自由というと
わたしは小学校の時の「自由帳」を思い出します。
真っ白な学習ノート。
画用紙ともスケッチブックとも違う
今振り返っても、コピー用紙とも違いますね。
歳を重ねて、童心に帰るような気持ちで文房具売り場で自由帳を見ることはあっても
実際に買うこともそこに何か記入することもない。
わたしの小さい頃の学習ノートといえば
見たこともない個性的な海外の植物や昆虫が表紙のものばかり。
個性的な、という言い回しは
大人ゆえのアレです。
私にとっては今振り返っても結構ゾワゾワする表紙です。
その真っ白な自由帳には
絵を描いても、字を書いても、お話を書いてもいい。
思うままを込めていい。
別な見方をすれば、つぶしが聞くノートとも言える。
時を経て
わたしはボディートークのセッションノートは
マゼンダのバインダーに、専用ルーズリーフの無地を長年使用しています。
勉強してる時や、施術士になったばかりの頃はリングノートも使っていたのですが
ここ7年くらいはずっと無地のルーズリーフ。
これまでセッションさせていただいてきたノートやルーズリーフは全部取ってあります。
自由は責任の名の下にある。
このノートの中に信頼と信用とが詰まってる。
セッションの準備をするたびに、そう思います。
小さい頃には、自由帳に何を描こう(書こう)かと思いを巡らせていました。
でもよくよく思い返してみると
その自由帳は、誰にも見られたくないし見せたくない
ある種、わたしだけの内なる声を二次元にする場所だったように思う。
宿題でノートを提出するとか
書いたものを大人の人たちに見てもらうとかはあるけれど
自由という名のもとには
秘密もあるし、思いやりもあるし、何より人格がある。
よく
自由にさせてよ
自由でよくない?
こんな常套句で
学生ならば勉強や運動サボるとか
社会人なら意図的に怠けるとか
誰にも捉われずに暮らすとか、社会と距離を置くとか
自分のことなんて誰も知らない場所で生きていくとか
そういう風に自由は用いられる。
でも
自由って、結構な責任を伴うし
責任が持てないなら自由はそこに存在しないように思う。
自由を手放しととらえることもあるけれど
手放すということだって、実はすごい責任を伴う。
自由について、多くの人がどれだけ見つめてきていて
良いも悪いもない、中庸な目線を論じてきただろう?
そんなことを感じます。
あなたにとっての自由は何ですか?
今、自由帳に何を表現したいですか?


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