ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

古宮昇先生の著書、

プロが教える共感的カウンセリングの面接術

から、

 

「人間の心のなりたち」

の中で、

人間、誰もが持つ、

4つの深く強烈な心理的衝動

 

(1)自己実現を求める衝動

(2)無条件の愛を求める欲求

(3)「自分を表現したい」と求める衝動

(4)「傷つきたくない、変化するのは怖い」と求める衝動

 

の(1)から、

紹介、解説をしています。

 

前回からの続きです(^^;

 

自己実現をもとめる衝動、

すなわち、

自分の価値の高いことで、

困難を乗り越えて成長したい!

という衝動は、

本来、だれもが持っているものですが、

それが抑えつけられてしまうケースがあります。

 

「過保護」な養育です。

 

なぜか?

 

ちょっと極端なケースですが、

子どもが何でも一番にならないと、

学校に抗議しに来る

お母さんの例が紹介されています。

 

たとえば、

絵画コンクールで、

金賞に選ばれないと、

抗議する。

 

クラスの劇では、

主役でないと、

抗議する。

 

お母さんの抗議が

あまりにも執拗なので、

学校は、〇〇くんに、

いつも金賞を与え、

主役をさせるように

なったそうです・・・

 

あなたに、

そんな〇〇くんの苦しみが

想像できるでしょうか。

 

彼は、

お母さんから

失敗や挫折の危険を

奪われたために、

自分の力で成功する

チャンスを失っているのです。

 

金賞を取っても

成功した喜びは

ありません。

 

自分の力で

つかみ取った

金賞ではないからです。

たしかに、

これは苦しいですね・・・

〇〇くんは、

もしそのまま育てば、

人々を攻撃して

人間関係のゴタゴタを

繰り返し起こす

大人になるでしょう。

 

また、家庭では、

いつかお母さんに対して

ひどく反抗的になるでしょう。

 

なぜなら、

お母さんは

ありのままの

〇〇くんを受け入れる

ことができず、

優秀でなければ

認めないからです。

 

しかし、

彼のお母さんには、

なぜ彼が反抗的になるのかは

理解できないでしょう。

 

なぜなら、

すべて〇〇くんのためにと思って、

一生懸命にやってきたからです。

 

そうなんです・・・

 

お母さんは、

あくまで、

息子さんのためを思って、

やっている。

 

息子さんも、

それがわかっているから、

不満を表現しにくくなる・・・

(いずれ噴出しますが)

 

別の例では、

子どもができることを、

親がしてしまったり、

 

「あれをしてはいけません、

これをしてはいけません」

 

と子どもを不安にして委縮させてしまう

ケースが紹介されています。

 

そういう親から、

子どもは次のような

メッセージを受け取ります。

 

「あなたは能力がないから

私が必要です」

 

このメッセージは

子どもの成長に

重大な影響を及ぼします。

 

自信がなく、

他人に依存せざるを得ない、

不安の高い子どもに

なりかねません。

 

親が、

そのような形で

子どもを傷つけてしまうのは、

親のなかにある

愛情飢餓感が

一因だと思います。

 

子どもの関心を集めないと、

寂しくて仕方がないのです。

 

(中略)

 

親の中に、

愛情飢餓感がある。

 

親自身も、子どもの頃に、

傷ついているんですね・・・

 

学校に行けない、

会社に行けない、

就職活動ができない、

自信がない、

 

そのような

大人や子どもの多くが、

ここにお伝えしている、

 

自分の道を自分で拓き、

自分のしたいことに挑戦し、

自分の人生を

自分らしく生きる、

 

という自己実現のチャンスを

奪われてきた苦しみを

抱えているように、

私には思えます。

すべて、これが原因とは、

限らないと思いますが、

たしかに、

該当するケースも多いのではないかと、

私も考えます。

 

ただし、

念のため、申し上げておきますが、

これを読んでいる親御さん、

くれぐれも、

自分の子育てを後悔したり、

ご自分を責めたりは、

しないでくださいね(^^;

 

古宮先生も、おっしゃっています。

 

もっとも、

完璧な親などいませんし、

完璧な子育てもありえません。

 

だから、

親は誰だって

子どもを傷つけることがあるし、

誰もが子どものころに

親から傷つけられて育ちました。

 

私たちが傷ついたのは

私たちの落ち度ではありません。

 

ただ、

それを解決し成長するのは、

私たち自身の責任です。

 

私たちは、皆、

程度の差こそあれ、

傷を持っています。

 

その傷が、

すべて悪いわけではありません。

 

その傷をなんとかしようとして、

そこから、

自分の最高価値が見つかることも

あると思いますし、

少なくとも、

人の痛み、苦しみには、

共感できるようになります。

 

もし、仮に、

100%親の無条件の愛を受けて

育ったとしたら、

(そんな人はいないと思いますが(^^;)

人の痛み、苦しみ、

闇の部分がまったく理解できない、

ある意味、

「困った人」

になってしまうかもしれません(^^;

 

ただ、

傷をかかえて生きるのが、

あまりにも、辛い時があります。

 

何が傷かは、よくわからないけど、

なぜか、生きづらさを感じる時も、

あったりします。

 

そんなときに、

共感的カウンセリングが、

必要とされるのだと思います。

 

あなたに、寄り添って、

あなたの思いを、

なるべく、あなたの身になって理解し、

無条件に受け入れ大切に思う。

 

私は、そんなカウンセラー、

メンタルコーチでありたいと思います。

 

 

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は、

(2)無条件の愛を求める欲求

を紹介、解説しますね(^^;

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

2021年も、

皆さまにとって、

すばらしい年でありますように!

 

本年も、

皆さまの心がゆたかになるような、

本の紹介、解説をしていきたいと思います(^^)

 

どうぞよろしくお願いいたします<(_ _)>

 

年末年始の休みで、

古宮昇先生から学んだ、

プロが教える共感的カウンセリングの面接術

の内容を読み返して、

復習しました。

 

この本は、

プロカウンセラーで

まだキャリアの浅い方や、

プロカウンセラーを目指す方向けに

書かれた専門書ですが、

そうでない一般の方にも、

「人の心」

について理解を深めるために、

多くの示唆を与えてくれると思います(^^)

 

中でも、

本の前半部分で紹介されている、

 

「人間の心のなりたち」

 

の内容が、

とても勉強になりますので、

シェアさせていただきますね。

 

 

人間、誰もが持つ、

深く強烈な心理的衝動が、

4つあるといいます。

 

(1)自己実現を求める衝動

 

(2)無条件の愛を求める欲求

 

(3)「自分を表現したい」と求める衝動

 

(4)「傷つきたくない、変化するのは怖い」と求める衝動

 

です。

 

(1)自己実現を求める衝動

から、引用、解説していきますね。

 

人は誰もが、

「もっと成長したい」

「もっと素晴らしい自分になりたい」

「痛みや苦しみを解決して、

もっと良い人生を生きたい」

といった強烈な衝動を

持っています。

 

その衝動を、

「自己実現を求める衝動」

と呼ぶことにします。

 

それは、

命の持つ

根源的な衝動です。

 

それは

心と体の自己治癒力

としても表れますし、

人の幸せを願う気持ちの

源でもあるとも思います。

 

本日1月2日、

箱根駅伝(往路)と、

ラグビー大学選手権(準決勝)

がTV放映されていました!

 

いずれも母校が出場したので、

懸命に応援!したのですが、

結果は・・・

う~ん、残念(^^;

 

勝敗はともかく、

スポーツ選手の必死で頑張る姿を見ると、

感動しますよね(^^)

 

それは、

彼らの姿が、

私たちの中にある、

「自己実現を求める衝動」

と共鳴するからだといいます。

 

苦しい思い、

痛い思いをしてまで、

彼らは、なぜ、

苦しい練習に耐え、

本番で死力を尽くすのか?

 

それは、

彼らの最高価値、

すなわち、

駅伝や、ラグビーで、

「もっと早くなりたい」

「もっとうまくなりたい」

という、

あくなき成長意欲があるからです(^^)

 

もし、親が、

「スポーツなんて無駄」

「勉強だけやっていればいい」

といって、

強制的にやめさせていたら、

彼らにとって、

それは、耐えがたい苦痛ですよね(^^;

 

そのくらい、

人間にとって、

自己実現を求める衝動は、

強烈なものだといえます。

 

赤ちゃんの例も紹介されています(^^)

 

乳児は、

手や足が動かせるようになると、

バタバタさせます。

 

次に「はいはい」を始めて、

やがて、

立ち上がろうとします。

 

赤ちゃんにとって、

転ぶ危険もありますが、

それでも、立ち上がろうとします。

 

成長への、あくなく欲求です。

 

立ち上がれるようになると、

赤ちゃんは歩こうとします。

 

よろよろ、

よたよたと、

弱い筋肉で

重い体を支えて

一生懸命に

歩行しようとします。

 

ボテっと転び、

「わーん」と泣くことも

しばしばです。

 

きっとそのころの

赤ちゃんにとって、

転んで重い体を

床に叩きつけられることは、

かなりの苦痛ではないかな、

と想像します。

 

それでも赤ちゃんは、

一生這いずり回り続けるのは

嫌なのです。

 

何度も何度も転びながら、

歩く練習を繰り返します。

 

あなたがいま歩行できるのは、

その過程を乗り越えて

きたからです。

 

あなたは

「もっと成長したい」

という強い衝動を

持っているのです。

 

「成長」を実感する意味でも、

簡単にできることではなく、

適度な障害や困難を乗り越える

必要がある。

 

自己実現の

喜びを味わうためには、

失敗する可能性に直面し、

失敗の恐怖を乗り越えて

挑戦することが

必要なのです。

 

私たちは自分にとって

本音で価値の高いことには、

成長しようと自ら進んで

困難に挑戦します。

自分にとって、

「本音」で「価値の高いこと」

がポイントだと思います。

 

いわゆる、

社会通念や

道徳的に、いいとされることではなく、

ですね(^^;

 

しかし、

このような、

自己実現を求める衝動

を、結果的に抑えつけてしまうケースが、

あるといいます。

 

次回に続きますね(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

2020年最後のブログです!

 

内田樹さんの、

ひとりでは生きられないのも芸のうち (文春文庫)

というエッセイ集を、

読み返しながら紹介しています。

 

前回、

「愛神愛隣」

というタイトルのエッセイを、

途中まで解説しました(^^)

 

簡単に振り返りますね。

 

「隣人をあなた自身のように愛しなさい」

という聖書の言葉がありますが、

現代人は、

そもそも、

隣人どころか、

自分自身を愛している人は少ない。

 

なぜか?

 

ピュアな自分を追い求めすぎて、

だれもが自分の中にある、

ネガティブな要素、

すなわち、

弱さ、醜さ、邪悪さを、

なかなか受け容れられない。

 

そんな自分を愛せないからだといいます。

 

誰でも、

自分の中に

弱さや醜さや邪悪さを

抱えている。

 

誰も憎まず、

誰も羨まず、

誰にも欲望を

抱かない人間など、

この世に存在しない。

 

自分の中に

たしかに存在する、

そういった邪念を

受け容れるところからしか、

「自分自身を愛する」

ということは始まらない。

そうですね・・・

 

そういった「邪念」も

受け容れるというのが、

いわゆる、

「自己受容」なのだと思います。

 

それをしないで、

「邪念」をないものとして、

心の奥底に抑え込み、

「ピュア」で「ポジティブ」な自分のみを

ひたすら追い求めると、

「邪念」は「シャドー」化して、

無意識の領域から、

私たちを脅かすようになります。

 

急に怒りが湧いてくるとか、

何もやる気が起こらなくなるとか・・・

 

私たちはどうして

そのような要素が

自分の中にあるのか、

その来歴も知れず、

統御もできない

人格要素を抱え込んでいる。

 

それは私たちの

肉や骨に食い込んでいる。

それを

削り取ることはできない。

 

なんとか

折り合ってゆくしかない。

私たちは、

エゴを抱えて、

この世に生まれてきた以上、

「邪念」を削り取ることはできません。

 

では、どうやって、

折り合いをつけるのか。

 

自分の中の混在している

多様な人格要素を

ゆるやかに包括しつつ、

「共生する」

のである。

 

自分の弱さや

邪悪さや愚かさと

「共生する」

ということは、

自分の弱さや

邪悪さや愚かさに

「屈服する」

ということとは違う。

 

「屈服する」

というのは、

弱さそのもの、

邪悪さそのもの、

愚かさそのもの

に取り憑かれ、

自分自身が

「それ」

になってしまうことである。

 

「共生する」

というのは

それとは違う。

 

弱さや邪悪さや

愚かさといった

人格要素はそれとして

対象的には

観察されている。

 

例えば、

「私の弱さ」

を私はすみずみまで

くまなく観察し、

それが

どのような場面で

どのような

「ふるまい方」

をするかについて

熟知している。

なるほど~。

 

ちなみに、

この観察する「私」のことを、

心理学用語で、

「観察自我」と呼びます。

 

言い換えると、

「気づく自分」ともいえます。

 

近年、話題になっている、

「マインドフルネス」

のことですね(^^)

 

野口嘉則さんは

「気づく自分」のことを、

オーケストラの指揮者にたとえています。

 

人の「こころ」の中には、

さまざまな「サブパーソナリティ」がいます。

 

頑張りやの自分もいれば、

怠け者の自分もいる。

 

前向きな自分もいれば、

ネガティブな自分もいる。

 

それらのさまざまな自分は、

いわば、

オーケストラの楽器の演奏者なんですね。

 

自分とは、オーケストラの楽団。

 

人生という名の交響曲で、

指揮者は、

それらの楽器の演奏者の存在に気づいて、

適切なタイミングで、活躍の場を与えてあげる。

 

はい、ここは、

頑張り屋のバイオリンさん!

ここからは、

怠け者のオーボエさんさん・・・

 

はい!

前向きに、シンバルさん、どうぞっ!

ここからは、

ネガティブなチェロさん、しんみりと・・・

 

とか。

(すみません、楽器の特性は、

よくわからずにたとえています(^^;)

 

さまざまな楽器を奏でることによって、

人生という名の交響曲が、

厚みのある、すばらしいものになるわけです(^^)

 

それが、

「自分の弱さと共生する」

ということである。

 

「共生する」

ことが、

「愛する」ことの

原基的な形態である。

 

自分自身を

愛するというのは、

自分自身の中に

存在する

さまざまな

「不快な人格要素」

となんとか折り合って

暮らしてゆくということである。

「自分の弱さと共生する」

ことが、

すなわち、

「自分を愛する」

ということ。

 

私自身、

中年になってみて、

ようやく、

少しずつ分かってきました(^^;

 

隣人を愛するというのも、

それといっしょである。

 

「愛する」とは

十全な理解と共感に

基づくものではない。

 

そうではなくて、

なんだか

「よくわからないもの」

を冷静に観察し、

その

「ふるまい方」

のパターンを

よくわきまえた上で、

涼しい顔をして、

受け入れることである。

 

 

 

でも述べましたが、

他者のことは、簡単には理解できない。

 

安易にわかったと思っては

ダメなんですね(^^;

 

だから、冷静に観察しつつも、

まずは受け入れる。

 

その訓練を

私たちはまず

自分自身について

行うのである。

 

おのれのうちなる他者と

共生することのできる能力、

 

おそらくはそれが

隣人を愛する能力、

神を愛する能力に

まっすぐに

つながっているのである。

 

「おのれ」の「うちなる他者」と

共生することのできる能力・・・

 

「自己受容」

 

やっぱり、どこまでいっても、

「自己受容」

は大切ですね・・・

(なかなか難しいですが(^^;)

 

 

以上、

内田樹さんの、

ひとりでは生きられないのも芸のうち (文春文庫)

というエッセイ集(の一部)を、

4回にわたって紹介してきました。

 

内田樹さんの本は、

これ以外にも、文庫本も含めて、

たくさん出ていますので、

タイトルで興味を引くものを、

何か、ご一読されることをオススメします!

 

きっと、何かしらの気づきが得られると思いますよ(^^)

 

個人的には、

今の世の、行き過ぎた個人主義や、

何でも市場原理主義に還元してしまう風潮に、

一石を投じているところに、

共感を覚えます(^^)

 

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今年の6月から、

思い立ってブログを始めさせていただきましたが、

皆さまの、「いいね」や、「コメント」に支えられて、

おかげさまで、

ここまで続けることができました!

 

本当に、有り難うございました。

感謝申し上げます。

 

少しでも、皆さまが、

「心ゆかたに生きる」ために、

参考になったとしたら、

望外の喜びです(^^)

 

来年も、

皆さまにとって、すばらしい年でありますように!

 

有り難うございました(^^)

 

引き続きよろしくお願い申し上げます<(_ _)>

 

れっつごう

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

年末年始になり、

「本をたくさん読もう!」

と意気込んでいますが、

積ん読が日々溜まっていき、

読み返したい本もありますし、

心理学の勉強もしたいし、

少しは掃除もしなければ・・・

 

と、苦楽(くるたの)しさを、

味わっている今日この頃です(^^;

 

内田樹さんの、

ひとりでは生きられないのも芸のうち (文春文庫)

というエッセイ集を、

読み返しながら紹介しています。

 

う~ん、

内田樹さんは、

ほんとに本質を突く方だと感じます・・・

 

今回ご紹介するのは、

「愛神愛隣」

というタイトルのエッセイです(^^)

 

前半部分を要約しますね。

 

「隣人をあなた自身のように愛しなさい」

という聖書の言葉があります。

 

これによると、

隣人を愛するには、

まずは、自分自身を愛していることが

前提となりますが、

現代は、

そもそも、

自分自身を愛せている人が

少ないといえます。

 

自己嫌悪という感情は、

私たちには、なじみ深いですし、

毎年、多くの自殺者が出ているのも、

事実です。

 

世の中には

自分自身をうまく

愛することのできない

無数の人々が

現に存在する。

 

彼らに向かって

「あなた自身を愛するように

隣人を愛しなさい」

と告げても、

 

「自分自身を愛することが

どういうことだか

わからないのに、

隣人なんか愛せるはずが

ないじゃないか」

 

という反論が

当然返ってくるはずである。

そりゃそうですよね。

私たちの時代において、

「隣人愛」というのが

ほとんど死語に

なってしまったのは、

私たちが

自分自身のことを

愛するのに夢中で、

隣人のことを

意に介さなくなったから

ではない。

 

自分自身を愛するというのが

どういうことだか

わからなくなってしまったので、

隣人を愛する仕方も

おのずから

わからなくなって

しまったのである。

なるほど~、

鋭い指摘ですね。

 

一般論としては、

豊かな世の中になった影響で、

個人主義で、わががまな人が増えた、

すなわち、

自分のことだけを愛する人が増えた

という風潮がありますが、

そうではない。

 

実は、

自分自身を愛している人は、

少ないというのです。

 

なぜか?

 

その理由はおそらく、

「ほんとうの自分」

という幻想的な

「中枢」を想定して、

それに他のすべてが

従属している状態として、

自我をイメージ

しているからである。

どういうことでしょうか。

 

「ほんとうの自分」

とか

「自分らしいピュアな自分」

とか

「世界でひとりだけの

真に私らしい私」

というようなものが

どこか自分の内部の

洞窟の奥に

秘蔵されていると

思いなしている人間が

(たくさん)いる。

 

彼らは、

そのせいで

雑多な人格要素が

星雲状態で

ぐちゃぐちゃと混在している

現実の自分を

そのまま愛することが

うまくできなくなっている。

なるほど・・・

 

ピュアな自分であるべきなのに、

人間である以上は、

エゴやネガティブなところも

当然、ある。

 

弱さ、醜さ、邪悪さを、

抱えて生きている。

 

だけど、

そんな、ピュアでない自分では、

愛せない、受け入れられない、

ということなんですね・・・

 

「ピュアでない自分は愛せない」

 

ここに、

現代の大きな病理が

潜んでいるのかもしれません。

 

では、どうすればいいのか?

 

次回に続きますね(^^;

 

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

内田樹さんの、

ひとりでは生きられないのも芸のうち (文春文庫)

というエッセイ集を紹介しています。

 

その中の、

「あなたなしでは生きてゆけない」

というタイトルのエッセイから、

「自立」と「依存」

をテーマに解説しています。

 

前回は、

 

自分のことを、

あえて、自分でやらずに、

他人に対してやる。

 

そして、

自分のことを、

他人にやってもらう。

自分が

しなければいけないことを

誰かがしてくれれば、

そうやって浮いたリソースで

他人の

しなければいけないことを

私が代わりに

やってあげることができる

そんな、

まわりくどいことをするのは、

なぜか?

 

というところまでを紹介しました。

 

続きです(^^;

 

ひとりでできることを

どうして二人がかりで

やらなければならないのか、

理解できない人が

いるかもしれない。

 

その人は

たぶん「交換」というものが

どのように構造化

されているのか、

その人類学的な

根本事実を

理解しそこねている。

う~ん、

ちょっと難しい・・・

「交換」の根源的なかたちは

「キャッチボール」

という遊びのうちに

生き残っている。

「キャッチボール」

 

ここに

「交換」の本質があるといいます。

 

どういうことか。

キャッチボールは

ひとりではできない。

 

私が投げる球を受け取った

相手のグローブの発する

「ばしっ」

という小気味良い音と、

相手が投げる球を

補給したときの

手のひらの満足げな

痺れのうちに、

私たちは

自分がそのつど

相手の存在を要請し、

同時に相手によって

存在することを

要請されていることを知る。

女性の皆さんは、

あまり、ぴーんとこない方も

いらっしゃるかもしれませんが、

キャッチボールって、

お互いに、

「ばしっ」と、

すごく

「手ごたえ」

を感じるんです(^^)

 

それが、お互いの

「存在」を感じることになる。

 

他の例で、

「ひとりではできない」

といえば、

「会話」も、

そうかもしれません。

(「アレクサ」は例外ですけど(^^;)

 

よく、会話は、

キャッチボールといいますもんね。

 

(ちなみに、

コミュニケーションの第一人者、

野口敏さんは、

会話は言葉のキャッチボールではない、

会話は「気持ち」のキャッチボール。

という名言を残されています。)

 

あなたなしでは

私はこのゲームを続けることが

できない。

 

キャッチボールをしている

二人は

際限なくそのような

メッセージを

やりとりしているのである。

 

このとき、

ボールとともに

行き来しているのは、

 

「I cannot live without you」

という言葉なのである。

 

これが根源的な意味での

「贈与」である。

 

なるほど・・・

 

「あなたなしでは生きてゆけない」

 

というメッセージを、

お互いに「贈与」し合う。

 

それが、

「私はここにいてもよいのだ。

なぜなら、

私の存在を必要としている人が

現に目の前にいるからである」

という考え方につながるといいます。

 

たしかに、

自分を必要としてくれる人がいれば、

自己肯定感が高まります。

 

ひとりでできることを

二人がかりでやる。

 

それによって

「あなたなしでは

私はこのことを完遂できない」

というメッセージを

相互に贈り合うこと。

 

それが

もっとも純粋な

交換のかたちである。

 

I cannot live without you

 

これは

私たちが発することのできる

もっとも純度の高い

愛の言葉である。

たしかに、

「あなたなしでは生きてゆけない」

なんて言われたら、

とっても、嬉しいですよね(^^)

(一度でいいから、言われてみたい・・・)

 

内田樹さんは、

「その人がいなくては

生きてゆけない人間」

の数の多さこそが

成熟の指標、

いいかえると、

生存確率を

向上させるといいます。

 

「誰にも頼らずに、

一人で生きてゆける」

能力の開発ではなく、です。

 

なぜか?

 

「あなたがいなければ

生きてゆけない」

 

という言葉は

「私」の無能や

欠乏についての

事実認知的言明

ではない。

 

そうではなくて、

「だからこそ、

あなたにはこれからもずっと

元気で生きていてほしい」

という、

「あなた」の

健康と幸福を願う

予祝の言葉なのである。

なるほど・・・

 

自分の至らなさのアピールではなくて、

あくまで、相手の健康と幸福を願う

「前祝い」なんですね。

 

自分のまわりに

その健康と幸福を

願わずにはいられない

多くの人を有している人には、

そうでない人よりも

健康と幸福に恵まれる

可能性が高い。

 

それは、

(キャッチボールの

例から知れるように)

祝福とは

本質的に相互的な

ものだからである。

「人の健康と幸福を願う」

という贈与は、

相互的なもの、

すなわち、

キャッチボールのように、

自分に返ってくるということですね・・・

 

たしかに、

多くの人が、

自分の「健康と幸福」を願ってくれたら、

幸せですよね(^^)

 

 

このブログを書いていて、

妻をはじめ、

身近な人を大切にしなければ・・・

という気持ちになってきました(^^;

 

我ながら、現金な奴です(笑)

 

この気持ち、いつまで続くやら・・・

 

次回に続きます(^^;

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)