ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
野口嘉則さんの本、
から、
私の印象に残ったところを、
紹介、解説しています。
今回で、7回目です(^^;
この本、大きく分けると、
(1)心の安全基地を確立する
(2)選択する力を養う
(3)地に足をつけて再生する
(4)自己受容を深める
が述べられているのですが、
今回は、
(3)地に足をつけて再生する
の中の、
「思いどおりにならないことへの耐性」
にフォーカスして、
紹介、解説していきますね(^^)
私たちにとって、
日ごろから、
思いどおりにならないことは、
多々ありますよね(^^;
特に人間関係・・・
中でも、身近な人に対しては、
ついつい、期待が大きくなり、
「これくらいのことは、
わかってくれるはずだ」
と思ってしまいがちです(^^;
しかし、
相手は、こちらの期待通りの
反応をしてくれない・・・
私も、妻や、職場の同僚に対して、
しょっちゅう感じています(笑)
ここでカギを握るのは、
「思いどおりにならない
ことへの耐性」
です。
この耐性が弱いと、
すぐにイライラしてしまったり、
あるいは相手を
是正しようとしたり、
相手をコントロール
しようとしたりします。
ときに、
怒りを爆発させる場合も
あります。
これでは、
おたがいが
幸せを感じるような
人間関係を
なかなか築くことは
できませんね。
どきっ、ぐさっ、
これは、私のことかも・・・
逆にこの
「思い通りにならない
ことへの耐性」
が強い人は、
思い通りにならない
状況の中でも、
相手のことを尊重しながら、
対話の努力を
建設的に続けていくことが
できるので、
幸せで豊かな人間関係を
築けるのです
なるほど~
こういう人に、
憧れます・・・
いつになったら、
私はなれるのか(^^;
現代人は、
「思い通りにならないことへの耐性」
が、かなり脆弱になっていると、
述べられています。
たしかに、そうかもしれません(^^;
便利すぎる時代。
わらないことは、
ググれば、すぐに答えがでる。
アマゾンも、プライムなら、
翌日には届くことが多い。
私も、
その恩恵を最大限被っていますし、
その便利さを手放す気は、
さらさらないのですが(^^;
でも、何だか、
ずいぶん、
せっかちな自分になっているという、
自覚があります。
たとえば、
車を運転していて、
少し渋滞しただけでも、イライラしますし、
ちょっと強引に前に入られると、
腹立つし(笑)
(たいして時間は変わらないのに・・・)
コンビニの、
レジで、もたもたしている人がいると、
プレッシャーをかけたくなるし、
残高不足で、
駅の自動改札を止める人には、
ムッとくるし・・・
・・・と、
小さい自分を露呈するのは、
このくらいにして(笑)
私たちは、便利すぎる世の中で、
ともすれば、
「万能感」に支配される
危険性があるのだと感じます。
コロナ禍の不自由は、
その警鐘の意味も
あるのかもしれません。
万能感は、言い換えると、
「操作主義」ともいえます。
自分の目の前の世界を
思い通りに
コントロールしようと
することを
「操作主義」
といいますが、
現代人には、
この「操作主義」の
パラダイムが
浸透していると思われます。
人は、操作主義的に
なればなるほど、
コントロールすることへの
執着心が肥大化してしまい、
思いどおりにならない状態に
耐えられなくなります。
つまり、
悩みが増えるのです。
仏教や老荘思想でも
言っているように、
思いどおりにならないことを
思いどおりにしようとする
執着心こそが、
人生の根本的な苦悩を
生み出すのです。
「人は、操作主義的に
なればなるほど、
コントロールすることへの
執着心が肥大化してしまい、
思いどおりにならない状態に
耐えられなくなる・・・」
だから、
「悩みが増える」
ほんと、そうですね(^^;
ちなみに、
私は、自己啓発書をけっこう読みます。
もちろん、その動機は、
向上心からなのですが、
「まわりの人をこちらの意図通りに動かそう」
という下心も、
少しはあるような気がします(^^;
だから、苦しみは消えないのか(笑)
今、私たちにとって
必要なことは、
行き過ぎた操作主義の
パラダイムをゆるめ、
「世界は自分の思いどおりには
ならないものだ」
「世界をコントロールすることは
できない」
「宇宙も人生も、
人知を超えたものだ」
という謙虚な姿勢で、
世界や人生と
向き合うことでは
ないでしょうか。
そしてこの姿勢は、
人間関係を築いていくうえでも
大切です。
つまり、
「相手はこちらの
思いどおりにはならないものだ」
「相手をコントロール
することはできない」
「人間(相手)は
計り知れない存在だ」
という謙虚な姿勢で、
人格的存在である相手に
畏敬の念を持つことが
大切なのです。
そうですね。
その姿勢は、
たとえ、言葉にしなくても、
相手に伝わるような気がします。
思いどおりに
ならなかったことに
いつまでも
囚われている人のことを、
「あきらめが悪い」
などと言ったりしますが、
この
「あきらめる」
という言葉の語源は、
「明らかにする」
「明らかに見極める」
というものです。
思いどおりにならない
ことを、
思いどおりにならない
こととして見極めること。
つまり、
勇気をもって現実を直視し、
ものごとの本質を
明らかに見て受け入れること。
そして、
そのことによって
執着心を手放すことこそが、
本来の
「あきらめる」
ということなのです。
「明らかに見極める」
という言葉から、
「ニーバーの祈り」
を想起しました。
紹介します(^^)
神よ、
変えることのできるもの
について、
それを変えるだけの勇気を
われらに与えたまえ。
変えることのできないもの
については、
それを受けいれるだけの
冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、
変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
ラインホールド・ニーバー
(大木英夫 訳)
識別する知恵・・・
ああ、
そんな知恵が、
あれば、欲しい・・・
ただ、
少なくとも言えることは、
「他人」ではなく「自分」。
「自分」の捉え方は、
変えられますね(^^;
今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました(^^)
次回は、この本で、
一番のキモ(だと私が思う)
「自己受容」のところを紹介します。


