『2年生存率0%を生き抜いて』
28歳で希少がんに罹患。
22年前の発病当時、
一番の希望は生の体験談でした。
発病からの生還記録を綴っています。
少しでも生きる力となりますように。
最初から
当時、写真を撮る心の余裕もなく、
退院後、友人の結婚式でのこの写真が
治療時に一番近いです。
「3ヶ月前、がんじゃないって言ったじゃないですか? どういうことですか?」
実は告知の約3か月前、
猛烈な腹痛に襲われて緊急入院していました。
1999年5月29日、28歳の誕生日、
友人と遊びにバッティングセンターに出かけ、
帰る途中、
左わき腹に尋常でない痛みが襲ってきたのです。
痛みがどんどん増しきます。
そうだ!
こんなときは、
痛みには痛みを!
訳の分からない論理で、
痛みを抑えるためにさらに痛み加えるという、
処置を施しました。
北斗の拳のケンシロウの秘孔突き!
指で痛みのある左わき腹を突きました。
「アタッタタッタッタッタ!」
このことが事態をさらに悪化させていたことを後で知ります。
これは本当に危なかったです。
絶対に真似をしないように。
カーナビで「近くの病院」をセットし、
最も近かったT病院に駆け込みます。
詳しい検査の結果、
左の腎臓から牛乳瓶2本分の出血が起きていることがわかりました。
あのまま秘孔突きを続けていたら…
診断名は、腎外傷。
競馬の騎手が落馬をしたり、
交通事故などで強く腰の当たりを打ったり、
外から腎臓に強い衝撃が加わったときに起こるものらしい。
バッティングセンターに行っただけで
外から腎臓に強い衝撃を受けた記憶はありませんでした。
医師は言いました。
「腫瘍か、血管の奇形の可能性がある」
自分はがんかもしれないのか…
途中、大きな大学病院に移り、
CT、MRI、エコー、血管造影と、
また同じ検査を繰り返しました。
結局、入院生活は1ヶ月に及んだものの、
ぼくの腎臓からは血腫があるだけで、
何も見つかりませんでした。
診断名は同じく、
原因不明の腎外傷。
「強いて言えば・・・
バッティングセンターで、
杉浦くんの腰の回転が鋭すぎて、
その摩擦で出血したのかもしれないな」
(えっーーーそんなことってある?)
( 自分の腰の振りってそんなに鋭いのか?)
医師は、
「がんじゃないからね。大丈夫だよ」
そこから3か月の後のまさかのがん宣告。
「落ち着け、落ち着け、
あのときはどう調べてもわからなかったんだ。
がんが血腫に隠れて見つけられなかったんだ」
(がんって3ヶ月でこんな大きくなるの?)
顔面蒼白。
足の震えはますますひどくなる。
違うとはわかっていましたが、
最後の望みをかけて聞いてみました。
「初期ですか?」
主治医は、首を横に振るだけでした。
がんの心配から解放された
大きな安堵感から急転直下、
突き付けられたがんという現実。
「いったいどういうことなんだ?」
「なんで俺が?なんで今なんだ?何か俺が悪いことでもしたのか?」
つづく
エリザベス・キューブラー・ロスの「死の受容」
1「否認」⇒2「怒り」⇒
3「取り引き」⇒4「抑うつ」⇒5「受容」
これを「病気の受容」に置き換えた場合、
完全に、
「否認」でした。
否定し、逃避。
キューブラー・ロス⇒
次回はこちら
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