ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

野口嘉則さんの本、

「これでいい」と心から思える生き方


 

から、

私の印象に残ったところを、

紹介、解説しています。

 

今回で、7回目です(^^;

 

この本、大きく分けると、

 

(1)心の安全基地を確立する

(2)選択する力を養う

(3)地に足をつけて再生する

(4)自己受容を深める

 

が述べられているのですが、

 

今回は、

(3)地に足をつけて再生する

の中の、

 

「思いどおりにならないことへの耐性」

 

にフォーカスして、

紹介、解説していきますね(^^)

 

私たちにとって、

日ごろから、

思いどおりにならないことは、

多々ありますよね(^^;

 

特に人間関係・・・

 

中でも、身近な人に対しては、

ついつい、期待が大きくなり、

 

「これくらいのことは、

わかってくれるはずだ」

 

と思ってしまいがちです(^^;

 

しかし、

相手は、こちらの期待通りの

反応をしてくれない・・・

 

私も、妻や、職場の同僚に対して、

しょっちゅう感じています(笑)

 

ここでカギを握るのは、

 

「思いどおりにならない

ことへの耐性」

です。

 

この耐性が弱いと、

すぐにイライラしてしまったり、

あるいは相手を

是正しようとしたり、

相手をコントロール

しようとしたりします。

 

ときに、

怒りを爆発させる場合も

あります。

 

これでは、

おたがいが

幸せを感じるような

人間関係を

なかなか築くことは

できませんね。

 

どきっ、ぐさっ、

 

これは、私のことかも・・・

 

逆にこの

「思い通りにならない

ことへの耐性」

が強い人は、

思い通りにならない

状況の中でも、

相手のことを尊重しながら、

対話の努力を

建設的に続けていくことが

できるので、

幸せで豊かな人間関係を

築けるのです

 

なるほど~

 

こういう人に、

憧れます・・・

 

いつになったら、

私はなれるのか(^^;

 

現代人は、

「思い通りにならないことへの耐性」

が、かなり脆弱になっていると、

述べられています。

 

たしかに、そうかもしれません(^^;

 

便利すぎる時代。

 

わらないことは、

ググれば、すぐに答えがでる。

 

アマゾンも、プライムなら、

翌日には届くことが多い。

 

私も、

その恩恵を最大限被っていますし、

その便利さを手放す気は、

さらさらないのですが(^^;

 

でも、何だか、

ずいぶん、

せっかちな自分になっているという、

自覚があります。

 

たとえば、

車を運転していて、

少し渋滞しただけでも、イライラしますし、

ちょっと強引に前に入られると、

腹立つし(笑)

(たいして時間は変わらないのに・・・)

 

コンビニの、

レジで、もたもたしている人がいると、

プレッシャーをかけたくなるし、

残高不足で、

駅の自動改札を止める人には、

ムッとくるし・・・

 

・・・と、

小さい自分を露呈するのは、

このくらいにして(笑)

 

私たちは、便利すぎる世の中で、

ともすれば、

「万能感」に支配される

危険性があるのだと感じます。

 

コロナ禍の不自由は、

その警鐘の意味も

あるのかもしれません。

 

万能感は、言い換えると、

「操作主義」ともいえます。

 

自分の目の前の世界を

思い通りに

コントロールしようと

することを

「操作主義」

といいますが、

現代人には、

この「操作主義」の

パラダイムが

浸透していると思われます。

 

人は、操作主義的に

なればなるほど、

コントロールすることへの

執着心が肥大化してしまい、

思いどおりにならない状態に

耐えられなくなります。

 

つまり、

悩みが増えるのです。

 

仏教や老荘思想でも

言っているように、

思いどおりにならないことを

思いどおりにしようとする

執着心こそが、

人生の根本的な苦悩を

生み出すのです。

 

「人は、操作主義的に

なればなるほど、

コントロールすることへの

執着心が肥大化してしまい、

思いどおりにならない状態に

耐えられなくなる・・・」

 

だから、

「悩みが増える」

 

ほんと、そうですね(^^;

 

ちなみに、

私は、自己啓発書をけっこう読みます。

 

もちろん、その動機は、

向上心からなのですが、

「まわりの人をこちらの意図通りに動かそう」

という下心も、

少しはあるような気がします(^^;

 

だから、苦しみは消えないのか(笑)

 

今、私たちにとって

必要なことは、

行き過ぎた操作主義の

パラダイムをゆるめ、

 

「世界は自分の思いどおりには

ならないものだ」

 

「世界をコントロールすることは

できない」

 

「宇宙も人生も、

人知を超えたものだ」

 

という謙虚な姿勢で、

世界や人生と

向き合うことでは

ないでしょうか。

 

そしてこの姿勢は、

人間関係を築いていくうえでも

大切です。

 

つまり、

「相手はこちらの

思いどおりにはならないものだ」

 

「相手をコントロール

することはできない」

 

「人間(相手)は

計り知れない存在だ」

 

という謙虚な姿勢で、

人格的存在である相手に

畏敬の念を持つことが

大切なのです。

 

そうですね。

 

その姿勢は、

たとえ、言葉にしなくても、

相手に伝わるような気がします。

 

思いどおりに

ならなかったことに

いつまでも

囚われている人のことを、

「あきらめが悪い」

などと言ったりしますが、

この

「あきらめる」

という言葉の語源は、

「明らかにする」

「明らかに見極める」

というものです。

 

思いどおりにならない

ことを、

思いどおりにならない

こととして見極めること。

 

つまり、

勇気をもって現実を直視し、

ものごとの本質を

明らかに見て受け入れること。

 

そして、

そのことによって

執着心を手放すことこそが、

本来の

「あきらめる」

ということなのです。

 

 「明らかに見極める」

という言葉から、

「ニーバーの祈り」

を想起しました。

 

紹介します(^^)

 

神よ、

 

変えることのできるもの

について、

それを変えるだけの勇気を

われらに与えたまえ。

 

変えることのできないもの

については、

それを受けいれるだけの

冷静さを与えたまえ。

 

そして、

変えることのできるものと、

変えることのできないものとを、

識別する知恵を与えたまえ。

 

ラインホールド・ニーバー

(大木英夫 訳)

 

識別する知恵・・・

 

ああ、

そんな知恵が、

あれば、欲しい・・・

 

ただ、

少なくとも言えることは、

 

「他人」ではなく「自分」。

 

「自分」の捉え方は、

変えられますね(^^;

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は、この本で、

一番のキモ(だと私が思う)

「自己受容」のところを紹介します。

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

野口嘉則さんの本、

「これでいい」と心から思える生き方

 

 

を紹介、解説しています(^^)

 

前回、

文豪、夏目漱石さんが、

複雑な家庭環境で育ち、

愛着障害を抱えていた背景を

 

「愛着障害」 子ども時代を引きずる人々

 

 

から、少し引用して紹介しました。

 

では、そんな漱石が、

どのようにして、

「自分らしい人生」

を創造していったのか?

 

「これでいい」と心から思える生き方

から引用します(^^;

 

漱石は大学生の時に

英文学を三年間

専攻しました。

 

しかし、

文学とはどういうものかが

わからず、

苦悩しました。

 

後に講演の中で、

学生時代を振り返って、

 

「とにかく三年勉強して、

ついに文学は

解らずじまいだったのです」

(「私の個人主義」より引用)

 

と述べています。

 

そして、

そのような煩悶を

かかえたまま

教師になった漱石は、

自分が何をやりたいのかが

解らなくなり、

空虚感をかかえて悶々とし、

神経衰弱にもなりました。

 

文豪、夏目漱石といえども、

若い頃は、

迷いがあったんですね(^^;

 

その後、

イギリスに留学するも、

苦悩は続き、

人種差別も受け、

再び神経衰弱(うつ症状?)

にもなり、

下宿に引きこもってしまいます。

 

そこで、彼は、

今までの自分が、

 

「他人本位」

 

だったことに、

気がつきます。

 

それまでの漱石は、

権威ある人の言葉を

鵜呑みにし、

西洋人の学者がいうことの

受け売りをしていました。

 

そこには

主体としての自分がなく、

ただ他人に盲従し

他人を模倣するだけの、

他人本位の自分が

あったのです。

 

そして、

そのことに気づいた漱石は、

それまでの生き方を

変えるような決意をします。

 

それは、

「自己本位の生き方をしよう」

という決意でした。

 

他人の意見や、

世間の常識や、

権威ある人の言葉に

従うのではなく、

自分の頭で一から考え、

自分が感じることを

大切にして生きようと

決めたのです。

 

「文学とは

どのようなものであるか」

 

についても、

それを他人から

学ぶのではなく、

根本的に

自分で創り上げればよいと

考えるようになったのです。

 

時は明治の世の中。

 

ひたすら西洋の模倣をするのが

「よいこと」と言われていた時代に、

漱石は、苦悩しながらも、

自分自身をしっかりと見つめ、

 

「他人本位」

ではなく、

「自己本位」

に目覚めたんですね(^^)

 

漱石は、講演(私の個人主義)

でこう述べています。

 

「私はこの

自己本位という言葉を

自分の手に握ってから、

大変強くなりました」

 

こんなことも言っています。

「自分が

それだけの個性を

尊重し得るように、

社会から許されるならば、

他人に対しても

その個性を認めて、

彼らの傾向を尊重するのが

理の当然になって

来るでしょう」

 

それを受けて、

野口嘉則さんは、

こう述べています。

漱石は、

自分の個性や考えを

徹底的に

大切にしたことによって、

心に余裕ができ、

他人の個性や考えをも

尊重できるように

なったのです。

ほんと、そうですね(^^)

 

自分の個性や考えを大切にして、

はじめて、

他人の個性や考えを大切にできる。

 

逆に言えば、

自分の個性や考えを

大切にしていなければ、

他人の個性や考えを

なかなか受け入れることはできない。

 

たとえ、無理にガマンをして

受け入れたとしても、

いずれ限界がきて、

他人を攻撃してしまったり、

そんな自分を責めてしまったり・・・

 

けっこう、

勇気のいることですが、

まずは、

「自分の個性や考え」

を大切にしたいですね。

 

(と、自分に言い聞かせています(^^;)

 

晩年、漱石は、

「則天去私」

を理想とするに

至りました。

 

「則天去私」

とは、

天地自然にゆだねて

生きようとする

無私の境地のことです。

 

漱石は、

「自己本位」

という生き方を

徹底的に追求したからこそ、

晩年、

「則天去私」

を理想とするように

なったのだと思います。

 

(中略)

 

「私」を大切にできて

はじめて

「無私」の段階に

向かえるのです。

 

自分を大切にできて

はじめて

自分を超えた心境に

向かえるのです。

そうですね(^^;

 

「自己本位」

というと、

「自分勝手」「わがまま」

と同じ意味のような

印象を受けますが、

そうではなくて、

「自我の確立」

と同じ意味だと思います(^^;

 

少し、別の角度から説明しますね。

 

この本、

「これでいい」と心から思える生き方

では、

哲学者ニーチェの著書、

「ツァラトゥストラ」の

「精神の三段階の変化」

についても、触れられています。

 

ニーチェいわく、

人の精神は、

 

「ラクダ」

「獅子(ライオン)」

「幼子」

 

の三段の変化を

経る必要があるといいます。

 

最初の段階は

ラクダの精神です。

 

これは、

自ら求めて重荷を背負い、

それに耐えて歩く精神、

つまり、

与えられた既存の価値観に

従順にしたがい、

権威の奴隷になることに

あまんじる精神です。

 

この精神は、

重荷を背負ったラクダが

砂漠へ向かうように、

精神の砂漠へと向かいます。

 

そして、

荒涼たる砂漠において、

ラクダは獅子へと変化します。

 

獅子とは、

自らの意志に目覚めた

精神のことで、

自由を獲得するために、

既存の価値観を

打ち破ろうとします。

 

「汝なすべし」

と命令してくる竜

(権威や社会通念の象徴)

に対して、

獅子はそれを否定し、

「われ欲す」

と叫んで対決するのです。

 

自分を縛っていたものを

打ち破り、

自由を獲得した獅子は、

幼子に変化します。

 

幼子とは、

無垢な心で遊ぶ

子どものような精神です。

 

この段階においては、

もはや否定の精神は必要なく、

無心になって

遊びに興じることにより、

新しい価値を

自立的に創造していくように

なります。

 

 

「ラクダ」から「獅子」の段階が、

すなわち、

「自我の確立」

(自分づくり)

 

「幼子」の段階が、

すなわち、

「自己実現」

 

といえるかもしれません。

 

私は、早く、

「幼子」の域に

達したいと思いますが(^^;

残念ながら、

ラクダからワープして、

いきなり幼子へは行けないんですね。

 

獅子の段階を経ないと、

幼子にはなれない。

 

う~ん、

人生、甘くないですね・・・

 

 

次回に続きます(^^;

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

野口嘉則さんの本、

「これでいい」と心から思える生き方

 

 

を紹介、解説しています(^^)

 

今回は、

第二章「選択する力を養う」

の中で、

私が、「なるほど!」

と感じたところを、

紹介します。

 

ある寓話が語られています。

引用します。

 

年の離れた兄弟が、

二人で一頭のロバを引いて

歩いていると、

通りがかりの人から

次のように言われました。

 

「君たち、

せっかくロバの背が

空いているのに、

乗らないのかね?」

 

そこで兄の方がロバに載り、

弟が引くことにしました。

 

しばらく行くと、

通りがかりの人が

兄の方にこう言いました。

 

「君は年下の者への

思いやりがないのか。

年長者として

恥ずかしくないのかね?」

 

兄はあわてて

ロバから降り、

弟を乗せて

ロバを引くことにしました。

 

またしばらく行くと、

通りがかりの人が

弟の方にこう言いました。

 

「なんという

礼儀知らずな奴だ。

年上の者に

ロバを引かせるとは」

 

そこで兄弟は、

二人して

ロバに乗ることにしました。

 

するとこんどは、

通行人たちが

兄弟を見ながら言いました。

 

「あれでは

ロバがかわいそうだ」

 

兄弟はあわててロバから降り、

二人してロバをかついで

歩き始めました。

 

しばらく歩くと、

兄弟はヘトヘトに疲れ、

橋を歩くときに足を滑らせ、

ロバとともに

川に転落してしまったのでした。

 

 

いやあ、

笑えない話ですね・・・

 

私も、けっこう、

こういうところ、あります(^^;

 

他人に振り回されて、

自滅してしまうパターン。

 

周りの人たちは

それぞれの価値観を

持っていて、

それに基づいた

意見やアドバイスを

言ってきますが、

仮にこちらが

そのとおりに

行動したとしても、

その結果の責任は

取ってくれません。

 

自分の人生は、

自分の責任で

創っていくしかないのです。

 

人生で問題に直面した時、

それをどう捉え、

どう対処していくかは、

自分で考え、

自分で選んでいくしか

ないのです。

 

ほんと、そうですね(^^;

 

絶対的な正解が

あるわけではない。

 

もちろん、

誰かに相談したり、

意見を聞くことも大切ですが、

あれこれ迷い、葛藤しながらも、

最終的には、自分で決める。

 

そうすれば、

仮にうまくいかなくても、

人のせいにはできませんし、

ある意味、納得できます。

 

 

この本には、

文豪、夏目漱石さんのケースが

紹介されています。

 

ちなみに、

夏目漱石さんの生い立ちは、

精神科医、岡田尊司さんの著作、

 

「愛着障害」 子ども時代を引きずる人々

 

 

という本に、詳しく紹介されています。

(ベストセラーなので、

読まれた方も多いと思います(^^)

 

この本、

多くの著名人が、

程度の差こそあれ、

愛着障害の傾向があったことが

述べられています。

 

意外なのは、

アメリカ合衆国元大統領の

あのオバマさんが、

ドラックやアルコールに

溺れていた時期があったことが

紹介されていたり、

太宰治さん

(は、いかにもですね)

の生い立ちを

深堀りしていたり、

非常に興味深いのですが(^^;

 

漱石の場合は・・・

 

(以下、愛着障害から引用)

後妻だった母親

は四一歳で、

(漱石は)

八人兄弟の末っ子

であった。

 

母親は、

この年で子どもを産むのは

みっともないと

後々まで語っていた

というから、

漱石は予測せざる、

そして歓迎せざる

子どもだったのだろう。

 

そうしたこともあって

漱石は、生まれて間もなく

里子に出された。

 

貧しい古道具屋の

夫婦のもとだったという。

 

しかし、

籠に入れられ、

店先にガラクタと一緒に

おかれているのを、

たまたま通りかかった

姉が見かけ、

あまりに不憫だったので

連れ帰ってしまった。

 

けれども、

家にはおいてもらえず、

今度は塩原昌之介という、

以前、夏目家の書生だった

人物の養子となったのである。

 

(中略)

 

この夫婦は、

幼い漱石に、

「お前のお父さんは誰だい?」

「お前のお母さんは誰だい?」

と、脅迫的なまでに

尋ねたという。

 

う~ん、

漱石は、けっこうヘビーな環境で、

養育されたんですね。

 

生きづらさを抱えていた背景には、

愛着障害があった・・・

 

と、愛着障害のほうへ

話がいってしまいましたが、

 

「愛着障害」 子ども時代を引きずる人々

の紹介は、別の機会に譲るとして(^^;

 

では、その漱石が、

どのようにして、

「自分らしい人生」

を創造していったのか?

 

次回に続きますね。

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

野口嘉則さんの本、

「これでいい」と心から思える生き方

 

 

を紹介、解説しています(^^;

 

前回を、簡単に振り返ります。

 

イヤなことは、

アサーティブな態度で、

相手に「NO」と伝え、

しっかり境界線を引く。

 

それによって、

「心の安全基地」

が確保され、

その中で、自分の中の「喜び」

も育むことができる。

 

とお伝えしました。

 

しかし、

それによって、

相手が不機嫌になったり、

離れていくことは、実際にある。

 

その時、

つい、動揺してしまいがちですが、

そこは、アドラー心理学でいう、

「課題の分離」

をしっかりして、

相手の問題は相手に返す。

 

と述べました。

 

それは、

けっこう勇気のいることですが(^^;

著者の野口嘉則さんは、

自分を勇気づけるために、

「詩」を書かれました。

 

すばらしい「詩」なので、

そのまま引用させていただきます(^^)

 

「僕がすること」

 

僕が僕の欲求を

大切にすることによって、

僕を嫌う人がいるとしたら、

僕を嫌いになってくれたほうが

いい。

 

僕が僕の気持ちを

大切にすることによって

僕から離れていく人が

いるとしたら、

離れていってくれたほうが

いい。

 

その人たちが僕を嫌って

離れていってくれたら、

僕はますます

自分のことを大切にしやすく

なる。

 

逆に、

その人たちと

仲良くし続けようとしたら、

僕は自分の欲求や気持ちを

永遠に抑え続けなければ

ならない。

 

だから、

僕が僕を大切にすることに

よって、

僕を嫌って離れていく人が

いるとしたら、

そうしてくれたほうがいい。

 

だれが僕のことを

嫌いになろうとも、

だれが僕から

離れていこうとも、

 

僕がすることは

僕自身を大切にすること。

 

僕自身の味方になること。

 

僕自身をゆるし、愛すること。

 

 

繰り返し、

味わいながら、

読んでください・・・

 

 

続いて、

既にご存知の方もいらっしゃると思いますが、

有名な「ゲシュタルトの祈り」

もこの本に紹介されています(^^)

 

「ゲシュタルトの祈り」

 

私は私のことをする。

あなたはあなたのことをする。

 

私は、

あなたの期待に応えるために

生きているわけではない。

 

そしてあなたも、

私の期待に応えるために

生きているわけではない。

 

私は私、

あなたはあなた。

 

もしも偶然、

私たちの心が触れ合うならば、

それは素敵なことだ。

 

もし触れ合えないとしても、

それは仕方のないことだ。

 

 

う~ん、

ちょっと冷たいようですけど、

ほんと、そのとおりですね。

 

しみじみ・・・

 

と、改めて、

自分で自分を勇気づけるために、

このブログを書いています(^^;

 

皆さんも、

ちょっとは「NOという勇気」

が出てきましたでしょうか(笑)

 

 

嫌われる勇気

 

という、岸見一郎先生の大ベストセラー

(大好きな本、いずれ紹介したいです)

がありますが、

この本が売れたのは、

タイトルの力、

すなわち、

多くの人が、

「嫌われる勇気」がないけど、

「嫌われる勇気」を持ちたい、

という願望が潜在的にあるからではないかと、

勝手に想像しています(^^;

 

「嫌われる勇気」

持ちたいですね!

 

ちなみに、

まずは、小さなところからはじめることを、

オススメします。

 

今のご時世では、

ほとんどないシチュエーションですが、

私、若い頃、

飲み会の二次会を断れない人間だったのです。

 

「付き合いの悪い奴」

と思われるのが嫌で、

疲れている時でも、

ついつい無理して付き合って、

次の日、絶不調になったり・・・

 

ある本を読んで、

その時から、

「基本的には二次会に行かない」

というマイルールを決めました。

 

そうしたら、

断りやすくなり、あまり罪悪感も湧かなくなりました。

 

もちろん、

本心から行きたいときは、

参加する時もありますが、

乗り気でない時は、

断りやすくなる。

 

今となっては、

隔世の感があり、むしろ憧れますが・・・(笑)

 

マイルール、おすすめします!

 

次回に続きます(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

野口嘉則さんの本、

「これでいい」と心から思える生き方

 

 

の内容を、

私なりの解釈も交えて、

紹介、解説しています。

 

前回のブログで、

「自分づくり」

をするための方法として、

大きく4つあると述べました。

 

(1)心の安全基地を確立する

(2)選択する力を養う

(3)地に足をつけて再生する

(4)自己受容を深める

 

です(^^)

 

その中の、

(1)心の安全基地を確立

をするためにも、

「自分を大切にして生きる」

ということを説明しました。

 

そして、

「あなたの心が喜ぶのは、

何をしている時ですか?」

 

と、最後に、

問いかけさせていただきましたが、

でも、なかなか、

自分の心が喜ぶことが分からない、

ぴーんとこない・・・

という方もいらっしゃると思います。

 

そのような方は、

自分の「イヤだ」というメッセージを、

親などの大切な存在から、

尊重されずに、

育ってきたのかもしれません・・・

 

今からでも大丈夫です(^^)

 

人は、

イヤなことに対して

「ノー」を言うことで、

自分にとって

受け入れられるものと

受け入れられないものの間に

境界線を引くとともに、

自分と相手の間にも

境界線を引き、

心の中に安心できる

スペースを創り出します。

 

このとき、

しっかりした

境界線を引けるほど、

その内側のスペースは

安全度の高い、

より安心できる

スペースになります。

 

このスペースは、

「心の安全基地」

にもたとえられますが、

この安全なスペースこそが、

喜びが育つ場所なのです。

 

イヤなことに対して、

「ノー」といって、

しっかりと境界線を引く、

そして、

「心の安全基地」

を確保する。

 

その

「心の安全基地」

ができて、はじめて、

その中で、

「自分の喜び」

が、育まれていくんですね。

 

しかし、相手に、

「ノー」をつっけんどんに返すと、

角が立ちます。

 

できれば、嫌われたくないし・・・

 

その場合は、

アサーティブに「ノー」ということを、

おすすめします。

 

アサーティブとは、

「相手の権利を侵害することなく、

自分の要求や意見を

素直に表現する態度」

のことをいいます。

 

相手との関係にもよりますが、

たとえば、

 

「~と心配してくださるのは、

有り難いのですが・・・

私は~のような気がして、悲しいです。

だから・・・」

 

「~今は、ちょっと

気持ちに余裕がなくて、つらいんだ。

だから・・・」

 

といった感じでしょうか。

(実際、こんな風にきれいには、

なかなか言えませんが(^^;)

 

大切なことは、

相手の言動や態度に対して

自分がどんな気持ちに

なっているのかに気づき、

その気持ちを

誠実かつ素直に

相手に伝えることです。

 

そのためにも、

日ごろから

自分の気持ちや感情を

大切にすることを心がけて、

自分の気持ちや感情に

気づくセンサーを

磨いておくとよいのです。

 

まずは、

自分の気持ちや感情に気づく。

(これが大事!)

 

そのうえで、

小さなところから、無理のない範囲で、

相手を責めることなく、

なるべく感情的にはならずに、

I(アイ)メッセージで、

素直な気持ちを伝えられるように

なりたいものですね(^^;

 

 

でも、

そうはいっても・・・

 

それでも、やっぱり、

いくらアサーティブに伝えたとしても、

「ノー」ということによって、

相手が不機嫌になったり、

離れていくことは、

実際に、ある。

 

やばいこと言ったかな?

(心が、ざわざわ・・・)

 

その場合、どう考えればいいのか?

 

相手の問題(課題)は、

相手に返す。

 

アドラー心理学でいうところの、

「課題の分離」

ですね(^^)

 

実際のところ、

相手の機嫌が良いか悪いかは

相手の問題であり、

その責任は

相手にお返しするしか

ないのです。

 

私たちにできることは、

自分の機嫌や感情の責任を

引き受けることです。

 

他人の機嫌や感情は

コントロールできませんが、

 

「自分の欲求や気持ちを

大切にするかどうか」

 

「自分が機嫌よくいられるような

選択をするかどうか」

 

は、私たちが

自分の責任で選べることです。

 

なかなか勇気のいることですが(^^;

 

ちなみに、

著者の野口嘉則さんは、

自分を勇気づけるために、

「詩」を書かれました!

 

すばらしい「詩」なのですが・・・

力尽きたので、

次回に、紹介させていただきますね(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^;