『2年生存率0%を生き抜いて』

 

28歳で希少がんに罹患。

22年前の発病当時、

一番の希望は生の体験談でしたキラキラ

 

発病からの生還記録を綴っています。

少しでも生きる力となりますように。

 

 

前回はこちら

 

⑨⑩は看護実習生の手記でした

 

 

当時、写真を撮る心の余裕もなく、
退院後、友人の結婚式でのこの写真が
治療時に一番近いです。

 

 

 

 

【自分の診断書】がん発覚~入院生活

 

 

 

これまで出会って来た 

がんサバイバーの方の中で、
病歴をオーバーに表現される方もいますので、
   


一応、診断書を取っています。  



22年前、子どもの脳にできやすいタイプの腫瘍(PNETー未分化原始神経外胚葉腫瘍)が自分の腎臓にできていました。
 
PNETという診断名は2016年からなくなっています。

 

 

この診断書では、
6月26日に異常を認めず、
10月5日に腫瘍を指摘とあります。



たった3か月で、

腎臓を覆うくらいの大きさになっていました。


後から聞いたことですが、
小児の脳にできやすいPNETが

成人の腎臓に出現した例は、


当時日本で20例、

 

2年以上生存した症例はなかったそうです。

 

 

 

 

【抗がん剤治療始まる】がん発覚~入院生活

 

 

 

話は手術後からの続きです。



病院では自分なりに 

楽しみを見つけていました。

28歳、 

血気盛んな若者が憧れるのはやはりナース。


ひそかにナースランキングを作って、
ナースの笑顔や優しさで、
日々変動するそのランキングを  

頭に浮かべては一人ニヤニヤしていました。。

 


夜中、ナースが見回りにやって来ます。

 

その足音が聞こえるだけで、

ぼくの心臓は高鳴ります。

 

ドクドクドク・・・

 

 

息をのむ瞬間、

いよいよカーテンが開けられます。

 

 

暗闇の中、

懐中電灯で点滴を照らすその光が、 

意図せずとも、

ナース自身の顔をライトアップ!

 


ああ、美しい・・・。

 

「お仕事、お疲れさまです。毎日大変ですね。立ち話もなんですし、となりで休んでいきませんか?」




・・・などと言えるはずもなく、


毎回大いなる妄想に終わりました。

 



これから先の入院生活を考えたら、 

小心者のぼくは、

そんな危ない橋を渡ることはできません。

 



こんな状況でも、

生命力あふれる自分に、 

自信を深めていました。
 

 


まだまだ、

男としても、終わっていない!




手術から10日後、

外泊許可が下り、
3日間だけ家に帰ることが許されました。

 

 

家の玄関を開け、 

そこから漂ってくる匂いに、

ぼくは思わず涙が出そうになりました。

 

 


家族と何気なく会話し、

いつもの決まった場所で食事をする光景を眺め、これまでにない幸せを感じていました。 

 

ずっと当たり前に存在すると思っていました。

 

 

この何気ない“日常”

それは決して当たり前に

約束されたことではありませんでした。

 

失って初めて気付く幸せ。

 

 

家を出るときは、

家の匂い、

玄関のかたち、

見送る祖母の姿、

庭の様子、すべてを記憶に焼き付けました。

 


これが最後になるかもしれない・・

 

 


詳しい検査の結果、

転移はなかったものの(そう伝えられました)、
極めて再発の可能性が高いため、
抗がん剤治療を強く勧める、

ということでした。



逆境をいかに楽しむか、
それがぼくの入院生活のテーマでした。



すべてをチャレンジと捉えたのです。 

 


ナースに腕を差し出します。



このときばかりはいつもの点滴とは違います。そう、テレビドラマでよく見た、あの抗がん剤


ドラマでは抗がん剤を受けていた人が元気になるという話は見たことがありません。

 

いけない、

そんな妄想をしてはいけない・・・。

 

抗がん剤の副作用について、
一通り説明を受けます。

嘔吐、脱毛、下痢、便秘、めまい、口内炎、白血球の減少・・・。

 

そこでぼくの最初のチャレンジが決まりました。

 

それは、

どんなに気持ち悪くても、

 

「絶対に吐かない」

 

ということでした。


ナースの刺す点滴の針を凝視します。


そして、

あの透明なしずくが体に入ってきたその瞬間

一気に吐き気がやってきました!



こんなに早いのか! 想像以上です~

 

一瞬、心が萎えそうになりましたが、

何とか心を立て直しました。



そう、チャレンジ、これはチャレンジなんだ!

 

抗がん剤が全身を巡りました。
 

 

初日は3種類の抗がん剤が投与され、
2日目は2種類、これが交互に繰り返され、
5日間で1クール。


3種類の日は、

起きている間はぶっ通しで抗がん剤が体を巡ります。

 

がん細胞同様、

正常細胞にも容赦なくダメージを与えるものだから、その副作用は言語に絶する苦しみでした。


でも「絶対に吐かない」と決めたのです。

 

 

どんなに吐き気が襲ってきても吐かない、

口まで出てきたら

飲み込んでやるくらいの覚悟でした。

 

 

この想いの力と気合で、

吐かずにいられたら、

大きな自信になると思ったのです。



2日目は割と平気でしたが、
3日目頃から体が急にだるくなり、

吐き気も増してきて、

食事も何とか無理やり押し込む感じになってきました。

 



そんなに抗がん剤は甘くはなかった・・・



治療4日目、

食事の時間、

トイレに行こうと病室を出ると、

廊下に漂っていた魚の匂いに、ダムが決壊してしまいました。



ぼくはトイレに駆け込み、

吐きに吐きました。

ここまで出るかというくらいに。

 

 

ああ、負けた、

自分との約束が守れなかった・・・。

 


大きな敗北感包まれました。

 



自分を支えていた強い気持ちが、
こんなにもあっけなく崩れ、 

それからしばらくベッドで動けなくなりました。


 

がしかし、

落ち込んではいられません。

 

ここでモチベーションを落としてしまったら、体はどんどんきつくなっていくでしょう。

 

 

ベッドに横たわりながら、

何とか気持ちだけは前を向きました。

 

 

 

つづく

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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