ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回は、

思想家、内田樹さんの新刊

コロナ後の世界

 

 

という本から、

私が印象に残ったところを、

紹介します。

 

この本、

今週に発売されたばかりの新刊ですが、

内容は、今までのブログ記事などの

「ありもの」をまとめたものになります。

 

でも、原型をとどめないほど

加筆されているようです(^^)

 

私、内田樹さんの新刊を読むのは、

けっこう久しぶりなのですが、

相変わらず「内田節」の炸裂で、

「そうだ、そうだ」

と同意するところが多かったです。

 

タイトルは、

「コロナ後の世界」

と時事的なものになっていますが、

なかなか本質的なところを突かれていると

感じました。

 

「まえがき」が、

とてもいいです(^^)

 

 

僕は

今の日本社会を見ていて、

正直「怖い」と思うのは、

人びとがしだいに

「不寛容」になっているような

気がすることです。

 

言葉が尖っているのです。

 

うかつに触れると

すぐに皮膚が切り裂かれて、

傷が残るような

「尖った言葉」

が行き交っている。

 

だから、

傷つけられることを警戒して、

みんな身を固くしている。

 

あるいは、

自分の言葉の切れ味が

どれくらいよいか知ろうとして、

「刃」に指を当てて、

嗜虐的な気分になっている。

 

 

「不寛容」

「尖った言葉」・・・

 

たしかに、特にコロナ禍の中で、

それは顕著になったように感じますが、

よく考えると、

ここ数年前から、

その傾向はあるような気がします。

 

コロナ禍によって、

それが顕在化したのだと思います。

 

 

僕は物事の適否を

 

「それをすることによって、

集団として生きる

知恵と力が高まるか?」

 

ということを

基準にして判断しています。

 

もちろん、

その言明が

「正しいか正しくないか」

ということを知るのも

大切ですけれど、

僕はそれ以上に

 

「それを言うことによって、

あなたはどのような

『よきもの』

をもたらしたいのか?」

 

ということが

気になるのです。

 

言っている言葉の内容は

非の打ちどころがないけれど、

その言葉が口にされ、

耳にされ、

皮膚の中に

浸み込むことによって、

周りの人たちの

生きる意欲が失せ、

知恵が回らなくなるのだとしたら、

その言葉を発する人には

それについての

「加害責任」を感じて欲しい。

 

 

そうですね・・・

 

その言葉を発する人とは、

悪い意味での

「評論家タイプ」

ということでしょうか。

 

おかげさまで、

今の私の身近では、

そのような人は

あまりいない感じですが、

やはり、(特に)

ネットや匿名の世界では、

いらっしゃいますよね(^^;

 

私自身、

そういった言動に、

思わず惹きつけられてしまうことも、

正直、あるのですが(^^;

 

 

みんながちょっとずつ

「貧者の一灯」

を持ち寄って、

それを

パブリック・ドメインに

供託して、

「塵も積もれば山」

をめざすという方が

「すべてのリソースを

正しい目的の

ためだけに用いる」

ことをめざすより

話が早いんじゃないか。

 

そう思っているのです。

 

「世の中を少しでも

住みやすくする」

事業においては、

「仲間を増やす」

ということが一番大切です。

 

自分と多少意見が

違っている人についても、

 

「まあ、そういう考え方も

あるかもしれないなあ」

 

と思って、

成否の判断を急がない。

 

中腰で少し耐える。

(あまり長くは無理ですけど)

 

そして、

どこかに

「取り付く島」

があったら、

それを頼りに

対話を試みる。

 

 

そうですね~、

 

正しさに固執して、

結局、身動きが取れなくなるよりも、

とにかく、

今、自分ができること、

すなわち、

「よきもの」

を皆で持ち寄る。

 

天台宗、比叡山を開いた

最澄さんの有名な、

 

「一隅を照らす、

これすなわち国宝なり」

 

(それぞれの立場で

精一杯努力する人はみんな、
何者にも代えがたい

大事な国の宝だ)

 

という言葉を想起します(^^)

 

多少、意見が違っても、

まずは、

「中腰で少し耐える」

そして、

取り付く島があれば、

そこで対話を試みる。

 

「中腰で少し耐える」

という表現が、

言い得て妙だと思いますが(^^;

 

ちょっときつくても、

すぐに決めつけをしないで、

中腰の姿勢を保つ。

 

大事ですね。

 

 

今よく

「ダイバーシティ

&インクルージョン」

という標語を聞きます。

 

「多様性と包摂」。

 

もちろん、

すてきな目標です。

 

ぜんぜん悪くない。

 

でも、これって、

微妙に

「上から目線」

だと思いませんか。

 

つまり、

「多様性を認めよう」

と言っている人って、

自分はその集団における

「正系」に属しており、

「メンバーシップ」

を確保しており、

 

「俺たちとは

ちょっと毛色の違ったのが

何人かいてもいい」

 

というニュアンスを

漂わせている。

 

「包摂」もそうですよね。

 

「他者や異物を包摂しよう」

という人って、

「包摂する側」に

はじめから立っている。

 

 

なるほど・・・

 

自分は、多数派で、

安全地帯にいるという自覚。

 

すなわち、余裕がある立場だから、

「多様性と包摂」

などといえる・・・

 

う~ん、

 

私自身も、

そうかもしれません(^^;

 

鋭い指摘ですね。

 

内田樹さんは、

それでも、

「上等」だとおっしゃっていますが、

ただ、

「上等」にも「その上」がある。

 

それは、何なのでしょうか。

 

 

言葉が平凡すぎて

脱力しそうですけれど、

 

「親切」です。

 

「人に親切にする」

ということは、

相手より立場が上でなくても、

集団のフルメンバーでなくても、

できる。

 

ちょっとしたことなんです。

 

電車で席を

譲ってあげるとか、

荷物を持ってあげるとか、

エレベーターで

「お先にどうぞ」

と声をかけるとか。

 

そういうふうな

「かたちのあること」

だけに限りません。

 

極端な話、

相手が

「親切にされた」

と気が付かなくても

いいんです。

 

朝ゴミを出しにゆくときに

登校する子どもたちを見て、

「今日一日元気でね」

と心の中で

手を合わせるとか、

その程度でいいんです。

 

別に相手から

具体的な助力や支援を

求められているわけじゃ

ないけれど、

自分の方から

一歩を踏み出す。

 

自分から始める。

 

自分が起点になる。

 

「心の中で手を合わせる」

くらいでも

「一歩を踏み出す」

にカウントしてもいいと

僕は思います。

 

だったら、

そんなに難しい仕事じゃ

ありません。

 

僕はそういう

「親切」がとても大切だと

思うんです。

 

それが

今の日本社会で

最も欠けているもののような

気がするからです。

 

「親切にしましょう」

なんて、

小学校の学級標語

みたいですけど、

日本人には

そうもそれができなくなって

いるような気がします。

 

「子どもにできること」を

大人たちがしなくなっている。

 

それが

問題なんじゃないかと

思います。

 

特に

「賢い」つもりでいる

大人たちが

「親切であること」

の価値を顧みなくなった。

 

 

そうですね・・・

 

「親切」

 

ほんと、小学校で学ぶことですが(^^;

たしかに、今、

大人たちが、しなくなっている。

 

先が見えない時代。

皆が不安を感じ、

何だか、自分を守ることで、

精一杯な感じがする・・・

 

こんなときこそ、

小さな親切を大切にしたいですね(^^;

 

私、親切をするのは、

けっこう照れくさくて、

迷っているうちに、

見送ってしまうことも多いのですが、

少なくとも、

「心の中で手を合わせる」

ことぐらいは、できますもんね。

 

出会う人たちの幸せを願って、

心の中で手を合わせる。

 

多くの人が、実践したら、

それこそ、

世界が変わるような気がします。

 

-----------------------------------

 

私、丹沢や箱根周辺で、

山歩きを、たまにするのですが、

いつも、登山道が、

さりげなく整備されています。

 

急な箇所には、

つかめるように

ロープが張ってあったり、

 

足場の悪いところには、

大きな石や、木の板、

砂袋が置いてあったり、

 

道に迷いそうな箇所には、

目印にピンクのテープが

巻かれていたり・・・

 

もしかして、

ボランティアの方でしょうか。

 

ほんと、有り難いです(^^)

 

仮に、ボランティアではなく、

自治体の職員の方だとしても、

登山道を整備するのは、

けっこう重労働だと思います。

 

そんな方たちのご尽力のおかげで、

私たちは、自然を満喫できるのですね(^^)

(しかも、無料で)

 

たしか、

村上春樹さんがおっしゃっていて、

それを内田樹さんが紹介されていましたが、

雪が降ると、近所の道を、

人知れず、雪かきしてくださる方が

いらっしゃる。

 

普段は、なかなか見えませんが、

そういう方がいるからこそ、

私たちは、

日常生活を滞りなく過ごすことができる・・・

 

 

こんな時代だからこそ、

「小さな親切」を、

大切にしていきたいですね。

(と、自分に言い聞かせています(^^;)

 

今回も、最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回も続きます(^^;

 

 

----------------------------------------------------

 

 

足柄の矢倉岳山頂より、富士山🗻を望む。

 

 

いつのまにか、上のほう、

うっすら雪化粧されていますね(^^;

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回は、

遠藤周作さんの、

影に対して―母をめぐる物語

 

 

という小説を読んで、

私が感じたことを紹介させていただきます。

 

遠藤周作さんは、

私が最も敬愛する

小説家のひとりなのですが、

没後20年以上経った2020年に、

なんと未発表の中編小説の原稿が

発見されたんですね!

 

それが今回の

「影に対して」なのですが、

「読もう読もう」として、

月日が流れてしまっていたところ、

たまたま、先日Eテレで

この本の特集番組が

放映されていました。

 

録画をして、視聴したところ、

とても心に沁みたので、

さっそくアマゾンに注文したところ、

TVの反響が大きいせいか、

なんと品切れ・・・

(リアル書店さんも

軒並み品切れのようです)

 

ただ、

無性に読みたい衝動が

抑えられないので、

今回は、

キンドルさんの

お世話になることにしました(^^;

(こういうとき、

電子書籍は有り難いですね)

 

小説なので、

ネタバレに注意して解説しますが、

この小説には、

遠藤周作さんの実際のご両親のことが、

色濃く反映されています。

 

テーマは、

「父親」と「母親」ですが、

本書の場合、

いいかえると、

 

「生活」と「人生」

 

(このテーマは、

著者のエッセーなどでも、よく出てきます)

 

父親は教師で、

「平凡な暮らしが一番」

といった、いわば、

「生活」を重視するタイプ。

 

対して、

母親はバイオリンに情熱を燃やし、

「自分の信念を貫く」

いわば、

「人生」を重視するタイプ。

 

そんな両親のもとで、

主人公の勝呂少年(著者の投影)は、

翻弄さるわけですが、

やがて、大人になり・・・

 

勝呂氏は、

父と離婚した

母からの手紙を回顧します。

 

 

「母さんは

他のものは

あなたに与えることは

できなかったけれど、

普通の母親たちとちがって、

自分の人生を

あなたに与えることが

できるのだと

 

─それを今は

あなたにたいする

おわびの気持と一緒に

自分に言いきかせて

いるのです。

 

アスハルトの道は安全だから

誰だって歩き ます。

 

危険がないから

誰だって歩き ます。

 

でもうしろを振りかえってみれば、

その安全な道には

自分の足あとなんか

一つだって残っていやしない。

 

海の砂浜は歩きにくい。

 

歩きにくいけれども

うしろをふりかえれば、

自分の足あとが

一つ一つ残っている。

 

そんな人生を

母さんはえらび ました。

 

あなたも決して

アスハルトの道など

歩くような

つまらぬ人生を

送らないで下さい。
 

 

母は、

「生活」ではなく

「人生」を選んだのですね。

 

バイオリンを極める道に、

妥協することができなかった。

 

烈しい生き方。

 

 

勝呂のまぶたには、

ヴァイオリンの絃で潰れ

皮のように固くなった

母の指が浮かんだ。

 

冬、あの指は

絃で切れて

血がにじんでい た。
 

 

このストイックさは、

まるで、

著者の有名な小説、

沈黙などに登場する、

信仰を貫き殉教する

隠れキリシタンのようです。

 

そんな母親の生き方に

影響を受けながらも、

勝呂氏は、

妻子を抱えた生活に苦慮します。

 

小説家を目指していますが、

それでは食べていけず、

翻訳業で糊口をしのいでいる。

 

実際、子供の入院費用も、

父親から借金をしないと

賄えない状態です。

 

母親の影響もあるのか、

小説家という「人生」を目指しますが、

現実は、

妻子を養うという「生活」がある。

 

「生活」と「人生」のはざまで

葛藤するわけです。

 

「生活」と「人生」

 

みなさんは、

どちらが大切だと思いますか?

 

 

・・・

 

 

う~ん、

悩みますが、

 

私は、やはり、

まずは、

「生活」だろうと考えます。

 

若い頃はともかく、

年齢を重ねたら、

社会的な責任も出てきます。

 

特に、所帯を持ったら、

自分のためだけに

生きていくことは難しい。

 

もちろん、

自分の信念を貫く生き方も、

それはそれで、

素晴らしいと思います。

 

たとえば、

勝呂氏の母親のように・・・

 

踏み絵を踏まずに殉教した

隠れキリシタンのように・・・

 

ただ、

私の場合は、

正直に自分の内面を見つめてみると、

その強さは、ないかなあ、

と思います(^^;

 

私は、やっぱり、

生活のために、

妥協したり、

自分を偽ったりも、します。

 

俗物で小心者です(^^;

 

勝呂氏の父親のように・・・

 

踏み絵を踏んだ、

隠れキリシタンのように・・・

 

 

しかし、

それだけでは、

 

「生活」だけでは、

あまりにも、味気ない。

 

時に、

空しくなる・・・

 

やはり、

生を充実させるためには、

「人生」も必要。

 

特に、

人生の後半には、

自分の信念や、

自分にとって本音で大切なことを、

生活の中にうまく取り入れていくことも、

必要なのではないかと考えます。

 

弱き人は、

「アスハルト」(アスファルト)の道を

歩み続けることになりますが、

時には、

「海の砂浜」を歩いてみる勇気も、

大切なのではないか。

 

そんなふうに思いました。

 

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以上、ネタバレになるので、

ストーリーは

あまり紹介できなかったのですが、

 

遠藤周作さんの、

影に対して―母をめぐる物語

 

の印象に残ったところを題材にして、

「生活」と「人生」について、

私の考えを

述べさせていただきました(^^;

 

ちなみに、

この本には、

表題作だけでなく、

他に6つの短編が掲載されています。

 

どれも、

表題作とのつながりもあり、

珠玉で、心に沁み入る作品です。

 

影に対して―母をめぐる物語

 

遠藤周作さんの小説を過去に読んで、

「いいな!」

と感じた方はもちろんのこと、

このブログを読んで

興味を持ってくださった方にも、

この本、おすすめします(^^)

 

なお、

過去ブログの、

 

 

では、

「生活」と「人生」について、

深く考察させていただいたことがあります。

 

ご覧いただければ幸いです(^^)

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 


 

雨上がり、

巨大カタツムリ発見🍀

 

頑張って!

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

明治大学文学部教授で、カウンセラー、

諸富祥彦さんの著作、

 

「本当の大人」になるための心理学

 心理療法家が説く心の成熟

 

 

を紹介してきました。

 

今回で7回目です(^^;

 

前回、最終回のつもりが、

長くなったので、今回に持ち越しました。

 

したがって、今回が、

最終回になります(^^;

 

「成熟した大人が持つべき

六つの人生哲学」

 

のポイントを、

順を追って説明していますが、

今回は、

その最後の6番目、

 

 

⑥仲間から孤立し

一人になっても

やっていけないことはない

 

 

の内容を紹介・解説します(^^;

 

ここでは、

アメリカの臨床心理学者、

アルバート・エリスさんの

論理療法

(ABC理論)

が紹介されています。

 

論理療法

は、セルフセラピー、

すなわち、自分一人でも取り組めます。

 

私も、何度か書き出してみて、

やったことがあります(^^)

(なかなか有益ですよ)

 

 

論理療法では

どんなふうに考えていくか。

 

人間は多くの場合、

実際に起こった出来事

(Actual event=A)

があって、

それによって

感情という結果

(Consequence=C)

がもたらされていると

考えられています。

 

例えば、

「周りから無視された」

から

「落ち込んでいる」

と思っています。

 

つまり、

「周りから無視された」

というAがあったから、

落ち込みと言うC、

すなわち否定的な感情が

生み出されてしまっていると

普通は考えられて

いるわけです。

 

 

そうですよね~、

つい、そのように

考えてしまいがちですよね・・・

 

 

けれども、

論理療法では

そうは考えません。

 

人間が落ち込む

真の原因は、

A(出来事)と

C(結果として生まれる感情)

との間にある

B(Belief=ビリーフ、

信条、事実の受け止め方)
にある。

 

Bによって

人間の感情はつくられる

と考えるのです。

 

私たちが

「人からわかってもらえない」

と思ったり、

「嫌われている」

と思ったりして

落ち込んでいる時には、

このビリーフを変えなさい

というわけです。

 

 

「ビリーフ」

すなわち、

信条、固定観念、思い込み・・・

 

私たちは、普段、

なかなか意識化できないのですが、

実際には、

多くの「ビリーフ」に縛られて生きています。

 

この「ビリーフ」を緩められると、

自分らしく、楽に生きられるというのです。

 

たとえば、

 

「人から嫌われてしまった!

うわっ、どうしよう・・・

もう、ここでは生きていけない・・・」

 

というビリーフの場合、

 

「人から嫌われないに越したことはない」

 

「人に嫌われても、

人間としての価値がないわけではない」

 

「人に嫌われても

やっていけないわけではない」

 

「一人でいたほうが、

自分のための有効な時間が

使えるかもしれない」

 

・・・というように、

自分のビリーフを論駁(ろんばく)、

すなわち、

ツッコミを入れていくんですね。

 

「本当にそうなのかい?」

 

「それはもしかして、

ビリーフ(思い込み)ではないかい?」

と。

 

「~に越したことはない」

 

「~でなくても

やっていけないことはない」

 

多くの場合、そうなんです。

 

この捉え方、

覚えておくと、役に立ちますよ(^^;

 

ちなみに、

論理療法を自分で実践するには、

野口嘉則さんの、

幸せ成功力を日増しに高めるEQノート

 

 

をおすすめします(^^)

 

この本、論理療法をアレンジした手法で、

ワーク形式になっています。

 

書き込んでいくと、

ビリーフをゆるめられて、自ずと、

幸せ成功力を高めることができますよ(^^)

 

 

話は戻りまして、

諸富先生は、

こう述べます。

 

 

私自身も、

思春期に

「人から嫌われたら大変だ」

という思いから、

自由になれずに

苦しめられたことがあります。

 

その時に、

「人から嫌われても平気だ」、

「たとえこの世の全員から

嫌われても

自分はやっていける」

 

と毎日100回、

大きな声で唱えて

自分に言い聞かせていたことが

ありました。

 

「変な目で見られても平気だ」

というくらいの

覚悟を持たなければ、

自分にとって大切なことを

とことん探求することなんか

できない。

 

そう思ったので、

まず

「人から嫌われても平気な心」

を持つこと、

「人から嫌われる勇気を持つこと」

に取り組んだのです。

 

 

・・・諸富先生は、

ほんと自分に誠実な方ですよね(^^)

(ということは、

他人にも誠実なんだと思います)

 

私も、青年時代、

「人から嫌われたら大変だ」

というビリーフがありましたが、

私の場合、諸富先生のように、

正面から受け止めずに、

「その気持ちはないもの」

として、心に蓋をしていました・・・

 

そのせいか、

心のどこかで、

「人から認められなければ価値がない」

という思いが、

ずっとあった気がします。

 

今、遅ればせながら、

その抑圧した気持ちを受け入れて、

統合しようとしている最中です(^^;

 

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以上、

長くなりましたが、

7回に渡って、

 

諸富祥彦先生の、

 

「本当の大人」になるための心理学

 心理療法家が説く心の成熟

 

 

を紹介、解説してきました(^^)

 

本書の中身の一部分、

すなわち、

 

「成熟した大人が持つべき

六つの人生哲学」

 

の箇所しか紹介できませんでしたが、

他にも、

心の成熟にとって、

役立つ知恵が満載ですので、

 

「本当の大人になりたい!」

 

と思われる方には、

ご一読をおすすめします(^^)

 

最後に、

諸富先生の若かりし頃の

衝撃の動画!

 

 

「変な目で見られても平気だ」

というくらいの

覚悟を持たなければ、

自分にとって大切なことを

とことん探求することなんか

できない。

 

 

を実践されています!

 

 

(5~6分で終わりますので、是非ご視聴を!)

 

生きる勇気が湧いてくる動画です(^^)

 

「命がけで生きる!」

ゾンビ諸富、心から尊敬します💗

 

 

-----------------------------------------

 

 

今回も、最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は別の本を紹介します。

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

明治大学文学部教授で、カウンセラー、

諸富祥彦さんの著作、

 

「本当の大人」になるための心理学

 心理療法家が説く心の成熟

 

 

を6回に渡って紹介してきました。

 

今回で、最終回、

(のつもりが、終わらなかった・・・(^^;)

 

「成熟した大人が持つべき

六つの人生哲学」

 

のポイントを、

順を追って説明していますが、

今回は、

5番目と6番目、

 

 

⑤私は私のことをして、

あなたはあなたのことをする

 

⑥仲間から孤立し

一人になっても

やっていけないことはない

 

 

の内容を紹介しますね。

 

⑤は、私も過去ブログで、

何度か紹介させていただいたことが

ありますが、

 

ゲシュタルト療法で有名な、

フレデリック・パールズさん

(フリッツ・パールズさん)の

 

「ゲシュタルトの祈り」

 

が取り上げられています。

 

 

「ゲシュタルトの祈り」

 

私は私のことをして、

あなたはあなたのことをする。

 

私はあなたの期待に

応えるために、

この世にいるわけではない。

 

あなたは私の期待に

応えるために、

この世にいるわけではない。

 

あなたはあなた、

私は私。

 

もし偶然二人

出会うことがあれば、

それはそれですばらしいこと。

 

けれどもし、

出会うことがなければ、

それはそれで

致し方のないこと。

 

 

一見、冷たいようですが、

たしかに、これが、

人生の真実ですよね(^^;

 

諸富先生は、

こう述べます。

 

 

人のせいにして

生きるのをやめる。

 

これがとても

大事なわけです。

 

自分の不幸を

他人のせいにしない。

 

誰か他人によって

自分が幸せになったり

不幸になったり

することはない。

 

パールズが強調したのは、

自分の不幸を

他人のせいにして

いるうちは、

人格は決して

成熟していかないと

いうことです。

 

自分の人生を

自分の人生として

生きることはできない

ということです。

 

また、過去や未来に

逃避することも

禁じます。

 

「あの時あの人から

こうされたから、

私は幸せになれないのだ」

 

とずっと過去のことに

しがみついて

生きている人がいます。

 

逆に、

未来のことばかり空想して、

いつかこんなことをしよう、

あんなことをしようと

計画を立ててばかりいる人も、

今、この瞬間に生きる

ということに、

集中していません。

 

自分の不幸を

他人のせいにして

生きている人は、

過去や未来の空想のうちに

生きていて、

今、この瞬間を生きていない。

 

他人のせいにするのをやめよ。

 

過去や未来への

空想に逃避するのをやめよ。

 

そして、今、この瞬間の

自分自身を生きよ。

 

これが

パールズのメッセージです。

 

 

厳しいメッセージですが、

「自分らしい人生」を生きていくためには、

肝に銘じておきたいですね(^^;

 

ちなみに、

諸富先生は、

「ゲシュタルトの祈り」

を毎日大きな声で50回唱えれば、

相当タフな人間になれると

おっしゃっています。

 

私も、

人生で迷いが生じた時には、

やってみようと思います(^^;

 

 

「自分らしく生きる」

というプロセスは、

実は、カウンセリングの中でも

生じているんですね。

 

来談者中心療法で有名な、

カール・ロジャーズさん

はこう述べます。

 

 

ロジャーズは、

カウンセリングの中で、

人が「真の自分」

になっていくプロセスを、

次のように

ストレートに表現しています。

 

①偽りの仮面を脱いで、

あるがままの自分になっていく。

 

②こうあるべきとか、

こうするべきといった

「~べき」から自由になっていく。

 

③ひたすら他の人の

期待を満たし続けていくのを

やめる。

 

④他の人を喜ばせるために

自分を型にはめるのをやめる。

 

その後、

さらに肯定的な形で、

次のようにも表現しています。

 

①自分で自分の進む方向を

決めるようになっていく。

 

②結果ではなく、

人生の「今・ここ」

というプロセスそのものを

生きるようになる。

 

③変化を楽しんで

生きるようになる。

 

④自分自身の

内側で感じていることに

意識が開かれていく。

自分が今、

内側で何を感じているか

気づけるようになっていく。

 

⑤自分自身のことを

もっと信頼するようになっていく。

 

⑥ほかの人をもっと

受け入れるようになっていく。

 

より自分らしい、

あるがままの自分になる人は、

こうした方向に向かっていく。

 

 

つまり、

カウンセラーから、

自分の正直な気持ちを、

決して否定されることなく、

「受容」「共感」されることによって、

「あるがままの自分」

というものを、

自ら見いだしていくんですね。

 

 

興味深いのは、

このプロセスが、

誰かに指示された

ものでもなく、

何かの理論や哲学に

導かれるものでもなく、

カウンセリングの

プロセスの中で

自ずと、自発的に

展開されていったもので

あるということです。

 

人は、そうあることが

真に許されている

関係性の中では、

自然と、

 

「他者の期待に

応えるのをやめて」、

 

「より自分らしい自分に

なっていく」、

 

「より自分の内側の

プロセスに従うように

なっていく」

 

ということです。

 

こうした方向性は、

したがって、

「人間の本性」

に属するものだと

考えられるのです。

 

 

そうですね~、

 

私も、

「自分らしく生きたい」

「変化を楽しみたい」

「自分を信頼したい」

「他者を受け入れたい」

 

というのは、本来、

「人間の本性」だと思います。

 

ただ、日常生活においては、

カウンセリングのような、

否定されることなく、

「受容」「共感」される場面って、

あんまりないですよね(^^;

 

(だから、自分を見失ってしまう・・・)

 

人生に息苦しさを感じたり、

行き詰りを感じた時には、

カウンセリングを受けてみるというのも、

ひとつの手かと思います(^^)

 

 

ちなみに、

この本には、

「ゲシュタルトの祈り」

以外に、もうひとつ、

素敵な詩が引用されています。

 

これも、過去ブログで紹介したことが

ありますが、

 

「ニーバーの祈り」

(平安の祈り)

 

です。

 

 

神様

私にお与えください

 

自分に変えられないものを

受け入れる落ち着きを

 

変えられるものは

変えていく勇気を

 

そして

二つのものを

見分ける賢さを

 

(「平安の祈り」)

 

 

諸富先生は、

こう述べます。

 

 

これらを

身に付けることほど、

人格が成熟していくこと。

本当の意味で

大人になるために

大切なことは

ないと思います。

 

 

ほんと、そうですね。

これらができる人、

特に、

 

「二つのものを見分ける賢さ」

 

を身に付けている人は、

まさに、

「成熟している大人」

という感じがします。

 

ああ、その賢さ、

身に付けたい・・・(^.^;

 

 

ここで重要なのは、

「変えられるものは

変えていく勇気」

と言っていることです。

 

単に現実を受け入れる

だけではない。

 

変えられないものを

現実として

受け入れて

諦めるだけではない。

 

変えることができるものは、

ちゃんと変えていこうと

言っているわけです。

 

これはとっても

大事なことです。

 

このバランスを保ちながら、

しかしそのふたつを

見分ける賢明さを持つことが

大切なのです。

 

 

ふたつのものを見分けたうえで、

変えられるものは、

そこから逃げずに、

きちんと変えていく・・・

 

ということですね(^^;

 

 

ふと、こんな一節を想起しました。

(たしか、加藤諦三さんの本で読んだ気が)

 

 

「困難に直面した時には、

いずれかを選択すればよい。

 

何かできることがあれば、

それをやる。

 

できることがなければ、

忘れることだ」

 

 

シンプルな2択ですが(^^;

 

あれこれ悩んでいないで、

解決のためにできることがあれば、

まずは、それをやってみる。

 

そして、できることがなくなれば、

忘れる(他に意識を向ける)。

 

「人事を尽くして天命を待つ」

 

という感じでしょうか。

 

 

・・・う~ん、

それができれば、苦労しないって?

 

「なかなか、忘れることなんかできない」

「どうしても、とらわれてしまう」

 

といった反論が聞こえてきそうですが(^^;

 

そんな時は、

他の生産的なことに意識を向ける。

 

すなわち、

体を動かしたり、散歩したり、

好きなことをやったり・・・

 

そうやって、堂々めぐりの自動思考から、

意識を他に向ける。

 

それが、

「忘れる」ということなのかと思います。

 

 

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今回で最終回のつもりでしたが、

すみません、かなり長くなったので、

続きは次回へ・・・

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

おまけです(^^;

 

 

愛猫の宮音(みやお)に、

ストレスレス・チェアを取られました・・・

 

 

 

うわっ、丸くなった・・・

どいてくれ~!

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

少しずつ、過ごしやすい気候に

なってきましたね(^^;

 

明治大学文学部教授で、カウンセラー、

諸富祥彦さんの著作、

 

「本当の大人」になるための心理学

 心理療法家が説く心の成熟

 

 

という新書を紹介・解説しています。

今回で、5回目ですね(^^;

 

本書で述べられている、

 

「成熟した大人が持つべき

六つの人生哲学」

 

のポイントを、

順を追って解説していますが、

今回は、

 

 

③人はわかりあえない

ものである

 

④人間は本来一人である

 

 

の2つを紹介します(^^)

 

引用します。

 

 

人間というのは、

「わかりあえなくて当然」

の生き物です。

 

「話せばわかりあえる」

などということは

絶対ありえません。

 

「話せばわかりあえる」

と主張する人の話を

くわしく聞いていくと、

その人が言いたいのは、

結局

「話せば自分の言いたいことで

説得できる」

と思っているだけの

ことなのです。

 

「話せばわかる」

というのは、

まったくのうそなのです。

 

 

う~ん、

たしかに、

そうかもしれません・・・

 

中には、

部下や子ども、パートナーには、

だいたい話せば、

納得してもらえるという方も

いらっしゃるかもしれません。

 

でも、それは、

もしかしたら、

相手が本音を押し殺して、

我慢していたり、

心の底から、

納得していないのかもしれません(^^;

 

立場を利用して、

暗に、力づくで抑え込んでいるだけかも

しれませんし・・・

 

国際情勢を見てもそうですが、

「わかりあう」というのは、

非常に難しいのが、現実です。

 

 

相手に

100パーセント

わかってもらおうとすることは、

その人が未熟な証拠です。

 

大人の心構えとしては、

たとえ10パーセントでも

わかってもらえれば

それで十分

 ―こう思ってほしいのです。

 

100パーセント

わかってもらおうと

パーフェクトを求めるのは

「永遠の少年元型」

による心の働きです。

 

人格が未熟だから

「パーフェクショナリスト」

になるのです。

 

 

「永遠の少年元型」

とは、

ユングが提唱した

「元型」理論のひとつですね。

 

すなわち、

大人になり切れていないということ。

 

私自身も、若い頃は、

誠意をもって、相手を説得すれば、

多くの場合は、

わかってもらえると思っていました。

(ところがどっこい、

そうはいかんのです(^^;)

 

仕事はもちろん、

たとえば、プライベートでも、

 

好きな女性に、

誠意を尽くして、

本気で、愛情を伝えれば、

必ず、相手は、愛情を返してくれる・・・

 

などと(^^;

(ああ恥ずかしい、なんて傲慢な)

 

もちろん、わかってもらえるように、

言葉を選んだり、誠意を尽くすことは、

必要です。

 

しかし、だからといって、

それで、わかってもらえるとは限らない

ということですね(^^;

 

わかってもらえるはずと、

思い込むことは、傲慢です。

 

 

10人に1人でもいいから

自分をわかってくれればいい。

 

30人の中で

1人だけでもいいから

味方になってくれる人が

いればいい。

 

極端なことを言うと、

この人は自分の味方だと

心から思える人が、

この世界に1人いるだけで

いいのです。

 

例えば、

それは亡くなった人でも

構いません。

 

亡くなった人でもいいから、

「この人だけは

最後まで自分の味方で

いてくれる」

という人を

見つけておくといいのです。

 

 

私などは、 

せめて、10人いたら5人、

すなわち、半分くらいの人には、

わかってほしいと、

つい甘えてしまうのですが(^^;

 

でも、たしかに、

仮に、半分、

うわべだけ、わかった(ふり)を

してくれる人がいるよりも、

たとえ、世界で1人だけでも、

自分の弱さや、至らないところも含めて、

理解してくれる人がいたほうが、

心強いかもしれません。

 

 

後は、セルフケア、

つまりどんなに

周りの人が理解してくれなくても、

 

「自分だけは自分の味方である」

 

と思えることが大切です。

 

「自分だけは自分の味方であろう」

 

とする潔い姿勢、

これがとても大事です。

 

 

「自分だけは自分の味方である」

ほんと、そうですね(^^;

 

本来、自分が自分の

よき理解者であるべきなのに、

多くの人は、

自分を見つめる目が、

けっこう手厳しいんですね。

(私もご多分に漏れず(^^;)

 

人に求めるよりも、

まずは、自分が自分の味方でありたい・・・

 

すなわち、

「自己受容」ですね(^^)

 

 

そして、

人とは10パーセントでも

わかりあえればそれでいい、

 

わかってもらえなかったり、

誤解されたとしても、

「まあいいか。どうにかなるさ」

という姿勢を保つ。

 

いい意味での開き直り。

 

この

「いい意味での開き直り」

ができるということが、

大人になるための

第一歩です。

 

 

「いい意味での開き直り」

これはとても大切ですね(^^;

 

 

続きまして、

 

 

④人間は本来一人である

 

 

を紹介、解説します。

引用します。

 

 

人間は

もともと一人です。

 

人間というのは、

もともと生まれた時から

一人だし、

最後に死ぬ時も一人。

 

人間の死亡率は

100パーセントです。

 

すべての人は例外なく、

いずれ、間もなく、

死にます。

 

多少寿命の違いは

あったとしても、

ほんの数年から

20年くらいの「誤差」です。

 

(中略)

 

私たち人間は、

このことをつい

忘れてしまいがちです。

 

今と変わらない

バタバタした同じ日常が

どこまでも果てしなく

繰り返されていくような

錯覚を抱きがちです。

 

そうすると、

「これも大事、あれも大事」

となって、

つい欲深くなって

しまいがちです。

 

これが手に入らない、

あれが手に入らない、

と不満を抱き始めるのです。

 

 

そうですね・・・

 

人間の死亡率は

100パーセント。

 

メメント・モリ(死を想え)

 

といいますが、

死を想うことで、

逆に、生が充実する。

 

本書では、

ハイデガーの

「時間と存在」の中の、

「死への先駆的な決意」

という視点が紹介されています。

 

諸富先生の専門は、

人間性/トランスパーソナル心理学

(自己成長論)なのですが、

 

自己成長論が目指すものは、

「より深く自分らしく生きること」

だといいます。

 

 

「より深く自分らしく生きること」

です。

 

世間で言われているような、

社会的に活躍する

という意味での

自己実現ではありません。

 

「自分の心の

深いところから生きる」

ことを探求します。

 

「真の自己」として

生きるという意味での

自己実現を目指すのです。

 

 

なるほど~、

 

私は、ここ数年前までは、

「自己実現」とは、

社会的に活躍することだと、

考えておりましたが(^^;

 

もちろん、それも大事ですが、

今では、自分のシャドー

(抑圧していた部分)も

少しづつ統合しながら、

ほんとうの自分を生きることが、

「自己実現」だと思うようになりました。

 

 

自分の心の深いところと

一致しながら生きる。

 

自分の心のメッセージ、

自分の心の声を聞きながら

生きるのです。

 

そして、

「真の自己」

として生きるために、

その前提としてまず

大事なことは、

 

「人はわかってくれないものだ」

 

「わかってくれる人とだけ

わかりあえればそれでいい」

 

という、

そういう哲学を

持つことなのです。

 

 

すなわち、

「自分軸」で生きるということ。

 

そういう生き方を貫くには、

勇気が必要です。

 

私は、100パーセント、

自分軸で生きるという強さは、

まだありませんが・・・(^^;

 

自分軸の割合を、

少しずつ高めながらも、

これからの人生の後半戦、

「自分らしく」

生きていきたいと考えています😊

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございます。

 

次回に続きます(^^;

 

 

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おまけです(^^)

 

 

伊勢原市の日向薬師。

 

山あいにある素敵なお寺。

屋根は茅葺(かやぶき)です。

 

数年前に平成の大修理が終わって、

キレイになりました!

 

お札をいただいたら、

「お幸せに・・・」

といってくださいました😊

 

ほっこり・・・

有り難うございます。

 

皆様も、お幸せに・・・🍀