『2年生存率0%を生き抜いて』

 

28歳で腎臓の希少がんに罹患。

22年前の発病当時、

一番の希望は生の体験談でしたキラキラ

 

発病からの生還記録を綴っています。

少しでも生きる力となりますように。

 

 

前回はこちら

 

 

 
 

 

 

【退院直後に友人の結婚式へ】

 

  

 

 

抗がん剤治療をという逆境を
チャレンジと捉え、
2クールを何とか乗り切ったのですが、
体はボロボロでした。


ぼくの体力低下が激しく、
一旦退院して経過観察となり、
とりあえず経口抗がん剤が処方されました。

 
主治医は言いました。

「杉浦くんのがん細胞は通常の腎臓がんとはレベルが違います。短期間で著しく増殖したんです。毎月検査をします」


 

1999年12月24日、
クリスマスイブにめでたく退院


粋な計らいをしてくれた神様は、
さらにチャレンジの機会をぼくに与えてくれていました。


入院して間もない頃、
ぼくは高校時代の野球部の同僚から
結婚披露宴の招待状をもらっていたのです。


いつ退院できるかわからなったので、
返事は保留にしてありました。



友人の結婚披露宴は、
退院から3日後の12月27日だったのです。


入院中であれば何の迷いもなく、
欠席していたでしょう。


しかし、参加できなくも、ない



「おれ、披露宴に出るから。

 ちゃんと席を用意しておいてね」

「マジ? お前ほんとに来れるの? 

 でも無理するなよ



無理するなよ
無理するなよ
無理するなよ・・・


友人の言葉が、
さらにぼくを奮い立たせました。



無理じゃない。
おれは生きている。
だから、できないことなんて、何もない。




欠席して、

「杉浦はやっぱり出てこられなかったね。あいつ、相当やばいんじゃない? がんだったよね。あいつも終わりだね」


などと言われる方が嫌でした。



披露宴に出席することで、
周りの人たちに、
「おれは大丈夫だ! こんな病気で死にはしない!」
という宣言をしてやろうと思ったのです。



いや、周囲よりもむしろ、
この自分自身に対して、

「俺は絶対に大丈夫!」

という思いを刻み込みたかったのだと思います。




披露宴当日。


母に化粧道具を借り、
眉毛、びんを眉墨で再生し、
ひさしの大きな黒いハットをかぶり、
妖怪人間ベムのような出で立ちとなりました。

 





体はだるくてたまりません。
貧血で頭もボーっとしています。



少し歩けば肩で息をし、
支えがなければその場に崩れてしまいでした。



心が崩れたら、
きっと体も崩れ落ちてしまっていたでしょう。

 



テーブルに座る黒いハットの妖怪人間ベム。

披露宴会場ではたくさんの視線を感じました。


しかし、
話しかけられれば、
気合で意識を覚醒し、
笑顔で応えます。


同情するなよ。
おれはかわいそうなんかじゃない。




今はこれでいい。
これでいいのだ。



待ってろ自分、
必ず、元気にしてやるから!



この精一杯の“強がり”

ぼくの背骨を支えていました。



そして、家に帰れば、
雪崩のように崩れ落ちました。


最後まで二本の足で立ち続けるという、
自分との約束を守り切りました。


大成功! 
これが復活への第一歩!



28歳の同級生たちは、
まさに結婚ラッシュ。


それから10日後にも、

友人の結婚披露宴に出席。



新郎新婦を眺めながら、
羨望のまなざしを送るではなく、
ぼくも元気になって、
いつか祝福される側に立ちたいと思いました。


この結婚ラッシュに乗じて、
ぼくは新郎を自分自身と重ね合わせ、
自分がその主人公になる
イメージをありありと描くことができました。

 




どれだけ長い道のりになるか、
どれだけ困難な壁が立ちはだかるか、
わかりません。



でも、今はこれでいい。


いつか、このときを懐かしく思い出してと笑える日が来る。


その“いつか”の日を迎えるために、
あきらめず、自分の力を信じて生きていこうと、
幸せそうな二人を見ながら思っていたのです。


自分自身を支えていた、
精一杯の“強がり”とファイティングスピリット

ファイティングスピリットだけではがんは治せないと、今では思います。

 



でも、
ギリギリの極限で弱気になったら、
一気に崩れ落ちてしまう気がしていました。


「強がらなくていい。

泣いてもいい。我慢しなくいいんだよ」


と、よくカウンセリングの先生が言われますが、
そのときは本当に強がらないと立っていられませんでした。



飛行機が離陸するときに
最大のパワーを使うように、
がんを治していく道のりが始まったこの頃は、

ファイティングスピリット、
立ち向かう強い気持ちがぼくには必要でした。


ここまで書いてきたように、
入院中、退院後も、

ぼくは様々なことにチャレンジしてきました。


いつだって体調は万全ではありませんでしたが、
無謀とも思えることでも、
チャレンジした後、

必ず元気になって帰ってくる自分がいました。


誰も元気になんかしてくれません。

自分で元気にならないと。

 

 

退院後もチャレンジは続きます。

 

 

つづく

 

このとき必死に戦ってもいましたが、逆境を楽しんでいる自分もいました。そんな歌。(杉浦貴之)

 

 

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