それでは、最後に戦後生まれ世代の訳も。![]()
先ずは、小川高義訳から。
「言わせておこうよ」あとになってデュパンは言った。「ああして弁じていれば気が休まるんだろう。僕は一向にかまわない。警察の牙城を崩したと思えば充分だ。しかし警察に謎解きができなかったのは、総監が思うほど不思議なことじゃないのさ。目端は利くが底が浅い。炯眼とまでは言えないね。知恵に生命の根がないと言おうか。首から上だけで胴体がない。女神ラヴェルナの絵のようだな。いや、せいぜい頭でっかちで先細りだから、鱈のような体型か。まあ、好人物ではある。つまらない話をさせたら一流なのだから楽しいね。おかげで知略があることになっている。ほら、『あるものを打ち消し、ないものを説き明かす』というやつだよ」
(p.194-5)
続いて、河合祥一郎訳も。
「言わせておくさ」警視総監に言い返すまでもないと思っていたデュパンは、あとになってから言った。「好きにしゃべらせておけばいい。それで気が晴れるならね。僕は、警察の縄張りに踏み込んで彼を負かしてやったことで満足だ。それにしても、この謎を警察が解けなかったのは、彼が思っているほど不思議なことじゃない。実のところ、わが友警視総監は、ちょいと目鼻が利きすぎて、深みにかけるんだな。彼の智慧には雄蕊というものがない。頭ばかりで体がない。盗賊の女神ラヴェルナの絵みたいに。あるいは、よく言っても肩から上ばかりだ。鱈のお頭料理みたいにね。そうは言っても、いいやつだよ。世間じゃ智慧者で通っているんだから、笑えるじゃないか。その理由をぴたりと言い当てた気の利いた文句があってね。そいつのせいで、彼が憎めなくなる。つまり、彼のやり口というのは "de nier ce qui est, et d7expliquer ce qui n'est pas" [ あるものをないと言い、ないものを説明する ] なのさ」
(p.60)
河合祥一郎訳の作品解題から少しばかり引用しておこう。![]()
冒頭のエピグラフは、著述家トマス・ブラウン(1605~82)の『ハイドリオタフィア、屍灰甕埋葬』(1658)第五章第三段落冒頭より。海の怪物セイレーンは、ホメーロスの『オデュッセイア』では、上半身が人間の女性で下半身が鳥の怪物として描かれ、その美しい歌声で船に乗った人たちを魅惑して遭難させる(中世以降は人魚のイメージへと変化していく)。その歌声を聞いた者は死ぬ運命にあるので、生きている者は誰もその歌を知らないはず(歌を聞いて生き残ったオデュッセウスという例外もいるが、彼は教えてくれない)。アキレウスの話は、母テティスが息子アキレウスを守ろうとしてアキレウスに女の子の恰好をさせて、女たちのなかに紛れ込ませていたという、ホメーロスが『イーリアス』で語る逸話への言及。
(p.246)
この後は、ネタバレ承知の上で・・・![]()
女たちに紛れ込んだアキレウスとは、レスパネー母娘のなかに紛れ込んだオランウータンのことを指し、その名前を知ることは不可能でないこと、オランウータンが足に怪我をしていたのはアキレウスの弱点が足にあることに呼応するではないかという穿った解釈もある。
(p.246-7)
この翻訳の新味の一つとして、デュパンが語り手の思考を辿った際、オリオン座がシャンティイと結びつく点について、既存の翻訳では為されてこなかった道筋を明確にしたことが挙げられるだろう。すなわち、「オリオン座がもともとウリオン座と書かれていたこと」に関して、「この説明は些か鼻につくという笑い話もした」と訳したところだが、ここの原文は「この説明に関するある種の鼻につく刺激[ 臭 ] からして(from certain pungencies connected with this explanation)」である。ここをあえて[ 笑い話 ] と訳したのには、次のような背景がある。(以下、煩瑣になるので割愛)
(p.247)
ということで、手元に置こうと思い、
ポーの最も新しい訳である、河合祥一郎訳の「ポー傑作選」全3巻を丸善にて購入することにしたのだった!![]()
<エドガー・アラン・ポーを読む・・・!>・・・49