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マンボウのブログ

フラヌールの視界から、さまざまな事象に遊ぶ

2月も後半に入って・・・右差し

 

 

   コスモス「千成餅食堂」(馬代一条東)

 

    ラーメンカレー中華 950円 + 生卵 60円 = 1010円(税込)

 

またもやこのお店へ。人気のお店だけど、今回は空いていたなあ。

カレー中華に生卵のトッピングで食することに。

 

 

 

   コスモス「はふう 聖護院店」(熊野神社北東)

 

    ブーケ2日替りランチ 1100円(税込)

 

このお店には久しぶりかな。初めて、日替りを注文してみた。

メインは牛肉ソティーで、お盆には、ご飯、小ぶりの汁椀に味噌汁、ボリュームあるサラダ、一品(ひじきの)、香の物(二品)という豪華なセットで、これに食後のドリンク(ホットコーヒー)がついてのお値段だから充分に満足感があるわ!グラサン

 

 

 

   コスモス「タイレストラン・イーサン」(烏丸今出川北西)

 

    ブーケ2カオイーソ・セット 1100円(税込)

 

この周辺では、イチオシのランチスポットである!チョキ

今回は、麺セットをチョイス。

お盆には、ラーメン鉢と、超ミニチャーハン、サラダ、酢漬けなどが乗っていて、味変の辛みもついている。

単品だと1000円だから、プラス100円でセットにできるのがお得かな!グラサン

 

 

 

 

 

   コスモス「一粒万倍」(河原町三条下ル東入ル)

 

    ラーメン味玉醤油ラーメン 1100円(税込)

 

何年かぶりの再訪になるかな。お昼時だったけど、先客は少なくて空いているカウンター席に座る。

券売機にて食券を買う。

 

久しぶりだったけど、ほんのり甘味を感じるスープが美味しいし、細麺のしっかりした歯ごたえも充分。口笛

具は、ネギと蒸し豚(チャーシューではない)くらいだけど、味玉を加えたのでこんなものか。グラサン

 

 

 

   コスモス「はとや食堂」(熊野神社南西角)

 

    ブーケ2粕汁定食 880円(税込)

 

ごはんと粕汁に、おかず2品(830円)、おかず3品(1050円)という定食で、初めてのチョイスになる。

おかずはオムレツと鯖煮(+50円)の二つにする。粕汁は普通の味噌汁椀に入ったものでちと物足りないかな。うーん

鯖煮とオムレツを温めてもらって食す。まあ街の食堂の定食ランチだ。グラサン

 

 

 

3月に入ってから・・・

 

 

   コスモス「ハーバーカフェ 北野店」(白梅町上ル)

 

    カレービーフカレー 1100円(税込)

 

はぼ何年かぶりの再訪になるかな。

注文したのは、ビーフカレーで、まあ、喫茶店並みのカレーライスかな。

ちとお値段が高いのは、店内の雰囲気(テーブルや椅子なども含め)からかも。グラサン

 

 

 

   コスモス「京極スタンド」(新京極四条上ル)

 

    ブーケ2揚げそば 990円(税込)

 

何年かぶりだろうか、再訪してみた。想定していたオムデミグラスソース丼は最早メニューから消えていたので、以前にも食べたデカ盛り揚げそばをチョイス。

下の方から解きほぐして一気にかきこんでゆく。

周りには、昼飲みのオジサンたちが大ジョッキやら中ジョッキのおかわりを愉しんでいたわ!グラサン

 

 

 

   コスモス「麺屋龍玄」(一乗寺)

 

    ラーメン中華そば(並)900円 + 味付煮卵 150円 = 1050円(税込)

 

 

初めての一乗寺参戦になる。京都ラーメンの激戦区である一乗寺にはアクセスが不便なのでこれまで訪れたことがない。

今回初めて、近くの古書店に行く前にこちらで腹ごしらえをした。

 

ほとんどの客が中華そばを注文するほどの美味しさで、あっさり醤油味のスープというよりパンチの効いたスープが旨い!口笛

チャーシューの味わいも絶品だ(^^)びっくり

煮卵をトッピングして完食!グラサン

 

 

 

それでは、最後に森鴎外の訳も紹介しておこう!チョキ

 

 

  本「鴎外全集 第11巻」(岩波書店 1972)

 

 

鴎外が翻訳した作品が収録されている中で、キラキラ「病院横町の殺人犯」として訳出されたもので、ドイツ語訳からの重訳による。

 

ここでも、渡辺温と同様、前置き部分は省略されている。

 

 

 併しドュパンはそれに構はずに、こんな事を言つてゐた。「なんとでも勝手に云ふが好い。あれは自分が捜索を為遂げなかつたので、自分で自分に分疎(いひわけ)をしてゐるのだ。併し兎に角己はあの男の縄張内の為事で、あの男に勝つて遣つた。どうもあの男にあの謎が解けなかつたのは無理もない。あれは狡猾なだけで、深く物を考へる性ではないからだ。あヽ云ふ男の智識には頭があつて胴がない。精々頭と肩とだけしかない。大口魚(たら)の様なものだ。併し兎に角あれでも人に敏捷だと評判せられるだけがえらいよ。あんな評判を取る人間は、ルソオの所謂 De nier ce qui est, et d'expliquer ce qui n'est pas (Nouvelle Heloise)と云ふ秘訣を心得てゐるのだ。自分がどんな人間だと云ふことを隠して、自分のさうでない人間に見せてゐるのだね。」

                                  (p.585)

 

 

なお、この後に訳者註のような次の文章が続いている。

 

 

 此小説の首(はじめ)にはサア・トオマス・ブラウンの語を「モツトオ」にして書いてある。それから分析的精神作用と云ふものに就いて、議論らしい事が大ぶ書いてある。それを譯者は除けてしまつた。原文で六ペエジ以上もある論文のやうな文章を、新小説の讀者に讀ませたら、途中で驚いて跡を讀まずに止めるだらうと思つたからである。そんな勝手な削除なんぞをしては、原作者に濟まぬと云ふ人があるかも知れない。併し人が讀みさして讀まずにしまふのも、原作者のために愉快ではあるまい。一體「病院横町の殺人犯」は世界に名高いポオの世界に名高い小説だが、今の讀者には向かぬかも知れない。近頃こつちではこんな小説を高等探偵小説と名付けることになつてゐる。高等探偵小説だの高等講談だのと名を附けて、こつちの批評家は流行以外の作を侮辱する権利を有してゐるのだそうだ。して見ると、讀者に讀んで貰ふのも、矢張原作者を侮辱するに當るかも知れない。若しさうなら、譯者は謹んで原作者に謝罪することとしよう。

                                  (p.585-6)

 

 

この註書きは何とも興味深いわ!びっくり

 

訳者の鴎外の当時の文学界における思いが覗いているからだ。読者と原作者、それに訳者という三者三様の立場さえ窺われる気もするなあ。

 

 

「後記」には、本巻には、大正元年(1912)十月以降、翌二年六月までに発表された作品十四篇と、発表は大正二年十月からではあるが、大正元年九月五日から翻譯に着手した「ギヨツツ」及びそれに附随する「ギヨツツ考」とを収めた。創作四篇、翻譯十二篇である。

 

なお、「ギヨツツ」とは、ゲーテのことであろう。

 

翻譯原本として、

 

E.A.Poe : Werke in zehn Banden.  Bd. 5.  Der Novellen zwite Reihe.  Deutsch von Hedda Moeller-Bruck. Minden i. Westf., J.C.C.Bruns'Verlag. 1904. 

 

が挙げられている。

 

大正二年(1913)六月一日発行の雑誌『新小説』第十八年第六巻に「ポオ作 鴎外譯」として掲載され、のち『諸國物語』に収められた。本全集は『諸國物語』を底本とし、初出と校合した。なお初出に付されていて単行本には省かれた「追記」は、本全集では収録した。

                                (p.617)

 

 

 

鴎外訳は独自の味わいを持っているようにも思えるなあ。ウインク

 

しかし、原作者ポーとしてはデュパンの推理が分析家によるものだということを予め示しておきたかっただろうという憶測から見れば、当時の読者に対する親切心?は余計なものだったかも知れぬ。えー

 

このあたりにも、訳者である鴎外の思いと原作者、読者への配慮というものが、現代から見れば「なきにしもあらず」感が拭えない気もする(ラストのルソーのフランス語は訳さないと読者にはチンプンカンプンだったのでは? 鴎外がフランス語を解さなかったにしてもである)。グラサン

 

 

 

 

   <エドガー・アラン・ポーを読む・・・!>・・・50

ジャン・コクトーとエリック・サティとの共同制作は・・・右差し

 

 

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本ジャン・コクトオ「エリック・サティ」(深夜叢書 1985)

 

坂口安吾 佐藤朔訳

 

<目次>

 雄鶏とアルルカン      佐藤 朔訳

 エリック・サティ      坂口安吾訳

 エリック・サティの手本   佐藤 朔訳

 「パラアド」の合作       佐藤 朔訳

 略年譜           中島晴子 

 

 

 

先ずは、「雄鶏とアルルカン」と題された文章から、少しばかり引用しておこう!右差し

 

 

   メモ・・・ベエトヴエンが展開するときは退屈だ。バッハは違う。ベエトヴエンは形式の展開をし、バッハは観念の展開をするからだ。たいがいの人は、その反対に考えている。

 ベエトヴエンは云う。<このペン軸には新しいペンがついている----新しいペンがこのペン軸につけてある----新しい、このペン軸のペンは>とか、また<侯爵夫人よ、あなたの美しい眼は・・・>バッハは云う。<このペン軸には新しいペンがついている、それをインクに浸して書くために・・・>とか、また<侯爵夫人よ、あなたの美しい眼は、私を焦れ死にさせます。そしてその恋は・・・>

 ここにすべての相違がある。

                                   (p.13-4)

 

 

   メモ・・・詩人はいつもその語彙の中にあまり多くの言葉を、画家はパレットの上にあまりに多くの絵具を、音楽家は鍵盤の上にあまりに多くの音符を持ちすぎている。

                                   (p.15)

 

 

ジャン・コクトーの言葉は一筋縄ではいかぬテイストがあり、読む者を戸惑わせるわ!てへぺろ

 

 

 

この本の最後には、<資料>として、コクトーにはサティを礼讃した詩が一篇だけある。堀口大学氏の翻訳(第一書房版)になる。

として、こんな詩句が掲載されている。

 

 

   エリック・サティ礼讃

 

 マダム・アンリイ・ルウソオが

 軽気球で天へ昇ります。

 かの女は片手に持ってゐます。

 小さな小さな木を一本。

 下ではドワニエ・ルウソオが

 お酒を飲んで見てゐます。

 

 月にふくれた蘆れい草

 安楽椅子の実のなる木

 さても見事なその衣裳

 みどりの木の葉の上に照る

 やさしい光のお月さま。

 

 共和の女神の足元で

 アフリカ生れの唐獅子が

 袋のやうな腹をして

 辻馬車の馬を食べました。

 

 黒奴の猛獣使どの

 ヤドヴイッの笛の中

 月は入って眠たげに耳傾ける

 するとやさしいその笛から

 梨の形の一曲が

 とろりとろりと流れ出る

                       (p.94)

 

 

 

これは、何とも意味深な詩句である!グラサン

 

 

 

   ジャン・コクトーの家

 

            ジャン・コクトー(1889-1963)

 

 

メモジャン・モリス・ウジェーヌ・クレマン・コクトー は、フランスの芸術家。詩人、小説家、劇作家、評論家として著名であるだけでなく、画家、映画監督、脚本家としての活動も行っており、その多彩さから「芸術のデパート」とまで呼ばれた。自身は中でも詩人と呼ばれることを望んだという(Wiki)。

 

 

エリック・サティ (ジャン・コクトー) / 西村文生堂 / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」 / 日本の古本屋

 

 

 

 

   <エリック・サティ没後100年に寄せて!>・・・22