『2年生存率0%を生き抜いて』

 

28歳で腎臓の希少がんに罹患。

22年前の発病当時、

一番の希望は生の体験談でしたキラキラ

 

発病からの生還記録を綴っています。

少しでも生きる力となりますように。

 

 

前回はこちら

 

 

 

抗がん剤治療の副作用で髪が抜け落ち、

まだ生えてきていないとき。

 

当時、写真を撮る心の余裕もなく、
退院後、友人の結婚式でのこの写真が
治療時に一番近いです。

 
 

 

 

【やっと休めるんだ・・・】

 

  

 

2000年1月10日、

退院から約2週間後、

抗がん剤治療の副作用が残る中、

ぼくは動き出していました。

 

 

病院以外でできることを探す目的で、

福島県の歯科医を訪ねるため、

杖を持ち、

一人新幹線に乗り込みました。

 

 

 

東京行きの「こだま」に乗り、

座席を見つけると、

深く大きく一呼吸して、

誰もいない3人がけの座席に倒れ込みました。

 


「ハァーー、ハァー。

   フゥー、フゥーー」

 

 


やがて呼吸も落ち着くと、

窓からのぞく景色を眺めながら、

これまでの人生について考え始めていました。



小、中学校、高校と、

勉強も運動もそこそこできて、

ストレートで地元の公立大学に進学。

 

 

留年することなく大学を4年で卒業し、

高校の恩師の紹介で地元の企業に就職。

 


会社では業績を上げ、

将来を嘱望されました。

 

 

外車に乗り、休日はゴルフ。

20代にしては破格の給料をもらい、

同級生のそれと比較しては優越感に浸っていました。

 


内面では常に深い悩みの海を漂っていましたが、

 

こうして眺めれば、

順調過ぎるぼくの人生。

 

まるで挫折を知らない、

エスカレーターを駆け上がっていくような人生。

 

 

 

幸せな人生が約束されていると思っていました。

しかし、いきなりのドロップアウト


スピードを競い、

より高みを目指して、

ぼくを運び続けたエスカレーター

 

 

エスカレーター

どこに向かっているのか考えもせず、

ただただ、人よりも高い場所に向かっていく。

 


一刻も早く元気になって、

あのエスカレーターに戻ろう。

 


そこに戻ることが真の復活だと、

このときぼくは心から信じていました。

 

 

ホノルルマラソンの夢を描きながらも、

 

病気の前の自分に戻る

 

それがいちばんのモチベーションでした。



途中、

トイレに行きたくなり、席を立ちます。

 

 

しかし、

揺れが少ないはずの新幹線でもよろめいて、

転びそうになってしまい、仕方なく、

次の駅で停車するのを待つことにしました。

 


新幹線は静岡駅に停車。

 

杖をついてトイレに行きます。

 

 

鼻毛も生えておらず、

ほこりが鼻に直接入ってきてしまうので、

鼻の奥がむずがゆくてたまりません。

 

鼻をかみ、

眉毛を眉墨で整えます。

 

 

トイレを往復するだけで、

疲労感が全身を襲いました。

 

 

肩で大きく呼吸をするのですが、

腹の底まで酸素が入ってきません。

 

呼吸する力まで衰えています。

 

 


新幹線はゆっくりと動き出します。

 

 

静岡といえばお茶どころ。

辺り一面に広がる茶畑を眺めながら、

ぼくはまた、

自分の人生を映画のように鑑賞し始めました。

 

 





ぼくの生まれた西尾市

知る人ぞ知る抹茶の産地で、

生産量は日本一

 

 

抹茶の原材料であるてん茶の生産量は

全国生産量の約20%を占めています。

 

 

小中学校の頃は生徒がお茶摘みに駆り出されました。

 

 

 

ただ単にお茶を摘めばいいというわけではありません。

 

お茶を何㎏摘んだか、最後に計測するのです。

 

 

つまり、競争です

 

 

負けられませんでした。

 

 

談笑しながらお茶を摘む同級生を横目に、

ぼくはひたすら、手を動かしました。

 

 

左手が疲れたら右手、

両手を駆使し、

休むことなく茶葉をかごに入れていきます。

 


「褒められたい。評価されたい」

 

「周りから一目置かれたい」

 

「先生に『さすが貴之、よくやった』と言われたい」


「親にとっての自慢の息子でいなきゃいけない」

 

新幹線の車窓から静岡のお茶畑を眺め、

こんなことを思い出していると、

 

 

心が苦しくなってきて、

呼吸もさらに浅くなってきました。

 

 

退院してから

一日も早い職場復帰

イメージしてましたが、

 

 

その動機は小学校のお茶摘みのときと

全く同じであることに気づきました。

 


まだ退院したばかりじゃないか。

仕事のことは考えないようにしよう。

 


そのとき、

新幹線の座席に身を委ねる

ぼくの心に大きく現れた感情は

 

 

 

・・・・・・“安堵”でした。

 

 


まだまだ休んでいられる。

心と体が感じるままに休んでいよう。

 


本当は休みたかったんだ

 

 

と気づいたら、目から涙があふれてきました。

 

つづく

 

こちらは現在の写真

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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生還記録・最初はこちら

今の視点からの考察

 

精神科医エリック・バーン氏の交流分析によると、

生きづらさの要因として、5つの拮抗禁止令(ドライバー)というものがあります。

「完璧であれ」

「強くあれ」

「努力せよ」

「喜ばせよ」

「急げ」


これらが過剰に強いと、
生きづらさを抱えることになります。

自分は「いい子でいようとした」「親の期待に応えようと頑張った」と書きました。

「喜ばせよ」

これが強すぎて、
うまく喜ばせられない自己を否定し、

体を酷使することに繋がったと思います。

拮抗禁止令について分析したブログ

 

 

 


 

 

 
 

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