『2年生存率0%を生き抜いて』

28歳で希少がんに罹患。

22年前の発病当時、

一番の希望は生の体験談でした。

 

発病からの生還記録を綴っています。

少しでも生きる力となりますように。

 

 

前回はこちら

 

 

当時、写真を撮る心の余裕もなく、
退院後、友人の結婚式でのこの写真が
治療時に一番近いです。

 

 

 

【救われた母の言葉】

 


1999年10月1日、

がんの告知を受け、


4日後、

勤めていた会社の仕事の引継ぎをし、入院。



「強気な自分」

「弱気な自分」



瞬間瞬間、入れ替わりました。



しかし次第に

「弱気な自分」

が優勢になっていきました。

 


どんどんネガティブな海に

引きずり込まれていきます。


あの部屋のあの人が亡くなった・・・

テレビで芸能人ががんで亡くなった・・・


という話を聞いては

肩を落とし、
自分もそうなるに違いないと

思い込みました。




病院の売店の本屋で

自分の病気について調べると、

「5年生存率は低くあまり予後が良くない」

(一般的な腎臓がんでも)

と書いてあり、
 

見るんじゃなかったと、

本を閉じます。




部屋の窓を見れば、
飛び降りできないように鉄柵がしてあります。



自分の状況を冷静に見つめると、
なかなかポジティブにはなれません。



病室は6人の相部屋。

病院の中でも、

人間関係のストレスは発生します。



昼間、ベッドに横たわっていると、
ヒソヒソ話が聞こえてきます。



同部屋の患者さんは

高齢の方ばかりで、

それは決してヒソヒソ話にはなりません。

 



「あの若さでがんだなんて、

     かわいそうだね」


「若いと進行も早いし、

     相当悪いらしいよ」



せっかく

元気が出る本を読んでいても、
すぐにネガティブな世界に連れ戻されます。




入院患者さんの中には、

重篤な人もいました。



意識もはっきりしない

患者さんのそばで、
奥さんと思われる女性の

すすり泣きが聞こえます。



「お父さんごめんね。

何も出来なくてごめん。

お願いだから先にいかないでよ」



自分もいつかその男性と

同じ経過をたどって、

親に泣かれるのか…。

 

 



夜になると、

その患者さんは度々苦しみ、

うめき声を上げていました。

そして、異臭が立ち込めます。



真夜中に仕方なく

ぼくがナースコールを押し、
駆けつけたナースに

「あちらです」と伝えます。

(自分だけで精いっぱいなのに…)



昼間は

同部屋患者さんの言葉に傷つき、
また重篤な患者さんに

自分の未来を重ね、
夜はこんなふうにまともに眠れません。



「早くこの苦しみから解放されたい」




そんな28歳のぼくを救ってくれたのは、

両親でした。



両親だけ呼ばれて告げられた、


「余命は早くて半年。

     2年後に生きている可能性は0%」





どんな気持ちだったのでしょう。



母はショックでうなだれるのではなく、
こう答えてくれたと後で聞きました。


「余命など絶対に信じません。

    私は息子を信じます」




後日知ったことですが、

親の信じる気持ちは言葉ではなく、
その姿から、まなざしから、

心の奥まで伝わってきました。 

 

信じてくれる存在がこんなに近くにいたのです。

 

 

 

そして、



「自分の命に代えてでも

     貴之を助けたい」

 


「貴之が生きているだけで嬉しいよ」


この言葉に涙があふれました。


(そうだったんだ。生きているだけで良かったの?)

母と私

(母と私)

 


「無条件に愛されている」



それまでは条件を満たさなければ

愛してもらえないと思っていました。


テストでいい点を取れば、
いい大学に入れば、
いい会社に入って、
高い給料をもらえば愛してくる・・・。



自分の生きる目的は、
親の期待に応えること、
親にとっての自慢の息子でいること。


長男のぼくは、
「海外を飛び回る仕事がしたい」
という夢をしまい込み、

地元の高校、地元の大学をストレートで卒業。

 


就職したのは、

家から10分のところにある会社。



誰よりも親孝行をしていると思っていました。



しかし・・・それは間違いでした。
身勝手な思い込みだったのです。
恥ずかしくもあり、

申し訳なくもありました。



親はこんなにも

自分を信じてくれている。
何もできないこんな自分でも

愛される価値がある。
ぼくの回復を心から祈ってくれる人がいる。

そう思ったら涙が止まらなくなりました。



両親が病院を後にすると、
いつも感謝の涙で枕を濡らしていました。


「生きているだけで素晴らしい」

「ぼくはぼくで大丈夫なんだ」



親の信じる強い気持ち、

無条件の愛が
消えかけていたぼくの命に
再び灯をともしてくれたのです。

 


「あなたが生きているだけで嬉しいよ」



どんな言葉よりも

生きる力が湧きあがってくる言葉でした。

 

 

 

母から見た生還記録

 

 

 

 

 

このときのことを思ってできた歌

 

チューリップ杉浦貴之『大丈夫だよ』チューリップ

https://youtu.be/7RIERUXe2xk

 

2020.3.27@ライブバーBrushup

 

 

 

ルンルンルンルンルンルン

 

 

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つづく

       今の視点からの考察

 

精神科医エリック・バーン氏の交流分析によると、

生きづらさの要因として、5つの拮抗禁止令(ドライバー)というものがあります。

「完璧であれ」

「強くあれ」

「努力せよ」

「喜ばせよ」

「急げ」


これらが過剰に強いと、
生きづらさを抱えることになります。

自分は「いい子でいようとした」「親の期待に応えようと頑張った」と書きました。

「喜ばせよ」

これが強すぎて、
うまく喜ばせられない自己を否定し、

体を酷使することに繋がったと思います。

拮抗禁止令について分析したブログ

 

 

 

 

最初はこちら

 

 

 

 


 

 

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