ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
野口嘉則さんの本、
を紹介、解説しています(^^)
前回、
文豪、夏目漱石さんが、
複雑な家庭環境で育ち、
愛着障害を抱えていた背景を
から、少し引用して紹介しました。
では、そんな漱石が、
どのようにして、
「自分らしい人生」
を創造していったのか?
から引用します(^^;
漱石は大学生の時に
英文学を三年間
専攻しました。
しかし、
文学とはどういうものかが
わからず、
苦悩しました。
後に講演の中で、
学生時代を振り返って、
「とにかく三年勉強して、
ついに文学は
解らずじまいだったのです」
(「私の個人主義」より引用)
と述べています。
そして、
そのような煩悶を
かかえたまま
教師になった漱石は、
自分が何をやりたいのかが
解らなくなり、
空虚感をかかえて悶々とし、
神経衰弱にもなりました。
文豪、夏目漱石といえども、
若い頃は、
迷いがあったんですね(^^;
その後、
イギリスに留学するも、
苦悩は続き、
人種差別も受け、
再び神経衰弱(うつ症状?)
にもなり、
下宿に引きこもってしまいます。
そこで、彼は、
今までの自分が、
「他人本位」
だったことに、
気がつきます。
それまでの漱石は、
権威ある人の言葉を
鵜呑みにし、
西洋人の学者がいうことの
受け売りをしていました。
そこには
主体としての自分がなく、
ただ他人に盲従し
他人を模倣するだけの、
他人本位の自分が
あったのです。
そして、
そのことに気づいた漱石は、
それまでの生き方を
変えるような決意をします。
それは、
「自己本位の生き方をしよう」
という決意でした。
他人の意見や、
世間の常識や、
権威ある人の言葉に
従うのではなく、
自分の頭で一から考え、
自分が感じることを
大切にして生きようと
決めたのです。
「文学とは
どのようなものであるか」
についても、
それを他人から
学ぶのではなく、
根本的に
自分で創り上げればよいと
考えるようになったのです。
時は明治の世の中。
ひたすら西洋の模倣をするのが
「よいこと」と言われていた時代に、
漱石は、苦悩しながらも、
自分自身をしっかりと見つめ、
「他人本位」
ではなく、
「自己本位」
に目覚めたんですね(^^)
漱石は、講演(私の個人主義)
でこう述べています。
「私はこの
自己本位という言葉を
自分の手に握ってから、
大変強くなりました」
こんなことも言っています。
「自分が
それだけの個性を
尊重し得るように、
社会から許されるならば、
他人に対しても
その個性を認めて、
彼らの傾向を尊重するのが
理の当然になって
来るでしょう」
それを受けて、
野口嘉則さんは、
こう述べています。
漱石は、
自分の個性や考えを
徹底的に
大切にしたことによって、
心に余裕ができ、
他人の個性や考えをも
尊重できるように
なったのです。
ほんと、そうですね(^^)
自分の個性や考えを大切にして、
はじめて、
他人の個性や考えを大切にできる。
逆に言えば、
自分の個性や考えを
大切にしていなければ、
他人の個性や考えを
なかなか受け入れることはできない。
たとえ、無理にガマンをして
受け入れたとしても、
いずれ限界がきて、
他人を攻撃してしまったり、
そんな自分を責めてしまったり・・・
けっこう、
勇気のいることですが、
まずは、
「自分の個性や考え」
を大切にしたいですね。
(と、自分に言い聞かせています(^^;)
晩年、漱石は、
「則天去私」
を理想とするに
至りました。
「則天去私」
とは、
天地自然にゆだねて
生きようとする
無私の境地のことです。
漱石は、
「自己本位」
という生き方を
徹底的に追求したからこそ、
晩年、
「則天去私」
を理想とするように
なったのだと思います。
(中略)
「私」を大切にできて
はじめて
「無私」の段階に
向かえるのです。
自分を大切にできて
はじめて
自分を超えた心境に
向かえるのです。
そうですね(^^;
「自己本位」
というと、
「自分勝手」「わがまま」
と同じ意味のような
印象を受けますが、
そうではなくて、
「自我の確立」
と同じ意味だと思います(^^;
少し、別の角度から説明しますね。
この本、
では、
哲学者ニーチェの著書、
「ツァラトゥストラ」の
「精神の三段階の変化」
についても、触れられています。
ニーチェいわく、
人の精神は、
「ラクダ」
「獅子(ライオン)」
「幼子」
の三段の変化を
経る必要があるといいます。
最初の段階は
ラクダの精神です。
これは、
自ら求めて重荷を背負い、
それに耐えて歩く精神、
つまり、
与えられた既存の価値観に
従順にしたがい、
権威の奴隷になることに
あまんじる精神です。
この精神は、
重荷を背負ったラクダが
砂漠へ向かうように、
精神の砂漠へと向かいます。
そして、
荒涼たる砂漠において、
ラクダは獅子へと変化します。
獅子とは、
自らの意志に目覚めた
精神のことで、
自由を獲得するために、
既存の価値観を
打ち破ろうとします。
「汝なすべし」
と命令してくる竜
(権威や社会通念の象徴)
に対して、
獅子はそれを否定し、
「われ欲す」
と叫んで対決するのです。
自分を縛っていたものを
打ち破り、
自由を獲得した獅子は、
幼子に変化します。
幼子とは、
無垢な心で遊ぶ
子どものような精神です。
この段階においては、
もはや否定の精神は必要なく、
無心になって
遊びに興じることにより、
新しい価値を
自立的に創造していくように
なります。
「ラクダ」から「獅子」の段階が、
すなわち、
「自我の確立」
(自分づくり)
「幼子」の段階が、
すなわち、
「自己実現」
といえるかもしれません。
私は、早く、
「幼子」の域に
達したいと思いますが(^^;
残念ながら、
ラクダからワープして、
いきなり幼子へは行けないんですね。
獅子の段階を経ないと、
幼子にはなれない。
う~ん、
人生、甘くないですね・・・
次回に続きます(^^;
今回も、
最後までお読みくださいまして、
有り難うございました(^^)

