終わった~~
宿題が終わった~~~!!!!!
ここはやっぱヤフーブログと違っていいねーー
規制ないし
やっぱ自由な学校いってるとそうなってしまうのか……
あと
インターバル長いと書いて申し訳ない
相当ショックだったっぽくって……
本当に申し訳ないことをした…
だけど紹介文は変えないよ!!
あと追加するかも知んないし
と、超どーでもいいことを書きまくった
リンク集
考えたこと…その3…
・日本社会は小さな社会から構成されている。
・小さな社会内、特に教育機関においては自己責任をはっきりさせることが重要である。
・社会の構成員の一員であるという自覚をつよくもつ。
考えたこと…その2…
グラフというのは横軸(x軸)には人間が意図したもの、縦軸(y軸)には関数のファンクションによって得られた結果が値をとるわけである。法律というのは人間が定義したものである。社会的風潮というのは人間は社会を作る動物ということ自然然システム上の仮定として考えると風潮などは人間社会の中で定義するというよりは自然とできあがるものとして考えることができる。その社会的風潮を作る一要素として法律があるという感じである。
考えたこと…その1…
さっきどっかのサイトだかブログで書いてあったのを見たんだが、「生きる意味」みたいなことについて書こうと思う。
生きる意味。。まず意味という概念は人間が定義したものである。結局言葉は人間が定義した非常にあいまいで感覚的なものである。だが、人間社会の構成員であるため、辞書で「意味」という言葉を調べてみた。
【意味】
1.記号・表現によって表される内容またはメッセージ。
イ.特に言語表現によって表される内容。意義。
ロ.言語・作品・行為など、何らかの表現を通して表され、またそこから汲み取れる、その表現のね らい。
2.物事が他との関連において持つ価値や重要さ。
広辞苑第五版から引用
【意味】
1.言葉が示す内容。また、言葉がある物事を示すこと。
2.ある表現・行為によって示され、あるいはそこに含み隠されている内容。また、表現・行為がある内容を示すこと。
3.価値。重要性。
大辞泉 増補・新装版より引用
あらためて、生きる意味。。それは人間社会において存在すると考えられ、自然のシステムとしてはないだろう。まず言葉が示す内容は人間が定義、つまり人間にとってのことである。つまり「生きる意味」と聞いてある程度まとまった感じ(世間一般)のイメージでとらえることができる。つまり生きることの意味とほぼ同意である。
価値や重要性。価値とか重要性も人間においての、どちらかといえば生物にとっての概念であろう。「生きる価値」「生きている価値」。。だが議論するうえではこの定義がいちばん適切であると思うので、そのときそのときで注釈はいれるようにするが、だいたいはこの定義ということにする。
そして、含み隠されている内容。これはなんとも文学的な印象を受けるのだが、世間一般ではどうだろう。「生きる意味」の「意味」の部分に含み隠されている内容があるとしたら、非常に感覚的であいまいなものになるだろう。もっと明確にはっきりと答えは出るはずである。
まあ自分の結論から言うと「生きる意味」は無いと思う。
人間社会においても、人間(※)というのはヒト(※)であり人間として活動(活動という言葉も人間的ではあるが)することが前提となっているわけである。
もちろん、現代社会ではヒトは人間として生きる・活動することが当たり前であり、人間以外として生きる・活動しているヒトはおそらく、いないであろう。実際、ヒトのあるべき姿というかこのような動物であるのだろうが。社会を作って生きるという。
だがヒトは人間である前にヒトである。それを忘れていはいけない。
「生きる意味」というのが「人間」に対して言っているのか「ヒト」に対して言っているのかは不明であるが、どちらにしてもたいした意味はない。とくに「ヒト」に対していっている場合、意味はない。自然のシステムの構成の一部として動いているだけである。自然のシステム自体「価値」や「重要性」はないからである。
まず地球はなんのためにある?価値や重要性は??
これは人間や生物中心ではなくもっと大きな視点からみてほしい。人間の立場から言うとおそらく生存する場所のような意味を持っていると考えられる。だがもっと大きく見るとなんためにできたかも不明なこの大きな物体。その物体上に現れた自ら動く物体。ヒト。これが発生した意味的経緯は?まったく不明であり、人間の概念からすると意味がないと思う。
だが、ヒトは社会を作る生物である。これは共通理解事項であろう。
だから人間社会は人間が作り上げてきたものであり、非常に人間中心である。結局、環境問題とかいっているが人間が自然のシステムを変えることなんて到底できない。なぜなら人間はそのシステムの構成の一部であるためである。
結局、ヒトは社会を作るうえで人間を演じているだけのことなのである。まあこのことについてはまたこんど書こうと思う。
【結論】
生きる意味はヒトとしてはないが、人間としては社会の責任として一人ひとりにあると考えられる。
※ここでいう「ヒト」は生物的な自然のシステムの構成の一部としての意味であり、人間は社会を作っているヒトである。
守備(1)※追加
外野手の送球はイチロー選手とか新庄選手とか超強肩選手はノーバウンドで目的の塁まで投げていらっしゃいますが、実際あんなに肩の強い人はいないでしょう。とくにアマチュア。ノーバウンドで投げるといってもとても低くて速い。これが基本である。外野送球はとにかく、第一に低く、速くが鉄則。低ければ多少の暴投でもカットマンがカバーできる。しかもランナーの動きによってカットするかどうかも決めることができる。またたとえばバックホーム。ホームにはキャッチャーがいて、キャッチャーはグラブではなくキャッチャーミットを使っている。あれは水平方向の球は非常によりやすいが斜め上からはとりづらい。クロスプレーになったとき、落としてしまっては意味がない。バウンドさせたほうが、より水平方向からの送球に近くなり捕りやすいというような理由も無くは無い。
こんな感じである。(2)のような送球を心がけたい。(画像はウィンドウズ付属のペイントで作成したので非常に悪いです。すいません)
守備(1)
今回はバッティング・走塁の技術的なものについて書こうかと思ったが、いろいろと大変なのでやめて、守備について書く。
○ポジション関係なく言えること
守備は「守」という字が使われているが、実際は守備も攻撃のうちに入るだろう。守備は実際には攻撃的な面が非常に多い。だから野球はつねに攻撃しあっているということである。
そこで、攻撃においても、どのポジションにも関係なく言えるのはプレーを雑に、手抜きをしないということである。そして判断が非常に重要であるということである。プレーが雑になったら試合の流れは相手に傾く。そしてその流れを戻すのはとても大変なことになる。プレーを雑にしないということは基本に忠実にプレーするともいえるだろう。
又、野球全般にいえるが特に守備のとき大切なのが「足を使う」をいうことである。とにかく、打球がまったく逆方向でも自分で判断して動かなければならない。カバーでも中継でもどんなプレーでも全員がただ立っていることが無いようにしなければならない。というより9人いるのだから9人を使った最大限の野球をするべきである。これが全員野球ではないのだろうか。
○投手
投手はとにかくハードなポジションである。
一つ目の仕事、投球。これについてはまた書くことにするが、投手が投げなければ始まらない。
次に二つ目の仕事、6人目の内野手。というより1人目の内野手であろう。投げた直後にはすぐ内野手と同じ体勢に入り打球に備えなければならない。これもまだ常識の範囲であろう。
そして三つ目の仕事、カバー。投手はどの塁にもついていないポジションなのでとにかくカバーに走る。一塁方向に打球が飛んだら一塁カバー。そのようなプレーに直接かかわるカバーでなくてもホームの後ろへのカバーとかカットマンのカバーなどとにかく一瞬のプレーに関して自分がどの位置にいればいいのか判断しなければならない。この点、投手は走るし、判断力を非常に要する。だからハードである。だからといってカバーをおろそかにしたりしてはいけない。
あと、声を掛け合うようにすべきである。フライがあがっても譲り合ってとらなかったりどちらも捕りに行って衝突して捕れなかったりするのは非常によくないプレーである。だから大きな声で「オーライ」とか「OK」とか「○○(ポジション)!」とか声を掛け合うようにすべきである。
○内野手
内野手が一番やってはいけないことはなんだろうか。まずこれは何度も言っているように雑なプレー。
そして「暴投」である。暴投するとどういうことになるか。たとえば普通のセカンドゴロを暴投する。そうすると1アウトになりかけていたものがヒットになってしまうのである。もし、捕手がカバーに走っていなかったらバッターランナーは2塁までいってしまうかもしれない。サードゴロを暴投なんかは確実にセカンドまで行くだろう。これは守備側としては大打撃である。打ち取った打球がツーベースになってしまうのだから。相手が失敗したものを自らの手で成功に変えてしまう。これは一番やってはいけないプレー。あとベースカバーを忘れるということもいけない。常にベースに入っているわけには行かないが、ランナー一塁でセカンドベースに誰も入っていなかったら問題である(まあ、よくあり仕方ないことかもしれながいが)。このとき投球あわせてでなくランナーは走るだろう。だからいつ送球されても入れるある程度の位置にいるのが理想である。
○外野手
外野手の後ろには誰がいるか。誰もいないのである。だからどんなときでも絶対に後ろにそらしてはならない。これはバックホームするときも同じである。完全に腰を落とす捕球体勢にはいらなくても確実に取ることを最優先しなければならない。球をとれなければバックホームもできないのだから。そして捕ったらすぐ内野に返すこと。なかなか返さないとランナーにプレッシャーをかけられてそれにあせって暴投することも無くは無い。また判断のいいランナーだとすぐに次の塁を盗ってしまうということだってある。だからすぐに中継の内野手に返す習慣をつけるべきであり、そのようなことを練習からすべきである。
そして、外野手は特にすべでの打球に反応し、カバーに走るべきである。そしてひとつ次に起こる最悪の事態を想定してすぐに対応できるようにすることも必要である。とにかく足を使う。走る。カバーに。外野手は内野手に比べて打球が少ないので、打球処理とならんでカバーの判断も重要な仕事である。
これらのことから守備のスローガンは「足を使う」ということがよくわかったと思う。
攻撃(2)
今回は特に走塁に関して書こうと思う。
長打を打たずに点を取るには走塁は非常に重要である。
○足の速さは関係ない
走塁で一番重要なこと。それは決断力である。迷ってしまってはそれだけでもうアウトである。迷って考えている間に走っていれば数メートルは動けたはずだ。つまり思い切りのいい判断・決断が必要ということである。そこで重要なのが、スタートである。たとえば盗塁。盗塁が成功するか、失敗するかのほとんどはスタートで決まる。盗塁は投手のモーションを盗む技術が必要だが、スタートの決断力がかなり大きな割合で関係してくると考えられる。
○内野ゴロ
内野ゴロ、特に進塁打のときの走塁も判断・決断力を大きく要する。たとえばランナー2塁、一塁方向への内野ゴロであればもちろんスタートをきる。これはわかりきったことだ。だがここで考えるのは三塁、遊撃、投手への打球である。強い打球はその場面によるが大体は帰塁であろう。ボテボテの確実に進塁できる打球はもちろん三塁へ進塁。ではその間の微妙な打球、この判断が非常に難しい。これも日ごろの練習でどこまでが走れて、どこまでがストップであるかを確かめておく必要がある。これは非常に重要なプレーで、進塁できたもので進塁できなかったり、特に、完全にアウトのタイミングなのに走ったりするプレーはまずい。特に後者は流れが相手にいってしまう可能性が高い。この点は注意すべきであろう。又、試合の中で非常に需要な役割を果たすと考える。だからよく練習すべきである。
走塁はタイミングとスタートであるということを説明した。走力はそこまで問題でなく、スタートが非常に重要であり、あとはランナーコーチの判断で三塁を回るか、ストップなのかなどのさまざまな状況からの情報をできるだけ多く読み込み、プレーできるようにすれば得点力はぐっとアップするだろう。