オフィシャルブログとなったことを機に、
改めて発病からの生還記録を綴ってみたいと思います。
『2年生存率0%を生き抜いて』
28歳で希少がんに罹患。
22年前の発病当時、
一番の希望は生の体験談でした。
少しでもの生きる力となりますように。
当時、写真を撮る心の余裕もなく、
退院後、友人の結婚式でのこの写真が
治療時に一番近いです。
28歳で腎臓の希少がん、
『PNET(未分化原始神経外胚葉性腫・現在―ユーイング肉腫ファミリー腫瘍)』
当時20例の症例があり、
2年以上生存している人がいませんでした。
両親には
『早くて半年、2年生存率0%』
と言われた状況から、
いかに生還できたか?
何かに目覚めて
一気に回復してきたわけではなく、
病院での治療後は
腸閉塞を繰り返したり、
霊感商法にハマってしまったり、
騙されたり、
失敗の連続で、
「考えてみたら昨年より少し体調が良い」
という時を地味に積み重ねてきたように思います。
発病当初からの心境の変化、
ターニングポイントになった出会い、
出来事を今の視点から見つめ、
今、がんを宣告されたばかりの人、
生き抜こうとしている人、
がんでなくても生きづらさを抱えている人、
そんな方々にとって
困難を生き抜くヒントになれたら
少しでも明るい希望となれたらと思い、
少しずつ書いていきます。
「7の月」は過ぎたので、
ノストラダムスの大予言は
もう起こらないと、
ほっと胸を
撫で下ろしている自分がいました。
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1999年10月1日、
診察の順番が来ました。
「杉浦くん、何も問題ないよ。
もう病院には来なくていいからね」
何の疑いもなく、
そう言われると思っていました。
しかし主治医は、
眉間にしわを寄せていて…。
(早く何か言って!)
思いもよらぬ言葉。
「悪性腫瘍の可能性が非常に高い」
(悪性腫瘍って、がんということ?)
足がわなわなと震え出し、
止まらなくなってしまいました。
弱冠28歳にして、
ぼくはがんを宣告されたのです。
なぜ足が震えたのか?
がんを宣告され、まず思い浮かんだことは、
1981年に放送されていたドラマ、
TBS花王愛の劇場「わが子よ」。
その中で、
高部知子さん演じる中学3年生の女の子が、
骨肉腫にかかり、
腕を切断してしまう。
10歳でこのドラマを観て以来、
がんというのはとても恐ろしい病気で、
治る見込みはほとんどない病気だと思い込みました。
以来、
がんの患者さんが出てくる映画やテレビドラマを観ると、がんの人は亡くなってしまう物語ばかり。
がん宣告当時の自分には
「がん=死」
のイメージしかありませんでした。
自分だけが終わってしまうのか…
つづく
母から見た生還記録
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がん宣告のとき、
なぜ足の震えが止まらなかったのか?
「意識⇔身体」
メルロ=ポンティの身体論によると、
無意識からの反応と言えます。
そのときの考察ブログ
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