老年科医の独り言 -3ページ目

老年科医の独り言

認知症治療にかかわって30年目になります。
今回心機一転、題名を変更して、ぼつぼつ書いていきたいと思います。

5月13日夕に「転移性骨腫瘍」と診断され、翌日造影CTで全身を検索し、原発巣探しが始まった。

翌日造影CTが実施されたが、何も検出できなかった。

主治医から、明日乳腺外科や消化器科の医師に診察を仰ぎ、原発巣の有無を確認すると説明があった。

 

妻は、国立がんセンター(今の国立がん研究センター中央病院)での治療を希望していた。

ホームページを見ていくと「緩和ケア科」と言うのが目に入った。

とりあえずここにセカンドオピニオンと言う事で相談し、

今後の方針の確認と、

国立がん研究センター中央病院へ転院の可能性について確認するしかないと考えていた。

まず痛みの緩和を図る必要があると私は考えていた。

それと同時に原発巣の検索を行っていくしかないと思っていた。

原発巣により治療法(抗がん剤の選択など)は、違ってくる。

ただ転移性骨腫瘍による痛みの緩和には、放射線療法が有効なことが判っている。

放射線療法を受ける為にも、国立がん研究センターへの転院は必要と考えていた。

現在の状態だと、妻の移動が困難だった。

国立がん研究センター受診=入院でないと無理と言う状態であった。

その異動でさえ妻には、負担となる状態であった。

水曜日に、国立がん研究センターにセカンドオピニオンの申し込みの電話を行った。

電話では、主治医からの紹介状と検査データーが必要なことと、骨腫瘍専門とする科があることを教えていただいた。

骨腫瘍を担当する科はホームページには掲載されていなかった。

どちらにしても、主治医の紹介状が必要なので、水曜日の夕方再び妻の入院先に向かった。

主治医に、

妻が、国立がん研究センター中央病院での治療を強く希望している事。

転移性骨腫瘍の治療に放射線療法が効果があり、それが可能な病院で治療を受けたいことなどを告げ、

診療情報提供書(紹介状)と、画像のコピーの作成をお願いした。

この時主治医から、「乳癌の可能性は無い事と、血液検査からある病気が考えられる。」と告げられた。

明日、それについて検査を行う事を説明された。

その病気とは、「多発性骨髄腫」であった。

私は、研修医時代血液内科もある診療科で研修を行っており、この病気につ老いての知識も多少あった。

MRIで確認された骨病変は、右腸骨に大きな腫瘤を形成している事。

MRIで下半身全体の撮影が行われていたが、他に骨病変が確認されていない事。

等からその提言は受け入れられなかった。

国立がん研究センターへの転院は、時間がかかることを覚悟していた。

私は、早期にセカンドオピニオン外来の予約を取る事しか考えていなかった。

水曜日の夕方から木曜日にかけて、

どうすれば早期に転院出来るかと言う事しか頭になかった。

予後が不良な状態の妻に出来ることは、

本人の希望をかなえてあげる事しか出来ない自分がいた。

 

木曜日多発性骨髄腫に関する精査が進められていた。

体動で激痛が生じる妻には、大変な一日だったようである。

その結果をもとに、木曜日の夕方整形外科の部長と血液内科の専門医から話があると連絡がきた。

 

妻は、以前から、膝の痛みなどで定期的に整形外科に通院していた。

3月ごろから腰の痛みが徐々に強くなり、かかりつけの整形外科に通っていた。

MRIまで受けたが、原因判らず。

主治医の母校の大学病院を受診し、再度MRIを受けたが、原因不明。

以前はしびれを伴っていたので、脊椎の異常を疑っての検査であった。

今年の10連休の前あたりから、右の胸の痛みが出現。

この時「少し変だ」と感じた。

腰痛に下肢のしびれがない事。腰と胸と言う関連がない2か所の痛み。

癌の骨転移?多発性骨髄腫?が頭をよぎった。

大学病院のベッドの空きがなく、検査の予約が5月後半だったので、様子見をしていた。

5月9日行きつけの店で、二人で夕食を食べて家に帰って来た時、事件が起こった。

家に入るなり、妻が突然倒れた。激しい痛みの為身動きできなくなった。

妻の希望で2時間ほど様子を見ていたが、激しい痛みが続き救急隊を要請することにした。

この時救急当番だった現在入院している病院へ搬送された。

理由は外科系当直(特に整形外科)が居ると言う事で探してくれた。

ベッドの空きもあり受け入れてもらった。

右股関節の単純写真では、大腿骨の骨折は無かった。

原因不明だが、痛みが強く動けないため、入院となった。

病室に着いた時は、10日になっていた。

その日再度MRI検査が行われた。

この検査でとんでもないものが見つかった。

整形の主治医は、妻に説明せずに、翌日私に連絡をしてきた。

13日(月曜日)の夕方話をしたいが、時間の都合がつくか?

と言う内容だった。

やはり癌の骨転移?とこの時思った。

 

約束した当日、主治医と会う前に、病室の妻のもとに寄ったところ

妻から、夕方「画像を見ながら、ご主人に説明します。」と主治医から話があったと聞いた。

妻も怒っていたが、この主治医の行為は医師法違反(守秘義務違反)に問われかねない行為だった。

妻は看護師である。

看護師としてのスタートは、当時の国立がんセンターの呼吸器内科である。

当時は、告知などできる環境ではなかったので、

家族を呼んで患者には知らせず病状説明がなされるのが普通だった。

もう40年以上前のことである。

今の時代、守秘義務違反が厳しく問われるようになり、告知が当たり前になった。

患者本人から、

「悪いものなら自分は聞きたくない。家族に最初に設営してほしい。自分は立ち会わない」

と言う申し出が無ければ、患者自身に説明しなければならないのである。

また家族の同席も患者の承認がいる。

 

約束の時間に、主治医に呼ばれ画像が確認できる部屋に行った。

妻は移動出来ないため、病室で待機していた。

画像を見せてもらったら、一目瞭然であった。

右の腸骨(骨盤を構成する大きな骨)に大きな腫瘍があった。

告げられた病名は、もちろん「転移性骨腫瘍!!」

妻への告知は、私がする羽目になった。

病室に戻った私は、妻に告げた。

「転移性骨腫瘍」とだけ妻に告げた。

 

この時の妻の一言は、

「私が先か!!」

 

妻には、

「君が先に行ったら私は生きていけない」

と常々言っていたため出た言葉であった。

その時妻は「バカ!あなたの方が先に決まっているじゃん」と答えるのが常だった。

 

病名を告げた後、

土曜日に病棟師長から、今日の夕方主治医から説明すると連絡があった事も告げた。

「私の病気なのに、なんでそういう事をするかな!!」

と妻は怒っていた。

 

二人に共通した思いは、「残された時間は?」だった。

女性で「転移性骨腫瘍」の合併が多いのは、乳癌・胃癌・肺癌などが挙げられる。

乳癌以外の癌だと、ステージⅣの末期癌と言う事になる。

余命3か月~半年程度を覚悟しなければならない。

 

私が妻に病名を告げた後、主治医が病室に来て、妻に説明した。

明日から原発巣の確認を行っていきます。

原発が判らないと治療に入れません。

まず明日、全身の造影CTを行います。

あと乳腺外科と消化器科の医師に診察をお願いします。

と告げられ、妻は同意した。

主治医に告知義務違反である事は、妻の希望で指摘するのは、控えた。

 

 

 

 

 

妻が病に倒れた。

3月中頃から、腰の痛みを訴え始めていた。

かかりつけの整形では診断がつかず、大学病院を受診していた。

そこでMRIを撮ったが、原因不明。

そんな中、5月9日の夜、転倒して動けなくなった。

救急車を呼び、受け入れ可能な病院(外科系の夜間担当病院)を

救急隊に探してもらい搬送。

その後の検査で

「多発性骨髄腫」とそれによる「骨盤骨の病的骨折」と分かった。

現在寝たきり。

治療によりどこまで回復するか、現時点では不明。

現在多発性骨髄腫の治療が行われている。

廃用症候群予防のためのリハビリも開始が決まっている。

妻が退院後は、介護が待っている。

一昨日介護保険の手続きを行った。

今後どうなっていくか判らないが、不安は感じていない。

 

今後、妻のこと・妻の介護について書いていきたい。

プライベートな内容になるので、アメンバー限定の記事とさせていただく。

 

 

 

レビー小体型認知症の人と付き合っていると、元気で問題ないと思っていたケースで突然亡くなるケースがたまにいる。

全く原因がわからなかった。

なんとなく迷走神経反射の関与を考えていた。

最近経験したケースでやはり迷走神経反射が大きく関わっていたと考えられるケースが居たので、書いてみる。

 

レビーの流体力学的な脳幹部梗塞は、やはり迷走神経反射と大きく関係ある事は、以前よりわかっていまた。

認知症の取り組み始めて、脳幹部梗塞(橋病変)と考えられるケースに7例ほど遭遇した。

発作は、すべて食事終了直後に発生している。

症状は、弛緩性四肢麻痺・瞳孔ピンホール・眼球運動の障害(正中固定)などである。

パーキンソニズムで全身の筋緊張が異常に亢進しているケースもおり、このケースも完全な弛緩性麻痺であった。

それまでは、廃用性拘縮と考えていたケースである)

この7例では、初回発作が朝なら朝・昼なら昼・夕なら夕食直後に、

迷走神経反射でプレショック状態(血圧低下・軽度意識障害・著名な除脈)になった。

初回の流体力学的な脳梗塞のあと、数日間迷走神経反でプレショックになっている。

6年間で、7例で述べ11回経験したが、当時はそのメカニズムが全く分からず頭を抱えた記憶がある。

 

今回突然死と迷走神経反射が密接に関係あると考えられたケースについて書いてみたいと思う。

 

90歳代前半の女性である。

2年ほど前に主治医になったケースであるが、最初は認知症が進行し「あちらの世界}に行っていたケースで、

コミュニケーションはほとんどと獲れなかった。ポリファーマシーを解消したところ、認知機能・ADLとも改善し、

普通にコミュニケーションが取れるようになった。

その後1年以上、元気で過ごされていた。

朝食を8割ほど召し上がった後発作が起こった。

急に意識が無くなり、看護スタッフが確認した時は、脈も触れない状態だった様である。

誤嚥を考え看護師が吸引したが、白色痰が少量引けただけだったと報告ああった

その後呼吸停止が確認されたため、救急搬送をキャンセルしたようである。

食事がほぼ終了する時間帯である事と、日中は気温上昇し朝晩の冷え込みが強い気候だったことが、

強い迷走神経反射を起こし流体力学的な脳幹部脳梗塞を起こし、呼吸中枢・循環中枢が機能停止して突然死したと

私は理解している。

 

こういったケースを経験した後、過去のケースでも1例食事と突然死の関連が大きいケースのことを思い出した。

このケースは、前頭葉症状とレビー特有の幻視を持ったケースであった。

認知症の進行が速く、症状コントロールが難しいケースであった。最後のほうは、流体力学的な脳梗塞発作を繰り返し

認知機能の低下とADLの低下が著しいケースであった。

誤嚥のため経口摂取が十分行えず、連日点滴を行ったこともあった。

訪問看護が入っていたケースであった。

突然死した時は、訪問看護師が経口摂取訓練を行っていた時であった。

「リンゴをすりおろしにとろみをつけたもの」を食べさせていたようである。

もう少しで完食と言うところで、突然倒れて確認したら呼吸も止まったとのことであった。

 

あと私自身診察はしていないが、迷走神経反射でショック状態を繰り返すと言う初老期の方に

訪問診療を申し込まれたことがある。最初の訪問開始の相談の時、奥さんに「発作を起こしたら、

どうするのが良いですか?」と聞かれたが、ショック状態から死に至ることを防ぐには、救急車を呼ぶしかないでしょう

と答えた記憶がある。このケースは、その後も発作を繰り返し、最後は救急車で搬送したが、救命できなかったと聞いている。

 

これらのケースについて考えてみると、

レビーの突然死は、迷走神経反射により脳幹部の流体力学的な脳梗塞により、呼吸中枢・循環中枢が障害を受け

突然呼吸停止・心停止が起こってしまうと考えられる。

 

このような激しい迷走神経反射は、大きな気温差で誘発されることは間違いない。

私は、内陸性気候である山梨と東京都の多摩地域で長年仕事をしており、

迷走神経反による様々なトラブルを経験してきたが、多くの医師はこのような事実を知らないでいる。

最近の異常気象で、内陸性気候の地域以外でも、大きな気温差が生じてきている。

このことを多くの医療関係者に知ってほしいと思う。