朝ヨガによって気づきがあったつづきです。
仕事柄もあるし、もともとの自分の性格的にも
自分を見つめるということは日々しているし
静寂を保つということも大切にして生きてきた自負こそあれ
腹式呼吸と共に自分の内側と外側とを感じていく作業は
わたしにとって驚きとある種のショックを与えるものでした。
脳内がせわしすぎるのです。
テレビつけながらラジオ聴いてスマホ見てる
例えるならそんな感じ。
じっくりと自分の五感を味わいたいのに、ものすごく急かす自分がいる。
何をそんなに急かしてるんだ?
何をそんなに騒がしくしてるんだ?
何かを見つめることや聞こえることが怖くて、それを紛らすために急かしたり騒がしたりしてる?
自分という存在が、もがいてるのがよく分かるのです。
じゃあ何に?
環境の変化やスピードに慣れなくちゃという思いに。
コロナ禍と同時にわたしの生活は一変して
不慣れよりも不自由が最初にあって
不自由の中に不慣れを適応させていく日々。
人の心も、大切な物たちも、大切にしてきた思いも
全部あたらしい環境に適応させてきた自負はある。
時間はたぶんある。
だけど、余裕が無い。
余裕が無い中で適応させていく毎日。
そうか、思ってる以上にキャパオーバーなのかも。
もっとできる、もっとやらなくちゃという思い。
そのせめぎ合いがせわしすぎる脳内。
そんな気づきを得て一層、静寂を欲してます。
