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老年科医の独り言

認知症治療にかかわって30年目になります。
今回心機一転、題名を変更して、ぼつぼつ書いていきたいと思います。

癌細胞の発生には、酸化ストレスが大きく関与していると考えられている。

最近、癌細胞には、正常細胞にある酸化ストレスを緩和する機能が無い事が判ってきた。

癌細胞は、酸化ストレスに弱いと言う事なのである。

 

最近この考えを裏付ける報告が、見られるようになった。

老化抑制のため、抗酸化ストレス療法が盛んに行われる様になった。

これは、ガン抑制にも有効と考えられていたが、

最近これがを否定する研究が公表されている。

 

酸化ストレスを緩和すると、癌細胞の発生は減るかもしれないが、

癌細胞の増殖を早めると言う事である。

酸化ストレスが、ガン細胞の遠隔転移を抑制してくれると言う報告もあった。

私も妻も、酸化ストレスを緩和するサプリメントを、複数飲んでいた。

フェルラ酸・コエンザイムQ10・セサミン・ビタミンEなどである。

これらのサプリメントを服用することは、健康に維持に有益だと考えていた。

私にとっては、健忘症の進行抑制・改善に不可欠と言う面もあり、

使用を控える気持ちはない。

ただこれらのサプリメントの摂取が、妻の骨盤の骨破壊が、巨大になった理由かも知れない。

妻は、サプリメントの接種を止めた。

 

「癌細胞は、栄養源としてブドウ糖しか利用できない」と言う事実がある。

ブドウ糖の投与は、癌細胞の増殖に拍車をかけると言う事なのである。

この事実から、多量のブドウ糖の投与は、進行したガンには行ってはいけないと言う事になる。

中心静脈栄養で多量のブドウ糖を、進行したガン患者に行う事は、避けなければいけないのである。

最近胎盤から、多量のケトン体が検出された。

これは、胎児はエネルギー元としてケトン体を利用していると言う事を示唆している。

ガン細胞は、ブドウ糖を必要としているが、ケトン体は利用できない。と言う事実がある。

この二つの事実から、

ガンに対して高度な糖質制限を行い、ケトン体の産生とブドウ糖の吸収の抑制をはかる。

と言う治療戦略を考えた医師たちがいる。

有効性は、十分検証されていないが、一つの方法だと思う。

 

妻は、ガン細胞がブドウ糖で活動していると言う事を理解しており、

甘いおやつ類の摂取を控えるようになった。

 

 

 

 

16日木曜日に、血液内科の病棟へ移動した。

その日の夕方面会に行ったとき、主治医から話が合った。

明日骨髄検査(骨髄穿刺)を行う事。

この検査は、私もしたことがあった。妻も医師の介助を行った経験がある。

それを知っている主治医は、簡潔に説明して終わりになった。

 

多発性骨髄腫についての説明もあった。

血液の癌です。

現在の医療技術では、治すことが出来ません。

(過去の実績の基づく予後は)半年~10年です。

とあっさりと説明された。

その後、治療について説明。

ステロイドと抗がん剤を組み合わせて行う事。

使用できる抗がん剤は、複数ある事など説明された。

非常にあっさりした説明であった。

長年告知を行ってきた医師ならではの、態度であったと思う。

妻と一緒に仕事をしていた研修医時代、多くの血液の癌の方々を診ていたが、

本人への告知はしなかった。時代の変化を感じた。

予後の説明で、最短半年と言われたが、

これには私も妻反応しなかった。

最長10年と聞いた時、私が先になる可能性もあると私は思った。

妻は、骨盤骨折で身動きできなない状態から、

車いすを利用できるようになり、活動の範囲を広げることを夢見たようである。

 

あと痛みのコントロールであるが、

動くと骨盤へ負担がかかりさらに骨盤骨折が悪化することを、妻が理解している。

だから痛みを取る事を、ある程度行っていくことなども説明された。

検査や着替えなど、体位を変えなければならない時に、即効性の麻薬を使用してくれることになった。

使われた麻薬は、オキノーム散2.5mgであった。

妻には、劇的に効果があった。

わずか2.5mgのオキノーム散で、激しい痛みは緩和された。

体動時の激痛が、著名に軽減されたのである。

一番強い時の痛みを10とすると、1~2くらいとスタッフに説明していたので、

痛みのコントロールは容易だと言う事が判り、私は安心した。

 

翌日骨髄検査が行われた。

この時もオキノーム散を頓服し、痛みはあまり感じなかったようである。

検査結果が出そろっていなかったが、土曜日(18日)には、多発性骨髄腫の治療が始まった。

デカドロン40mgの点滴であった。

標準的なステロイドであるプレドニン換算で、300~400mgと言う驚異的に多い投与量であった。

次の日でも、妻にはその影響が残っていた。

めちゃくちゃハイテンションになっていた。

 

「転移性骨腫瘍」と告げられた翌日(14日火曜日)に原発巣確認のため、全身の造影CTが行われた。

造影CTでは、何も引っかからなかった。

主治医から、翌日以降乳腺外科・消化器科の医師に診察依頼を行ったことを告げられた。

 

現在入院している病院は、9日夜転倒して動けなくなり、救急隊によって選ばれた病院であった。

自宅に近い事(徒歩で25分くらい)に関しては、当初より感謝していた。

翌15日水曜日に、偶然この病院に連れてこられた事に、二人で感謝することになる。

 

水曜日の午後になり、入院している病棟師長より、妻の病気についてDrから話があると私に連絡があった。

仕事を終え妻のもとに行くと、二人の医師から妻の病状説明があった。

一人は、入院した整形外科の部長、もうひとりが血液内科の専門医。

整形外科医からは、MRIで確認された骨盤の腫瘍について説明がなされた。

CTにより、右腸骨に巨大な骨破壊像が認められる事。

これ以上骨盤の破壊が進行した場合は、寝たきりになるリスクが高い事。

頭部に「多発性骨髄腫による骨病変が認められること」などが説明された。

緩和ケアにより疼痛を抑えた場合、不用意な動きにより骨盤の破壊が起こる可能性が高い事。

などの説明があった。

血液内科の専門医より「多発性骨髄腫」であることが告げられた。

その日の血液検査の異常(総蛋白:9.6・アルブミン:3.4)から、ガンマグロブリン(免疫グロブリン)の増加が考えられる事。

全身に多発性の骨病変が認められることなどから、90%以上の確率で多発性骨髄腫であることが、説明された。

後は、骨髄穿刺により骨髄中に病的な形質細胞(腫瘍細胞)の確認と、免疫タンパク泳動でMタンパクの存在が確認出来れば、

診断が確定することなどの説明がなされた。

 

話はそれるが、私が研修医として勤務していた第二内科は、「循環器」・「呼吸器」となぜか「血液内科」があった。

当時は、タンパク分画検査がルーチンで行われていた。

タンパク分画検査=免疫タンパク泳動であり、この検査で偶然Mタンパクが見つかり、血液内科に送られてきた患者もいた記憶がある。

妻も同じ病棟で働いており、血液内科の患者も看護師としてかかわっていた。

基本的にこの病気の知識はあったし、担当した記憶もあった。

当時は、ろくな治療法がなかった記憶があった。

 

二人の医師の説明の後、どうするかの決断をしなければいけなくなった。

この時二人とも、神に感謝した。

偶然血液内科の専門医がいる病院へ、救急搬送された事へ感謝した。

 

国立がん研究センター中央病院へ行かなくとも良いと妻が決断してくれた。

私も、その決断に異論はなかった。

やはり築地は遠い。会いに行ける回数に限りがある。

自宅に近いこの病院だと、簡単に会いに来れる。

ここで、治療を受けることにした。

現在入院している病棟は、産科病棟だった。

翌日血液内科の病棟へ移動した。

 

5月13日夕に「転移性骨腫瘍」と診断され、翌日造影CTで全身を検索し、原発巣探しが始まった。

翌日造影CTが実施されたが、何も検出できなかった。

主治医から、明日乳腺外科や消化器科の医師に診察を仰ぎ、原発巣の有無を確認すると説明があった。

 

妻は、国立がんセンター(今の国立がん研究センター中央病院)での治療を希望していた。

ホームページを見ていくと「緩和ケア科」と言うのが目に入った。

とりあえずここにセカンドオピニオンと言う事で相談し、

今後の方針の確認と、

国立がん研究センター中央病院へ転院の可能性について確認するしかないと考えていた。

まず痛みの緩和を図る必要があると私は考えていた。

それと同時に原発巣の検索を行っていくしかないと思っていた。

原発巣により治療法(抗がん剤の選択など)は、違ってくる。

ただ転移性骨腫瘍による痛みの緩和には、放射線療法が有効なことが判っている。

放射線療法を受ける為にも、国立がん研究センターへの転院は必要と考えていた。

現在の状態だと、妻の移動が困難だった。

国立がん研究センター受診=入院でないと無理と言う状態であった。

その異動でさえ妻には、負担となる状態であった。

水曜日に、国立がん研究センターにセカンドオピニオンの申し込みの電話を行った。

電話では、主治医からの紹介状と検査データーが必要なことと、骨腫瘍専門とする科があることを教えていただいた。

骨腫瘍を担当する科はホームページには掲載されていなかった。

どちらにしても、主治医の紹介状が必要なので、水曜日の夕方再び妻の入院先に向かった。

主治医に、

妻が、国立がん研究センター中央病院での治療を強く希望している事。

転移性骨腫瘍の治療に放射線療法が効果があり、それが可能な病院で治療を受けたいことなどを告げ、

診療情報提供書(紹介状)と、画像のコピーの作成をお願いした。

この時主治医から、「乳癌の可能性は無い事と、血液検査からある病気が考えられる。」と告げられた。

明日、それについて検査を行う事を説明された。

その病気とは、「多発性骨髄腫」であった。

私は、研修医時代血液内科もある診療科で研修を行っており、この病気につ老いての知識も多少あった。

MRIで確認された骨病変は、右腸骨に大きな腫瘤を形成している事。

MRIで下半身全体の撮影が行われていたが、他に骨病変が確認されていない事。

等からその提言は受け入れられなかった。

国立がん研究センターへの転院は、時間がかかることを覚悟していた。

私は、早期にセカンドオピニオン外来の予約を取る事しか考えていなかった。

水曜日の夕方から木曜日にかけて、

どうすれば早期に転院出来るかと言う事しか頭になかった。

予後が不良な状態の妻に出来ることは、

本人の希望をかなえてあげる事しか出来ない自分がいた。

 

木曜日多発性骨髄腫に関する精査が進められていた。

体動で激痛が生じる妻には、大変な一日だったようである。

その結果をもとに、木曜日の夕方整形外科の部長と血液内科の専門医から話があると連絡がきた。