『2年生存率0%を生き抜いて』
28歳で腎臓の希少がんに罹患。
22年前の発病当時、
一番の希望は生の体験談でした
発病からの生還記録を綴っています。
少しでも生きる力となりますように。
抗がん剤治療の副作用で髪が抜け落ち、
まだ生えてきていないとき。
当時、写真を撮る心の余裕もなく、
退院後、友人の結婚式でのこの写真が
治療時に一番近いです。
1999年10月14日に、
左腎摘出手術。
2クールの化学療法を経て、
12月24日退院。経過観察に入る。
詳しい診断名は、
腎臓の未分化原始神経外胚葉性腫瘍、
現在はユーイング肉腫ファミリー腫瘍。
当時、2年後生存率0%。
2000年10月、
早くも仕事復帰したものの、
体調悪化で退職を決意。
その後は
国内外で養生生活を送り、
2002年12月、
宮崎へ移住。
宮崎で2005年1月、
がん患者を応援するマガジン
『Messenger』創刊。
その後は講演依頼もあり、
講演会で歌を歌うことを始めました。
そして、
知人からの勧めで、
オリジナル曲を作るべく、
まずは詞を完成させます。
その人生初の詞は前回↓↓↓
幼い頃の夢叶う
この詞を見た、
尊敬するミュージシャン、
Toshi小島さんが
サプライズで作曲してくれたのです!
人生初の詞を
書いたことをきっかけに、
詞が次から次へと
あふれ出てくるようになりました。
その詞を友人の河原みゆきさん、
新田真美さんが作曲してくれて、
持ち歌が一気に増え、
トークの間に歌を挟むという
現在のスタイルが出来上がっていきました。
そのときできた代表曲『大丈夫だよ』
2006年5月27日、
人生初のコンサートが、
宮崎県延岡市で行われました。
コンサートに合わせて
オリジナル曲も作り、
カバー曲を合わせ全10曲、
勢いだけでしたが、
とても盛り上がりました。
そして、
2007年5月には、
全作詞の全曲オリジナルの
CD『Life is strong』を
リリースすることができました。
中学3年生のとき、
ふと友人に漏らし、
すぐに自分で押さえ込んだ夢。
「オペラ歌手になりたい・・・」
こう友人に話した数秒後、
その夢は自分自身で否定してしまいました。
「無理、無理、
歌手なんてなれるわけないよ」
「だいたい、長男だし、
そんな大きな夢は見ちゃいけない。
もう受験する高校だって決まってるんだし、
いい高校入って、いい大学入って、
いい会社に就職して、
“自慢の子”の人生を歩むんだよ」
そう自分に言い聞かせて、
自分の夢に蓋をしてしまったのです。
しかし、
28歳でがんになり、
想定していた人生からは外れましたが、
がんをきっかけに
抑えていた蓋が外れ、
人前で歌を歌うという夢が叶いました。
アルバムに収録されている、
もう一つの代表曲『Love song ~ありがとう~』
この曲は学校の卒業式でも歌われています。
つづく。
続きはこちら
会場&YouTube配信
7月11日(月)「命は繋がっている」
杉浦貴之ライブ@ベジカフェロータス ピアノ:鎌田浩史
オンラインはYouTubeの無料配信となり、
どなたでもご視聴いただけます。
☆配信アドレス☆
(チャンネル登録しリマインダー設定していただけるとお知らせが届きます)
生還記録・最初はこちら
『Messenger』最新号
がんサバイバーの生還記録
杉浦貴之スケジュール
リアル&オンライン!
7月11日(月)
杉浦貴之トーク&ライブ in 豊橋
会場&ZOOM&アーカイブ
7月20日(水)
小林正学氏養生セミナー
会場のみ
7月24日(日)
杉浦貴之トーク&ライブ in 西尾
7月26日(火)オンライン
福島正伸氏特別養生セミナー
詳細↓↓↓
杉浦貴之公式LINEに登録していただくと、
新規登録特典として、杉浦貴之学校講演CD(2020.4.3収録・4曲入り)をプレゼントさせていただきます
現在はとても元気です!
ぜひポチっとよろしくお願いします。