walk on the light side

***Walk on the light side

銀河に煌く星たちのように

夏至の前々日に興味深い夢を見たので覚書に記しておきます。
 

-----

 

ぼろぼろの軍服を着た傷痍軍人が、私の前にいました。

 

広場のようなところで、彼は面白おかしい話をして、街行く人々を笑わせています。いわば大道芸で、投げ銭をもらっているのでした。

 

軍人の男性は、わざと同化役を演じているのですが、シベリアンハスキーのような精悍な顔立ちの犬を頭の上に載せています。そして珍妙なことに、そのハスキーの顔に、別のチワワのような犬の仮面を被せているのです。なので彼の素顔は表からは見えず、ふたつの犬の仮面を重ねた滑稽な姿で、人々の笑いをより誘っているのでした。

 

しかし私は笑えません。その二重の犬の仮面の下に、もの悲しい気持ちがあふれていることに気づいていたのです。彼は贖罪から、こんなことをしているのでした。

 

彼はかつて徴兵された一般人の男たちを鼓舞したり、煽ったりして、戦場へ送り出すということをしていました。徴兵された男たちは、戦いの訓練を受けたわけではなく、誰かのお父さんであり、誰かの夫であり、誰かの息子です。そんな彼らを挑発し、奮起させて、戦場へ送り出したのですが、その大半が傷ついて斃れて戻らなかったのです。

 

戦争が終わり、彼はそのことを恥じて、贖罪の気持ちから自分は犬以下だと蔑み、人々を笑わせているのでした。

 

私がそのことに気づいて、心を寄せて同情していることが男に伝わると、きまりが悪そうに「もう行け」と言い放って、男は去っていったのでした。

 

-----

 

目が醒めたあとも、私の胸には、なんとも言えないもの悲しさが広がっていました。そしてこれはダブル・ミーニングの夢なんじゃないかと思いました。

 

ひとつめの解釈として、これは私の火星と土星の話だということです。

 

傷ついた軍人 → 火星

恥と贖罪 → 土星


恥という感覚は、私たちの土星が定めた基準において起こるものだと思われます。私たちが恥じるときというのは……


①その場にふさわしくないことをしてしまったとき

②その場で求められていることができなかったとき

③その場にふさわしいと思ってしたことが間違っていたことがわかったとき

 

いずれも社会通念上の基準から、おのれが「ズしている」と認知したときに起こるのが恥といういたたまれない感覚なのだと思います。その「社会通念」は育った環境に由来するでしょう。

 

 

実際に戦後はこの③の感情が動いた人が多くいたのではないかと想像できます。それ以前に「正しい」とされていたことが敗戦によって基準がすべてひっくり返されてしまい「あやまち」とされてしまったわけですね。

 

この価値の反転は天王星ともいえますが、ひっくり返ってはじめて、自分のおこないを逆の立場から客観的に見ることになって「本当にそれがふさわしかったのか」を、改めて感じるところになったのかもしれません。

 

この恥の感覚、いたたまれなさは、体感覚としては非常に心地よくないものですが、それを通して自身の未熟な質、まだ使っていない自身の本質の一部がより統合されるという意味において、大事な感覚なのだと思います。

 

夢の中の軍人は③の理由で傷つき、同時におのれを恥じていました。犬は家と外のあいだという境界線上にいる動物で、境界の象徴です。また犬といえば嗅覚ですが、これは水瓶座と関係していて「真実を嗅ぎ分ける正直さ」も表しています。

 

夏至のチャートでは蟹座の金星と山羊座の冥王星が180度の角度を作って、際立っていましたが、ここがちょうど私自身の出生の火星と角度を作ります。ここのところ、私の火星は冥王星の集中砲火に直撃して死に体になっているのですが、まさにそれはこれまでやってきたことの見方が転換しているところでもあり、自身の傲慢さを感じてもいました。

 

この私自身の傷ついた火星の贖罪と真実というテーマがひとつめの夢の解釈としたら、ふたつめの解釈は「土地からの影響」です。

 

 

この夢を見た翌日、奈良の大和神社へ行くことになっていました。ある土地、ある場所へ出かけるとき、そこへ行くと決めたときから、人はその土地とのつながりが生じます。なので、その土地の影響が見えない形で入り込んできて、前夜や当日の朝に、その兆しが表れることは珍しくありません。

 

大和神社は戦艦大和に祀られた日本大國玉(やまとおおくにたま)をご祭神とする神社で、戦前戦中は必勝祈願する軍人たちで大いに賑わっていたといいます。その名残のように私はこの神社へ行くとよく軍人の霊を見かけるので、ここの影響が夢に入り込んできたのかな……と思ったのです。

 

ちなみにこの日、大和神社に行く前に寄った神社と、大和神社、そしてその次に行った神社の三社でチワワと遭遇しました。こんなに神社で立て続けにチワワと遭遇するものでしょうか!?(笑)

 

チワワが何の象徴であるのか、それが謎だったのですが、wikiでチワワの項目を読んでいたら「アステカ文明の王族の時代から飼われ、儀式の生贄とされていた」というところが気になりました。贖罪のテーマと通じるものがあります。アステカの文明においては、人身御供に選ばれることは名誉なことでもあったのだそうです。

 

夏至は蟹座の0度を太陽が通過する日で、それは過去と通じる扉です。何かが深いところからノックしてきているのを感じる夢の話でした。