ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

私は、無性に、

遠藤周作さんの作品を

読み返したくなる時があるのですが、

 

今回は、久しぶりに、

 

 

を読み返してみました。

 

タイトルこそ、

「侍」ですが、

いわゆる時代小説ではありません(^^;

 

仙台藩伊達政宗の家臣、

支倉常長

をモデルに描いた小説(純文学)です。

 

もう一人の主人公は、

野心的な宣教師のべラスコ

(史実ではソテロ)

なのですが、

彼は、藩を利用して、

自分の野望を実現しようとします。

 

藩には別の思惑もあり、

ペラスコや侍の長谷倉(支倉常長

ら一行は、

ローマ法王への親書を携えて、

大海原に旅立つことになるのですが、

この旅が、なかなかすごいんですね。

 

仙台藩から、

太平洋を越えてメキシコを横断、

さらに、大西洋を越えてスペイン、

最終的には、

なんとローマにまで行きつくのです。

(史実です)

 

帆船で、太平洋、大西洋を越えて、

はるかローマまで!

 

想像を絶する船旅ですね。

 

(ちなみに、

作者のフランス留学の船旅体験が、

投影されているようです)

 

冒頭の部分は

少し退屈な感じがするのですが、

出航してからは、

遠藤周作さんの筆力で、

ぐいぐい引き込まれます!

 

嵐にあったり、

インディオに襲われたり・・・

 

まるで一緒に旅をしている感覚に

なりますよ。

 

ただ、

侍の長谷倉自身は、

決してこの旅に

乗り気だったわけではないのです。

 

旧領に配置換えをしてもらえるかも

という、

一縷の望みを抱いて、

家老の命に従うのですが、

 

これは、

自分のためというよりも、

家(一族)のため、

藩(主君)のためなんですね。

 

一方で、

烈しい男、宣教師のべラスコは、

自分の布教欲、出世欲のために、

日本人を騙しながら、旅を続けます。

 

その対比も、

なかなかおもしろいです。

 

ということで、

ストーリーのネタバレに注意しながら、

私が印象に残った箇所を、

紹介、解説していきたいと思います。

 

 

宣教師のべラスコが、

こう述懐します。

 

 

日本での長い生活で、

私はいかに日本人が

宗教のなかにさえ

現世の利益を求めるかを

この眼で見てきた。

 

つまり

現世の利益を

より多く獲得するために

彼らのいう信心がある

と言ってもよいほどだった。

 

病気や災害から逃れるために

彼らは神仏を拝む。

 

領主たちは

戦いの勝利を得たいために

神社や仏閣に

寄進を約束する。

 

坊主たちも

それをよく心得ていて、

薬よりも

もっと効きめのある

薬師如来という

悪魔の像を信者たちに

拝ませているが、

この如来ほど

日本人に崇められている

仏像はないのだ。

 

そして

病気や災害から逃れる

ためだけではない。

 

日本人の宗教には富をふやし

財産をまもってくれると

称する邪宗も多く、

それにはあまたの

信者が集まっている。

 

 

「薬師如来」

が悪魔の像というのは、

ちょっと笑えますが(^^;

 

特にこの時代の宣教師から見たら、

日本人は、

現世利益だけのためだけに、

神仏を敬うというふうに、

見えたのかもしれません。

 

たしかに、

私の中にも、

その気持ちはあります。

 

やっぱり、

ご利益は欲しいですし(^^;

(ここ近年は、

なるべく感謝の気持ちのみを

捧げるようにしていますが)

 

でも、

それだけではないですよね。

 

よく、遠藤周作さんが

述べていることですが、

 

欧米のような、

厳格なキリスト教とはちがった意味で、

私たち日本人にも、

イエス・キリストのような存在を

求める気持ちがあります。

 

一行は、旅の途中、

メキシコの地でインディオと暮らす、

日本人の元修道士と出会います。

 

この元修道士、

戦災孤児で、

日本で神父に拾われたんですね。

 

マニラの神学校に入れられたが、

聖職者たちに嫌気が差し、

ノベスパニア(メキシコ)に来たが、

ここでも神父たちになじめず、

インディオと暮らすようになる。

 

そんな元修道士が、

侍の質問に対して、

こう答えます。

 

 

「切支丹は捨てたのであろう」

 

「いえ、いえ。

やはり切支丹でございます。

ただ・・・」

 

「ただ・・・

私はパードレさまの説く

切支丹は信じておりませぬ」

 

「なぜ」

 

「パードレさまたちが

ノベスパ二ヤに来られる前に、

この国にはむごい事が

ございました」

 

(中略)

 

 

スペイン人が、

インディオたちの住む土地を

略奪、征服したことですね。

 

 

「遅れてこの国に参った

パードレさまたちが、

それら多くのインディオの

苦患(くげん)を忘れ・・・

いや、

忘れているのではない。

 

あの方たちは

素知らぬ顔をされているのだ。

 

素知らぬ顔をされて

まことありげな口振りで

神の慈悲、神の愛を

説かれるのに、

ほとほと嫌気がさしました。

 

この国の

パードレさまたちの唇からは

いつも美しい言葉だけが出る。

 

パードレさまたちの手は

いつも泥に汚れは

いたしませぬ」

 

 

そうですね・・・

 

たしかに、

この時代の聖職者には、

このような

偽善も感じます。

 

 

「それゆえ、

切支丹を棄てたのか、お前は」

 

「いえ、いえ」

 

(中略)

 

「パードレさまたちが

どうであろうと、

私は私のイエスを

信じております。

 

そのイエスは

あの金殿玉楼のような

教会におられるのではなく、

このみじめな

インディオのなかに

生きておられる―

 

そう思うております」

 

 

インディオの中にも、

日本人の中にも、

いや、全人類の中に、

 

この元修道士のいう、

イエスは生きているのだと思います。

 

人の痛み、苦しみ、弱さに、

ただただ、

寄り添ってくれる存在ですね。

 

神仏に現世利益を求めがちな、

日本人にも、

このような存在を求める心は、

あると思います。

 

今も昔も。

 

 

ということで、

次回、このテーマを、

もう少し掘り下げてみたいと思いますが(^^;

 

ちなみに、

遠藤周作さんのファンの方なら、

この元修道士のような人物が、

他の小説にも出てくることに

気づかれると思います。

 

私が、まず想起したのは、

深い河に出てくる、

大津さんですね。

 

過去ブログでも紹介しました。

 

 

も、深い河に繋がっている・・・

 

よかったらご覧ください。

 

 

 

--------------------------------------------------

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回も

この本の紹介を続けます(^^;

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

勢古浩爾さんの、

 

人生の正解

 

 

を読んで、私が印象に残ったところを、

紹介、解説しています。

 

今回で4回目になります。

 

前回、

勢古浩爾さんが考える、

人生の正解の3条件のうち、

 

1,「誠実」

2,「力を尽くす」

 

を紹介、解説しました。

 

今回は、

3,「負けない」

 

です(^^)

 

これは、

かなりハードルが高いと、

著者はおっしゃっていますが・・・

 

 

負けない。

 

運命に負けない。

人に負けない。

自分に負けない。

お金に負けない。

境遇に負けない。

事件、事故、

災害に負けない。

 

言葉にすれば

簡単なことだが、

実際には、

途方もないことである。

 

もう無理だと、

放棄しても

しかたがない。

 

しかし同時に、

人間は強く美しく

生きたいと

願うものでもある。

 

 

そうですね。

言葉にすれば、簡単ですが、

実際にそれに直面したら、

かなり、きつい・・・

 

 

わたしがもしも

がん宣告を受けたり、

東日本大震災級の

災害に遭ったら、

もち堪えることが

できるかどうか、

ほとんど自信がない。

 

 

私は、

慢性の病気があったり、

仕事で理不尽な思いをしたり、

家庭生活でも、

それなりの苦労はしていますが(^^;

 

まだ甘い、ですね。

 

がん告知や、大災害に遭ったら・・・

私も自信がないです。。

 

 

だが意気地がないのは

わたしだけで、

人は意外に強いものだと

感心する。

 

深刻な病にも負けない

池江璃花子選手

みたいな人がいる。

 

 

水泳の池江璃花子選手。

ほんと強い人ですよね。

 

 

つい有名人に

視線が行くが、

大震災で

両親を失った子どもや、

子どもを亡くした親や、

家族すべてを失った

夫や妻など、

無名の多くの人たちがいる。

 

 

今だと、ウクライナ・・・

 

報道されている人以外にも、

じっと耐えている、

多くの人たちがいる。

 

 

「負けない」

覚悟とか

「耐える」

自信があるかどうか、

など関係が

ないのだろう。

 

おそらく

一日一日をじっと耐え、

生きることが

負けないことだった。

 

ただ時間に

耐え続けること、

それ以外に

負けない方法はないように

思われる。

 

そして、

それならわたしにも

できそうである。

 

 

時間に耐え続けることも、

とてもきついことですが、

それしか、

できない時もある・・・

 

 

もちろんいまも

耐え続けている人にとって、

簡単なはずがなかった。

 

どれだけ涙を流したことか。

 

自暴自棄になっても

おかしくなかった。

 

 

大災害や戦争で、

家族を失った人。

 

大病に侵された人。

 

信じていた人に

裏切られた人。

 

「よりによって、何でわたしが、

こんな理不尽な目に遭わなければ

ならないんだ・・・」

 

自暴自棄になってしまうのは、

無理もない・・・

 

 

実際、

一時的にそういう

心理状態になった人が

いたかもしれない。

 

だがそうなったあとで、

やはりそういう自分は嫌だと、

もう一度自分に

還ってくることができた人が

いるだろう。

 

そうなる寸前で

踏ん張った人が

いるだろう。

 

そして、

もう一日、

もう一日と、

生きたのだろう。

 

もうその一事だけで、

あなたは断然正しい、

 

といいたくなる。

 

 

「あなたは断然正しい」

 

深く同意します。

 

まるで、旧訳聖書の

「ヨブ記」のヨブのように、

理不尽な目に遭い、

 

たとえ自暴自棄に

なったとしても、

もう一度、

自分に還ってくることが

できた人。

 

自暴自棄になる前に、

なんとか踏ん張った人。

 

もう一日、

もう一日と粘り腰で・・・

 

決して、勝つことはなくても、

時には、倒れることがあっても、

再び立ち上がること。

 

それが、

「負けない」

ということなのかと思いました。

 

 

以上、

勢古浩爾さんが考える、

人生の正解の3条件のうち、

 

1,「誠実」

2,「力を尽くす」

3,「負けない」

 

を紹介、解説しましたが、

 

この3条件の下に、

勢古浩爾さんの個人的な規範として、

「男(女)らしさ」

があるといます。

 

なかなか興味深いので、

見ていきましょう(^^;

 

 

「男らしく生きる」

というのは、

私の定義では、

 

人の嫌がることはしない、

いわない、

ケチくさいことはしない、

弱い者いじめはしない、

ウソはつかない、

約束は守る、

チンピラ言葉は使わない、

人を支配しようとしない、

公平や公正を心がける、

泣き言はいわない、

 

などである。

 

 

たしかに、

こんな男はカッコイイですね(^^)

 

では、

「女らしさ」とは、

 

 

それはどういうものか、

有効なのか、

と問われると

ありそうな気はするのだが、

その定義を述べよ、

といわれると、

途端にわからなくなる。

 

包容力だとか、

優しさだとか、

たおやかさだとか、

いってもなあ。

 

先に挙げた

「男らしさ」

の要素は、

「女らしさ」

といってもいいもので、

 

だとすると

あの両性具有の

「人間らしさ」

でいいじゃないか、

というところに

落ち着きそうである。

 

そう、

いまさら

「男らしさ」も

「女らしさ」もない、

というのは

わかっているのだ。

 

 

そうですね~、

 

前出の

「男らしさ」は、

男か女かというよりも、

「人として」

カッコイイと感じます(^^)

 

 

なのに、

わたしのなかから

「男らしさ」

の意味は消えそうもない。

 

「人間らしさ」

は好きではないし、

「自分らしさ」

はもっとうろんである。

 

男らしさ、

女らしさは

捨てがたいのだ。

 

世間には世間の

「男らしさ」

のイメージがある。

 

酒豪で、

腕力が強く、

清濁併せのみ、

いわゆるぶっきら棒で

チンピラ口調で、

口は悪いが、

その実、

心は優しい。

 

あまりにも

ベタすぎるだろうが、

わたしはこんな男が

好きではない。

 

 

いかにも、

「昭和の男らしさ」

というイメージですが(^^;

 

「酒豪で、腕力が強く、

清濁併せのみ、

いわゆるぶっきら棒で

チンピラ口調で、

口は悪いが、

その実、心は優しい」

 

実は私、若い頃は、

こんな豪快なおじさんに

憧れていた時期もありまして(^^;

 

ちょっと目指してみたりもしましたが、

でも・・・

ダメでした(笑)

 

というか、

そもそも向いていなかった。

 

酒を飲み過ぎて、

体を壊しましたし、

清濁併せのむと、

何だかしんどくなりましたし、

(今は少しはできるようになりましたが)

口が悪いと、

心もつられて悪くなってしまうし(^^;

 

やはり、分相応というか、

キャラクターというものが

ありますね。

 

そう考えると、

私は、勢古浩爾さんのいう、

「男らしさ」(人間らしさ)のほうが、

まだ実現できる可能性はありますし、

今となっては、

そのほうが(地味ですが)

断然、カッコイイと感じます。

 

すなわち、

 

人の嫌がることはしない、

いわない、

ケチくさいことはしない、

弱い者いじめはしない、

ウソはつかない、

約束は守る、

チンピラ言葉は使わない、

人を支配しようとしない、

公平や公正を心がける、

泣き言はいわない・・・

 

先に紹介した、

勢古浩爾さんが考える、

人生の正解の3条件、

 

1,「誠実」

2,「力を尽くす」

3,「負けない」

 

とともに、

心に刻んでおきたいと思います。

 

 

私は、

人生で最も大切にしたいのは、

やはり、

 

「自分らしさ」

 

なのですが、

その中でも、

何らかの、信条というか、

自分の中の規範は

持っていたいと考えています。

 

弱い自分を、

少しでも成長させるためにも。

 

勢古浩爾さんの、

「人生の正解の3条件」や、

「男らしさ」(人間らしさ)は

私のにとってのそれに、

当てはまるわけでして。

 

勢古浩爾さん、

有り難うございました😊

 

 

----------------------------------------------------

 

 

以上、

勢古浩爾さんの、

 

人生の正解

 

 

を4回にわたって、

紹介、解説させていただきました。

 

久しぶりに、

勢古浩爾さんの本を

読ませていただきましたが、

やっぱりいいな!

と改めて感じました。

 

社会通念に染まることなく、

市井の人の目線で

ホンネを語っている感じが好きです。

 

ネガティブ・ケイパビリティ

(答えの出ない事態に耐える力)

についてなど、

紹介していない箇所も多いので、

よかったら是非、ご一読ください。

 

小心だけど、

マジメに、健気に生きている人に、

勇気を与えてくれる本だと思います。

 

今回も、

最後までお付き合いくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は別の本を、

紹介、解説いたします。

 

 

 

 

----------------------------------------------------

 

 

 

 

 

 

の~びのび、

おっぴろげ~😸

 

これがボクの信条(?)

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

勢古浩爾さんの、

 

人生の正解

 

 

という本を紹介、解説しています。

今回で3回目です。

 

前回、

勢古浩爾さんの考える、

生きていく上での規範(信条)、

すなわち、

人生の正解の3条件は、

 

1,「誠実」

2,「力を尽くす」

3,「負けない」

 

であると紹介しましたが、

今回、詳しく見ていきますね。

 

まず、

勢古浩爾さんの考える

1,「誠実」とは?

 

 

誠実であることは、

信頼の元である。

 

人を大事にする、

ウソはつかない、

公正であること、

威張らないこと、

謙虚であること、

損得で生きない、

恥を知ること。

 

誠実も、

まじめと同様、

あからさまに使うことが

躊躇(ためら)われる

言葉である。

 

 

たしかに、

使うからには、

自分がある程度は

ちゃんとできてないと・・・

 

そう考えると、

なかなか胸を張っては、

使えない言葉ですね・・・

私は(^^;

 

 

ひとつは、

そんな人間は

いるはずはない、

ということである。

 

もうひとつは、

だれだこんな言葉を

使っているのは、

おまえか、

笑わせるんじゃないよ、

 

という火の粉を

だれも振り払えない

からである。

 

現実にいるのは、

誠実を装ったろくでなしか、

誠実を装うともしない

人間のくずばかりである。

 

 

「現実にいるのは、

誠実を装ったろくでなしか、

誠実を装うともしない

人間のくずばかり・・・」

 

勢古浩爾さん、

なかなか手厳しい(^^;

 

たしかに、

「誠実」の条件をすべて満たす人は、

なかなかいないのが

現実かもしれません。

 

 

だが、たとえば、

白洲次郎は、

ぼくは心がきれいだから、

といった。

 

そんな人間はいるよ、

おれだ、

 

といったのである。

 

これは豪語だろうが、

白洲にとっては

ただの事実にすぎない。

 

こういうことをいえば、

人にどう思われるか

といった

余計な考えは

白洲にはなかった。

 

人は、ここまで

自分に自信をもつことが

できるのである。

 


白洲次郎さん、

 

あのマッカーサーに、

啖呵を切った男。

 

奥様は、

随筆家の白洲正子さんですね。

 

私、一時期、

白州次郎さんに惹かれて、

彼に関する本を、

よく読んでいたことがあります。

 

たとえば、

白洲次郎 占領を背負った男

(今は文庫になっていますね)

 

 

この本、

ベストセラーにもなりましたね(^^)

 

勢古浩爾さんも書いています。

白洲次郎的

 

 

この本、30代の頃、

繰り返し読んだものです(^^;

 

カバー折り返しの文章を、

引用します。

 

 

正義感が強く、

曲がったことがきらいで、

ウソをつかない。

 

虎の威を借る

尊大な人間を

蛇蝎のごとくきらい、

それでいて

下積みの人間や

女や子供には

無類にやさしい。

 

こんな男が

日本人にいた!

 

(白州次郎的、

カバー折り返しより引用)

 

 

実際、

マッカーサーには啖呵を切るが、

ゴルフ場のキャディーさんには、

とても優しかったという

エピソードが紹介されていたりします。

 

そんな生き方を貫いたからこそ、

白州次郎さんは、

「ぼくは心がきれいだから」

と言い切れるほどの

自信を持つことができたのだと思います。

 

本書の引用に戻ります。

 

 

誠実とは

自我を低くすることだ。

 

自分を他人のように

見ることであり、

 

保身をしないということは、

自分を公正さのまえに

さらすということである。

 

人は自我の満足を

最大限得ようとし、

自分を守るためには

どんなことでも

するものなのに、

なぜ自我を低くし、

自我を制限するのか。

 

それにより

気が落ち着き、

気が済むからである。

 

 

自我をなくすことは、

この世で生きている限り、

凡人には無理でしょうが、

「低くする」ことなら、

できるかもしれない。

 

なぜ自我を低くするのか。

 

「それにより、

気が落ち着き、

気が済むから・・・」

 

なるほど・・・

わかる気がします(^^;

 

負い目を

あまり感じなくなるというか、

少なくとも、

自分のことだけを

勘定に入れているわけではない、

 

だから、

胸を張って生きることができる、

 

という思いに

繋がるような気がします。

 

 

次に、

勢古浩爾さんの考える

2,「力を尽くす」とは?

 

 

仕事に、

自分の力を尽くす

(手を抜かない、

といってもいい)。

 

人間がなしうることのなかで、

最高のことである。

 

日本の職人の極みだが、

そのなかで

仕事にはゴールがないことと、

責任を学ぶ。

 

結局、

誠実な人間が

いい仕事をするのだ。

 

仕事に力を尽くすことは

究極の自己満足である。

 

だれが満足しても

自分が満足しなければ

完成ではない。

 

自己満足はふつう

程度の低いレベルで

満足することだが、

この究極の自己満足は

自分の成長を促す。

 

 

「結局、誠実な人間が

いい仕事をする・・・」

 

長い目で見たら、

ほんとそう思います(^^)

 

「究極の自己満足」とは、

いわば、

自分なりに

「ベストを尽くす」

ということでしょうか。

 

他人が見ていなくても、

他人から評価されなくても、

自分なりに

「ベストを尽くす」

(自分の心は常に見ています)

 

他人と比較はせずに、

自分なりに

「ベストを尽くす」

 

時には、

自分の弱さに負けてしまうけど、

それでも、

再び立ち上がって、

自分なりに

「ベストを尽くす」

 

それが、

自分自身の成長に繋がり、


ひいては、

その積み重ねが、

悔いの残らない人生に

繋がっていくような気がします。

 

 

続いて、

勢古浩爾さんの考える

3,「負けない」とは?

 

 

・・・

 

 

長くなりましたので、

次回に続きますね(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

 

------------------------------------------------

 

 

 

 

おまけです(^^;

 

足柄の矢倉岳山頂から、

富士山を望む・・・

 

 

暖かかったからなのか、

少し、もやっとしていますが(^^;

 

 

 

 

足柄といえば、

金太郎です😊

(足柄山聖天堂)

 

 

 

 

山のほうは、

まだ桜がけっこう咲いていましたよ🌸

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

勢古浩爾さんの、

 

人生の正解

 

 

という本を紹介しています。

 

タイトルに反して、

著者は、

「人生に(唯一の)正解などない」

というスタンスなのですが(^^;

 

前回、触れたように、

著者が考える価値のある生き方としては、

このように定義されています。

 

 

「なんの気負いも、

強がりも、

衒(てら)いもなく、

また卑下することも

恥じ入ることもなく、

 

人に誠実に対処し、

黙々と仕事に尽くし、

ひとりで恬淡(てんたん)として

生きるものがいるなら、

それは

価値ある生き方である」。

 

 

たしかに、

こんなふうに、

恬淡と生きていければいいなと、

憧れますが・・・

 

 

わたしたちは絶え間なく

大小の選択と決断をして

生きていかなければ

ならないのである。

 

その一つひとつの

対応の仕方よって

人生の質がちがってくる。

 

判断の間違いはあって

当然である。

 

やめておけばよかったか、

やればよかったか、

いずれにせよ

後悔は避けられない。

 

後悔してこその人生だ。

 

 

後悔してこその人生・・・

 

そうですね、 

たしかに、

後悔することって、

やっぱり、あります。

 

何が正解なのかは、

少なくとも、その時は分からない。

 

後になって、

おぼろげながら

その意味が分かることもありますが(^^;

 

 

実に簡単なことを

知ることになる。

 

自分は思ったほどの

人間ではないということ。

 

他人の悪意は

許さないが、

過失は

許すしかないこと。

 

地震や台風は

人間にとって災害だが、

自然にとっては

過失にすぎないから、

受け入れるしかないこと。

 

ケチくさいことをすると、

心が曇ること。

 

できるかぎり、

責任を他に帰さないこと。

 

保身をすると、

心が汚れること。

 

心がくすみ汚れる者は

まだいい。

 

札付きは

そういうことに

段々無神経になっていく。

 

人間が腐っていく。

 

腐っても、

うすら笑いを浮かべる

人間になる。

 

 

「自分は思ったほどの人間ではない・・・」

 

はい・・・

私も、アラフィフになって、

痛感しています(^^;

 

「地震や台風は、

自然にとっては過失なので、

受け入れるしかない・・・」

 

う〜ん、

実際に被害に遭われた方は、

なかなかそうは思えないだろう。

 

「ケチくさいことをすると、心が曇る」

「保身をすると、心が汚れる」

 

たしかに、

そんな気がします(^^;

 

 

人生の往きがけで

ことごとくちゃらんぽらんに

やりすごしておきながら、

最後の還り道だけで、

ちゃっかりと

 

「よくやった人生だった」

 

などと思うのは、

いかにも虫がよすぎる

 

そんなこと

あるはずがないのである。

 

 

どきっ、

虫がよすぎるか・・・

 

人生甘くはないのですね(^^;

 

 

生まれてきたとき、

人を騙し、

暴力を振るい、

人の金を奪うような

人間になろうと

思っていた者など、

ただのひとりもいない。

 

人を支配する

力の関係なんかよりも、

人と等しく並ぶ

和合(親和)の関係の方が、

人間にとって

はるかに「快」(しあわせ)

であることは

わかりきったことである。

 

だがご存知のとおり、

またご覧のように、

人間関係は

そうはなってはいない。

 

 

悲しいかな、

それが、現実です・・・

 

 

そんななかにあっては、

少なくとも自分は

まっとうに生きていこうと

思うほかなく、

たいていの人は

そうしている。

 

まあ、

まっとうに生きていこう、

と意識しているわけでは

ないが。

 

人生とは

一日一日の

集積である。

 

その一日一日を、

自分の「快」(意味)を求めて

生きるほかはないし、

みんなそうしている。

 

人間は自我をもった

生き物だから、

自分はいい人間だ、

自分は正しく、

よくやっていると思いたい。

 

 

・・・うん、思いたいですが(^^;

 

 

しかし人間は

放っておくと、

自我自体の快を求めて

暴走しかねない

厄介なものだ。

 

つい力の関係に

陥ってしまいがちである。

 

そんな人間が

個々の「快」(楽)を求めて、

それぞれが

自分はいい人間だ、

自分は正しく、

上手くやっていると

いいはじめるなら、

すべての人間の生き方が

正解になってしまう。

 

そんなばかなことは

ないのである。

 

 

う~ん、

たしかに・・・

 

それでは、

何でもありになってしまう。

 

 

やはり、

正しい人生と

そうでない人生との間に、

なんらかの線引きは

必要であろう。

 

 

そうですね、

なかなか難しそうですが、

なんらかの線引きは

必要かもしれない。

 

著者の勢古浩爾さんは、

長谷川卓さんの時代小説、

「戻り舟同心」シリーズから、

こんな会話を引用しています。

 

引用の引用をします(^^;

 

 

「人は上の者にばかり

目を向けたがる。

 

だが、

俺は逆だと思っている。

 

上には

逆らってもいいが、

下の者は大切にする。

 

そういった生き方を

通してきたつもりだ」

 

「損ではありませぬか」

 

「損かもしれねえが、

得することばかりを考える

生き方よりはいい。

 

得をしようとすると、

心が汚れる」

 

(「戻り舟同心 夕凪」

祥伝社文庫)

 

 

「得をしようとすると、

心が汚れる」

 

・・・かっこいい(^^)

 

こんな男に、私もなりたい。

(願望)

 

自分なりに納得できる

人生にしていくには、

自我(エゴ)が暴走しないように、

何らかの「枠」というか、

自分なりの「規範」(信条)

が必要だと考えられますが、

 

勢古浩爾さんは、

それを、

すなわち、

人生の正解の3条件として、

 

「誠実」

「力を尽くす」

「負けない」

 

という言葉で、

定義されています。

 

次回、

詳しく紹介・解説させていただきますね。

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

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新幹線富士川鉄橋より、

残念ながら、上の方は雲がかかっていましたが(^^;

 

 

 

名古屋出張、

名鉄百貨店前の

有名な巨大「ナナちゃん人形」

 

今回は、ANAバージョンでした(^^;

 

ひつまぶし、おいしかったです😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

「人生」

についての

本の紹介が続きますが(^^;

 

今回からは、

勢古浩爾(せここうじ)さんの、

 

人生の正解

 

 

という本を紹介します。

 

勢古浩爾さんの本は、

特に30代のころ、よく読みました。

 

「人生論」的な

著作が多いのですが、

どちらかというと、

先に紹介したような、

トルストイさんの

人生論のような

高尚(?)な感じではありません。

 

勢古浩爾さんは、

いわゆる学者や作家ではなく、

ふつうの会社員として、

洋書輸入会社に

34年間勤務されていた方なんですね。

 

そのせいか、

等身大というか、

市井の人の目線で

ホンネを語っている感じがして、

とても共感できるのです。

 

(されど、内容的には、

本質を突いていてなかなか深いです・・・)

 

ちょっぴり毒舌なところも、

好きです(^^;

 

近年の著作ですと、

「定年後のリアル」

シリーズがベストセラーになっています。

 

私は、多くの本に影響を受けていますが、

たとえば、

 

会社員の父から息子へ

 

 

という本は、

特に何度も繰り返し読みました。

 

似たようなタイトルの本で

有名なのは、

 

ビジネスマンの父より息子への30通の手紙

 

がありますが、

私は、個人的に、

勢古浩爾さんの

 

会社員の父から息子へ

 

のほうが、

等身大な感じがして好きです(^^)

 

私は、割と早く、

就職した年にオヤジを亡くしたので、

どこかで、

オヤジを求めていたのかもしれません・・・

 

いずれ、

この本も紹介したいと思うのですが、

今回は、

比較的近著の、

 

人生の正解

 

のほうを紹介しますね。

 

この本、

タイトルがなかなか強烈です(^^;

 

人生の正解・・・

 

あれば、知りたいと思いますが、

 

しかし、この本は、

タイトルとは裏腹に、

 

なんと、

「人生に(唯一の)正解などない」

といっているんですね(^^;

 

ただし、

「正解」を「まっとう」

と言い換えればどうなのだろう。

 

「自分の人生は、はたして

正解(まっとう)だったのか?」

 

「自分はどのような人生を

よしとするのか」

 

つまり、

「自分はどんな人生が好きで、

どんな人生が嫌いか」

 

ということなら語れるだろう。

 

ということで、

勢古浩爾さんが、

 

「どのような人生をよしとするのか」

 

を色々な角度から紹介しながら、

私の考えも

述べていきたいと思います(^^;

 

かつては、

人生の標準モデルというものが

あったといいます。

 

 

わたしが大学を出た

五十年前には、

社会通念として

「正解な人生」

の一般的な標準モデルが

あった。

 

いい大学に入り、

いい会社に就職して、

結婚して、

子どもをふたりもち、

車を買い、

一戸建て(自宅)を買い、

定年まで会社を勤め上げる、

 

というやつである。

 

その上、

大病や事故や事件や災害は

一切勘定に入れず、

子供たちも立派に自立し、

定年後は

夫婦で好きなことをして

豊かに暮らす、

 

となればさらによろしい。

 

 

たしかに、

高度経済成長の頃などは、

このような人生を目指すべきだ!

という社会通念が

強かったと思います。

 

もちろん、今でも、

これは、ひとつの

「正解な人生」

かもしれません。

 

私は、

バブル崩壊後に入社したクチなので、

既に低成長時代に入っていたのですが、

そんな時代でも、

こんな人生になればいいな~と

ぼんやりと考えていたところは、

正直あります。

 

しかし、そうは問屋が卸さない(^^;

 

早くも、いくつかが欠けてしまっている

訳でして(^^;

 

そもそも、今の世の中、

これらをすべて満たしている人が、

はたして、どれだけいるのか。

 

そう考えると、

この社会通念に縛られ続けるのは

多くの人にとって、

苦しいわけですが、

 

今の時代は、

価値観が多様化しているので、

そういう意味では、

以前よりも、

生きやすい時代になったのかも

しれません。

 

(ただし、同調圧力というものは、

まだまだあるような気がしますが)

 

勢古浩爾さんが、

よく引用している、

吉本隆明さんの至言が、

この本でも紹介されています。

 

 

「結婚して子供を生み、

そして、

子どもに背かれ、

老いくたばって死ぬ、

 

そういう生活者を

もしも想定できるならば、

そういう生活をして

生涯を終える者が、

いちばん価値ある

存在なんだ。」

 

 

子どもに背かれ・・・

 

これ、執着がない感じで

いいですね(^^;

 

ふつう、

いちばん価値ある存在といえば、

世の中に対して、

多大なる貢献した偉人、

 

たとえば、

リンカーンとか、

ガンジーのような偉人、

 

今の日本だと、

稲盛和夫さんのような成功者を

連想しますが、

そうではないんですね。

 

いわゆる、

ふつうの生活者として

人生をまっとうすることが、

もっとも価値があるという

吉本隆明さんの至言に、

 

私は、ある意味、

衝撃を受けたのですが、

しかし、

こんな生き方をするのも、

今の時代、けっこう難しい・・・

 

私は、有り難いことに、

結婚は何とかできましたが、

子どもはできませんでしたし(^^;

 

勢古浩爾さんはこう述べます。

 

 

わたしはこれを

ほんとうのことだと

いまでも思っているが、

しかし現在では、

これはこのように

言い換えられる

べきであろう。

 

もしくは

そのあとに

このように付け加えられる

べきであると思う。

 

「なんの気負いも、

強がりも、

衒(てら)いもなく、

また卑下することも

恥じ入ることもなく、

 

人に誠実に対処し、

黙々と仕事に尽くし、

ひとりで恬淡(てんたん)として

生きるものがいるなら、

それは

価値ある生き方である」。

 

長いな。

キレもないが。

 

 

キレはないかもしれませんが、

深いです(^^;

 

同意します。

 

「なんの気負いも、

強がりも、衒(てら)いもなく、

また卑下することも

恥じ入ることもなく、

 

人に誠実に対処し、

黙々と仕事に尽くし、

ひとりで恬淡として生きる」

 

そうですね・・・

 

たとえ、

モノやお金、

結婚や子どもに恵まれても、

それがそのまま、

正解といえる人生に

直結するわけではない。

 

お金が人生を狂わせることもあるし、

結婚で不幸になることも

あるわけですから。

 

 

誠実に、黙々と、

恬淡として生きる・・・

 

大切にしていきたいです😊

 

 

 

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・・・次回に続きますね。

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^;