『2年生存率0%を生き抜いて』

 

28歳で希少がんに罹患。

22年前の発病当時、

一番の希望は生の体験談でしたキラキラ

 

発病からの生還記録を綴っています。

少しでも生きる力となりますように。

 

 

看護実習生のおかげで
他人に心を開けるようになり、

さらに散歩中、

「夢は何ですか?」

と聞いてくれたおかげで、

ホノルルマラソン出場を夢描き、
それが現実になったことを書きました。

 

それがこちら!

 


 


今回は看護実習生の手記(後編)を紹介します。

ぼくが発行する『Messenger』10号

に寄稿してれたのです。

 

 



看護実習生はあのときどう思っていたのか?


 

 


 あるがん患者との出会い  Akiko(後編)





手術当日の朝、

杉浦さんにあいさつに行くと、

 

「今日一緒に手術室に入ってくれるんでしょ。

  これ持って入ってくれるかな」

 

と言われ、渡されたのは何とお守り。

 

 

 

杉浦さんのお母さんが

手術の成功を祈願したという特別なお守り。

 

「受け入れてもらえた」

 

という気持ちと、

 

「手術中に役に立てるんだ」

 

という気持ちでかなり舞い上がっていました。

 

 

このときの嬉しさは今でも忘れられません。 

 

 


渡されたお守りを持って、

手術に立ち合わせてもらいました。

 

 

杉浦さんはもちろん麻酔で

意識はありませんでしたが、

 

がんと必死に闘っているように私の目に映り、

 

ポケットに入れたお守りを握りしめ、

ずっと涙が止まりませんでした。

 

 

 


術後3日目からは、

 

早く回復するため、

なるべく動くように

言われていた杉浦さんと、

 

病院の敷地内を一緒に 

散歩することが日課になりました。

 

 

 

 

 

仕事や旅行の話、

学生時代にホノルルマラソンを走った

ことなど、

いろいろことを話してくれました。

 

 

ときおり痛む傷口を手で押さえながら、

 

「いつかまたホノルルマラソンに出たいな」

 

とも。

 

 

 

内容は忘れてしまいましたが、

人生相談にも乗ってもらって、

あんなにイヤだった実習が

いつの間にか楽しい時間に変わっていきました。



こうしている間にも、

手術で摘出した左腎臓の病理学検査の結果が出ました。

 

 

悪性腫瘍であり

抗がん剤治療が必要なこと、

予後がとても悪いこと、

余命宣告がされることを知り(本人は知りません)

 

私は愕然としました。

 

 

 

手術室での頑張る姿、

手術後の痛みに耐える姿、

それを心配そうに見守る

ご両親の姿を考えると涙があふれてきました。

 

 

 

もともとマイナス思考で、

まだ起きてもいない先のことを

考えて不安になってしまう私は、

 

「せっかくあんなに頑張ったのに・・・」

 

「今から、どんな治療をしたって死んじゃうんでしょ」

 

と思うと、

 

通学の電車の中でも

人目をはばからずに泣いてばかりいました。

 

 


毎日が怒涛のごとく過ぎ、

実習も杉浦さんの抗がん剤治療がスタートする前に終わろうとしていまいました。

 

 

杉浦さんの体調のことが

気になって仕方ありませんでしたが、

 

これから苦しい治療を受ける姿を見なくて済むという、ホッとした気持ちもどこかにありました。

 

 

 

実習後はお見舞いに行ってはいけないので、

もう会うことはできません。

 

 

 

しかしどうしても気になって、

本当は禁止されているのですが、

手紙を書きました(こっそりアドレス交換もしていました)。  

 

 


しばらくして手紙の返事が届いて、

 

「ああよかった。まだ生きてる」

 

と胸をなでおろし、

その後もメールでのやり取りが続きました。

 

 

 

正直、いつメールが来なくなるのだろうと

不謹慎なことを考えていましたが、

 

ある年の年賀状に

 

「お互い人生エンジョイしましょう!」

 

と書かれているのを見て、

 

「この人はがんを克服したんだ」

 

と初めて感じることができました。

 

 


これまで、

余命宣告を受けた人はほとんど死んでしまうのだと決めつけていた自分がいました。

 

 

しかし、

メールを通して彼の思いや行動を知り、

 

「“思い”が強ければ、

余命宣告だって打ち砕くことができる、

人間の可能性ってすごいんだ」

 

と、私の看護観を変えてくれました。



そして時を経て、

6年ぶりの再会。

   

 

両手で握手をしたときに、

イキイキと輝いている杉浦さんの姿に感動しました。

 

 

スラッとした高い背と、

低い声は当時と同じでしたが、

あの時はほとんど笑うことはなかったので、

 

こんなに素敵な笑顔の人だったっけ?

 

と思いながら、

 

楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。

 

 

何より驚いたのが、

ホノルルマラソンを走ってきたばかりだったということ。

 

 

 


「今回は結婚の夢は果たせなかったけどね。強い思いで夢を持ち続け、諦めなかったらいつか夢は叶うよね!」

 


本当に行っちゃったんだ!

すごい!すごい!夢って叶うんだ!

 

私も動こう!

 

 

迷ってばかりいないで

とにかく踏み出そうって思いました。


 

 

杉浦さんは

人生の大きなビックウェーブを乗り越え、

 

『Messenger』の編集長として、

人々に元気を与え続けています。

 

 

 

私も今年、

当時の杉浦さんと同じ28歳になりました。

 

 

杉浦さんのように波乱万丈なのはちょっと勇気がないけど、かっこよく人生をエンジョイしていきたいです。

 


別れ際、杉浦さんは言いました。


「注射のとき、いまだに大きく息を吸うんだ。そのたびにA(私)を思い出すんだよ」

 


私は心の中でつぶやきました。


「生きててくれて、ありがとう」

 

 

看護実習生の手記は完!

現在、彼女は保健師として、母として元気に暮らしています。

生還記録はつづく

 

 

前編はこちら

 

 

 

 

やしの木杉浦貴之創刊『Messenger』やしの木

 

 

 

生還記録はこちら

 

 

 

 


 

 

やしの木杉浦貴之・4/28は大阪で2本立てやしの木

 

会場&ZOOM配信&録画視聴です!

 

 

 

やしの木杉浦貴之/現在の活動やしの木

 

 

 

ぜひポチっとよろしくお願いします。

 

にほんブログ村 病気ブログ 腎臓がんへ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(完治)へ
にほんブログ村

 


がん・腫瘍ランキング