マンボウのブログ -22ページ目

マンボウのブログ

フラヌールの視界から、さまざまな事象に遊ぶ

それでは、最後に戦後生まれ世代の訳も。チョキ

 

 

先ずは、小川高義訳から。

 

 

 「言わせておこうよ」あとになってデュパンは言った。「ああして弁じていれば気が休まるんだろう。僕は一向にかまわない。警察の牙城を崩したと思えば充分だ。しかし警察に謎解きができなかったのは、総監が思うほど不思議なことじゃないのさ。目端は利くが底が浅い。炯眼とまでは言えないね。知恵に生命の根がないと言おうか。首から上だけで胴体がない。女神ラヴェルナの絵のようだな。いや、せいぜい頭でっかちで先細りだから、鱈のような体型か。まあ、好人物ではある。つまらない話をさせたら一流なのだから楽しいね。おかげで知略があることになっている。ほら、『あるものを打ち消し、ないものを説き明かす』というやつだよ」

                                (p.194-5)

 

 

 

続いて、河合祥一郎訳も。

 

 

 「言わせておくさ」警視総監に言い返すまでもないと思っていたデュパンは、あとになってから言った。「好きにしゃべらせておけばいい。それで気が晴れるならね。僕は、警察の縄張りに踏み込んで彼を負かしてやったことで満足だ。それにしても、この謎を警察が解けなかったのは、彼が思っているほど不思議なことじゃない。実のところ、わが友警視総監は、ちょいと目鼻が利きすぎて、深みにかけるんだな。彼の智慧には雄蕊というものがない。頭ばかりで体がない。盗賊の女神ラヴェルナの絵みたいに。あるいは、よく言っても肩から上ばかりだ。鱈のお頭料理みたいにね。そうは言っても、いいやつだよ。世間じゃ智慧者で通っているんだから、笑えるじゃないか。その理由をぴたりと言い当てた気の利いた文句があってね。そいつのせいで、彼が憎めなくなる。つまり、彼のやり口というのは "de nier ce qui est, et d7expliquer ce qui n'est pas" [ あるものをないと言い、ないものを説明する ] なのさ」

                                (p.60)

 

 

 

河合祥一郎訳の作品解題から少しばかり引用しておこう。右差し

 

 冒頭のエピグラフは、著述家トマス・ブラウン(1605~82)の『ハイドリオタフィア、屍灰甕埋葬』(1658)第五章第三段落冒頭より。海の怪物セイレーンは、ホメーロスの『オデュッセイア』では、上半身が人間の女性で下半身が鳥の怪物として描かれ、その美しい歌声で船に乗った人たちを魅惑して遭難させる(中世以降は人魚のイメージへと変化していく)。その歌声を聞いた者は死ぬ運命にあるので、生きている者は誰もその歌を知らないはず(歌を聞いて生き残ったオデュッセウスという例外もいるが、彼は教えてくれない)。アキレウスの話は、母テティスが息子アキレウスを守ろうとしてアキレウスに女の子の恰好をさせて、女たちのなかに紛れ込ませていたという、ホメーロスが『イーリアス』で語る逸話への言及。

                                (p.246)

 

 

この後は、ネタバレ承知の上で・・・ウインク

 

 女たちに紛れ込んだアキレウスとは、レスパネー母娘のなかに紛れ込んだオランウータンのことを指し、その名前を知ることは不可能でないこと、オランウータンが足に怪我をしていたのはアキレウスの弱点が足にあることに呼応するではないかという穿った解釈もある。

                                (p.246-7)

 

 

 この翻訳の新味の一つとして、デュパンが語り手の思考を辿った際、オリオン座がシャンティイと結びつく点について、既存の翻訳では為されてこなかった道筋を明確にしたことが挙げられるだろう。すなわち、「オリオン座がもともとウリオン座と書かれていたこと」に関して、「この説明は些か鼻につくという笑い話もした」と訳したところだが、ここの原文は「この説明に関するある種の鼻につく刺激[ 臭 ] からして(from certain pungencies connected with this explanation)」である。ここをあえて[ 笑い話 ] と訳したのには、次のような背景がある。(以下、煩瑣になるので割愛)

                                (p.247)

 

 

 

ということで、手元に置こうと思い、

ポーの最も新しい訳である、河合祥一郎訳の「ポー傑作選」全3巻を丸善にて購入することにしたのだった!グラサン

 

 

 

 

   <エドガー・アラン・ポーを読む・・・!>・・・49

では、谷崎精二訳と、松村達雄訳を並べておこうか。

 

 

先ずは、谷崎精二訳から。

 

 「勝手にしゃべったり、論じたりさせるさ。それで気が静まるだろう。何しろ本塁を攻め落としたようなものだから、こっちは愉快だ。だが、彼がこの事件の謎を解きかねたということは、決して彼が考えているような不思議なことじゃない。実際あの警視総監は狡猾すぎて、深遠でありえない。彼の知識は空花ばかりだ。女神ラヴェルナ(昔のイタリアの女神)の絵のように、頭ばかりで、胴がない。----あるいはせいぜい鱈みたいに頭と鰓ばかりさ。しかしけっきょく好い人間であるし、ことにもったいぶった口をきくのが名人なところも僕は好きだよ。そのもったいぶった口をきくので、頭脳明晰という評判を博したんだがね。あいつのやり方というのは『有るものを否定し、無いものを説明する』ことさ。

                             (p.92-3)

 

 

 

次に、松村達雄訳を。

 

 「まあ、言わせておくさ」と、やり返すまでもないと思ったデュパンが言った、「好きなように言わせておくのさ。それで気が休まるんだろうよ。ぼくにすれば、敵の牙城に乗りこんで相手を降参させたんだから、それで満足だよ。それはそうだが、あの男がこの事件の解決に失敗したのは、なにも本人がそう思いこんでいるほど不思議なことでもないんだよ。じつは、あの総監殿は少し利口すぎてかえってあさはかなことになるんだ。あの男の知恵にはいわば雄しべがないんだよ。女神ラヴェルナの画像みたいに、頭だけあって胴体が欠けているんだ----それともせいぜいのところ、鱈みたいに頭と肩だけしかないんだ。だが、要するにいい男だよ。あの男がそのおかげで知恵者という評判を博したそのやり口を、うまく伝えている名文句があってね、そのせいでとりわけぼくはやっこさんが好きなんだよ。つまりぼくのいうのは、『現にあるものを否定し、ありもしないものを解説する』あのやっこさんの口癖だよ」

                             (p.117)

 

 

 

う~ん、丸谷才一訳を読んでからは、この両者の訳はどこかイマイチのような気がして仕方ないわ(><)えー

 

 

丸谷才一訳がさまざまな出版社から出ているポーの作品集で何度も取り上げられているのが頷けるってわけだ!グラサン

 

 

 

 

   <エドガー・アラン・ポーを読む・・・!>・・・48

それでは、キラキラ「モルグ街の殺人」ラスト部分の比較を・・・チョキ

 

 

先ずは、ポーの原文から。

 

 

 "Let him talk," said Dupin, who had not thought it necessary to reply.  "Let him discourse; it will ease his conscience.  I am satisfied with having defeated him in his own castle.  Nevertheless, that he failed in the solution of this mystery, is by no means that matter for wonder he supposes it ; for, in truth, our friend the Prefect is somewhat too cunning to be profound.  In his wisdom is no stamen.  It is all head and no body, like the pictures of the Goddess Laverna---or, at best, all head and shoulders, like a codfish.  But he is a good creature after all.  I like him especially for one master stroke of cant, by which he has attained his reputation for ingenuity.  I mean the way he has'de nier ce qui est, et d'expliquer ce qui n'est pas.'"

                                 (p.167-8)

 

 

今度は、その比較としてドイツ語訳を挙げておこう。右差し

 

 

 "Lassen Sie die Leute reden", sagte Dupin, der es nicht fur notwendig gehalten hatte, etwas zu erwidern. "Lassen Sie ihn schwatzen; das erleichtert sein Gewissen.  Mir genugt es, dass ich ihn in seiner eigenen Burg geschlagen habe, ist durchhaus nicht so verwunderlich, wie er selber glaubt; denn in Wahrheit ist unser Freund, der Prafekt, ein wenig su schlau, um tiefgrundig zu sein. Seiner Weisheit fehls es an Substanz.  Sie besteht nur aus Kopf ohne Korper, wie die Bilder der Gottin Laverna --- oder bestenfalls nur aus Kopf und Schultern, wie ein Kabeljau.  Aber er ist trotz allem ein guten Kerl.  Ich mag ihn vor allem wegen seiner meisterlichen Verstellungskunst, die ihm den Ruf der Genialitat eingetragen hat.  Ich meine damit seine Art de nier ce qui est, et d'expliquer ce qui n'est pas, " 

                                  (p.95)

 

 

 

これだけでは、いかにも素っ気ないので、御大の丸谷才一訳も挙げておくことにしよう!ウインク

 

 

 「勝手に言わせて置くさ」とデュパンは言った。警視総監に答える必要はないと考えていたのである。「しゃべらせて置けば、気がすむんだから。ぼくはあの男を、あいつの城のなかで打ち負かしてやったんだから、満足しているよ。でも、あの男がこの謎を解決するのにしくじったのは、彼が考えてるような不思議なことじゃない。だって、本当のことを言うと、ぼくたちの友人である警視総監は、深い思索者であるためには、いささか利口すぎるからね。あいつの智慧には、雄蕊がない。頭があって、胴体がない・・・・ラヴェルナ女神の像みたいなもんさ。せいぜい、頭と肩だけ・・・・鱈だよね。でも、あいつは結局いい奴さ。世間では利口者と言われているらしいが。ぼくは殊に、あいつの利口さを巧く批評した名文句があるせいで、あの男が好きなんだよ。彼の手口は、『あるものを否定し、ないものを説明する』(ルソー『新エロイーズ』)というのさ」

                                  (p.55)

 

 

 

ポーの原文もドイツ語訳も、ルソーの引用部分は、いずれもフランス語で書かれている。飛び出すハート

 

 

丸谷才一訳のデュパンの最初の台詞「勝手に言わせて置くさ」は、何ともカッコイイかな。グラサン

 

 

 

 

   <エドガー・アラン・ポーを読む・・・!>・・・47