『2年生存率0%を生き抜いて』

 

28歳で腎臓の希少がんに罹患。

22年前の発病当時、

一番の希望は生の体験談でしたキラキラ

 

発病からの生還記録を綴っています。

少しでも生きる力となりますように。

 

抗がん剤治療の副作用で髪が抜け落ち、

まだ生えてきていないとき。

 

当時、写真を撮る心の余裕もなく、
退院後、友人の結婚式でのこの写真が
治療時に一番近いです。


前回はこちら

 

 

 

 

 

 

 

がんは自分で作ったとしたら?

 

 

 

1999年12月24日に退院し、
がんを治すために
何かできることはないかと、
探し続け、とりあえず、
食事療法を摂り入れ、
健康食品を摂取する毎日。




退院から3ヶ月、 

2000年3月20日は職場復帰。   

 

 


復帰した途端、 

 


「早すぎたー!」
と実感したのも時すでに遅し。




「お前を待ってるぞ」

という上司の言葉が嬉しくて、
周囲の期待に応えたくて、
なんとか重い体を会社に運びました。




「自分は強いのだ」

というところをみんなに見せたい、
そしてそれを

自分自身に証明したいという思いが、
ぼくの心と体を支えていました。




抗がん剤治療で 

髪の毛の抜け落ちていた頭も、
なんとか高校球児くらいには戻っていた頃。



家族は当時、
もっとゆっくり休んでほしかったそうです。

ただ、「余命宣告」のことを

隠していたので、

見守るしかなかったと

後日、伝えてくれました。



仕事に復帰してからも、
なんとか体を立て直そうと、
インターネットや本で  

情報をかき集めていました。


“死にたくない”と思っていたのではなく、
とにかく“生きたかった”のです。


2000年4月、インターネットで知った、
ある患者会の代表の講演会に参加。 
その代表はこんなことを言っていました。



「あなたは自分でがんを作ったのです」



何てことを言うんだと、
最初はとてもショックでした。



しかし、代表がこう続けたとき、
なるほど!そういう考えもあるのかと、
と納得できるものがありました。


「自分で作ったがんだから、自分で治せる」



病変として現れたがんの塊は

氷山の一角であり、
その本体ともいうべきがんの本質は
海面下にある部分だと言われました。

 

 




その部分にアプローチすることが
がんの治癒に繋がるのだと。


あるときから急に巨大腫瘍になりましたが、
それまでは
長い年月をかけて、
自分のがんを育ててきました。



それなら、

がんを育てることになったその温床、
つまりがんの増殖を許した環境
改善する必要があるのだと
わかりやすく伝えてくれました。




その環境とは、
がんになりやすい

食事の習慣、
ライフスタイル、

心の持ち方。


自分自身にこの説を当てはめて考えたとき、
やはりがんに至った最も大きな原因は


“心”



にあると思いました。



煙草は吸わない、
お酒も付き合い程度、
暴飲暴食もしない、
夜遊びはまあほどほどで
そんなにライフスタイルも乱れていません。


“心”以外の原因は考えられませんでした。


自分の“心”の持ち方が
どのように形成されていったのかを知るため、
ぼくは過去を振り返ってみました。

 

 

つづく

 

現在の写真です

 

 

 

 

続きはこちら!

 

 

 

 

生還記録・最初はこちら

 

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